うさぎの函館のみくい旅日記・しょの2
ねぇねぇTしゃま、Tしゃま!
「なぁに、うさちゃん?」
このお道を真っ直ぐ行ったら、六花亭があるよね!
「よく知ってるねぇー」
てへへ!うさ函館は二回目だもん!なんかお道に見覚えがあったの。前回は凪しゃんのヨタヨタどらいばぁで、五稜郭へ向かおうとちてこのへんで迷子になった、記憶があるのー!
ま・主な根拠はシフォンケーキの匂いでちたけど。てへ。
寄って欲しいデシ。お買い物ちたいのぉ〜。五稜郭には明日来るけれど、ここお濠の外側だから、タワーから遠いの。前回、暴風雨の中を歩いてひどい目にあったのぉ〜。
「いいですよ。行きましょう。あれ、えと、あれ?」
Pって書いてあるよ!あしょこが駐車場でし!六花亭は糸杉で道から姿を隠すのが得意技だけど、ここのはまた、完璧しゅぎる擬態を示してマシ。んでも、お車を停めて中に入ると、人がちゃんと居まちた。柵で仕切られた五稜郭公園の中ではバーベキューちているシトたちも居まし。焼肉のにおいがしゅるよぉ〜、くん、くん。
「ああ、やっと観光地だわ」
いこまんが仰いまちた。うん、ちっと今まで、人口密度があちこち薄かったけど、やっと観光地らちぃ混雑でし。ここにもカフェはありましが、満席だしどーしぇおコーヒー、無料じゃないからねぇ〜。そりよりお買い物をちまちょう。マルセイのバターサンドでちょ、六花のつゆでちょ、定番のフリーズドライイチゴが入ったホワイトチョコレートに、あ、いこまん、今夜のホテルで食べるお菓子はどりがいい?うさはべいくどちぃずにしましぃ。
「じゃ、わたしはレアチーズ」
はぁい、うさ買ってあげるね!代わりにお願いなの。レシートにスタンプを貰ってくだしゃぁい!今度、なきうさしゃまに会う時に持っていくの。なきうさしゃまお元気かなぁ。会いたい、なぁ〜。
うさは初めて買ったアーモンドチョコレートが、とってもお気に入りになりまちた。特に白!六花亭のほわいとちょこれいとは秀逸でしぃ〜。
お買い物をすませて、函館の心残りが7%なくなった、うさ。しょりから名称寺まで連れて行ってもらいまし。らんらん♪お車は中島町を通り抜け、函館山の麓へ。中島親子の奮戦の地の周辺が中島町になっていて、数々の幟が立っていまちた。パパンの中島三郎助しゃま及びしょのご子息さまがたのご冥福を、うさもお祈りいたしまし。なむなむ。
お車は、駅前を通り越して宝来町へ。『瓦解』『混沌』のトーシローしゃんが暮らしてる町を抜けていきましの〜。そりから幾つもの坂を通りマチタ。あっ、この坂、うさ知っているでし。チャーミーグリーンの坂、でしっ!
「すごい、角度」
長崎に親戚がおらりて、坂には馴れてるいこまんをびっくりしゃしぇる、急勾配の坂でし。そりを横に貫き通しながら、車窓からラクチンな市内観光〜♪
「あれ、え、あ、ごめんなさい、間違いました!」
あてにならない凪しゃんが地図を見間違いまし。もぉ、ヤクタタズー!Uターンちたところで。
「今、通り過ぎた喫茶店、墓場の中を降りていくんですか?」
喫茶店には特別な嗅覚を持ついこまんが目ざとく、お店の看板を見つけて尋ねまちた。このシトは以前の下関で、嗅覚だけで『下関異人館』を発見ちた戦功がごじゃいまし。
「外国人墓地です。見て来られますか?ここは駐車場がないので、わたしは車の中で待っています」
うっうっ、優しいTしゃま、ありがとぉ!お言葉に甘えつつ、うさといこまんとヤクタタズ凪しゃんは路肩に寄せられたお車から降りて、外国人墓地を観光〜。ううーん、ガイドにも載っている観光地なのに、本当に人が居ないでしぃ〜。てくてく、けっこうな急斜面を石段に沿って降りて行きまし。墓地とゆっても、あんまり立派でも整備さりてもいない、田舎の山の斜面に墓がたってます、みたいなカンジ。でも逆に整備されていないから、転々と敷かれたでこぼこの、シロツメグサに埋もれかけた石を踏んで降りていくと、時代をカンジられまちた。
「ああ、本当に墓場の中にある」
いこまんが感心してまし。喫茶店はこじんまりとちたカンジのよしゃしょーな外観でちた。墓場の中に喫茶店、というしゅちえいしょんが大変お気に召したらちぃいこまんともども、うさも寄りたかったでし。が、お車の中にTしゃまを残して、優雅にお茶をしばく訳にはゆきましぇーん!
