大型犬への告白・3

 

 

「……ッ……、は……」

 荒い呼吸は俺のものか、俺を抱いてる男のものか。

「……、はぁ……、ハ……ッ」

 詰まった声とうめきは男のものだった。時々混じる高い息が俺だ。

 意識より先に聴覚が目覚めて、視覚はそれから、随分おくれて戻ってきた。

 何処だ、ここは。分からない。シーツに両手をついて背後から抱え込まれて身動きも出来ない。ひどくて、熱くて、痛いくらいの刺激が下肢の狭間から突き上げる。そのたびに、枕に噛み付いて声を忍ぶ。

「……、は……ッ」

 背後で男が、少し動きを止めた。俺の胸と腰に廻った腕に、力が篭る。体が擦り付けられる。後から耳を噛まれて喉をのけぞらす。体を撓らせて自分を犯している男の蛇を締めた。これを殺さないと楽になれないことをもう、大昔から知っていた。

「……、ん……」

 男が動きを止める。俺の背中に額を押し付けて、でも終わらない。かなり苦しそうなのに耐えてる。あぁ、なんでオトコってこんな時にだけ強情。熱くて苦しいから、こっちは早く、楽になりたいのに。

「……、い、さ……」

 囁かれる。そのまま楔を、かなり乱暴に引き抜かれた。ヒ、っと声が漏れる。乱暴ではなかったが、粘膜が捲くれて。

「……、ごめん……」

 オトコが息の隙間で言った。聞いてるこっちまでおかしくなりそうに男の呼吸は本当に荒かった。でも俺を、そっと仰向けて。

「……、ん……」

 唇を重ねる瞬間だけは、それをひそめて、俺に息がかからないように。

 ベッドが軋む。俺の背中も同様に。男が俺の膝を撫で、肩に担ぐ。唇は離れたが代わりに頬を、ぎゅっと摺り寄せられた。挿れていいかと訊かれてる。腿に当たるオスが、あたってるだけで痛い。

 目を閉じて横を向いた。男がすぐに追ってきたけれど強引に向き直らせることは出来なくて困ってる。こんな姿勢で、どうしたらいいんだろうって。ここまでしといてお前、俺の許可なしにはまだ、ヤらないつもりなのか。

 されてる真似と男の態度の落差がおかしくて笑った。笑ったついでにだるい腕を上げて男の、髪に触れてやる。男は瞬時に反応した。担がれて開かれた膝の、無防備な狭間にまた。

「……、ッ……ッ」

 痛い、苦しい。久しぶりというのも愚かなくらい、俺は男に抱かれていなかった。それでも体験は消えないのか、カラダも俺自身も、どうすればいいかちゃんと覚えてた。目の前で揺れる男の、俺を痛めつける律動を繰り返す、肩に手を掛ける。

 それから、相手の肩を支えに自分の腰を浮かして、抱きとられたまま一方的に攻め込まれるリズムを崩して、せめて楽なように、変えるつもりだった。変えて欲しかった。一途に俺に攻め込んでくるオトコが痛かった。

 出来なかった。俺が肩に触れた途端、男は動きを放棄した。抱きとられてた腰まで落とされてシーツに沈む。オトコの掌は両方とも、俺の頬に添えられて、また。

 くちづけを落とされる。キスなんて軽いノリじゃない、何かを誓うような真剣さで。止めろ。こういうのは嫌いだ。べたべたされるのには慣れてない。

 俺が嫌がるそぷりをすると、男は惜しそうに唇を離す。代わりに喉に、髪を擦り付けるみたいに懐いて来る。妙な気分だった。こいつが殆ど声をあげないからだ。言葉じゃなくても意志は十分に伝わってくるけれど。鎖骨にキスを繰り返して、動いていいかってまた尋ねられる。

 言葉で答えるのも面倒で、俺はシーツに肘をついて背中を仰け反らせる。繋がった場所がそうすると、いい具合に締まるって知ってた。何年ぶりかでも、具合は変わらないらしい。男は俺の頬から手を離して、また両手で、俺の腰骨を掴む。

 ……、や……、めろ……。

 違う。セックスじゃない。抜かなくていい、違うんだ。

 お前の指が傷跡に触れてる。俺の右の腰骨、その上にある火傷の痕。そこに触らないでくれ。痛む、んだ。

 男は大人しく手をずらした。ほっとして、俺はもう一度、オトコのイイように揺れてやる。即座にあわせてオトコが動き出す。外れた男の左手が代わりに俺の背中に廻って、浮いていたのを支えてくれた。

