妓楼・8

 

 

 

 届けられたのはお江戸きって高級料亭・八百善の仕出し料理。

「王子ころされんの?それとも王子に戻れんの?」

 頭と察しのいいティアラの王子様はそんなことを言いながら箸を手に取った。

「どっちかしらって、アタシも思っていたところよ」

 オカマの年増が答えつつ替わり椀の蓋を取る。やり手であるオカマは本来、座敷持ちである王子より先に手を付けることは出来ない。それをしている、ということは、その立場を放棄したということ。

「センパイは?」

「連れて行かれたわ」

「なんだよ、黙って行かせんなよ。呼べよ」

「あなたを呼んでどうするの」

「お達者で、ぐらいは言ったかも」

「ムダな怪我人が増えてしまうだけじゃない」

 ティアラの王子様は案外、銀髪の『先輩』を好いている。

「迎えに来たの、どっち?」

「どっちも」

「……どっちも?」

 王子様が眉を寄せる。前髪で見えないがそんな気配が伝わってきた。そうよ、と、不審がられて、ルッスーリアは頷く。

「二人で来たわ」

 金の跳ね馬とボンゴレ雨の守護者。二人とも裏社会ではかなりの大物だ。それが『揃って』となると本人たちの意思ではない。何処からか指示が出ている。二人が二人とも逆らえないほど高い場所から。

「……」

 好物の茶碗蒸しを食べることさえ忘れて強張る王子様に。

「殺すつもりなら、そんな手間はかけないと思うの」

 宥める口調でルッスーリアは話した。

「それってどーゆー意味?」

「もしかしたらって、思っているんだけど、違ったらショックだから言わないでおくわ」

 連れて行かれた銀色のオンナも、そんな予感を感じていないでもなくて、でもはっきりと希望を抱くのは裏切られたときが恐い、そんな表情をしていた。

「ルッス、それってさぁ」

「乾杯しましょうか。お祝いに」

「だとすっと、なんで俺らが、置いてけぼりなワケ?」

「人質でしょう、きっと」

「センパイは?」

「ご指名よ。多分ね」

「……ふーん」

 ガツガツと、けれど物音ひとつたてずに、王子様が茶碗蒸しを食べる。出汁がたっぷりでた、濃い目の味付けに具がぎゅっと詰め込まれた、ご馳走。

「センパイ、優しくして貰えんのかな?」

「もらえるといいわね」

「俺らの迎え、いつ頃来ると思う?」

「早くて、明日でしょうね」

 今日はそれどころではないでしょうと、モノゴトをよく心得たオカマは言って、とっておきの銘酒の封を切った。

 

 

 

 再会の。

 言葉を捜すまでもなく。

「遅ぇ」

 二人に付き添われその部屋に入った途端、投げつけられたコーヒーカップ。ジノリのカップが額に見事にヒットして中身が顔に真正面からかかる。

「スクアーロ!」

 金の跳ね馬が驚き、その乱暴を咎めるような目を、部屋の中央に向けた。

「お、あ、え、っと、……、はい」

 山本武はポケットからハンカチを取り出して差し出す。受け取らず、オンナは濡れた髪を手櫛で掻き上げた。香りのいいコーヒーは冷め切っていて熱くはなかった。が。

「怪我をしているぞ。手当てを」

「あー、ちょっと、なぁ怪我、けっこーもしかして深くね?」

 左右から男たちが心配して声を掛けるが、返事をせずにオンナは自分の額を割ったカップを拾う。そうしてそれを投げつけた相手に投げ返した。

「……なんだ」

 部屋の中央で、腰が沈み込みそうなふかふかの椅子に腰かけて行儀悪く足を組んでいた人間は投げ返されたカップを手で払い、オンナに向かって眉を寄せる。

「こっちの台詞だ。なんだぁ、えらく若いぞぉ?」

 態度はでかいが、それはまだ少年。もちろん、ただの少年ではないけれど。

「てめぇは老けたな。すっすりババァだ」

「ガキから見りゃ、そうかもなぁ」

「スペルビ・スクアーロ」

「おぅ」

「で、てめぇ間違いねぇな?」

「同姓同名がこの世に居ないたあ限らねーが、オレもその名の一人にゃ間違いねぇ」

「……」

 じっと、答えるオンナを、少年は眺めた。

「スクアーロ」

 ハンカチを差し出し続けている山本武が声を掛ける。頭の怪我は出血が多くて、ババァと呼ばれる筋合いは欠片もないきれいな顔の横をだらだら、流れ落ちていた。

「納得してくれた?」

 部屋の奥には別の椅子がある。そこに座って事態を眺めていたボンゴレ十代目・沢田綱吉が口を開く。

「十四年間、キミは眠っていたんだよ、ザンザス」

 これが口を開いている間は誰も喋らない。だからか、と、一同がその名を持つ者の少年のままの姿に納得した。行方不明と言うより生死不明、存在が最初からなかったように扱われていた。