「今度ね」
いこまんがユいまちた。う、うん。てへ、また来ようね、いこまん!うさはしつこいうさぎだから、気に入ったところには繰り返し行くから、一生懸命働いて、また来るとおもいましぃ〜。後で調べてみたところ、おりおりとお茶がとっても有名な喫茶店で、カフェテリア・モーリエ、っていうしょうでし。うきゅ!
お墓は西洋コーナーと中国コーナーに別れていまちた。どっちも日当たりがいい斜面で、海を見下ろしてまちた。故郷を出て航海の途中で亡くなってちまって、異国で眠っているシトたちを、待っていた方もいらっしゃるんでちょうネ。うさ、ちっとしんみりしちゃいまちた。うさは元気で、こりからも、にぃにぃに懐き京ちゃんと遊び、ハンサムしゃんを管理ちてフーミンを指導し、清二しゃんを蹴りつけて、なきうさしゃまと愛をはぐくんで、生きていこうと、決意をいたしまちた。
てくてく、中国コーナーは塀に囲まれて、柵から覗いただけだったけど面白かったデシ。んちょんちょ、坂を登って、Tしゃまただいまー!とっても楽しかったよ!函館の港町の歴史が感じられまちたぁ〜!
「よかったです。じゃあ、称名寺へ、ね」
はいっ!今度は何とか間違えずお寺へ辿り着きまし。境内にお車を止めて、てくてく。あっ、説明版がある!見るでしぃ〜。慰霊碑は何処かな?どこ……、あ……。
「これ?」
しょ、しょうみたい、デシ。モノは火災や戦災で焼けて、現物は昭和48年に再建さりたモノでし。んで、碑には同じく、慰霊さりていたけど何処に行ったか分からなくなった四人の隊士の名前も刻んでありまし。箱館戦争後、鴻池手代により建てられた墓碑がもとだと伝えられていまし。故郷の日野の過去張にも、このお寺のことは載っているんだって。戒名の、『歳進院殿誠山義豊大居士』、な、長くて漢字ばっかりで、うさぎのうさには覚えるのが大変なこりも、最初につけられたのはここ称名寺によって、だという説もありまし。ここでついたお名前が日野に伝えられたんだって。しょのお名前の左右には、野村利三郎・栗原仙之助・粕屋十郎・小林幸次郎しゃまらの名前も刻まれていて、ナンと申しましか、ふぅ〜。
どこに行ってもシンパや心酔者をゲット、愛される二枚目・ひーちゃん。
鴻池の手代しゃんもねぇ、新撰組には京都時代から借金を重ねられて、迷惑しかかけられなかったでちょうに、私費を投じて慰霊碑を建てて、戒名までつけてくれたなんて、なんて、なんて、なぁんてーぇ♪
こほん、ここで一句。
『 極北の 最果ての地に 来てもなお にぶらざりしは 美男子のつやぁ〜 』
実際に史実ひーちゃんに会ったシトたちが揃って、「二枚目であった」ことを証言ちているのでしから、もちろん、しょうであったことに疑いはありましぇん。ちかち、二枚目の殿方であればみんなが愛される訳ではありましぇーん。きっと華があったんでちょうネ。うきゅーん。
慰霊碑の横には棚(?)があって、寄せ書きが置いてありまちた。ぱらぱら捲りまちたが、殿方の記名が多かったのが印象的でちた。『歳三みたいな男になりたい』し、しょうでしか、ふきゅ。しょーいばトシちゃんが最後に「オトシタ」男は、もと唐津藩士で最幕末期には仙台で新撰組に入隊、函館ではひーちゃんの補佐役をツトメタとさりる大野右仲しゃまでちょう。秀才で、『函館戦記』の筆者とちても知られていまし。
