妓楼・9

 

 

 

 

 

 ほかほか湯気のたつごはんを、傷だらけで無骨だが器用な手が握っていく。

「しょんぼりだなぁ、山本ォ」

 小さめの俵型のお握りは大きさが揃っていて可愛らしい。シャケにメンタイコ、高菜に梅干という具をたっぷりと詰められたそれを横からむしゃむしゃ、手を伸ばしてはつまみ喰いしているのはボンゴレ十代目の嵐の守護者。

「てめーフラレたのかぁ?あぁー?」

 ボンゴレ本邸の最奥、幹部たちが起居する中枢部。腹心中の腹心である守護者の部屋は寝室と居間、仕事部屋に書斎までついた豪勢な造り。もちろん風呂とトイレは別で、風呂にはシャワーブースもしつらえられている。獄寺の部屋は特別仕様でミストシャワーが天井から降り注ぐ設備までついている。

 雨の守護者・山本武の部屋も別の意味で特別仕様。クローゼットを潰してミニキッチンを拡充、本来はコーヒーを淹れるのがせいぜいの設備だったのを、ガスコンロにガスオーブンに七輪まで持ち込んで、かなり本格的な料理が作れるように拡充した。

「まだ、わかんねーけど、多分ふられんじゃないかな」

 時刻は真夜中に近い。生まれてこのかた肥満の二文字と縁のない獄寺は時間を気にせずお握りを四個、ぺろりとたいらげて食後の茶を美味そうに飲む。

「情けねーな。ちょっとは粘れよ。張り合って取り合ってみりゃあいいじゃねーか」

 自分の男に情人を諦めるなと、焚き付ける獄寺の表情は言葉よりかなり真剣。

「アレに気に入られてるってのでてめー、かなり点数、稼いでるんだぜ分かってっか?」

 銀色のあれはキャバッローネの跳ね馬のお気に入りのオンナ。相手に不自由しないあの男があれだけ入れ揚げているのだからさぞいい女なのだろうと世間は見る。そのいい女に気に入られている若い男にもさぞいい所があるのだろうと、それは業界では自然な連想だった。

「スクアーロに振られたら、オマエもオレにまた冷たくなるのか、獄寺?」

 山本の切ない樋には答えずに。

「張り合ってみろよ」

 食後の一服を愉しみながら、アッシュグレイの前髪をかき上げて嵐の守護者は繰り返し、言った。

「跳ね馬のヤローは張り合うつもりみたいだったじゃねーか。ザンザスのことギンギンに睨んでたぜ。お前も覚悟決めてよぉ、やってみろって」

「ディーノさんとオレはさ、色々、立場違うのな」

「ザンザスがボンゴレの御曹司だったのは昔の話だ。裏社会のオトコとしてはよぉ、お前けっこう、そこそこいい線いってないでもないぜ。跳ね馬と比べてもそうそう見劣りしねーしよ。一勝負張ってみろって。応援してやっからよ」

 獄寺にしては珍しいほど、熱の篭った親身な提案だった。

「出来ねーよ。前に言っちまったもん。スクアーロの好きな男が戻って来て、オレよりスクアーロのこと大事にしてくれたら身を引く、って」

「大事にしてるの?」

 重箱に詰められる握り飯に卵焼き、野菜の煮物に高野豆腐、コンニャクとゴボウのピリ辛きんびら、などなどを横からお相伴しながら、その部屋で夜食を食べていたのは獄寺だけではない。

「愛し合ってるの、あの二人」

 沢田綱吉が尋ねるのは興味本位ではなかった。帰って来たボンゴレのかつての御曹司が、庇って凍り付いていたオンナとどう接するかに重大な関心を持っている。

「よく分かんねーよ。スクアーロ、俺にはナンにも、話してくんねーもん」

「差し入れだけが能じゃねーだろ。ちったぁ探りいれろや」

「探りってゆーか、ザンザスと仲良くしたかっては聞いたけど答えてくれなかった。あのカンジだとまだじゃないかなって、俺は思ってっけど」

「セックスしていないっていうこと?なんで?」

「ババァとかって言われてましたから、そのせいじゃないですかね。あの銀色はいいオンナですが、十六のガキに二十八の熟女はキッツイでしょう」

「んなこと、ねーよッ」

 獄寺の言葉を否定する山本の口調は少しムキになっていた。別のオンナを庇って強い口調になる『恋人』を獄寺は、タバコの煙ごしニヤニヤと眺める。よく分からない、変わった関係の恋人同士だった。

「多分あの、ザンザスとかいうヤツ、寝込んでるんだと思う。スクアーロがすげぇ心配そーだから。オレよく分かってねーんたけど、要するにミルフィオーレに掴まってて、そっから逃げて来たんだろ?」

 ボンゴレとミルフィオーレの二大勢力は現在、正面衝突まであと数秒という感じの緊張関係。チョイスと呼ばれるゲームによって勝敗を決めようと、そんなふざけた申し出を受けている。勝負はそれぞれの手駒の数と優劣による。

