下克上・3
停戦の協定が決まって、攘夷一派を後押ししていた天人勢力の外交官は江戸城へ出てきて公式に侘びを入れ、後援されていた攘夷系左翼は江戸四方百里から退いた。
とりあえず完勝に近い停戦。このまま平和が続くとは思えないが、一応、真撰組をはじめとする武装警察は臨戦態勢を解いた。隊士たちには休暇と臨時賞与が与えられ、それは連中の年収にほぼ等しかった。
幹部クラスも閑暇を得て、一月近い戦陣の緊張を解いている。そんな一日、警察病院の特別棟に、黒塗りの高級車が停まる。
「個室に入ってんのは大腿骨折の樋口だけです。あとは貸切の大部屋に移りました。名簿見られますか?」
助手席に乗っていた山崎がドアを開ける。後部座席から下りてきた『代行』に、ざわ、っと周囲がざわめく。一般病院ではないから周囲の見舞い客や散歩中の患者は警察関係者ばかりで、殆どが身内だったが、それでも。
「ナンだありゃ、どこの色男だ?」
余所の隊長を間近に見る事は珍しい。外来病棟二階に設けられた喫煙所から、見舞い客を論評して愉しんでいた喫煙難民たちは一様に注目した。
喫煙者にはただでさえ風当たりがきつい風潮の中、病院の喫煙所が快適である筈もない。椅子もなく、窓からの景色は駐車場だけ、光は西日が入るだけ、というコンクリート壁のひどい部屋。
「真撰組の土方だろ。派手に売り出し中の」
「役者で通るぞ。武装警察のアタマにしちゃヤワすぎんじゃねぇか?前のは立派な強面だったがな」
「前のより、中身はカタくてよ」
もとお庭番関係者で江戸城内の噂に妙に詳しい一人が口を開く。
「偉いサンらは梃子摺ってるらしいぜ」
そういえば市街戦の中でも、攻め口を巡って総監の片栗虎にうるさく注文をつけ、またそれがよく当るものだから途中からは、『現況の報告』のために本来ならば参加する資格のない軍議へ、たびたび招かれた。
「前のヤワかったからなぁ」
気性が優しくて、おかげで外れ籤を引かされることが時々あった。頼まれれば嫌とは言わない性格は個人としては美徳だが、餌食になるだけのシビアな世界もある。
「でもちょっとやっぱり、迫力不足じゃねぇ?」
そんな勝手なことを囀っていた入院患者たちはその直後、がちゃりと開いたドアの向こうの人影に。
「……ッ」
揃って硬直した。が、新入りは構わず室内を一瞥し、あいたスタンド灰皿のそばへ寄る。懐から取り出されたのはありがちな銘柄のロングサイズ。火をつけ、わりとゆっくり目に一本吸って、そのまま出て行った。
服装は制服でなく三つ揃いのスーツ。外していた一番上のボタンをはめながら喫煙所から出ると、外で待っていた山崎が花束を手渡す。開いたドアの隙間から見えたのはそこまで。
「……すっげぇ……」
「迫力……」
背が高かった。腰も高かった。顔立ちが役者のように整って、黒髪がちょっと珍しいほどつやつや。でもそんなのは遠くからでも分かった。
至近でなければ分からないこともあった。内側から、まるで薄く発光しているような肌の艶。睫が長くて目尻が艶で、ただ立っていただけなのに、透明な膜のようなものが素肌に纏わりついて見えた。
「あれ女なら凄かっただろうな」
「ヤローでも十分すげぇぜ」
ざわめきは、なかなか収まらない。
見舞う人間は多い。真撰組隊士の他にも共闘した隊の幹部や武官の上層部らを、順番に廻るだけでけっこう時間がかかる。暇を持て余している偉い男たちの話し相手をさせられれば、見舞いも一日仕事だろう。
分かっていたので山崎は食料と雑誌を用意していた。おやつにバナナのシフォンケーキを食べコーヒーを飲み、趣味と実益を兼ねた特殊な用途、盗聴や盗撮目的の機械機器を眺めている。定時近くになったから運転手は帰して帰りは自分が運転するつもり。ついでに何か美味いものでも食べようと、持ってきたグルメ情報誌をぱらぱら捲っている、と。
トントン、と叩かれる、車の窓。