運命の5/11、弁天台場で孤立した旧真撰組隊士たちを救出するためにひーちゃんが五稜郭を出発したとき、一の橋ちかくを守備ちていた大野しゃまは、「俺も連れて行ってー!」と(役目を放り出して)ひーちゃんに合流、果敢に戦いまちたが味方の退却が続き、「おかしい、お奉行(ひーちゃん)が食い止めてくれるはずなのに」と思ったら、ひーちゃんは既に、戦死。
ああ、もうなにもかも終わった、と、ひーちゃんの死を惜しみナミダを絞る大野しゃま。かわいちょう。んでも、もっとかわいちょうなのは、相変わらず存在を無碍にされ続ける総大将・榎本武揚氏、でし。うさ、こんなに『相手にされてない』総大将を他には知りましぇん。んでも、うさは榎本しゃまのこと嫌いじゃないよ!二君に仕えたと罵られつつ困窮する幕臣たちの世話を一生懸命ちているし、後年になって訪ねてきたひーちゃんの甥っ子たちを歓待ちて、ひーちゃんの美貌を称える(?)詩まで書いてくりたし。
きっと性格も良くて度胸もあったんだと思うよ!きっと、きっと!少なくとも死を賭して旧幕臣を率いて戦い続けたその姿勢は、男らしくて凛々しい、筈、でし!何故かなんでかどーちてか、しょう見えないのは幕末七不思議の一つだけど!榎本しゃのまの人格上の欠点は、頭が良すぎたということだけでちょう。あとね、『不運の神様』に愛されすぎて、いまちたネ。
うさたちはそりから、旧イギリス函館領事館へ。ううーん、ここの「ヴィクトリアンローズ」のアフタヌーンティー、評判がいいのぉ〜。うさ食べたかったけどぉ、時刻は五時をまわって、行くにいけないうさうさぎ、なのぉ〜。
今度、こりも今度、ねっ!
入場料を払って、うさといこまんと凪しゃんは展示室へ。入り口ちかくにイカの細工物が飾ってあったの。うさ、受付のおねいしゃんに、こりが有名なイカヨーカンでしか、って思わず聞いてちまいまちた。ヨーカンじゃなく飴細工でちた。Tしゃまは待っててくりまちた。ちなみにこの日のTしゃまは長袖デシ。もこもこの凪しゃん、しゅっきりスタイルだけどヒトシレズババシャツを着込んでいたいこまんに比べて、やっぱり、北の方は、耐寒性が高い、でしぃ〜。
展示室は面白かったの。CGて、ペリー来航時の騒動を再現ちていまちた。しゅんごく警戒さりていたペリーしゃんたちでしが、水兵さんたちは木魚を買い入れて叩いて悦んでまちた。五稜郭タワーでも、木魚を叩いて喜ぶ水平さんの人形があったし、有名えぴそぉどみたい。
ペリーしゃん一行は1700〜1800両の買い物をちたしようでし。現代の価格に無理矢理直せば、8000万、とゆったところでしか。一つの町でそりだけの買い物をすりば景気もよくなるでちょう。
「当時は世界中で決済用の通貨は金・銀貨だったから、国際貿易はある意味でしやすかったよ。日本でも流通の基本は銅銭と銀貨だったけど、決済には一両小判と一分金を使ってたから、外国の金貨銀貨も重量・品質にみあった現地通貨に簡単に換金できたから。確か一ドルが、約5000文……」
ウンチクババア・凪しゃんが呟いていることを聞き流して、うさうさは歩きまし。はぁ〜、面白かったなぁ。
「もうすぐ六時になりますよ。私たち、夜ゴハンを考えるべきでは?」
いこまんが仰いまし。う、うん!しょうでしね、おなかすいてきたね!でもちっと待って、うさ、向かいに見えてるぺリーしゃんの像を見てきまあし!シタタタタッ!
