妓楼・3
若い男が、アレ、と思ったのと。
「……って……。ちょ、加減、しやが、れ……」
オンナの口から苦情が出たのはほぼ同時だった。うん、と鼻声で答えて吸い付く唇の力を緩める。コリッと乳首は尖って、全体が凝っている。辛うじて小さくはないが豊かとも評しがたい胸の膨らみ全体、いつもより手ごたえが重い。
「そーゆー、日だったっけ?」
山本が精悍な目尻で壁のカレンダーを見る。子供の頃からの知り合いで、こうなってからもけっこう長い相手にオンナは甘かった。はぁはぁ、浅い息で喘ぎながら。
「じゃ、ねーけどよ……。クスリ、飲んだから……」
似たようなことになっているんだと本当のことを告げる。
「クスリ?何の、って、もしかして?」
「ナマで、やりやがったんだよ、あのクソウマがぁ」
心から口惜しそうにオンナが呻いた。抵抗しきれなかった自分に腹を立てている。
「おかげでそんなモン、飲むハメになってよぉ……。体調は最低だし貧血でくらくらすっし、胃が荒れてメシも食えねーし……」
「は、ははは、っ」
笑った山本に。
「てめぇ、何がおかしぃ」
凄んだオンナは、ぎゅっと抱きしめられて。
「うん……」
若い男が笑うのを感じた。
「なんか、安心した。やっぱディーノさんって、本気であんたのこと、ちゃんと好きなのなー」
山本がなんだか嬉しそうなのに、銀色は美しい眉を顰める。あの男の粗相で自分がこんなに苦しんでいるのに、それがなんだって?
「オレもおんなじこと、しよーと思ってた」
「あぁ?」
「避妊しないでヤっちゃって、妊娠させて、オレのにしちまおう、って」
「ふざけんなぁ!」
「だってそーしないと、あんたいつまでもここから抜けよーとしないじゃん」
「しないんじゃねぇ。できねーんだぁ」
「オレの子供、産んじゃえよ」
「はきはき寝言いってんじゃねぇッ!」
「ずっと考えてたんだぜ?」
怒鳴った途端、すり、っと、全身を擦り付けてくる若い男を、オンナはなんとなく抱き返した。度胸のあるオンナだが、意外な相手に思わぬことをマジに言われてさすがに口をつぐむ。
幼馴染の金髪のことは少々、舐めてあなどっている気配がないでもないオンナだが、子供の頃から知っていて剣の手ほどきもしたこの若い男には一目、置いていないでもなかった。それを敏感に悟って銀色の幼馴染はたまにキレる。けれど、長年の習慣はなかなか改まらない。
「あんたがさ、俺のガキはらんでくれたらツナも、仕方ないって言ってくれると思うんだ。だってマジ仕方ねーし。ガキのハハオヤを廓に戻せって言われない程度には、オレ働いて、役に立ってるしさ」
「……」
「ディーノさんも多分、オレと同じこと考えたんじゃね?」
「てめぇ、あいつの味方かよ」
「オレはあんたの側だって。でもディーノさんのこと非難とか出来ねーなっては、時々思うかも。年季明けたンなら孕んでも可哀想なことしなくっていいし、それに」
「産まねーよ」
「産んでくれたら、もー縁切れってことでさ、色々全部、チャラにして、あんた自由に、なれっかもしんねーじゃん?」
「なりたく、ねぇ」
「獄寺は子供産みたくないって。まージッサイ、俺とセックスしてる回数、あんたの方が十倍ぐらい多いし。二十倍かもしんねーぐらいだから、アイツとはなかなか当たんねーし」
「ヒトのハナシを聞けぇ、ガキぃ」
「産んで忘れちまえよ。あんたすっげー、いいハハオヤになるよ。ガキのオレに優しかったもん。あんな風に育てて貰える子供ならシアワセだと思う。ちゃんと認知するし。ってーか、ケッコンしてもいーし。獄寺にはさぁ、オレ、籍はゼッタイ、入れてくれねーって完全キョヒられてるし」
「忘れ、ねーよ」
「まだ愛してんの?」
「……おー」
「いい男だったって、話はちらっと、なんかん時に、ジジイ連中がヒソヒソ話してんの、聞いたことあっけど」
「だった、ぜぇ」
