うさぎのイキスギ函館日記・6

 

 

 うさうさたちはレシトランの入り口でお部屋番号を申告。どうじょ、ってボーイしゃんが席に案内ちてくりまちた。時間が早めだったからコーナー近くの窓際、落日の海を眺めながら優雅なディナー。の、筈なのに、ああそりなのに。

「凪さん、気合入ってますね」

 レシトランの入り口近くで刺身にひかれているヒラマサの、上身と腹身を半々にとってきた凪しゃんに、いこまんが仰いマチタ。

「はい。気合はいってます」

 凪しゃんが頷きまちた。このシトは「たくさん食べる」ことを恥ずかしいと思ったことはない人デシ。食いしん坊なマイセルフを自己肯定ちているから、年中ぽっちゃり、スマートなスタイルと縁がないのでしヨ。ふぅ〜。

 う、うさ?

 えっ、お皿?

 うっ、うさはいいの!ふかふか・ふっくら、まぁるいオチリがらぶりぃなうさぎだもん!

 うさ自身がのれしょうな大きなお皿に、山盛りどかん、と、天然・ヒラマサの旬のはしりのお刺身を、板しゃんに盛り付けてもらったヨ!

 おろしわさびをちょっとつけて、お醤油をちょっとつけて、ぱくっ!

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……………………んっ!

 

 …………………………………………、おっ!

 

 おい、ちーぃいいぃぃーっ!

 おいちぃ、この歯ごたえ、身の甘み、シコシコだけどムッチリ、むっちりだけどベタベタじゃない、おいちぃさ。はぐ、はぐぅー!

 天然のヒラマサ、お寿司屋しゃんで食べたなら、いったい幾ら、しゅるかちら……。

 北海道のお醤油は薄口で甘みがナイナイでし。うさは南のうさぎだから、南国の「たまり」に近いお醤油も大好き。赤身のお魚を『ヅケ』にしゅるには南国のお醤油に限ると思ってマシ。煮切り醤油にちなくても十分おいちぃのデシ。だけど、北海道のキリッとちたお醤油もスキスキでし。お刺身とか昆布巻きとかにはこっちのお醤油もよいと思いましの。ぱく、ぱく。

「……」

 む、凪しゃん、キアイ入ってるぅ〜!

 さっとまた席を立った凪しゃん。帰ってきたときにはまたお刺身と、お寿司を持って帰ってマチタ。む、ヒラマサだけじゃなく、マグロの赤身と中トロを持ってきてる!うさも取りに行こう、っと。らんらん♪

 お寿司は職人しゃんがお好みで握ってくりまちた。えっと、サーモンとホタテとイカをお願い、いたしましぃ〜。くぷぅ〜。極北ではパック入り、時々半額見切り品という酷い扱いを受けているホタテしゃん、南国のうさにとってはしゅんごく高級品なのでし。らんらん♪

 函館にほど近い、大間はマグロで有名なトコロ。ま・このマグロしゃんが大間かどーかは、よく分からないけど、黒マグロ(本マグロ)なのは確かでし。書いてあったから。んー、スーパーの安いキハダとは違いましねぇ。ま・うさは養殖のキハダも、ヅケにちてほかほかマンマに載せて食べるの、大好物だけどね!

 むちむち。新鮮なお魚は甘いデシ。はぐ、はぐ。ふぅ〜。

 うさは、南のうさうさデシ。ソフトバンクホークスが翼を鍛えている、玄界灘を見下ろして生きてマシ。東京から遊びに来てくりた某しゃまをご案内ちたとき、鯛の季節で、天然桜鯛のお刺身が二人前580円だったとき、ちっと、調子に乗ったこともありマシ。

 感心ちてくりる某しゃまに、うふふって、本当は嬉しかったんだけど、博多で美味い刺身っていったらカンパチからですよ、って、大口を叩きまちた。

 しょう。博多は天然の鯛がいっぱいとりるの。ちかも養殖場が近隣にいっぱいあるの。結論・博多っ子のうさはタイのお刺身にあきてるの。ちなみにブリ系にも飽きてまし。ハマチ(南国ではブリしゃんの幼名)は一本300円、キロもののヤス(同前)なんか時々、刺身にできる天然モノが一本98円で売られているの。鯖も安ければ98円だしぃ、アジなんか30円の時がありまし。某しゃまがお越しのときは、ちっちゃいアラカブしゃんが10円だったカナ?