ペリーしゃんのお洋服はボタンが一つ、ありましぇん。裾の金ボタンは途中の港で、水や薪と交換ちたしょうでし。あ、やっぱり裾ボタンがない。よかった。実は英吉利領事館の人形は襟ボタンがなくて、うさ、どっちだったか、混乱ちかけていたの〜。
「じゃ、ごはん食べに行きましょうか。どこにします?」
「じゃあせっかくですから、ベイサイドへ。あ、ついでに、まるかつ水産で、お買い物してもいいですか?」
「いいですよぉ〜」
やさちぃTしゃまが頷いてくりて、うさたちは再び、お車にのんのちて、ぶろろーん!あぁたのちぃなぁ。いい旅行だなぁ〜。
夕暮れの町を、Tしゃまのお車とのんのちたうさ一行は駆け下りて行きマシ。らんらん♪ベイサイドのレンガ倉庫街は観光地。……相変らず、ナンか人影まばら、デシ。駐車場を探しまちた。ん、あったけど、営業時間が18字まで?ええっ、ど、どうちよぉ〜。うさうさ、窓口のおじしゃまに、シタシタッ!もうシメちゃうのでしか?
「窓口は閉めるけど、停めたいなら1時間分、200円払ってくれれば停めていいよ」
オジしゃんはしょう言ってくりまちた。鎖で閉鎖、とかはさりないみたい。ちゃりーん、とうさたちは200円を払いまちた。こりで停め放題なのかぁ〜。
「ってことは、これ以後に来た車はタダ?……さすが北海道……」
イージーかつ大らかな仕組みにいこまんが唸りマチタ。ほっかいどぉでは細かいことにこだわらないで、みなしゃま生きておらりるのでし。一番本土に近く、かつ、有名観光地でおそらくは世知辛い方であろう函館にちて、このゆるやかさ。うさダイスキー!
「マルカツ水産?佐藤水産じゃないんですね?」
うん、しょうなのよ、いこまん。うさのご贔屓・佐藤水産は、札幌市郊外からほど近い石狩にあるの。ココは函館、ココでのご贔屓はマルカツ水産なの。イカメシが一番安くておいちぃと、うさは思ってマシ。ちっちゃいけど3杯入りのが、3パックで1000円というお手軽さ。ちかもレンジでチンできる、常温保存可能な真空パックなの。はぐはぐ、おいちぃよ〜!
しょこには道産の、お菓子や珍味も置いてありましの。細かいモノはここで揃えちゃいましぃ〜。ロイズのチョコと、干物と、えっと、えとえと。北海道限定キャラメルしりぃずも揃ってて、ちょっとした配り物に最適ぃ〜。
しょんで、テクテク、金森倉庫のカフェあんどダイニングかねもり、へ。ここはANAのオタノシミくーぽんがついていて、スープ・サラダつきのオムライスセットがただで食べられるの、でぇし。
「あら、美味しそう」
いこまんが仰いまし。うさうさも、フンフンとシッポを振って同意。Tしゃまの分はうさたちにおごちしょうさちてね!と、言いながら、ゴゥ!
オムライスはソースが違うのを2セット、しょりとTしゃまに、鮭とイクラの石焼ごはん、あと、カマンベールチィズのブランデェ焼きを、くだしゃーい!
「サッポロクラシック、中を一つ」
凪しゃんが、おメメを無駄に煌かせながら、注文。やがて運ばれてきた全員分のドリンクで、本日のTしゃまのご厚情に感謝ちて、かんぱーい!
「はぁーッ」
シアワシしょうな凪しゃんの嘆声を皮切りに、函館での夕食が始まったの、でちた♪