若い男の腕の中、別の男を思い出してオンナが微笑む。このもと『ガキ』をお気に入りなのはこういう礼儀正しさ。オンナの昔の相手を決してけなさない。いい男だってってね、頭良かったってね、強かったらしいねと、伝聞形式だがいつも褒める。直接知らないから、そして年齢も違いすぎて、生々しい嫉妬を感じないからかもしれない。そこが金髪の幼馴染とは違う。
あっちは一種の関連『企業』の跡取り同士として昔から面識があった。格上の相手に劣等感も抱いていたし、目の前で好きなオンナを奪われて恨んでもいた。
「でももう、居なくなっちゃったヒトだろ?」
「居なくなってくれりゃ、ラクになれんだけどなぁ」
オンナがそんな愚痴をこぼせすのは、この若い男にだけ。
「まだ愛してんだ?」
それを痛々しそうには言うけれど、バカだとか騙されているんだとか、まだ目が覚めないのかとか、そんな非難は口にしないから。
「かも、なぁ」
「こんないいオンナに、居なくなった後もこんなに想われて、そのヒト幸せだよなー」
「分かんねーよ。興味ないんじゃねぇかぁ?」
居なくなった男のことは禁忌で、誰とも話せない。ボンゴレの汚点として存在を抹消され全ての記録は消去された。今となっては存在を、居たと言うことを知らない者も多い。眩しいほど鮮やかだった姿はごく少数の関係者の記憶に残るだけ。
「なんでそんなこと言うのさ。大事にされてたんだろ?」
「されてっかよ、バーカ」
銀色のオンナが笑う。なんだか楽しそうに。その表情にはてめーらみたいなゴッコと違うんだよといいたそうな、侮蔑の混じった自惚れが浮かんでいる。ボンゴレ十代目は見た目ほどヤワくはないのだがそれでも、『居なくなった』『自分の』男とは格が違うと心の底では考えている。
「嘘つくなよ。大事にされてたから忘れらんないんだろ。ホントはすっげーオキニで特別扱いだったって、知ってるぜ」
「てめーがなに知ってるってんだ」
「アンタの愛情しってるから、逆に返せば、分かる」
アンタがどれだけ愛されていたかをと、笑う若い男にはガキの頃から、恐ろしいほど鋭いところがあった。
「……、盾に」
「ん?」
「されると、思ったんだ、マジ」
「ナンのハナシ?」
若い男が無邪気なふりをして小首を傾げる。ボンゴレでタブーになっている秘密の欠片を数少ない生存者であるオンナの口から聞き出そうとしている。オンナはそれを承知で、でも、訴えたい、聞いて欲しい欲求が胸の中から溢れて。
「腕掴まれて、さすがに一瞬、ってーか、もっと短かったけどよぉ、マジでビビッった。でもいいかって、思いなおしてよぉ……。半分、ってーか九割九分、ヤケであいつの、前で腕、広げた」
剣士だった。それも十四で剣帝と称された豪傑を倒したとびきりの。瞬間瞬間が勝負を決するその世界で生きてきたオンナには度胸があった。決断も早かった。腕を掴まれて引き寄せられ逃れられず、熱線と爆風の盾に、どうせされるのなら自分からそうなってやって、格好つけて死のうと思って腕を広げた。
そのオトコのことを庇って。
なのに、逆に。
「庇われるとかなぁ……、夢にも……」
思わなかったと呟きながら、泣きだすオンナを若い男が撫でる。めそめそしだしたオンナにはコメントを挟まない勘の良さが、オンナのお気に入りの理由。
「まさかだぜ、もーびっくりだぁ。そーゆーヤツじゃなかったしそーゆー仲でもなかったのによぉ、笑っちまうぜぇ、なぁ?」
「笑わねーよ。感謝するのな。おかげでオレが会えた」
「アイツがなんであんとき、ンな気になったのか、全然、わっかんねーんだけどよ……」
「オレよく分かるけど。アンタが大事だったからだろ?」
「んな訳ねーん、だ、よぉ」
「オトコが大事じゃないオンナ庇うわけないじゃん。しかも命がけでさ。ぜったいそれ、その人が、あんたのことすっげー愛してたんだよ。……だろ?」
本当は自分で分かっているんだろうと尋ねられて。
「わかん、ねーよ……」
丸まり背中を向けながらオンナは震え声で答える。いつもは意識の底に隠して忘れている昔の傷跡が、痛い目にあって弱っていると、表面に浮かび上がってくる。