 あぁ……、気持ちいい。

 忘れかけてた快感が下肢から脊髄を駆け上がってくる。何度か目蓋の裏側で白い、キレイな光が弾ける。見かけによらず上手な男だった。きれいに俺の、急所を貫いた。

「……、ん……」

 はじけて跳ねて、中空からの失墜。落ちていく感覚は長かった。コレが自分の満足の度合いだと、俺は知ってた。……深かった。

「は……ッ」

 びくっと、目を開けて肩を竦める。

 中空から落ちて、地面に激突して散る、その寸前に支えられた。抱きとめられた、って感覚の方が近い。気がつけば男の腕が俺の、肩にまわって、汗ばんだ胸の中に、ぎゅ、って。

「……、キモチよかった……ッ」

 まだ荒い息の途中で、挟まれる正直な感想。苦笑しながら、俺は別のことが気になる。男の汗の匂いがする。不愉快な匂いじゃないけど、身体についたら困るから離して欲しい。真面目にそう言いかけて心が凍りついた。俺は今、何を錯覚た?

 俺に誰の匂いがつこうが、俺が誰とこんなことしようが、あいつにはもう関係がないのに。ここでこの匂いにまみれたところで、あれは気付きもしないだろう。俺が他人の匂いをつけて帰って来ると、それはセックスでついた匂いじゃなかったのに、怒り狂って頭から何度も水をためた冷たいバスタブに突っ込まれた、あの恐怖はまだ、俺にはこんなにも生々しいのに。

「……、きもちよかった……、です……」

 俺を抱き締めながら若い男が、まだ繰り返す。黙って訊いているうちに妙な気分になってくる。かわいい。

 そんな無防備に懐いて来るな。撫でてやりたくなって困るから。

「ナンか言ってくださいよ。……、ねぇ……」

 言わない。ここで俺が、何か答えたら深みに嵌まるだろ。いまさらこんな歳になって、こういう遊びを思い出したくはない。セックスした後は相手に甘くなるのはオトコなら当然。それは朝まででいいんだ。

「とろけそうでした。途中、ちょっと覚えてねぇや。……、乱暴しませんでしたか、俺」

 朝までそうやって、何か喋ってくれ。

「ねぇ、なんか言ってくださいよ。怒ってんの?気分悪い?キモチ悪かった?……ねぇ」

 俺の胸に手をあてて、揺すぶりきれずに自分が懐いて来る、お前は本当に可愛げがあるよ。腕の固さと柔らかくて明るい金髪に、ほだされる女は多いだろう。みかけによらず、悪い男だな。

「……おぼえててくれてないと悲しいから、言うけど。誘ってくれたの、あんたからですよ。……覚えてる?」

 覚えてない。でもそう、そうだっただろう、きっと。

「キモチ、良かった。……、ねぇ……」

 ぎゅうっと、抱き締めるというより抱きついて。

「も一回……、ダメですか……?」

 抱きつくお前の体はもう、揺れてリズムをとりだして。なのにまだ、律儀に許可を求めてくるのがおかしい。俺はもう動けない。好きなように、遊べ。

「どうしたら、いいか教えてください。さっき、夢中で、ナンにもしてあげてないから。……、すいません……」

 おかしな奴だ。へんなことを謝る。

「言ってくださいよ。その通りに、するから」

 俺のオーダーを欲しがるお前は気付いてる。俺が男と寝ることに馴れていること。また正面から抱かれる。お前、もう、分かってるじゃないか。俺は背後位が苦手だって、こと。

「上手に出来たら、泊まってってくれますか……?」

 あぁ、ここ、お前の部屋か。いや俺の家だが、お前が宿直室にしてる。

 男の腕が伸びて枕もとを探る。商品名もロゴもない紙箱から、ゴムを取り出してつける。どうりでおかしいと思った。楽だったから、さっきのセックスもその後も。

 なんでそんなもの、ここに置いてるんだ。ここはお前には職場だろ。そんなことを思いながら眺めた。自分でソレをつける、この間はどうしてもマヌケだ。

「そんな見ないで下さいよ……」

 照れたように金髪の下でお前がちょっと、赤くなる。面白い、奴。

 改めてキスをして、俺の髪を両手で梳いて、そして。

「……、痛かったら言って」

 囁かれる言葉に頷いて目を閉じた。

 

 

 今日はもう、最低の気分だった。

 本当に最悪の日だった。どうして重なるんだ。

 昨日のセントラルからの電話。適当に話をして、隙間で情報を漏らさせられて、こいつはいつもこんな風だと、細い溜息をついた、途端。

『うちの娘がなぁ、明日、誕生日なんだぜ』

 あぁ、そうか。なぁヒューズ中佐。

 錬金術で電話の向うの人間を焼き殺す方法はないものかな。

『お前、いっぺんもナマで会ったことねぇだろ』

 会ってたまるか、お前の娘になんか会いたくない。

『グレイシアにもさ』

 その名前を聞かせるな。世界で一番、聞きたくない名前だ。

 お前の声では特に。

『今度セントラル来たら寄れよな、俺の家。なぁ、もう、いいだろう、そろそろ』

 何がどう、そろそろなのか説明してみろ、そこで大きな声で。

『とって喰いやしねぇから、酒でも呑みに……』

 最後まで言わせず、私はガチャンと受話器を置いた。ヒューズとの電話が物分れに終わることなど珍しくないから周囲は気にもしない。ほんの少しだけリザが心配そうな顔をして、そして。

