下克上
普段は棒を持っているだけの門番が、現在は鞘を払った抜き身の槍。普段は隊ごとの当番で決まる役目だがここ数日は隊内でも選りすぐりの腕自慢を立たせている。今夜の責任者は隊の剣術指南役、斉藤終だった。自分が選んだ技量の優れたのを裏に三人表に二人配備して、本人は替えの刀を背中にまで合計三本も携え裏門に立ち、敵の襲撃に備えている。
「……えーと、あの。おとりこみ中、申し訳ございません」
顔見知りの来訪に、普段なら口を開く門番だが一瞥をくれるだけ。来客は、そんな対応で怯むタマでもなかったが、あちゃーこりゃダメかもなー、という、そんな顔をした。
攘夷派と手を組んだ天人らの勢力争いの余波を受け、局地的ながら市街戦さえ起こってから、まだ数日。市街戦では幕府側が圧倒的な強さを見せ侵略側を撃退したものの、それがほんの小手調べ、緒戦に過ぎないことは分かっていた。真撰組はその中で目を見張る活躍ぶりを示し、まだ停戦合意の調停中というのに、既に先立って将軍からのお褒めの言葉と、褒章を授与された。
「えーと、一般市民の万事屋です。こちらの副長、……、え、違うの?」
門番の他にも見張りは居るらしい。それともカメラが姿が捕らえられたのか、ともかく、建物の中から下駄を突っかけて出てきてくれた馴染みの若者に、腕を交差させたバツのサインを出されて戸惑う。
「局長、代行……、の土方十四郎さんに、ご相談があって来ました。お取次ぎ願えませんか」
沖田のクチパクを真似て、いつもの口調ではなく仁義をきって面会を申し込む。斉藤は動かなかったが脇の一人が沖田を見て、沖田が頷く。そこで略式に、面会許可が出た。
「木刀、棚に置いてくだせぇ。一応、ボディーチェックさせていただきやすぜ」
「はいはーい」
置かれた金属探知機の下を潜り、自分から両手を上げてチェックをしやすくする。
「土方さんは奥に居ますが、寝てたら起こさないでやってくれませんか」
「あぁ、うん。分かった。その時は顔見るだけで帰るよ。ありがとね、沖田クン」
陣中に部外者の自分を入れてくれただけで、白髪頭の男は若者に感謝した。
「局長代行ってなんで?ゴリさんは?」
「近藤さんは江戸城内に詰めてます」
「あぁそうなんだ。ふーん」
話が少しおかしいな、とはその時点で思った。真撰組はその実績と対テロの実戦経験を買われて幕府軍先方を仰せつかっている。名誉の役目だが危険も大きい。そんな組織の頭が前線から遠い本陣に詰めているのは、なんだか不自然だった。
「トシちゃん、元気?」
でも矛盾を追及はしなかった。敵勢力からの襲撃をピリピリ警戒している。話したくない理由もあるのだろう。そんな中、結婚している訳でもない情人を、建物内に入れてくれたのは相当の好意だ。白髪頭の万事屋は天人たちの代理戦争に興味はなく、ただ、馴染んだ遊び相手が前線に立っていることだけが心配。治安が小康状態となり市民の外出禁止令が解けると同時に、のこのこ出てくるほど。
「まぁまあです」
「ぱっつぁんどーしてる?」
真撰組局長のと結婚はしていないが『後援』は受けている姉に引きずられ、志村新八は真撰組に入った。
「そっちはよく知りませんが、まぁ元気なんじゃありゃあせんか」
てくてく、屯所を歩いていく。内廊下に面した座敷の襖や障子は多く開け放たれて、賊の侵入を警戒していることが知れた。非番や休憩中の隊士らが畳の広い控え室で毛布を被って眠ったり本を読んだり。沖田は声をかけなかったが、気づいた連中は会釈して目礼。
「遠いね」
何度も長い渡り廊下を曲がって進んでいく。
「もしかして沖田君、俺が経路を覚えないように遠回りしてる?」
「ちょっとは。でも基本的に奥ですよ。うちの大将ですから」
「銀さん疑われてるのかなー。ショックだなー」
「夜這いに来られちゃ、困りますからね」
「そんなことはしないよ。副長さんが来いって言ってくれれば別だけど」
「ンなふざけた真似は俺が許しやせんよ」
冗談めかしながら、でも少し本気の混じった会話が、少し剣呑になりかけた時、先を歩いていた若者の足が止まる。縁から中庭へ下りて池の端を回りこみ、そうして奥の独立した建物へ。
広さは四十平米、十二坪ほどだ。建物に玄関は無く、縁もなく、塗り込めの壁の上部に窓があるだけ、一見したところは火事の時に貴重品を運びさらに万一の場合は避難するための倉。多分、その通りなのだろう。