 んでも、ヒラマサは別よ!おいちぃ、よぉ〜!

 ま・ツウではないけど味にはうるしゃい、食いしん坊うさでし。しょんなうさを、極北の産物はいつも裏切らない、のデシ。はぐはぐ。

「お酒を飲まないんですか?」

 いこまんが優しく聞いてくりまちた。

「飲みません。今日はデザートも食べません。全てを海鮮に捧げます」

 と、言って凪しゃんはまた席をたちまし。戻ってきたお皿には海鮮の揚げたて天ぷら、ホタテと野菜の煮物、昆布巻き、カスベの煮物、紅鮭の西京焼き、白身魚とお野菜の中華風炒め物、他にも、たくしゃーん!

 はぐ、はぐ、はぐ、はぐ。

 んっ、んっ、んっ、んっ、んーっ!

 ああ、ナンでどーちて、欲望には限りがないのに、欲望を『満たす』ことには、限りがあるのでちょうかーっ!

 おいちぃものを食べたい欲望でラオウしゃまのよーに膨れ上がりしょーなこのうさ。でも、食べれる量には、限りがあるのデシ。

 うさは「おいちぃものを」食べたいうさぎだから、食べ放題が大好き、というわけではごじゃいましぇん。好きな食べ放題はあるけどネ。博多なら博多駅至近のセントラーザの「ざ・ぶらっせりー・プチサンく」か、柳橋市場近くのアパホテルに入ってる和食屋しゃんが、スキでし。んでね、しょのお気に入りに、ここ・函館プリンスホテル渚亭も、バッチリ入りまちた!ホントに、おいちぃ、でし!

 くぷぅ〜。でもでも、もう、オナカイッパイ……。

 おなかはまた減るの。そちたら食べたくなるの。欲望は永遠に繰り返すの。ああ、きっと人間しゃんがしゅる、マグワイもこんな感じなのでちょうネ。欲求は無限大なのに一回には限界があるの。もう十分、と思っても、暫くちたら、また欲しくなるの。ふきゅ……。

 なんだか恋に似ているな。なきうさしゃま、お元気かなぁ……。

 ああ、薄暮の海に、なきうさしゃまのぷりちぃなお姿が浮かび上がりマシよ……。

「……うふふ」

 と、うさと凪しゃんが馬のよーに食べているお向かいで、品よく、でも細いお体にちてはあむあむと、召し上がっておられたいこまんが、不意に笑いまちた。ど、どしまちた?

「パイナップルがジューシーで笑っちゃう」

 しょ、しょうでしか。よかったデシ。

 凪しゃんとうさうさはろくに食べなかったけど、デザート類も、しゅごく充実ちていまちぃた。新鮮な果物が山盛り、ちぃさなケーキや、ゼリーに和菓子、なんかもありマチタ。しょうしょう、アイスクリームも何種類もあったの。んで、棒アイスのカシスが、果汁たっぷり甘酸っぱくて、しゅんごくおいちかった。おごちしょう、しゃま……。

「満足されました?」

「勝利を納めた、ような気も少しします」

 大食い選手権かという勢いでばくばく食べた凪しゃんに、いこまんが感想をお尋ね、凪しゃんが答えマシ。食べ放題は胃袋との戦いではない、満腹感との勝負だ、というのが、我が家の凪しゃんの主張デシ。しょんな主張をしゅるヒマがあったら新刊のネタを考えなしゃい、と、うさは思いマチタ。

 ヨタヨタ、胃袋に重心のかかったうさ一行は、しょのままホテルのロビーへ。19時に迎えに来てくりるTしゃまを、玄関近くのロビーで待ちまし。んっ、あのお車は、Tしゃまーっ!

 Tしゃまが玄関前でボーイしゃんとお話ししゃりているところへ、うさは飛び出しまちた。Tしゃま、Tしゃまあーん!お迎えありがとぉ!うさたち、こんなにオナカイッパイだからきっと、バスで自分たちで夜景を見に行く元気はなかったと思いまし。うきゅーん!

「お食事は美味しかったですか?それでは、参りましょうか」

 優しいTしゃまが言ってくりまちた。んでも、まだ完璧な日暮れには遠いの。時間があるから、函館山の麓、立待峠に連れて行ってもらいマチタ。ひーちゃんが海を眺めていたトコロでし。しょの途中で墓地を通りまちた。石川啄木しゃんご一家が眠っている、墓地デシ。

「石川啄木、よく知りませんでしたが、函館にお墓があるんですね」

「そうです。このロクデナシは食い詰めた挙句、開拓地を目指してそこで斃死という、遊び人の超パターンな終焉を迎えています」

 あっ、凪しゃんがまた、ファンしゃまに聞かれたらブたりしょうな辛口な評価を!

