第一幕・その時
場所は幕府お抱え特殊警察・真撰組局長の妾宅。
屯所近くに建つこぢんまりとしているが瀟洒な邸に呼び出された副長は目を見張った。呼びに来た山崎が背後で襖を閉める。音も無くぴたり、と。その落ち着きで、グルということが分かった。
「……総悟、お前」
時は情勢がきな臭くなりかけた時期。市街戦勃発よりも二週間ほど前。テロ対策に投入されることの多い真撰組は日々実戦の中に居るが、本格的な『戦争』が始まりそうだと、勘のいいヤツは気づきかけていた、時期。
夜中まで連日、詳細地図の暗記や街道の分析、想定される陣地周辺の民家との立ち退き折衝、などで痩せるほど多忙な副長は夜中に呼び出され、寝巻きの単衣に羽織をはおっただけの姿。セットしない髪が額に落ちているせいでいつもより随分若く見える二枚目は、日頃はキツイ目線をかなりの努力で和ませて。
「何してンだ……?」
優しく、尋ねる。
「見ての通りです。下克上を、してます」
答える総悟も、らしくない。静かにゆっくり、誠実に答える。
つまりそれほどの事態。
「今日はエイプリルフールじゃねぇぜ?」
邸の主は縛られては居ない。が、多分、情事の最中に踏み込まれたのだろう、女を人質にとられて褥の上で、夜着のまま身動きではなくされている。対して部屋の反対側で隊士たちの抜き身に囲まれた女は、シーツをカラダに巻きつけているが、その下はどうやら素裸らしい。
「俺らの要求は一つです。次の局長を志村新八じゃなくあんたに譲ること」
裸のまま抜刀の隊士に囲まれ、震えては居ないが青ざめて、美しい女は真撰組の若い一番隊隊長を見上げた。マスカラで砥がれた目で睨まれても、若い隊長は少しも怯まず、どころかうっすら、酷薄に笑い返す。ヤバイ目つきだった。
その目を一旦、閉じてキモチを入れ替えて。
「どうしますか?」
副長に尋ねる。殆ど真摯と呼んでいい真剣さで。
「アンタが賛成してくれないなら、俺らは全員、この場で腹を切ります」
その言葉に、艶な目尻の副長は周囲を見まわした。一番隊から五番隊までの隊長と監察、会計方に周旋方の、それぞれ責任者。剣術柔術棒術の師範役、要するに発足当時からの面子、隊の主だった幹部が十人以上、その場には揃っていた。
「脅すな。……ふざけるなよ」
また珍しく、黒髪の副長が下手に出た。首をかしげてほんの少しだが笑って。指折りのこの幹部たちに抜けられればその瞬間、隊の機能は停止して組織は崩壊する。
「マジだよ」
それは、見れば、分かることだった。
「あんたの裁定に俺らは従うよ」
下克上を行った全員は、死出の旅路の衣装である、白装束を着込んでいる。
「総悟……、なぁ」
宥める言葉を副長は必死に探したが、何も言えず、苦しそうに目を細める。一同の覚悟を痛いほど感じて。
「土方さん」
宰領役の沖田は刃を抜いていなかった。腰に差したままの刀を鞘ごと引き抜いて、副長の足元に転がして、から。
「話を少し、聞いてくれますか」
相手に近づく。
「俺らは近藤さんを嫌いになったんじゃない。大事なボスだったし、今でも人柄は慕ってる。でもそれだけじゃダメになったんだ。……こういう理屈は、俺よりあんたの方が得意ですよね。ホントは分かってンでしょ?」
分かって、いる。
いるどころではない。縋りつくようにして度々諫言した。でもどうしても理解してくれなくて、最近は疎んじられている、とさえ感じるように、なった。
集団が大きくなれば組織化が必須で、組織が成立すれば首領の意義も変わるということを、近藤勲はどうしても分かってくれなかった。
それは企業の創始者が陥りやすい錯誤。会社を私物化していると株主や従業員に責められて、でも社長にはそれが何故悪いことなのか分からない。本人はその『組織』を自分の物だと思い込んでいるから。
「あんたが俺らを間違ってると思うンならそう言ってくだせぇ。……介錯もお願いします」
「総悟」
「どうする?」
「ひでぇ脅迫だな」
「だって、お願いしても、きいてくれなかったから」
縋りついて哀願していたのはこの副長だけではない。組織を巡る意識の齟齬がぎしぎし軋みだしてから、色男の副長のもとへは何度も哀訴が繰り返されていた。近藤さんにはもうついていけない、あんたが隊を率いてくれ、という。
「返事は?」
「……近藤さん。あんたが間違ってたんじゃない」
「俺らに、返事は?」
「こういうことも、あるさ。よくあることじゃねぇか、自分がつくったガキに反抗されて噛まれんのは」
「ねぇ土方さん、俺らはね」
「仕方ないことさ。暫く一緒に、どっかの温泉にでも漬かって忘れようぜ。元気が出たら、また始めりゃいい。こんどは途中で、間違わないように」