 書類を抱えて部屋を横切っていたオトコが足を止めた。じっとこっちを見てる。最近、私に懐きたがって尾を振って来るおかしな大きい犬。見られることを無視して私は執務室に戻った。背中に男の視線をずっと、最後まで感じながら。

 午後の仕事が始まっても、明日が誕生日だという、奴の娘のことばかり考えていた。

 その明日が今日になって、今日は結婚式だ。東方司令部のトップ、将軍の孫娘。二人居る方の上で、二十歳の花嫁だった。花婿は学生時代からのつきあいという好青年。それはいいが、花嫁の妹、十八歳の娘を紹介されて困った。にこにこしながら、お姉さんと揃って美人姉妹ですね、なんて、お愛想を言うのに疲れ果てた。

 高級軍人には閨閥が存在する。そこに連なる事が中央司令部でのし上がっていく条件だと、好々爺の将軍が目の奥で言う。教えは有り難いのですが将軍、本当に本気ですか?正気、ですか。

 お孫さんが少しでも可愛いなら私には近づけてはいけない。私のうわさはご存知でしょうに。構わないよと、白髪の老将軍は笑う。若い頃は色々とあるものだ、と。

結婚すれば男は落ち着く?そうですか。そうかもしれませんね。確かに、そんな、ものかもしれません。

 結婚すれば落ち着くんでしょうか。何もかも、夢だったみたいに忘れられますか。なかったことになりますか。でも傷跡はまだ消えないんですよ。誰かに傷を残したままで、勝手に忘れて、いいものなのでしょうか。

 それも構わないんですか。みんな誰かに傷を残して残されて、そうやって生きていくんですか。循環していく愛情も執着も、大きく巡る一つの輪の中で、いつか溶かされて消えてしまいますか。俺の命や、肉体と同じように。

 三次会まで付き合った。妹君のエスコートとして。花嫁の親族には軍服姿が多く、民間人らしい花婿は気おされていた。俺にだけ、そっと笑ってみせたのは俺だけが飛びぬけて若く、同世代の親しみをもてたからか。でも俺は、どう見えたのか知らないが三十前だ。そこからじゃ階級証は見えないかもしれないが、君の義祖父の次にこの場では偉い。

 軍隊という牧場で俺は十四の時から飼われて、多分一生、これからもこの牧場から出ない。どこまでいけるかわからないが、階級が上がるほど退役の年齢も上がるから、死ぬまで軍服を着て、肩の星の数が人間関係の殆どを占める直線的な世界にいるかもしれない。

 三次会で、酔いに任せた友人たちは花嫁と花婿に、棗の実を両側から齧れと強要した。そして残った全員で新婚の寝室に二人を送っていった。ベッドに押し込まれ軽い掛け布団の下で夫妻が、ドレスとスーツを脱いで脱がせあって、ベッドの外に放り出すまでみんな寝室から引き取らなかった。悪い趣味だと俺は思ったが場に合わせて笑った。仲間内では、みんなここまでの目にあうのよと、先に結婚した花嫁の友人が教えてくれた。

 そうかもしれない。幸福な結婚なら、これは許される範囲の遊びかも。新婚のカップルは長年の付き合いで友人たちも共通で、この日のことは何十年も、楽しい思い出になるのだ。

 さすがに少し、恥かしがってた妹君をご自宅に送った。将軍は寝巻きに着替えてはいたが孫娘の帰りを待っていた。遅くなりましてと私は将軍に詫びた。つき合わされたのは私の方だったが、将軍にそう言うわけにもいかない。

 持って帰られたかと思ったよといわれ、そんな無礼なことはしませんよと俺は笑う。おやすみなさいを言って失礼した。……疲れた。

 自宅に帰るなり、玄関のドアの内側に座り込むほど。

 当番の宿直兵がそれを見て、慌てて非番の隊長を呼びに行く。俺の家に殆ど、勝手に住み込んでいる男はまだ寝巻きじゃなかった。抱き上げられるシャツの感触で分かった。

 呑みすぎだろ、寝せとくからお前はもういいよ、玄関見張ってろ。そんな男の声が頭の上で聞こえる。そう言う男に、俺は運ばれていった。酔ってはいないとは言わなかった。酔っ払いだと誤解されていた方がマシだ。疲労困憊しているとバレるよりは。

