初恋・13

 

 

 

 付き合いは長い。十数年間。年月以上に、物心ついて以来の時間の殆どを共有してきた。8年間の空白がない男にとっては寄り添ってきた意識がより強い。いつもそばに居た。

 けれど二人きりで食事をすることは殆どなかった。二人きりという時間は少なくないが、主従の習慣は超えたことがなかった。銀色の美形は立ったままコーヒーを飲むことはあっても、ボスの向かいに腰を下したことはなかった。

「……」

 会話は殆ど、ない。男はもともと口数が少なく、普段のランチの時間も喋るのは銀色の美形ばかり。その銀色が緊張して黙り込んでいる。話の弾みようがなかった。パンとスープの簡単なランチだが味はいい。朝を甘いパンだけで済ませていた銀色は食欲がないでもなくて、スモークされたハムの風味が美味いフォッカチオを食べ終えスープに手を伸ばす。カチャ、っと、スプーンがスープ皿の底に当たる。

「……わりぃ」

 その無作法に思わず声を出してしまう。普段の食卓でもその程度の音はたてているのだが、広い食堂で複数の人間が喋りながらなので気になったことはない。けれど静かな居間で間近に向き合って二人の室内では妙に大きく聞こえた。

「別に」

 音をたてられたことを詫びられた男の返事は短い。けれど確かに愛情が篭っていた。スープ皿を支える左手は義手だ。加減がきかなくても仕方ないだろうと、鷹揚にそれを許している。

 顔に火傷の跡のある男のマナーは完璧に近い。乱雑な手つきに見えるがコソリとも音をたてない。幼児の頃にボンゴレに引き取られ、世間の『良家』が足元にも寄れないような御曹司育ち。出会った時にはピカピカの革靴を履いて大理石の床を踏みしめてのし歩いていた。本当の生まれが裏路地の私生児だったことを銀色は長く知らなかった。

「なんだ?」

 ガラは悪いが顔立ちそのものは整っていて、涼しい目元やすっと通った鼻筋には気品がある。娼婦だったという母親がどんな男の種子を含んで芽吹いた結果で生まれた命だろう。雑種にはとても見えない。そんなことを考えながらつい、顔をまじまじと眺めていたら男が気づいて目を上げた。

「あー、ナンでもねぇ」

「言いたいことがあるならいえ」

 横暴で一方的な男らしくない台詞に。

「ねぇよ」

 銀色はつい、荒々しく返事をしてしまう。しまったと思ったが遅かった。けれど男はそれを気にした風もなく。

「オレの言うことを聞く気はあるか?」

 告げる言葉は本当におかしい。らしく、ない。他人の言うことを聞く性質でない以上に、他人の意思を尋ねる男ではなかった。

「……」

 怖がるような表情でお人形のような瞳を強張らせる銀色に男は苦笑した。何を今さらそう恐れて緊張しているのか、まったく訳が分からない。男の方は向き合っていることにすっかり馴染んでいるのに。横に立たせていたことが長い間の間違いだったのだと自然に思えているのに。

「まぁ、いい」

 聞きたくなさそうな様子に男はそんなことを言う。そのうちでいいかと思った。面倒なことはカタを色々とつけなければならないが、それはコレがその気になってからでいいか、と。

 食事が終わって空になってしまったカップに気づいた銀色が立ち上がる。つい習慣で体が動いてしまう。ポットからカフェを注ぐ。組んだ膝の前に置かれて、オトコはその指をじっと眺めた。そして。

「座れ」

 誘いではなくて命令の口調で告げる。銀色は顔色を青くしたが、向かいのソファに腰を下そうとした。こみいった話をされるとでも思ったのだろう。緊張で唇から血の気が引いている。

「違う」

 男が組んでいた足を戻す。その仕草だけで銀色は何を要求されているか察した。下しかけた腰を止め全身で硬直する。ふん、と、オトコは少し、その様子を斜めに見た。

鈍くて馬鹿なコレにしては察しがよすぎる。させられた経験があるのだろう。膝に乗れと、男は二度は言わなかった。トレーの片付けられたテーブルごとに腕を伸ばす。

「ザン……ッ」

 悲鳴が上がる。煽られる。膝に据わらせて間近で眺めるつもりがそれでは我慢出来なくなる。テーブルごしに力ずくで引き寄せる。一瞬の抵抗を見せたけれども踏ん張りきれずにずるりと腕の中に納まる質量は昨夜、繋がって揺れて溶け合ったカラダ。耳朶を嬌声の記憶が擽る。苦痛には強いくせに快楽には弱くて、怯えて震えながらそれでも、男の腕の中でフルフル、何度も震えて痙攣しながら零した。