「そんなんじゃ、なかった。寝てた、けど、命令されてイヤイヤで、ちっとも気持ち良くなくって……。契約ってーか、服従の、証明にヤられてんだって、おも……」
「それ、違ったんだろ?」
「いったくて苦しいだけでよぉ。いつも顔、そむけて数数えて……、あいつのことも、全然、ヨクとか、してやれて、なか、っ……」
「十四じゃ、しょーがないんじゃね?」
個人差がひどい年代だが、女がまだ発情期でなくても仕方のない歳。相手を好きでも愛してやれなかったのはあんたのせいじゃないよと、若い男は生意気に慰める。
「んでもさぁ、寝てたのは、キライじゃなかったからだろ?」
銀色のオンナの気性は激しい。嫌いなオトコにまたがられれば容赦なく股間を蹴り上げるだろう。いやその前に、キライなオトコを自分のボスに選ぶ訳がない。ボスには絶対服従がマフィアの掟である以上、美しい女がカラダを要求されることは予測できるのだから。
「それでジューブンだったんじゃねーのそのヒトも。オレはそれでジューブンだし。好きなヒトとするのは好きだからで、愉しみたいからじゃねーし。まー、オレで愉しんでくれたら、そりゃもうすっげー、ムチャクチャ嬉しいけどさ」
言いながら若い男は丸まるオンナに腕を伸ばす。背中を震わせながらしゃくり上げる、弾力のある手ごたえに唇の内側で舌を蠢かせる。うまそう。
「そーゆーコトになったらオレもゼッタイ、庇うと思うけど、まー、ホントに庇って居なくなっちまったヒトには、ちょっと敵わないのなー」
選んでもらえない悲しみと諦めをそう表現した。
「庇うなぁ。連れてって、やれぇ」
口先で宥めながら、背中から胸に手を廻し、膨らみを柔らかく揉む。泣いて興奮したカラダは熱を帯びていて、拒まれはしなかった。襟をかき分け、素肌に触れた途端。
「お前は生きろ、とかはシロートの言うことだぁ。マフィアになっちまったらなぁ、連れてってやる方が、女の為だったりすんだぜぇ、マジで」
「……」
実際にそうされて置いて行かれたオンナが言うのだ。これほどマジな忠告はなかった。
「特にボンゴレは酷ぇ。んなことになったときゃ、連れてってやれぇ。お前もだぁ、ヤマモト」
「……オレが、なに?」
「お前のボスが沈むときゃ一緒に沈んじまえ。生きていたって、ろくなこたぁねぇ」
「死にたいのかよ、スクアーロ?」
「なんで俺のことなんか庇ったんだ。分かんねーから、どーしたらいいかも分かんねーまんまじゃねーか。生きてんだか死んでんだかもはっきりしなくって、後も追えねーじゃねーか……ッ」
「生きてるって信じてるんだろ?待ってたいから、俺とかディーノさんとかの、お願いきいてくれねーんだろ?」
「……チクショウ……」
「待ってりゃいーじゃん。それまでさ、一緒にそばに、ついててやるよ、オレが」
背中から覆いかぶさって、見事な銀髪を鼻先でかき分けて、うなじに唇を押し付けながら若い男が言う。
「似てんだろ、オレ。ってーか、その人に、似せて仕込んでくれたんだろ、アンタ」
若い男にとってはこのオンナが、長い憧憬の対象で、尊敬する師匠で、かつ、初めての相手。
「力抜いて」
「ナマでやりたきゃ、していいぜ好きなよーに。クスリ飲んでっからなぁ。アイツにされちまったし……」
「もしかして、ナマすげぇ久しぶりだったとか?」
幕府公認の遊所である廓には厳重な規則がある。性病の予防措置としての避妊具の着用も義務づけられている。
「さぁ、なぁ……」
オンナは答えを誤魔化した。それが返事になっていた。そんなつまらないことで韓日も嘆き悲しんでいたことを隠そうとするいじらしさが若い男の気持ちを掻き立てる。
「可愛がって」
さざ波の名前は多分、嫉妬とかいう気持ち。けれど相手の男を知らないから、かろうじて優しいフリは続けられた。
「オレのこと可愛がってくれよ。そのヒトに、してやりたかった、みたいにで、いーから」
嫌味のつもりで言ったのに、ぼろぼろ泣かれてぎゅっと抱きしめられ、仕方なく抱き返したら悲しいのが感染して、若い男も、少しだけ泣いた。