「オレのこと覚えてる?子供の頃、何度か会ったよね。沢田綱吉だよ。今は、キミの身代わりに、ボンゴレの十代目を継いだ」

 最後の台詞に少年は反応した。額に青筋を浮かべて嫌な顔をする。今にも何か、嫌味か嘲笑の文句を口走りそうだった。

「コーヒー、持ってきてくれよ」

 ハンカチを受け取りながら銀色のオンナが山本武に言った。うんと頷き、山本は部屋を出て行く。顔をしかめて少年はその様子を眺める。そして。

「誰だ?」

 自分が知らない人間のことをオンナに尋ねた。

「ボンゴレ十代目の雨の守護者。オレの弟子だぁ」

「てめぇ、こんなガキに懐いてやがったのか」

「うーん。今のザンザスに言われると変な気持ち」

「まさか。ンな中枢に、関われやしねーぞぉ。オレぁオマエに連座して謀反人扱いだったんだぜぇ」

 山本が持ってきてくれた新しいコーヒーをオンナが受け取る。そっと湯気を吹き払い唇をつけた。竹寿司の二階から寝巻きの肌襦袢に羽織を纏っただけの、武器を持たない姿で連行されたせいで化粧もしていない。口紅を塗らない唇は顔ざめて、流れた血を乱雑に拭った頬がひどくやつれて見えた。

「罪人が守護者の師匠やってられるのか?」

「順番が逆だぁ。弟子が守護者に選ばれたんだぁ」

 一口のんで、カップをソーサーに戻し、椅子に腰かける少年に差し出す。少年はオンナの手からカップだけを受け取った。受け皿はそのままオンナが持ち続ける。

「飲んだら、眠れぇ。顔色わりぃぞオマエ」

 真っ青な自分のことは棚に上げてオンナが言った。

「なんで、いきなり起きたんだ?」

 オンナが少年に尋ねる。少年は答えない。暖かいコーヒーを飲み干し、カップをオンナが持った受け皿に戻した。

 そして。

「話せ」

 カップを山本に渡して持っていってもらうオンナに少年が命令する。銀色のオンナが、自分の知らない男に対して気軽に用事を頼む様子が気に触ることを隠しきれない様子で。

「十四年間のことを話せ」

「って、もなぁ。オマエが知りたいのは十四年間のボンゴレだろ?オレぁその間、四年は本邸の地下に繋がれてたし、その後の十年は廓から一歩も出てねーし。浦島太郎なのはオマエと似たよーなもんだぁ。歳だけはとったけどなぁ」

「話せ」

「それでいいなら話すけどよ、その前にオマエ、メシ喰えるか?冬眠から目ぇ覚めたばっかでまだムリかぁ?」

「ばっかりじゃねぇ」

「そっか。んじゃ、まず、メシ喰って眠れぇ」

 天下のボンゴレ本部の最奥、十代目ボスの個人的な応接室で、一晩の値が二朱の売春婦が指図がましい口をきく。

「いろいろ、それからにしよーぜぇ。な?」

 最後だけ少しだけ、期限をとるように優しい口調。

「うん。オレもその方がいいと思う」

 そっと口を挟んだのはボンゴレ十代目の沢田綱吉。

「明日にしようよ。その人から色々、話をきいてからに。びっくりすることも多いと思うけど、個人的には戻ってきてくれて嬉しいよ、ザンザス。今ちょっと、うちタイヘンっていうか、率直に言って存亡の危機だから」

 ザンザスの表情が強張る。ボンゴレのことを自分の前でこの相手に、『うち』呼ばわりされたのが面白くないのだ。

「十代目のボスの座は返さない」

 癇癪を起こしそうな少年に、大人のオトコの口調で沢田綱吉は淡々と話した。

「いろいろ、なるべく、キミにいいようにしたい。でもこれだけは言っておく、ボスの座は返さない。もう決まったことだからね。ボスになるのに、オレも相当の恨みを買った。いまさら返して裸になったらその報復で、オレの仲間たちまでぐちゃぐちゃの死体にされてしまう。だから、返せない」

 最後の一言は正直だった。歴代のボンゴレ最強と称される沢田綱吉だが、積極的にボンゴレのボスになろうとした訳ではなかった。先代の指名を受け、その気はなかったのに他の候補者たちを退けているうちに抜き差しならない戦いに身を投じてしまい、後戻りができなくなっただけ。

海千山千の『オトナ』らにハメられて不本意な身の上に、されてしまった、これもある意味、不幸な、男。

「……もっと早く帰って来てくれれば良かったのに」

 沢田綱吉の嘆く言葉と。

「こいつの部屋、まだあんのかぁ?」

 銀色のオンナが山本に尋ねる声が重なる。さっきからオンナが山本にしか声をかけていないのは、もう一人の跳ね馬の雰囲気が剣呑だから。馴染みの相手にカップを投げつけ額を傷つけた少年を睨んでいる。本人はまったく意に介していないけれど。

「えっと、部屋って、ドコだっけ?」

 山本武がボンゴレの雨の守護者になってから、既に四年が経過している。けれどその前に起こったことについては疎い。十四年も前にこのボンゴレの御曹司が、かつて住んでいた場所を知る由もなかった。

「あるよ」

 静かに沢田綱吉が答える。

「そのまま、とってある。オレがここの主人になってからも、九代目の指示で」

「他の連中はどうした?」

 少年が口を開いた。視線は真っ直ぐ銀色のオンナに向かっている。それ以外の言葉を今は聞く気がないらしい。

「生きてるぜ。レヴィ以外」

「あ?」

「あいつはオマエの一周忌に死んだ。オレもルッスから聞いた話だけどな」

「会わせないよ」

 横からまた沢田綱吉が口を挟む。

「まだ会わせない。彼らは人質だ」

「なンだぁ、ボス、なんかまたヤベェことしたのかぁ?」

 沢田綱吉の言い方に何事かを察して、銀色のオンナが少しだけ笑う。

「帰って来て早々、よくやるなぁ」

「何もかも正直に言うけどね、ザンザス。キミがミルフィオーレからのスパイじゃない確証がとれるまで、キミを昔の部下には会わせられない。その人と一緒にしばらくは軟禁だ。覚悟しておいてくれ」