「私はこの人の度胸に憧れています。別嬪の女房と恋愛結婚しておきながら給料を全部、芸者遊びに注ぎ込むのは、なかなか出来ないことです」

 え、石川啄木しゃんといえば、ぢっと手を見て蟹とたわむれるシトでしよね?

「今の貨幣価値に直して20万の給料の男が、芸者遊びに25万も使って暮らしが楽なワケないよ」

 ぷ、ぴっ!蟹じゃなく美人と戯れていたんでしネ!

「文学的才能だけで世間を瞞着した、その生き様に憧れる……」

 妙に感心ちている凪しゃんを乗せて、お車は立待峠へ。ふきゅーん、なんかしゅでに、ココでも夜景がキレイキレイ、デシ。前に来た時は台風で、大嵐で、倒木が道を塞いだりちていまちたねぇ。アニノロイ大爆発の旅でちた。ふきゅ。

「自殺の名所はここから先の、展望台の手すりを乗り越えたところです」

 しょ、しょーでしの?名所と聞いては、うさ行かなければ。薄暮の中、足元を確かめながら、てくてく。おお、断崖絶壁デシ。うーん、300度くらいの展望〜。残念ながら季節ではなく、いさり火は見えましぇんでちたが、湯の川温泉のらちき対岸の明かりがキレイ、でし。

「昔はこの下、海水浴場だったこともあるんですよ」

 と、地元っ子のTしゃま。んきゅ、こ、こんな絶壁の下が?

「ええ。でも岩場だし、けっこう深くて危ないから、遊泳禁止になりました」

 ふきゅーん。立待峠の過去を知った、うさ。教えてくりてありがとぉ、Tしゃま!薄暮の中、波頭の白が寄せてくるのが見えまし。なんだかちっと、夜の海は寂しいネ。しんみりぃ〜。

 ここは函館市内と本土を一望できる場所だから、史実のひーちゃんも、来たかもちりましぇん。陸軍奉行並、市中取締役だったひーちゃんの、最後の数ヶ月は苦難の連続だったけど、でも最後まで心酔者を左右に並べて愛されて、鮮やかで凛々しかったでしぃ〜。

 そんな史実のひーちゃんは本土を見ながらナニを思ったかなぁ。大鳥しゃんは函館時代に、江戸の家族と文通ちていて、しょのお手紙が何通か残っているけど、ひーちゃんはしなかったみたい。お家に迷惑かけると思ったのかな、それどころじゃなかったのかなぁ。

 史実ひーちゃんはもともと、お手紙を出すたびに、『あの、ご無沙汰して、ホントすいません。ごめんなさい』の前書きが必要だった筆不精でしからねぇ。でも故郷ではご家族・ご親戚・友人知人が、みんなひーちゃんを待っていたのになぁ。もちろん、ひーちゃんは『自決』したんじゃなくて、弁天台場で孤立した昔の仲間を救いに行って(諸説あり)討ち死にちたの。当時の武門の気風として、中島父子の例もありましし、敵へ降伏しゅることはイヤイヤだったでちょうけど。ふきゅ……。

 

『待つ甲斐も なくて消えけり 梅雨の月』

 

 って、佐藤の彦五郎おにーちゃんを泣かせた、ツミな男でし。ひーちゃんの命日・旧暦の5/11は、今年だと6/14。北海道には梅雨がないけど、日野で彦おにーちゃんたちはしとしと雨の中、悲しんだんだろうなぁ。

 おやしゅみなしゃい、ひーちゃん。

 縁もゆかりもないうさが祈らなくても、ひーちゃん自身を知っていたシトたちがひーちゃんを愛するあまり、あっちこっちで慰霊碑やお墓を建ててくりているけど。もちろん故郷にもドンと大きいのがあって、菩提寺には等身大の銅像まで安置さりて、島田魁しゃんなんか七十歳過ぎて死ぬまで懐の中にひーちゃんの戒名を入れていたし、親戚が『眉目秀麗にしてすこぶる美男子たり』の伝記を書き残してくりたり、イタレリツクセリ、されているおシトでしが……。