 荷物みたいに無造作に運ばれる。六十キロの土嚢か廃材みたいに。それがかえって気持ちよくて、背中の緊張がとけていく。

 嫌な日だ。嫌なことばかりあった。

「大佐ぁ、寝てますかぁー?」

 腕の中で揺すぶられる。答えるのも面倒で寝たふり。

「まいったな……。あの部屋、開かねーのに……」

 あぁ、そう、そうだ。俺は俺の寝室と書庫にはいつもロックを掛けている。鍵や錠ではない錬金術のそれは、この手で触れないと開かない便利なオートロック。防犯や研究資料の盗難を防ぐ意味ではなく、単に私は他人に対する緊張度が高い。警戒して観察して距離を測って、疲れ果ててしまう。

「俺の部屋でいいッスね?これはお持ち帰りじゃありませんからね」

 その言い方が妙に真剣で可笑しかった。将軍の言葉の重さが、少しだけ軽くなる。もっと喋れ、内容はなんでもいい。耳の奥に残ってる響きを消してくれ。このまま眠ったら悪い夢を見る。

「あれ、起きてました?シャワー浴びますか?」

 ベッドは懐かしい固さだった。軍の規格で作られる寝台。スプリングはなくて、ウレタンのマットとコルクのクッションが体を受け止める。士官学校時代のベッドもこんな感じだった。進級に合わせて部屋は替わったが、つくりつけの家具はみんな規格品で。

 住んでいる人間も、その一種だった。

「水飲みますか?あんまし酒くさくはないっスね。香水の匂いでよく分かんないだけかな」

 男が肩に顔を寄せてきて鼻を鳴らす。目を閉じていた奥に目眩を感じて力が抜けていく。錯覚が起こりそうだ。背中に当るウレタンのマット、覆い被さってくる男の体温。

「大佐……、ねぇ、大佐……」

 声は違う。触り方もずいぶん。鼻面と唇だけで俺に触れてくる丁寧さも。はだけられた衣服は楽なように脱がされて、上着は剥がれたがシャツは襟ボタンだけ、ベルトは抜かれたが前には触れられずに。

 酔っ払いを介抱するだけの脱がせ方で。

「話、聞いてくれます?もう眠い?」

 話せよ。話の中身はなんでもいい。何か言って、鼓膜を塞いでくれ。あいつの声に似てる耳鳴りがうるさいこれを、いっそ、お前が舐めたそうにしてる耳朶ごと引き千切ってくれてもいい。

「眠そうッスね、残念。おやすみなさい」

 大人しく大型犬は離れた。そのまま背中が薄暗い部屋を出て行こうとするのは見た。それから先の記憶は少し混乱して、気がついた時には。

 

 

 翌朝。

 罪悪感いっぱいで目覚めたとき。

 隣には誰も居なかった。俺は裸で、新しいシーツに寝ていた。

 目だけ動かして時計を探すけど見当たらない。カーテンごしに入って来る光はまだ弱く、時刻がほんの、早朝であることを示している。

 シャワーの音がする。その音で俺は目覚めたのだ。水音に口笛が混ざって朝から、上機嫌そうな気配が伝わってきて。

 シャンプーと水の匂いをふりまきながら、男は腰にタオルをいい加減に巻いてシャワールームから出て来た。適当に拭ってんだろう、足もとに水溜り。宿直用の部屋に、脱衣所なんていう洒落たスペースはないようだった。

「あれ、もしかして俺、起こしましたか?おはようございます」

 輝くような若い肌をした男が、ベッドの上で上体を起こした俺に笑いかける。がしがし、手早く髪を拭って、Tシャツとジーンズを乱暴に身につけて。

「シャワー浴びるでしょ?リネン室から着替え、取って来るから、浴びてていいですよ。それともあっちの風呂の用意してきましょうか?」

 この家の奥には俺の専用の浴室があって、そこには錬金術のロックを掛けていない。

「朝飯、喰えますか?柔らかいのの方がいいなら、フレンチトーストでも……」

 作ってきましょうかと喋りつつ、男は部屋を抜けていこうとする。落ち着いたフリをしてるけど照れてる。首筋が赤い。ベッドの横を通り過ぎるとき、手を伸ばしてTシャツの裾を掴んだ。

「……、あ、の……」

 足を止めて、瞬きながら、男が俺の方を見る。見上げる相手は、本当に若くて、よく見ればいい顔立ちをしてる。

「……、」

 口の中が渇いていて、うまく言葉にならなかった。男の表情がゆれる。期待、不安、戸惑い、幸福、そんなものが次々に浮かんで。

「ハボック……」

 少尉、と、習慣で続けそうになるのを唇の内側で止めた。それはあんまり、ずる過ぎるだろう。

「……、すまない」

 心の底から、詫びた。