下克上・番外

 

 

 居酒屋から出ると、雨が降っていて。

「……」

 二人とも傘を持っていなかったから、とりあえず裏通りの、長い軒先の下へ回り込む。

「……」

 降りはそれほど激しくない。けれど夜目にも雲が厚く、降り止みそうにないのは分かった。表通りを時々、タクシーが通り過ぎる。けどみんな客を既に乗せていた。

 並んだ相手の肩に手をかけ引き寄せると、大人しく胸の中に入った。顎に手を掛け、喉を撫でるようにしながらくちづける。抵抗はない。今までに何度も、繰り返し情熱を伝えた。

 舌で唇を辿って催促する。薄く上下の合わせ目が開く。全身で抱きしめながら唇を吸った。感情がそこから伝わることを、よく知っていたから。

 時刻は、午後九時。

 そんなに遅くはない。

 背中をそっと撫でられて、離してくれの合図だったから惜しみながらくちづけを解いた。唇が離れると同時に体まで離され、距離をとられてしまう。咄嗟に着物の袂を掴んでその距離をとどめる。はなせ、とは言われなかった。

 並んでまた、月も星も見えない夜空を見上げる。雨音ばかりが世界を満たしていく。

「……なぁ」

 先に口を開いたのは、湿気で天パがますますくるくるになってきた男。

「あんた、明日、仕事?」

「……いいや」

「泊まってかねぇ?俺と」

「……」

 雨はざぁざぁ、降り止む気配を見せない。男は答えを辛抱強く待ったが、あんまり返事がないから。

「ヤなのかよ」

 少し拗ねた声が出た。

 出会って一年、こうやって時々、一緒に飲むようになって三ヶ月。ふざけたフリで始めたキスから二ヶ月。最近はキスもマジになって、誘いはそれほど、早いわけではない。

「まだ考えてる」

「ナニ考えてンだよ。瞬間で決めろよこーゆーコトは。銀さんスキか、嫌いか?スキだろ?俺ぁダイスキだよ。なるよーになっちまおうぜ、もう」

 会うたびにいがみ合って、派手な喧嘩もして。

「サウナでヌードで絡み合った仲じゃん。あんたの裸、目に焼きついてるぜ?」

 絡んでたけどホントは大好きです、という告白は二ヶ月前、同じような場面でキスをした時に告げた。分かっていたらしい相手は驚きもせず大人しく、かなり情熱的なキスを受けた。男はそのまま連れ込みしたかったが、相手に肩を、そっと押されたから離した。

 離してやったのは、誠意を証明するためで。

 それから二ヶ月、少なくとも五回はこうして夜、一緒に飲んだ。その度に別れ際のキスは繰り返した。はだけた胸元に掌を這わせて、ペッティングじみた接触も持った。らしくなく、手順はちゃんと踏んでいる。

