妓楼・5
ねぇディーノさん、と、若いボンゴレ十代目は声を出した。
「俺が、可哀想にって、思ってないと思いますか?」
スーツを着込んで自分を訪ねてきてた、たいそうハンサムな兄貴分に向かって。呼ばれた金の跳ね馬はじっとかつての弟分を見返す。もう既に子供でも弟分でもなく、自分より大物の位置に収まってしまった相手を。
「オレは乳臭い甘ちゃんです。特に女子供には。その甘さを九代目に見込まれて跡取りになったんです。そんなオレが、あの人を、可哀想にと思ってない訳がないと思いませんか」
話題になっているのは廓の小見世の番頭新造。一夜の揚げ代が二朱(一両の八分の一)という、吉原では切り見世・河岸見世を除けば最下級に近い売女。けれどもただの女ではなくて、江戸の裏社会を牛耳るボンゴレの応接室での話題に出る。
「可哀想だと心から思ってます。そりゃ悪いことを、確かにしたけど従犯で、しかも十四歳の時でしょ?それから、えーっと、十四年間も、見せしめにされてる。可哀想ですよね」
年季に繋がれ、元旦以外には休みもなく、廓から外へ出ることも出来ない残酷な『務め』の身の上。廓の妓の年季の厳しさは懲役を凌ぐ。
「オレはザンザスとは歳も違うし、会ったことも二・三回しかなくて、恐いカンジの人だったことしか覚えてないけど、でも、大事にしてた恋人がこんな目に会ってるって、もし生きていて知ったら悲しむだろうなぁって、ずっと思ってます」
沢田綱吉の発言は微妙だった。可哀想にと思っているのは女自身だけではなく、自分の女をそうされているここには居ない男に対してもだった。そこが、跳ね馬のディーノとは違っている。
「あいつが、ザンザスに大事にされていた女ならまだ、連座の罰を受ける理由もあるだろうけどな」
出された紅茶に口をつけながら跳ね馬がさりげなく訂正。
「あれは八つ当たりみたいなものだ。残酷すぎる。あいつがザンザスと付き合っていたのなんかほんの数ヶ月だ。……そんなにもなかったかもしれない。本当に短かった」
女と幼馴染の跳ね馬は当時の事情にも詳しい。
「量刑が妥当とか不当とか、そんな話じゃない。あいつが罰を受けさせられていること自体がおかしいんだ」
「いまさらそんなことオレに言われても仕方ないですよ」
「あいつを自由にしてやってくれ。オレの妻に、欲しい」
「ディーノさんの純愛はよく分かってますけど」
沢田綱吉が茶化してみたが跳ね馬は笑わなかった。そうだとごく生真面目に頷く。話題の女は少年時代の初恋の相手。自分よりずっと偉い男に目の前で手折られてしまった高嶺の花。その無念さをずるずると引き摺って生きている。売り物になっているのを見つけて、何年も抱いてきた。
セックスの回数でいえば自分とが一番多いだろう。自分の目を盗んで可愛がっている山本武や、他の馴染みより遥かに。数ヶ月だけの関係だったザンザスなどは問題外。それでも尚、跳ね馬の気持ちは晴れない。あのオンナが欲しい。
「けど、それをオレに頼まれるのは筋違いですよ」
「ツナ」
「オレはオレなりに出来ることはしてます。就任祝いに、スクアーロさんの年季は明けにしました。それは山本に頼まれていたし、先代時代の罪人には全部、罪一等減にしましたからね」
「二十八で、年季明けだろう?」
「借金がまだ残っているとか言って、河岸に売り飛ばすのはよくあることですよ。局見世で十分切りの無茶な務めをさせて、身体壊して不幸な死に方を、待たれてるような感じがしてました」
「……」
金の跳ね馬は複雑な表情。契約によって売春を強要される年季を明けにしてやった沢田綱吉の行為は女にとって確かに恩赦だが、そのせいで自分とも床を共にしてくれなくなったという意味では祟られた。
「どうしてあの人があんなに憎まれるのか、オレにも実は、よく分からないんですよ」
「他に居ないからだろ」
十四年前、ゆりかごと呼ばれる事件が起こった。それは極秘でもいまもって事件の概要は公表されていない。けれどボンゴレ中枢に居ればだいたいの見当はつく。養父であった九代目に反逆したザンザスは生死不明。ザンザスと一緒に行動したと思しきヴァリアー、中でも腹心、副将格だった銀色の女は酷い罰を、今も受け続けている。
「そこまで分かってるなら、ディーノさんはオレのところに来るべきじゃないでしょ」
優しく、殆ど言いきかせるように、沢田綱吉は言った。
「あの人を見せしめにする命令を出したのは俺じゃないんですから」
ほほ二日間、経っているのに。
「……、い、って、ぇ……」
オンナの身体には蹂躙の痕跡が残っていた。
「後ろからされたんだ?」