 明治政府から逆賊にさりても、ひーちゃんを愛していたシトたちは怯まずに、新政府への思想的な反逆活動(自由民権運動)でもって、愛を貫き通してまし。しょーゆーの見ると明治維新の「うさんくささ」を、当時のシトたちは知っていたんだろうな、って思いまし。ありは革命じゃなくクーデターでし。頭のきれる将軍に寝技を返されて、ヤツアタリ気味に会津を攻め落として、函館も同様。

 この地でひーちゃんが亡くなってから、広島に原爆が落とされるまでの時間は、約80年。

 しょんなに長い、時間じゃないでしネ……。

 どうじょひーちゃん、安らかで、相変わらず周囲の男にも女にもモテまくり愛されまくりながら、近藤しゃんのお隣で仲良くちていてネ。

 しょんなことを考えながら、うさはTしゃまのお車に積み込んでもらって、ばびゅーん。時刻は夜の8時前。夜景を見るにはいい時間になってきまちた〜。

 ぐいぐい、急な坂を上っていくお車。山には一般車、夜間は入れないからうさたち、ロープウェイで山頂へ行くの〜。ロープウェイの駐車場にお車を入れて、ん?

 凪しゃんが、駐車場の石垣に興味を示しマチタ。どちたの?

「乱積み……?」

 ナニを言っているのかよく分かりましぇん。

「この石垣の石の積み方がふるくて……、あ」

 解説の看板がありマチタ。ふむふむ、みんなで、読み読み。ロープウェイ乗り場の駐車場は、もと松前藩の砦跡地、のよーデチタ。南部藩元陣屋址だって。急斜面を造成して張り出すよーに、ちていまし。市街地を一望、本土側とロシア側、左右の湾を扼する要地だったみたい。函館ドックも見えまちた。そりより手前、今では海から遠くなってちまったあたりに、旧新撰組みのみなしゃんが立てこもって孤立した。弁天台場がありまし。台場、っていうのは、砲台を築いた場所のことなんだって。東京のお台場もしょうなのかな?

 ひーちゃんは、あそこ(五稜郭)からあっち(弁天台場)に行く途中、函館駅前のあたりで戦死したんでしね。弁天台場に篭もっていた島田しゃまにしてみれば、『土方隊長は俺(たち)を助けに来ようとして戦死された』訳で、まぁ、戒名を胸に四十年、抱き続けておらりたのも無理はないのかも。

 明治になった後で、明治政府の官僚とちて出世しつつも旧幕府軍関係者に優しく親切にし続けた榎本しゃんが、『昔話をちたいから、宿に遊びに来てよ』と島田しゃまに、言ってきたことがあったのでし。戊辰戦争時も明治のその時も、榎本しゃまは島田しゃまよりずっと『偉いサン』だったのに、わざわざ呼び出そうとちたのは気遣いというか愛情というか、もちかちてひーちゃんの思い出話でもちたかったのかな、とも、うさは思いまし。

 んでも島田しゃまは宿に行かなかったの。話があるならそっちから来いよ、ってお返事さりたしょーでし。島田しゃまも、函館で政府軍に降伏ちて二君に仕えた榎本しゃまを許していなかったのかな。えのちゃんはえのちゃんなりに、死ぬまで徳川幕府と戦友たちを一途に愛し続けておらりたと、うさは思うんだけど、報われない愛だなぁ……。

 うさ、ちっとかわいしょうになってしまいましよ……。

 五稜郭タワーでも、頂上にあるひーちゃんの坐像には記念撮影の人だかりがあったのに、えのちゃんの銅像は、存在そのものを無視さりがちだったしぃ……。

「上り口の右手と左手では石垣の成立年代が違うかもしれない。左手は乱積で古い。右手は切石で、敵がよじのぼりにく……」

 城オタク・砦オタクな凪しゃんを置いて、うさたちはロープウェイ乗り場へ。うっ、しゅごい坂でしぃ〜。胸つき八丁坂、というのはこんなことをいうのでちょうか。スキーで直滑降ができしょう。というか、うさはまぁるいうさぎだから、コケたが最後、坂の下までコロコロいっちゃいしょう。気をつけなきゃ!

 駐車場から乗り場までは徒歩、一分というところでしが、なかなかスリリングでちた。

 受付で往復のチケットを買って。

 いざ、函館山頂上へゴゥ、でし!