初恋・1

 

 

 清潔なリノリウムの床。真っ白な紙の張られた壁に囲まれて、眠る男は目を閉じている。

キツ過ぎる目つきと恒常的に不機嫌な表情が見えないと、実はハンサムな顔立ちがよく分かる。父親は誰とも知れないが、母親は若い頃にはかなり人気の美女だったことを、銀髪の部下はなんとなく知っている。付き合いは長い。殆ど半生をともにしてきた。

 静かで浅くて短かった男の呼吸音が不意に乱れる。深く吸い込んだ、と思ったら、バチンと目を開いた。静まりかえった部屋の中で、重なり合っていた睫が剥がれる。

 びょうしつのドアに頭を押し付け、外の音と気配を警戒していた部下は立ち上がり歩み寄り、視界の中へ銀色の部下は自分から移動した。

「オマエなぁ……」

 怒鳴りつけてやるつもりだった。けれど部屋が静か過ぎることと、自分を見上げる男の赤い瞳が澄みすぎていて、そんな気分でなくなってしまう。

「ヤる前にちったぁ考えろよ。ガキじゃねぇんだから。クスリと酒と一緒なのはヤベェことぐらい、中学生のガキだって知ってるぜぇ」

 オマエが知らない筈はないだろうがとうんざりした、でも静かな声で銀色は呆れ顔。男は珍しい反応をした。

 笑った。

「……なに考えてンだぁ?」

 笑顔につられて銀色が正直な言葉を口にする。

「訳わかんねーぞ。ナンのアピールだチクショウ。ヤらせろってかよ。バカか?」

 もしかしてそんなことの為にこんな真似をしたのかと、尋ねる銀色の軽蔑は嘘。馬鹿にした表情の下には動揺が透けて見える。戸惑って恐がっている。可哀想なくらい。

「なんで、こんなこと、したんだぁ?」

 男は一時、シャレにならない容態だった。

「……」

 やや厚い、実にセクシーな唇がかすかに開く。銀色の問いに答えようとしている。だが乾ききったそれはうまく音を出せなかった。銀色は自棄になったらしい。男の枕元から水差しの水を呷ると、頬を膨らませたまま顔を寄せる。男がまた、笑った。

 くちづけを受けながら水を飲まされる。親鳥が雛にするのと似た仕草を男はひどく嬉しそうに受けた。その素直さに銀色は本当に戸惑う。困り果てる。頭の中が混乱して物事がうまく理解できない。ただでさえ考えることは苦手なのに。

「ザン、ザス」

 助けてくれよと縋りたい相手にその混乱を与えられている。それでもこの銀色が、頼りにするのはこの男しか居ない。長い中の情人も、最近可愛がっているガキも、お気に入りだが頼りにするような相手ではない。

「どーすりゃ、いいんだぁ、俺はよォ」

 尋ねる。男が表情から笑みを消す。可哀想にというか、バカも極まったなというか、同情混じりの哀憐を受けたのが銀色には分かった。

「……」

 来い、と男の唇が動く。だるそうに身動きされて、銀色の部下は思わず介添えしようとしてしまう。愚かなことだった。起きるのを手伝おうとした手をつかまれ、無造作にベッドの中へ引きずり込まれてしまった。

「ちょ、ザン……、まじぃって……ッ!」

 半日以上、男が眠っていたベッドは暖かかった。真っ白なシーツの上、同じ素材のカバーに包まれた毛布の下で男の、固い腕の中に捉えられる。

「カメラ……」

 腕の中は初体験ではない。固い胸板の懐へ閉じ込められる感触も初体験ではない。何度かセックスを、したというより、させられた。驚愕のあまり抵抗のタイミングを逸してされるがままだった銀色だが、最近やっと、ちゃんと言うことが出来た。やっぱりオマエとこーゆーのはイヤだ、と。

「ここボンゴレの本邸なんだぁ!ヴァリアーの医務室じゃ処置しきれなくって運び込……、ん……、ン」

 覆いかぶさられて身動きが取れなくなる。押さえつけられる。顎を掴まれる。顔を寄せれて反射的に唇を開いてしまったのは、ほんの数回でつけられてしまったクセ。この男には従順になってしまう銀色は、本当にろくな抵抗が出来ない。