「近藤さんにはもうついて行けないけど、あんたを一緒に出て行かせる気はないんだ。あんたの身柄が、この場を納める条件だよ」
その言葉に、副長が視線を沖田に向ける。ぎろりという本来の鋭い光を取り戻した目線に、ぞくり、と感じながら。
「脅迫か」
「うん。まぁ、そういうことになるかな。だって俺まだ未成年だもん。アタマわりぃし、ボスは務まらねぇよ」
「俺に近藤さんを裏切れってのか。ムチャ言うな」
「するんだよ。それが近藤さんのこと許せる条件だ」
笑うと目尻が下ってひどく優しい顔になるこの首領を、慕っていたし、好きだった。だからこそ裏切りが許せない。
「隊のためにイノチ張ってきた俺らより、その人は好きな女選んだんだ。隊の交際費が女の店に流れるまでならガマンできないでもなかった。でも人事をオンナの縁故で弄られちゃたまらない」
志村新八、という義弟にあたる少年を入隊させ早々と伍長に昇進させ、いずれは自分の『跡取り』にするつもりだった局長から、既に人心は離れた。
「土方さん」
名前を呼びながら刀を捨てた若者は、その名の主に近づいて、肩に額を押し当てる。
「こんなこと俺だってホントはしたくなかった」
悲しみは嘘ではない。
「しなきゃならなくなったのは近藤さんのせいだ。俺らは裏切られた。でも、あんたはそんなことしないよな」
「総悟」
「あんたのこと近藤さんには渡さない。近藤さんは引退、次の局長はあんた。それしか受け入れない。最初に言ったとおり」
「俺にこんな、酷い真似するなよ」
「……ごめんなさい」
素直に謝る、若者は本当に申し訳なさそう。二枚目が俯いて心から悲しそうだったから。
「なんでこんな、よりによって、今……ッ」
戦乱を控え、真撰組の真価が問われる時。
「こんな時だから。武士道とは死ぬこととみつけたり、って、昔、佐賀の誰かが言ったらしいけど」
「葉隠れの山本常朝だ。それぐらい覚えろ」
「ナンの為に死ぬかは選ぶ権利あるよね。俺らは近藤さんの為なら死ねた。でも近藤さんの妾と弟の為には、いやだ」
「総悟」
「あんたの為に死なせてよ」
「条件がある」
「あんたいつも話はやいから好き。なに?」
「近藤さんを追放はしない」
「じゃあどーすんの」
「上に行ってもらう」
「お飾りで給料だけ払うってコト?俺はいいけど、みんなはどうかな。……どう思う?」
沖田が背後を振り向いて意見を尋ねる。白装束の幹部たちは視線を交わしあい、最終的に監察の山崎の方を向いた。
「揉め事を外に出さずに済ませられれば、それが一番いいとは思いますよ。でも隊士が混乱しますね。命令系統も乱れるし、そして多分、土方さんがお辛いでしょう」
最後の言葉は優しくて心が篭もっている。
「屯所の外で、『上に行って』いただくことが出来ればいいと思いますが。まあそのへんは土方さんの力量にお任せで」
「お任せしていいですかぃ?」
「……あぁ」
辛そうに副長が頷く。気の毒そうにそれを見ながら、でも皆、ほっとした表情。思いつめた末の行動だったがとりあえず、これでなんとか、隊という居場所を失わなくて済む。
「お芝居なら大した役者たちね」
隊士が刀を納め、部屋の隅に拘束していた女を解放する。近藤勲のそばに寄りながら女はクヤシそうに口走った。憔悴した副長は女を見て、そして近藤勲を、見て。
「近藤さん、すまねぇ。俺の力が足りなかった」
部下たちの不満を吸収しきれなかったことを謝る。
「……ごめん」
うなだれながら左の掌を自分の目に当てる。殆どの幹部はそこで初めて、鬼副長が泣いているのを見た。
だまって、じっと、話を聞くだけだった近藤勲の、内心は分からない。ガキの頃から大将だった男はただ、優しい顔をして。
「トシ」
俯く旧友の肩を、叩く。
「隊と総悟を頼む」
言ったのはそれだけ。追われて行くのに堂々と、女の肩を抱いて屯所至近の妾宅から出て行く背中は、見事。
「車でお送りしてきます。お妙さんのご実家の道場まで。俺はラストで結構です」
山崎が後を追う。
「ねぇ土方さん。俺やっぱり分かんねーや。あんなにいい大将を、どうして俺らはなくさなきゃならなかったのかな」
見送ることに耐えかねて、口を押さえて嗚咽をこらえている人に沖田が、そっと声を掛ける。
「泣かないでくだせぇよ。ほんとは俺らだって泣きたいんだ」
言いながら、背中から抱きしめて、そっと。
「……、総悟?」
押し倒す。気持ちの同様に引きずられて張りを失っていたカラダはうつ伏せにぱたりと、畳の上に倒れる。
「はい」
「なん、だ……?」
「わかりませんか?前と同じことを」
「……、って、おまえ……」
仰向けに、される。
抵抗するような気力は、その時にはなかった。