壁の厚い倉は夏には涼しく冬は暖かく、案外と居住性はいい。その上、火災にも強いのだからこの戦時に、狙われやすい指揮官を置いておくのはおかしくは無かった。が。
「厳重だねぇ」
袂から鍵を取り出し、カチリと音をさせて引き戸の施錠を解いたとき、違和感は覚えた。胸がチリッと音をたてたのは嫉妬だ。自分が抱いているオンナの部屋の鍵を、他の男が持っていることは状況がどうであれ気に食わない。
「お静かに」
小さな声で沖田は答え、目顔で白髪頭の男を奥へ招く。中は倉庫のままでなく、きれいに部屋に造り直してあった。これまたわざと折り曲げられた廊下には無意味な段差が幾つもあって、慣れない賊を転がす設計になっている。常夜灯は点っているがその目的の為にわざと下部に覆いをされていて足元が暗く、男は慎重に確かめながら歩いていく。2DKの男の事務所とほぼ同じ広さ。
「……、俺です」
墨絵で大河の描かれた襖の前で、若者は小さな声。そうして取手に指を掛け横に引いた。廊下より一段高くなった中は十畳のほどの和室。真ん中に、三十センチはありそうなかさ高の大きな布団が敷かれ、刀掛けに床の間、違い棚、という、書院作りを模した室内。
「あー、よかった。なんか感じが怖かったから、総悟君が下克上してトシが監禁でもされてんのかと思った」
天井の高い広い部屋でふかふかの布団に寝かされて、静かに眠っている。
「……」
答えず若者は座敷に上がる。畳の縁を踏まずにすらすらと歩いて、そして。
「、ッ……、ッ」
「俺です。暴れないで」
腰の刀を抜いて左脇に置き、なんの予告も無く褥に手を入れる。否、手だけではない。かさのわりにひどく軽いらしい掛け布団に殆ど肩まで潜らせて。
「確かめるだけ。じっとして」
指先が何をしているかは、まだ廊下に立っている男には見えなかった。でも。
「あぁ、ちゃんと始末してるね。よかった。」
触れられて跳ね起きた黒髪の『局長代行』が、その前に何をされていたか、この男には一目瞭然。見覚えのある肌の色だ。情事の後の、熱と紅潮がひいて透明度を増した、まるで湯上りみたいな艶の、とてもキレイな。
「幕府にも長州にも動きはナンにもないから安心して眠りなよ。ナンか欲しいものない?メシは食ったね?」
いつも生意気で反抗的だった態度とは違う、ひどく甘ったるい声音。
「旦那が、心配して会いに来てるよ。どうする?」
布団に戻されるカラダは裸ではない。でも夜着をひどく緩く着付けて、前が今にもはだけてしまいそう。腰紐が結ばれていないらしい。袖は肩から落ちかけて、丸みのある二の腕が見えている。
「俺を殺して助けて、って旦那に言う?言いたいなら言いなよ。抵抗しないし」
ほらそこ、と促され、寝床に戻されてもまだ、衝撃の収まらない目尻がちらりと、部屋の入り口を見た。立ち尽くしたまま呆然と、男は目の前で行われることを眺めていた。が。
「……ちょっと姿、見ないうちに洒落たことになってんじゃん」
青ざめつつも、場数を踏んだ度胸でそう、辛うじて口にした。
「アンタが寝技かけたの、沖田クンに押し倒されちまったの、どっち?」
「俺もききてぇですね。ドッチ?」
局長『代行』の枕元に座った沖田が畳に這うようにして、布団からはみ出した指先に口付ける。それからたまらない、という顔で舐め、やがて伸ばした舌を絡めるように、口に咥えてしまう。
「イヤなら助けてもらいなよ」
「……黙れ、ガキ」
「ほら旦那怒ってる。あんたのヒトコトで済むよ」
刀を、鞘ごと褥の中へそっと差し込んだ。中の『代行』は硬い遺物を嫌ってそれを、布団の外へ押しやる。
「答えろ、トシッ」
癇癪を起こした白髪頭の男が、怒鳴り。
「……」
オンナはだるそうに身動き。肩を揺らして男の方を向く。視線が、絡む。目は口ほどにものを言って、そう。
見て分からないのか、と、その目は情夫に告げていた。
さよなら、とも。
「……トシ」
男が言葉を失う隙に再度、目を閉じて布団へ顔を埋める。枕は使わず顎まで埋まって眠る癖を、男は知っていた。
「今日、俺もこっちで眠っていい?もうナンにもしないから。昼間、ごめんなさい。久しぶりだったから興奮した」
若者の囁きに、目を閉じたまま頷くオンナを呆然と眺める。
「なに、したんだよ、沖田クン……?」
指先に最後にもう一度、くちづけて布団の中へ納めながら。
「見て、分かりませんか」
恐ろしいほど腕のたつ真撰組一番隊隊長は、笑った。
俺のオンナにしましたよ、と。
少年時代の俤を残す可愛い顔が嬉しそうに、笑う。