「ん、ッ」

 金色の唇の中を侵す男の舌が強引に奥を目指す。キスというよりセックスに近い振る舞いに銀色は肩を揺らす。いや、イヤだと必死に訴える。男が眉を寄せた。

「……」

 中断される口づけ。喘ぐ自分をじっと見つめる男に、銀色はどうしていいのか分からなくて戸惑う。切ないような顔をしないで欲しい。そんな表情は見慣れていないから困る。気に入らないなら殴ればいいのに、そんなこともしないで。

「……」

 そっと指を伸ばして頬なんか撫でないで欲しい。困る。

「跳ね馬と、刀のガキと、他の遊び相手とも、手を切れ」

 そこまでは、この男の命令ならば理由次第では、イエスと答えないこともない。

「寝室を俺の部屋に移せ」

 それはどうしても聞けない。嫌だと、必死にかぷりを横に振った。男がますます切ない表情をする。頬に当てられた指先が冷えていく。

 なんでだぁと、泣きたい気持ちの銀色の耳元に。

「なにが、イヤだ」

 男が囁く。響きの深いこの声が銀色はダイスキ。ゾクゾク背中が震える。けれどその戦慄は性欲ではない。

「だ、って……、よぉ……」

「……俺が嫌か?」

 あぁ、だから、もぅ、頼むから。

 聞きなれない、そんな悲しそうな声を出さないでくれ、と。

 泣きたい気持ちで銀色は思った。混乱する。困惑する。どうしたらいいか分からなくなる。この強壮な男が弱っているところを見せるのは珍しい。庇ってやりたくなってしまう。出来ることならなんでもしてやりたいと本気で思う。でも。

「オマエは、家族、みたいな、もんで」

 愛しているかいないかで分類すれば、はっきりと愛している。

「イマサラよぉ、セックスとかって……、ナンか……」

「気持ちが悪いのか」

「ン、なんじゃ、ねーけど」

「俺が嫌なんだな?」

「違うって言ってンだろーがぁっ」

 男の腕の中でオンナが吠える。それは違う。本当に違う。証拠に抱きしめられる腕の中からは抜け出せない。そばに居るのがひどく気持ちがよくて、骨までとろんと、とろけてしまいそう。

「イチバン、好き、だせ。オマエを、この世で」

 銀色の告白に嘘はない。本当に大好きで愛している。

「けどよぉ、ナンか……。セックスって別で、よぉ。ナンか……。……、なぁ……」

 分かってくれと甘えたことを言う銀色の、形のいい頭を男は撫でてやった。言葉を知らないこれが何を言いたいのか、男には分からないでもなかった。ガキの頃から近くに居すぎて、家族のように長年馴染んできて、どうして今さら自分がセックスの対象にされるのか、理解できなくて、対応できなくて、戸惑いのあまりパニックを起こしかけている。

 何度か繋がった細い肢体は行為の最中、緊張しきって真っ白で、可哀想だった。齢のいかない少女に乱暴しているような気がした。された銀色はもっとだろう。突然、いきなり、セックスの対象にされて抱かれて、犯されて、呆然としていたザマは悲惨だった。まるでそう、それこそ家族から思いがけない性的な虐待を受けた小娘のようで。

 しばらくは口数も減ってね、ろくに食事もしなかった。痩せた横顔を男に見せながら、もうセックスは嫌だとはっきり言われて、男は手を引いた。

 引かれて銀色はほっとしたが、男は代わりに酒量が目に見えて増えた。銀色はそれを止めたかったけれど、どう声を掛ければいいか分からず戸惑っているうちに、この騒動に、なった。

「なんで?」

 腕の屋なの銀色を、男はそれ以上、苛めようとはしない。その紳士的な扱いがいっそう銀色を混乱させる。この男らしく、ない。欲しいものは相手が泣き喚いても強引に自分のものにして、飽きたら愛で泣きじゃくっていても裏路地に放り出す。そういう気質だった筈だ。なのに。

「なぁ、ザンザス。オマエ、なんで、いきなり、こんな……」

 どうして突然、メス扱いをこの相手に、されてしまうのか分からない。男同士のセックスに慣れてはいたが、この男はドがつくノーマルだった筈だ。一度も抱こうとされたことはなかった。

昔むかしのほんとうにガキの頃、何度か殆ど喧嘩の延長で、舐めさせられたことはないでもないけれど。

「なんで?」

 銀色の問いに男は答えない。やがてまた、目を閉じて眠る。銀色の部下を大切そうに抱いたまま。

「……わかん、ねぇよ……」

 暖かな腕の中に、安らぎそうになりながらなれない、銀色の嘆きが転がる。