顔を上げると、防弾ガラスごしのそこには知った相手が。
「どうも。誰のお見舞いですか?」
白髪頭の男に白々しく、そんなことを言ってみる。
「待ち伏せしてたんだけどさ。あんまり来ないから」
「外寒いでしょ。どうぞ」
車のエンジンはかけていないが高級車かしいふかふかの車内はまだ暖かい。山崎は運転席に移動して、助手席に男を招きいれた。
「……トシは?」
「まだ見舞い中です。多分、面会時間終わるまで戻りませんよ。最近あの人、人気でてますから」
「どんな人気なんだか」
「乱世には強い男がもてるって人気ですよ」
「あいついったい、どーなってんの?」
「それを俺に尋ねるのは、俺が旦那の味方だと思っておられるからですか」
「山崎君はトシの味方だと思ってるよ」
「最初のオンナですからね」
「……」
「いえもちろん童貞じゃなかったんですけど、オトコ抱いたのあの人が初めてで、人生でそんな経験するとは思ってなかったから、衝撃的でした。いろんな意味で」
「……いつ」
「旦那より随分はやかったと思いますよ。もう五年……、六年近く前です」
あっさり答える山崎は悪びれず、懐かしそうな表情。
「その頃の土方さん、二十歳はこえてましたがまだ髪が長くて。今の方が色っぽいけどあの頃は痛々しいくらい端整でした。隊の発足当時のことですがね、豪商の離れ借りて屯所にしてたんですけど、風呂でかちあったりすると、目のやり場に困りましたよ。まぁだから俺にもそのケがまったくなかったワケじゃなかったんでしょう」
「……」
「発足の頃に、ちょっと別の連中と組みまして。悪い奴らじゃなかったんですが少し乱暴で酔狂でした。首領が芹山ってって、ちょつとは知られた浪士だったんですが、まぁナンだ、同盟の証拠にね。……博徒なんかでは、よくあることみたいですが」
一人でそっと、山崎は笑う。
「同じオンナ順番に抱いてそれで義兄弟、って。ホントはそういう時はボスのオンナ使うそうなんですが、悪趣味だけどその頃はそいつのこと仲間にしとく必要があって。ご指名が、土方さんに飛びまして。目立つ美貌でしたからね。近藤さんと、多分あの頃は寝てたし」
「……」
「そんでまぁ、そういうことになったんですが、その芹山、見た目と違って情が濃くって、いやもしかしたら土方さんに本気で惚れてたんじゃないかって今になって思うんですけど、二時間近くそいつと一つ床で過ごしたアトが俺にも廻ってきたんですけど、もーとろっとろ。たまりませんでしたね。まぁマワスにはあれぐらい蕩かさないともたないけど」
「ひとこと、言っていいか」
「どうぞ」
「キモチわりーんだよキサマら」
「この前はね」
旦那の悪罵を聞き流して、山崎は言葉を続けていく。
「マワしゃしませんでした。でも一口ずつ啜った。相変わらず土方さん甘くって、あの人のためなら死んでいいやってホントに……」
木刀を、狭い車内で扱える技量はたいしたものだ、が。
「思いました。今も、思ってます」
短い十手の方が相当に有利で、がちっと、噛みあって押し合う。
力はもちろん、白髪の旦那の方が強い。
「土方さんの為に何もしないくせに」
が、内心の動揺が手元に現れて、木刀の握りをもつ指が定まらない。
「旦那は近藤さんほどずるくも悪党でもないです。戦争終わったとたんに会いに来るあたり大事にしてんだなあって好感がもてます。でもヒモですよね。たかってる」
「貢がせた覚えはねぇぜ」
「甲斐性なしに嫉妬する資格はありませんよ」
ぎし、っと、高級車の車軸が軋むほど力の入った攻防は。
「……ナニやってんだ、キサマら」
煙草を咥えて火をつけないまま、地下駐車場に下りてきた二枚目の登場で中断。
二人が喧嘩しているのなんか、見れば分かるだろうに。
「腹減った。メシ食って帰るぞ、ザキ」
口調も態度も、以前と少しも変わらない。かわらないように白髪頭の男には、見える。