腰に捺された男の指の跡を見つけた山本が笑う。肩口に散ったキスマークに、自分は正面から首を伸ばして唇を重ねる。鬱血の痕は触れられると疼くように痛くて、オンナは苦情を言ったけれど若い男は聞きはしない。
「オレ、こっちにつけたいな」
胸の優しい膨らみを掌で包みながらそんなことを言う。イヤだ、とオンナはかぶりを振ったけれどそれだけ。逃げようとも押しやろうともしないのはまだ、手足が、否、全身がまだ、甘い陶酔に耽溺していて、身動きがとれないから。
「ディーノさんも自分が色客だって思ってたとおもうけど、俺も、俺はあんたのお気に入りだって思ってた」
オンナは返事をしない。否定するのも空しいから大人しく聞いている。長いお預けを健気に耐えていた若い男は本当に腹をすかせていて、有り得ない情熱のカタサに散々、さつきまで泣かされていた。
揺らされて捏ねられて寛恕を願っても耳に入っていない様子で、合間には狭間に顔を埋められて蜜を、比喩でなく文字通り貪り食われた。ヤメロと咽び泣きながらでも、オンナは自分のことを被害者で泣く加害者だと思った。輪ね買ったなと、心から。
ちゃんとした恋人が別に居ることは知っていた。自分が拒めばそっちへ行くと思っていた。あまり相手をしてくれないと寂しさを訴えられたことはあったけれど、そりゅテメーがオレんとこにこんなに通ってやがるからだろ拗ねさせてんだよと、言ったことがあったしそう思っていた。
違ったらしい。若い男の渇きは深刻、干からびてひび割れが出来そうなくらいカラカラ。死ぬほどあんたが欲しかった、と、カラダで証明されてしまった。最後にはぎゅっと抱き返して、最後の最後にはごめん、と、小さく謝ってしまった。
こんなに苦しめているとは思わなかった。ボンゴレの幹部なら女はより取り見取り、不自由はしていないと思っていた。金の跳ね馬ほどギラギラして見えず、思いつめた様子もないのはそういうことだと勝手に解釈した。やせ我慢で意地を張っていただけなんて考えもしなかった。
ごめんな。
オンナが優しい気持ちになっていることを、抱きしめている男は気づく。粘膜とそこからあふれ出る蜜を散々に堪能して、今は寂しさを訴えるように、愛情をいながら力の抜けたオンナに戯れかかる。本気では拒まれないことを承知で。
「だからさぁ、アンタが年季あけて、見世での売春もうしないって言った時はマジ嬉しかった。ここで俺のこと、恋人にしてくれるんだと思った。すっげぇ、嬉しかった」
若い男の誤解も無理はない。ムリどころか関係を考えれば自然な発想だ。見世の外に寝起きする部屋が欲しいんだ心当たりないかと、オンナがこの若い男に尋ねたのは、廓うまれの顔の広さを見込んだ頼みだったけれど、でも。
「俺を選んでくれたんだと、思った」
「……悪かったなぁ……」
菌ね跳ね馬も誤解していた。これと、ここで、夫婦のように暮らしているのだと思われていた。否定の言葉を告げるまでもなく、抱いたら分かったようだったけれど。
あぁ、でも。
「オマエそれ、恋人の方にも、誤解されてんじゃねぇかぁ?」
そっちが心配になった銀色に。
「うん、された」
あつさり、若い男は答える。
「あんたが俺のになってくれる気だって思われた。子供出来たら一緒に育ててくれるって。あいつ案外、子供好きだから、産まれたらあんたのことも紹介しろよって。うん、って俺、チョーシに乗って返事しちまった。代わりに獄寺もオヤジに会ってくれるって、約束してくれたりしてな」
「……」
「間違いでしたって言うの、ちょっと恥ずかしかったのな」
若い男は笑って言ったが、本当はかなりの屈辱であったことをオンナは悟る。
「……ごめん」
「もうひでぇことしないって約束してくれるか?」
「……」
「恋人にしてくれよ。ディーノさんと二股でも我慢するから。子供できたら、俺のにしてくれるなら」
「……やべぇ、んだぁ、てめぇは。てめぇだけじゃねーけどな」
「マフィア関係者だから?」
「出世に触るぜ。俺はフダツキだ」
「キレイごと言うなよ」
若い男が声を尖らせる。
「俺らのタメみたいに言うな知ってるぜ。俺らがボンゴレ関係者だからヤバイんだろ。あんたが待ってる男が帰って来た時、許してくんねーかもとか、そんなこと考えてんだろ」
「……かもなぁ」
「きけねーよ」
帰ってこないよ、とは、若い男は言わなかった。
帰ってこない男の為に別れるなんて納得できないと、ずばりと銀色のオンナの一番嫌で恐がっている、ことを言った菌の跳ね馬とは対照的に。
「あんたの好きな男が帰って来て、俺よりあんたを愛してくれてそーだったら別れてやっけどさ。それまでは……、ムリ」
柔らかな胸元に懐く。可愛がってくれよと全身を擦り付けてくる相手は、確かに可愛かった。