共犯者
暑い夏だった。
大名家の世子でふある俺の部屋は、風通しのいい場所にあったが、それでも暑かった。女なんか引き寄せたくもないくらい。熱は、自分の体温だけでうんざりだ。
一人寝が続いていた。そうすると必ず見る夢があって、もしかしたら俺は暑さのせいにして、その夢を見たかっただけかもしれない。
白い、しっとり潤んだ肌。まだ子供みたていに細い肢体。
夢の中での考えに俺は苦笑する。みたいじゃなくって、実際に子供だった。抱いた俺も、抱かれた彼も。本当に抱いたのかどうか、記憶は少し霞んでる。昔だからもあるし、夢中になりすぎてたせいもある。ただ、俺の意識というか記憶の中では彼を自分のものにした瞬間、
『ア……、アーッ……』
甘い小さな叫び声が聞こえて、その声が俺の頼りない記憶の縁になっている。ずいぶん遊びで女は抱いたけど、あんな声で鳴く女は一人も居なかった。それも当然。彼じゃないんだから。
彼を俺のものにした瞬間にたぶん、俺も彼のものになったと思う。十年も前の記憶に支配されて、生きてる。国許で彼はこの夏、二十歳になったはず。どんな大人になっただろう。
たぶん凄く、物凄く綺麗なはず。ガキの頃から際立った美形だった。ガキの頃に可愛いのは大人になって大したことないっていうけど、彼だけは別。実際、国許から聞こえてくる噂では、洛中随一の美貌として名高かった母親を凌ぐ勢いだという。
……会いたい。
以前は国許から江戸へ出てくる家臣が居るたびに、兄の消息を尋ねた。綺麗になっただろうとはさすがに聞けなくて、日常の暮らしや仕事振りなんかを。最近はそれも出来ない。……と、いうのも。
「若様、お目覚め下さい」
夢なのか回想なのか分からない浅い眠りを中断する声がして、俺は自分の汗でべとつく褥から離れた。水風呂をさっと浴びてから着替え、食事の前に、親父の居間へ向かう。親父はこの春に江戸へ出てきて以来、体調を崩して寝たきりになっている。暑気が厳しくなるごとに衰弱はひどくなり、侍医たちの話では楽観できない容態、らしい。
「おはようございます。お加減はいかがですか」
敷居の外に手をついて尋ねると、
「うむ、今日はずいぶん、楽だ」
いつもの答えが返って来る。嘘だ。日を追うごとに弱っているのに、どうして俺にはそんな風に言うのか。俺に心配させないために?俺があんたの容態をいちいち、気に留めてると思ってるのかよ。
「それは、ようございます。一日も早いご本復を」
「……うむ」
親父は無理して、こっちを向いて笑う。頬が異様にくぼんでて、あぁもう長いことないかもなぁと、思った。そうしたら俺が藩主だ。面倒だけど、たった一つだけいいことがある。……国許に、帰れる。
帰ったらあの人に会える。会って、抱ける。俺は今、あの人の噂も聞けない。下手に聞いたら不穏な事態になる。父親が死ぬかもしれないときに妾腹のの義兄を世子が、気にしてるなんて幕府にでもかぎつけられたら、コトだ。
俺はお家騒動なんか起こすつもりはなかった。多分、兄も俺を超えて藩主になんて思っていないと思う。俺がなってもアニキでも、どっちも同じコトだ。だって俺たちは……。
朝食を済ませて昨日の帳簿を持ってこさせる。絹織物の専売制をしいているうちの藩では、その売上は藩の財政を左右する。江戸や京での営業活動はこのへんが限界かもしれない。やっぱり一番大切なのは宣伝よりも実力をつけること。品質を、良くすること。
そこへ母親が会いたがっていると聞き、
「来てもらってくれ」
帳簿をめくりながら言った。俺は母親とはちょっとだけ仲がいい。仲が言いというか、まぁ、ちょっとした……、仲間。
「おはようございます。お仕事中に、ごめんなさいね」
「いや。休憩しようと思ってたから。おーい、母上に、お茶。なんか菓子も」
「お菓子ならお持ちしましたわ。道喜のちまきを」
「あー、あれ美味いですよね」
二人で茶を飲み菓子を食う。
「お殿様のお加減は、いかが?」
この人は、既に長く、夫とは会っていない。同じ江戸藩邸に住みながらもう十年近く。そして今、俺を通して様子を知ろうとしている。
「……そろそろ」
「そう」
「もう一杯、どうです」
「ご馳走様。もういいわ。お邪魔しました」
「母上」
親父よりはるかに仲間意識のある女に俺は、
「お約束、お忘れなく」
念を押した。
そう、これは、約束。
俺が成人し、藩主として十分通用する年齢になったから親父を……、始末、しようとしている、これは恐い女。
そうして彼女は自由になる。夫として仕える義務から逃れて。俺の側の条件は、妾の一家に手を出さないこと。代わりに俺は彼女を『母親』として敬い庇護を与える。
「分かっています。……もう、少しも恨む気持ちは、ないのよ。あの女の事を憎んでいたのは、殿様を愛していた頃だけ」
今となっては興味もうせた。そんな表情で、女は部屋を出て行った。
親父は、半月もしないうちに、死んだ。
家督相続のごたごたで、俺の身辺は混乱した。その手続きに紛れて彼の様子を、探らせる。冷遇されている噂に胸が、痛くなる。
もうちょっとだから。
我慢していて。もう少しで、あんたを助けてあげるから。
夢の中で会う彼の、細い肩を抱き締めて告げる。もう少しで会えるから、と。
俺自身に向けた言葉でもあった。
そして。
十年ぶりの再会。二十歳の彼は美しかった。思い描いていたよりも、遥かに。十九の頃、十八の頃の彼を見たかった。惜しいと思った。……でも。
これから先はいつでも会える。ずっと隣に、おいとける。
「……ひさしぶり」
小さな声で囁いた。愛情込めて、優しく。彼は麗しい瞳を瞬かせる。なんのことだか分からない、という風に。
「お初にお目にかかります、わたくしは……」
尋常に挨拶していく彼に、俺は腹の底がゆっくり、冷えていくのを自覚する。
知らないフリをする気なの。
俺とのあのこと、なかったことに?
ンなことは、させねぇよ。アニキ。
家臣団から差し出された女を義理で抱いた、翌日。
「呼んで来い」
江戸から連れてきた連中に、告げる。
「昨日の美形、呼んで来い」
あんたがそのつもりなら、俺にも考えが、あるぜ。
俺は藩主だ。あんたは臣下。俺の要求にあんたは逆らえない。
……腕の中に、おいで。
戻っておいで。俺の綺麗なヒト。
俺をだまして江戸へやった、残酷で嘘つきな、あんたを。
「お呼びにより、参上いたしました」
愛してきたんだ、ずっとあんただけ。
「止めて下さい、お、戯れを」
ダメだよ。あんたは、……俺のもの。
俺らは共犯者だ。甘い罪をもろともに犯した。知らないフリはさせない。なかったことには、絶対に。
「イヤだ、ヤ……、イヤーッ」
夢で何度もみた場所を、今度は確かに……、犯す。
ひくっと竦んだ身体を抱き締めて。
「痛い、……、も、ヤメ……」
泣くヒトを、抱き締める。こうしたくって、父親を殺した。
後悔はしなかった。腕の中の体がいとおしい。俺の大事な……、共犯者。