下克上・4

 

 

「了解です。肉ですか魚ですか」

「どっちにする?」

 それまで、殆ど無視されていたのに突然、視線を向けられて。

「お前も来るだろ?話があるし、奢ってやる」

 いつもなら渡りに船で、男はメシをたかる筈だったが。

「いらねぇよ。メシなんか食ってる場合かよ、トシ」

「そういわないで付き合え。聞いて欲しい愚痴がある」

 珍しくそんな弱気を見せた相手に、白髪頭の男は。

「……なに」

 不満顔で、それでもそう尋ねた。

「素面じゃ話しにくい。付き合え」

「……、ヒモってユわれたよ、山崎クンに」

「そりゃザキの勘違いだ。悪かったな。謝れ、山崎」

「すんません」

「口先だけだろ、山崎クン」

「いえ。心から悔いてます。土方さんに侘びを入れさせちまって」

「ナンだよキミタチ、いったいどーなってんの」

 暫く会わないうちにカンジの変わった人間関係に、男は頭を抱えた。

「びっくりだろ。隣に来い」

 誘われて一旦は車を降り、助手席から後部座席へと移った。御三家である三橋家から拝領の公用車のシートはふかふかで、腰が埋まるようで、たいへん心地がいい。移動時間に休息をとれるよう考えられたシートだった。

「おかしいだろ。おかしいんだよな」

「すっげーおかしーよ」

「だよな」

「出します。いつもの店でいいですか」

 山崎の質問に、 黒髪の二枚目は返事をしない。しない時は肯定だと長年の呼吸で分かっているから、男は御用達の料亭へ車を走らせる。

「男同士のセックスなんか、ことわり入れるまでもなく遊びに決まってるよな」

「決まっちゃいないと思うけど。遊びに命かけたりもするし」

 男は機嫌を直したのではなかった。が、目の前の二枚目の横顔が少し疲れて見えたのでとりあえず、わりと真面目に問いに答えてみる。

「遊びって真面目真剣にやらないと面白くないし。それはいいけど、じゃあ沖田君とも遊び?ナンか他のにも触られたって?そっちも全員そーなのか?」

「命をくれるっていうんだ」

「……へぇ」

 男は目を細めた。笑顔に似ているが本当はそうではない、剣呑な表情。

「まぁトシ、いいオンナだから」

「こんな歳になって、そんな値段をつけられると戸惑う」

目を伏せて、静かに告げる横顔は『戸惑う』どころではない。困り果て憔悴して見えた。

「どうしていいか分からない」

「はっきりすりゃいいだろ」

「戦争始まりましたからねぇ」

 後部座席の会話に珍しく、運転中の山崎が口を挟んできた。

「死ぬ前に好きな女に、できること全部しとこうって、思ったわけです、俺は」

「してやれよ喜ばせとけ、って」

 鬼副長が笑う。困って笑う、珍しい笑い方。

「俺じゃないなら言っとくところだがな」

 そんなことを話しているうちに車は官公庁外を通り過ぎ、落ち着いた感じの通りへ。練塀の続く料亭の目立たない駐車場へ。植え込みの小道を車で通って地下へ入り、そのまま邸内へ進めるセレブ御用達らしい造りの駐車場に停まる。

 運転手がドアを開けるのを待たず男はさっさと降りた。つられて二枚目の局長代行もそうする。何度か一緒に使った店だったから、そのままさっさと、エレベーターへ向おうとして、ふと。

「どうした、ザキ。早く来い」

 もう一人がついて来ていないことに、気づく。

「ご遠慮します。お二人でどうぞ」

「なに寝言ぬかしてやがる。ほら」

「俺が一緒だと話の邪魔になりますよ。口を挟まない自信がないんです」

 いつも影のように寄り添っていた、沈黙の価値を知る優秀な側近。ヤバい密談にも同席させなかったことはなかった、のに。

「今日はよくよく俺を困らせる気だな。降りろ」

 こんな料亭のエレベーター前にはきちんとスーツを着たスタッフが居て、お客様のためにボタンを押すべく待機中。それを放置して来客は車に戻り、運転席のドアに手をかけて開いた。

「メシくいに行くぞ」

 市中巡回に行く時そのまま、昔どおりの口調に山崎が嬉しそうに笑った。でも。

「あんたが髪、切ったときのこと覚えてます」

 立ち上がろうとはしないまま、シートから体を乗り足して、腕を伸ばして。

「あーあ、と思ったから。勿体ない、って。こんなきれいな髪、女にも滅多にいないのに。触ったことありましたからね、あの長い髪に」

 田舎から出てきたばかりの若い頃、根を高く取った髪は元結を解けば背に流れた。

「絹糸みたいだった、っては、絹糸知らないから言えないんですが。あれちょうど隊に金が入りだして近藤さんが女遊び始めた頃でしたね。悲しくて切ったの?」

「話を無理やり面白くするな。隊の制服が洋装に決まったからだ」

「困らないで下さい。なにも要求しません」

 シートに座ったまま、目の前に立つ相手の腰に、腕を絡めて、臍のあたりに顔を押し付けて。

「カラダもセックスもほんとは要らないんです。土方さんをただ、好きなだけなんです」

「……行くぞ、トシ」

 離れて待っていた男が声をかけ。

「どうぞ、行ってください」

 すがり付いていた山崎が腕を解く。笑った顔を見下ろして、二枚目はまた苦しそうな表情。

「……」

 何かを言いかけ、言葉がみつからなかったのか口を閉じ、代わりに頭をそっと撫でた。子供か子犬にするように。

 されて嬉しそうに、本当に無邪気に山崎はもう一度、笑った。

 

 エレベーターに乗り込んだ、途端に背中を壁にもたれさせ深く、息を吐いた『情婦』に。

「ナンか凄いことになってるな」

 しらっとした表情で男は言った。あぁ、という風に頷き、二枚目はうなだれ目を閉じる。どうしていいのか分からない、というのは本音だったらしい。

「何をどうはっきりすりゃいいと思う?」

「イロイロあるけどとりあえず真っ先に、俺とのことをどうするつもりなのか聞こうか?」

「やめるだろ?」

 聞くまでも無く、という自然さであっさり答えられて。

 バン、と、二枚目がもたれていたエレベーターの壁が派手な音を立てる。

 俯いていた顔の横に、掌をつかれて。

「……、銀?」

 目蓋を上げた色男の視界いっぱいに、薄笑いをひきつらせた男の顔があった。

「いまナンてった?」

「怒るな。ただ、お前こんな面倒ごとはいやが……、ッ」

 従業員の同乗は断ったが、箱の中には監視カメラが当然、ある。

 なのに唇を重ねられて、体面のある真撰組副長は竦んだ。が、抵抗しない大人しさに免じて男は、一瞬重ねただけですぐに離れる。いつも、こうだ。

 普段あんなに態度がでかくってしたたかなのに、自分を抱こうとする男にはひどく従順。その落差をなんだかカワイイと思って続いていた、が。

「ゴリと寝てたってのはマジか?」

 エレベーターが最上階に到着して、待ち構えていた仲居に案内されながら、低い声で詰問。

「大昔の話だぜ」

「どれぐらい寝てた。俺より長かったのか」

「そりゃお前よりゃ……」

 問題にならない、という自然な口調で答えられ、男は静かに掌を握り締める。

 裏切りだと、思った。