「ミルフィオーレの、白蘭の特殊能力が死者の復活だってのは、ガセじゃなかったかもしれませんね」

「かもね。ザンザスは厳密な意味では死んでいなかったけど」

 山本が煎れてくれた茶を飲みながら、沢田綱吉が静かに言った。

「何度かオレも、彼を起こそうとした。彼に助けてもらいたかった頃」

 そんな時期が確かに沢田綱吉にはあった。ボンゴレのボスというものになるのを嫌がっていた時期。もっと相応しい人が居るじゃないかと言い張った挙句、眠るかつてまの御曹司を何度も起こそうとくわだてた。その御曹司が反逆の処罰としてボンゴレの地下で氷漬けにされていたのは中枢の数人しか知らなかった極秘事項。

「でも、オレには出来なかった。オレだけじゃない。凍り付かせた九代目自身にも出来なかったんだ。手加減なんてしている場合じゃなかったってことしだろう。まぁ、仕方ないよね」

 愛している息子であっても男同士には違いない。闘えば牙を剥き合って、その過程では闘争心が愛情を上回る瞬間もあっただろう。どんなに温和を気取ってみても、それだけで勤まるほどボンゴレのボすというものは甘くはない。

「白蘭はオレにも九代目にも出来なかったことをした。オレや九代目にはない能力を持っているのは確かだ」

「で、そっちら脱出して戻って来た、ってぇのがマジなら、ありゃ貴重な人材ですね。まぁ情報源としての価値はスパイでも同じことですが」

「スパイじゃないなら、凄く可哀想だね。せっかく帰って来たのにオレがボンゴレの後をもう継いでしまっていて。帰った意味がない、ボンゴレに裏切られたって、また反乱を起こすんじゃないかな?」

「戻って来た目的がナンなのか、それが気になるね」

 山本が作った夜食を黙々と食べていた雲雀恭弥がようやく満腹になったらしい。ごちそうさまと手を合わせ箸を置く。そちらには獄寺が茶を煎れてやった。

「オンナ目当てであることを祈ろうか」

「まさか。ンな純情なヤローがこの世に居るもんか」

「でもさ、もともと、ザンザスってスクアーロのこと庇って死、じゃない、仮死状態にされてたん、だろ?」

 命がけの愛情なのは証明済みなんだから、命からがら帰って来る純情も有り得るんじゃねーのと山本が言う。残りの三人は山本を凝視した。

「え、なに?」

 重箱を風呂敷に包みながら、あまりにもまじまじと眺められた山本が戸惑う声。

「なに、ってのこっちの台詞だぜ、なんだよ、そのネタ、初耳だぜ。マジか?」

「それ誰に聞いたの、スクアーロさんから?」

「え、っと……、うん」

 やべぇと顔に書きつつ山本は素直に白状する。誤魔化せる状況ではなかった。

「それが本当なら作戦を変えなきゃならないかもね」

「銀色呼ばなきゃなんにも喋らねぇって言ってやがったのは、オレらを信用してなかったんじゃなくって、ただ会いたくて心配だったンすかね」

「遅いってカップ投げつけていたけど、じゃあアレは照れ隠し?ホントは嬉しかったのかな?」

「目の横を正確に狙うコントロールは、照れ隠しとかじゃないと思うけど」

「山本」

 改めて、ボスの声と表情で名前を呼ばれて。

「様子をよく見て来てくれ。判断は任せる」

「え?」

「ザンザスが本当に、まだあの人を愛しているのなら、オレは彼を手に入れられるかもしれない」

「可能性はありますね。十代目のご人徳です」

 先代は銀色のオンナに酷い仕打ちをした。若い次代は比較的やさしかった。その事実を梃子にしてうまくまわせば、先代ではなく自分の戦力に出来るかもしれない、と。

「頼むよ、山本」

「十代目のお役に立てよぉ、ヤマモトぉ」

「えーっと、ま、とにかく、食い物差し入れてくっから」

「跳ね馬が障害になるね」

 一同より常に先手を眺めている雲雀がそんなことを言う。

「大人しく諦めればいいけど」

 

 

 

 寝込んでいる、というほどではなかった。

「……、お?」

 ほどではなかったんが、少年は疲れ果てていた。食事と睡眠をひたすらに繰り返し、途中で二度ほどシャワーを浴びた他は殆どベッドの中に居た。

「な、ん、だぁ?」

 銀色のオンナは少年に付き添っていた。食事やシャワーの用意もしたしかおも拭ってやった。時々は眠る少年の髪をなで毛布の下の肩に額を押し付けることもあった。そんなこともしたけれど、主な役目は護衛。かなり真剣に、銀色のオンナは昼も夜も、部屋の外を警戒しながら過ごしていた。

「ちょ、うぉおおぃ、ザンザスッ!何しやがッ」

 たっぷりと食べ、瞼が腫れるほど眠って、肉体が健やかさを取り戻した後で、オスが次に欲しがる者は決まりきっている。

「マジかぁ、ヤメロぉ!ちょ、おい、マテってぇ、ウソだろ、おいッ」

「……うるせぇ」

 じたばたと暴れるオンナに少年が眉を寄せた。