「ちょ、ヤメ……、ッ!」

 思い出したらたまらなくなって、男は銀色をソファの座面に仰向けに押し倒す。そうして体ごと覆いかぶさって唇を重ねた。触れた瞬間、抵抗は止んだ。びくりと竦みあがったまま、首を肩に埋めるようにして、でも大人しく動きを止める。

「……、ちゅ」

 わざと音をたてながら咬み合う。男は何度も唇を大きく開いて銀色の舌を誘ったが怖がる銀色は奥に引っ込んだまま。まったく仕方ねぇなと思いながら、それでも粘膜の温かさと濡れた感触を愉しむ。可愛い。そうして別の、粘膜を思い出した。締りのいい、ひだの感触がキモチが良かった狭間の、奥の。

「イ……、ッ」

 どん、と。

 銀色の右手が男の胸を叩く。かなり本気の、抵抗というより抗議。銀色のスラックスの釦を素早く外しジッパーを下してその中身を、指で転がそうとしていた男が動きを止める。唇を離してやったと単に崩れ落ちて、抱きとめた男の胸に顔を埋めるようにした銀色は本気で嫌がっている。

「なにもしねぇ」

 さらさらの髪に埋もれた形のいい耳に男が囁く。苛められた子犬のように怯えている様子が少し不憫だった。

「見るだけだ」

 一旦そこから手を離し、髪を撫でてやりながら、だからそんなに怖がるなと告げる。真昼の情事も魅力的ではあったが、ガチガチに強張ったオンナが憐れでもあった。

「られ……、たく、ねぇ……」

「どうして」

「フツー、イヤだろ、イヤに決まってンだろッ」

「ヤったんだ。見ても構わねぇだろう」

「それとこれとはチガ……、ヤメロぉ……っ」

「昨夜、てめぇが痛がったのが気になる」

 ボロボロ泣きながら細い声で、擦れて腫れてイタイからもう止めてくれと訴えられた。けれども男も興奮しきっていて本能は止まらなかった。乱暴にはしなかったつもりだが、欲望を叩き付けた。その後が気になる。

「ナンともねぇって!平気だから、よせぇ!」

「信じられるか。てめぇは見栄っ張りの強がりだ」

「分かってンなら意地ぐれぇ張らせろぉ!離せぇ!」

「俺にはもう張るな」

 決め付ける口調で男が言う。え、と、銀色がまた傷ついた表情。男はその隙に銀色のスラックスと下着をひき下す。衝撃が余程強かったのか銀色はもう、ろくな抵抗をしなかった。

「怪我はしてねぇな?」

 銀色の細い足首を掴んで、易々と膝を披かせた男が狭間に触れて尋ねる。銀色は答えない。目を閉じて無抵抗に、カラダを男に差し出してコトリと横を向く。今にも泣き出しそう。

「ナカは?」

 男が尋ねながら、けれども答えは期待していない。自分の指を咥えて唾液で濡らして、狭間の深みに押し付ける。

「ぁ……」

 オンナが細く声を漏らす。悲鳴に似た声だった。

「強張るな。息を吸え」

 片手で細い肩を抱きながら男が宥めようとする。乱れた呼吸にしたがって上下する腹が白い。見惚れながら指を差し入れる。ギリっと、まるで内臓を噛み千切られでもしたかのような痛そうな顔で、銀色のオンナは奥歯を噛み締めた。

「じっとしてろ」

 聞き分けのない子供に言いきかせるように男が告げる。そうしてナカを指先で探った。銀色は泣き出したけれど、痛みに耐え難い様子は見せなかった。怪我はしていない。

「いい子だ」

 『診察』の間、じっと大人しくしていた銀色に男は優しい言葉を掛けながら指を引き抜く。開放してやっても膝を閉じて俯いて悲しんでいるオンナの背中に腕を廻し、顔を寄せてもう一度、くちづけをくれてやった。腕の中でオンナは大人しくしていた。らしくないほど静かに。

 オンナが落ち着くまで男は抱いて撫でてやる。大きく上下していた胸が静かになって、そっと自分から離れようとするのは許さず、耳朶を軽く、噛むというよりも歯で挟んだ。

「今夜は泊まれ」

 なるべく命令に聞こえないように優しい声で言った。

「……、ムリ……」

 男同士で連夜の性行は無理だと、銀色はオンナは男の要求を拒もうとする。

「何もしねぇ」

 だから泊まりに来いと男が言ったのは、セックスは本番は抜きでもいいから、抱いて眠りたかったから。

「なら、意味、ねぇじゃ、ねぇか」

 セックスしないのならば自分に用はないだろう、と、言わんばかりのオンナに男は溜め息をつきたい気分になる。

「いいから、来い。いいな?」

 最後が命令になってしまったのは長年の習慣。

「……」

 銀色がイヤだと言い切れなかったのも、そう。