「焦らすなよ。降参してっから。すっげー欲しいンだよ。ホントは分かってるだろ?」

 体で口説こうとして男が腕を伸ばす。絶妙のタイミングで、二枚目の副長は煙草を取り出し、火を点けた。

「……」

 男は正直に不満そうに、唇を突き出す。喫煙の邪魔をしたら機嫌が悪くなる事はこれまでの体験で知っていた。吸い終わるまで、手を束ねて眺めているしかない。

「ここに」

 真撰組の鬼副長、目尻が艶な二枚目はライターを袂に納めると左肘を上げて、自分の右のわきの下を指差す。

「煙草咥えたマンマで喋れる器用なトコ、スキだぜ」

「傷跡あんの、気づいたか」

「オンナの名前だろ?サウナん時に見えてた。別にそんなんでガタガタ言うほわど了見狭くねぇけど、焼き消してないってコトはもしかして、まだ続いてる仲かコノヤロー」

「とっくに切れてる。ツラもよく覚えてねぇ」

「じゃーなんで名前消してねぇの。未練あるんですか。モテ自慢ですか」

「他にも、……、五つ六つ、ある」

「はぁ?何が。女の子の名前?」

 無言で頷く二枚目に、白髪頭の男はくらりとした。女に、特に玄人女にもてることは知っていた。しかし、その数は。

「昔っから、俺が馴染む妓はよく落籍れンだ」

 だから馴染みが入れ替わる。五六人を、同時進行していた訳ではない、ということを、二枚目は言いたかったらしい。

「ナンですか、アゲチン自慢ですか、犯すぞコノヤロー」

「あぁ、やっぱ俺がされる方なんだな」

 落ち着いた口調で、確認するようにそう言われて。

「……、ダメ?」

 相手にその気がない訳でないことを悟った男は、突然低姿勢になる。

「俺ぁな」

「はい」

「江戸に出てくる前、ガキの頃の話だけどな。素行があんまりよくなかったんだ。その頃の痕が色々、残ってる。文句言われる前に先に言っとく」

「別に文句はないけど。江戸に出てくる前って何年も前だろ?ビョーキ移されたとしても完治してる頃合だし」

「さりげなく失礼なこと言いやがったなテメェ。ンなドジ踏まねぇよ。まぁそっちはともかく、オトコも、初めてじゃねぇ」

「そりゃそうでしょうよ。この器量じゃ」

 全く当然、あたりまえ。

 白髪頭の男がそう言った瞬間、二枚目は煙草の煙を深く吐く。それが安心の吐息を誤魔化すためだと、男は気づいたがそ知らぬふりをして。

「男色は武門の習慣だし。大抵の侍は経験あるんじゃねぇの?俺を含めて。俺の個人的な嗜好に関して言えば二十歳前に卒業した筈なんだけど、あんたちょっと、別格」

 二枚目の口元に手を伸ばし、煙草を取り上げて雨の流れる路面に投げ捨てる。フィルター近くまで吸っていたから、そうされることに文句はなかった。吸殻を目が追ったのは、路上に捨てることに警察官として抵抗があったから。

「今は決まったオトコ、居るの?」

「居ねぇ。こっちも、ラストは、何年も前の話だ」

「……へぇ」

「何がへぇだよ」

「ちょっと意外」

「でもナンでもねぇだろ」

武士はいつでも、男同士でつるむ。仲間意識が横滑りしてそういう関係になるのはありがちのこと。世間もある程度は大目に見る。若いうちの遊びなら。

結婚するまで、若しくは遊郭に通いだすようになるまで、ごく大雑把に言って十六・七あたりまで。

「まぁそーだけど、あんた別嬪だから、悪いクセから抜けられなかった『相手』の一人二人、居て当たり前な気もするケド」

「……」

 ゆっくり距離を詰めてくる男の台詞に、二枚目は俯いて口元だけで笑う。その笑い方が男には少し引っかかった。前髪で目元は隠れて表情は見えない。似たような笑い方をする昔なじみが居たが、いつもそういうとき、そいつは泣きたい代わりに笑っていた。

「抱きたい」

 敢えて顔を上げさせることはず、自分が屈みこんで、俯いた顔を覗き込む。もちろん泣いては居なかったけれど、笑い方が少し病的で、あぁなんか知ンねーけど動揺してるなぁ、ということは分かった。

「すげぇカンジてんだ。抱きたい」

 相手の動揺をいたわる余裕は男にもなくて、むしろ、揺れる場所を狙って揺す振りをかける。

「バージン抱くみたいにすっから。なんでもあんたのお好みに従うから、泊まってこうぜ。な?」

「……定宿、あンのか」

「ここの二階、連れ込み。時間制限なし。階段ソコ」

 部屋の鍵は袂の中にある。

「用意周到だな」

「空振り既に二回。カウントノーツー。今度外したらスリーストライクのバッターアウト」

 部屋を用意していたのに帰られてしまった回数を告げると、腕の中でくすくす、二枚目が笑い出す。

「……いいぜ」

「朝までオッケー?」

「終わったら寝るぞ俺は」

「いいよ。終わった後なら」

 ちゅ、っと、唇に下からもう一度、くちづけを。今度は軽く重ねるだけ。そうしながら、背中に手を廻して。

「足元、気ぃつけてな」

「コケてお預け、ってのも洒落が効いてていいな」

「コケたらひっ抱えて連れ込むよ。もー我慢効かないから。ジューブン過ぎるくらい待ったから。おれ股間、パンパンに張ってるから。触る?」

「イロイロ、お前が思ってるよーじゃなくっても」

「ちょ、ごめん、ウソ。触んないで。歩けなくなる」

「あとで文句言うなよ」

「ヤリ逃げしたら殺すから」

「そういう台詞は、味見してから言った方がいいぜ」

「アンタが自信満々じゃねぇの初めて見っけど、イチバン似合わねぇんじゃねぇの?ツラとカラダ、すっげぇいいじゃん。もてるだろ?」