初恋・17

 

 

 

 心の中を読まれたのかと思った。

「絞め殺したくなるよ」

 ぼんやり窓の外を眺めている時、耳に飛び込んできた声。

「ウチの山本は昔からもてていたけど、それにしたってアレはないよね。そう思わない?」

 部屋の主人がオトコの横に来る。アペリティーヴォとして出されたジントニックを手にしたオトコと並んで一緒に、マジック仕様の防弾ガラスごしにボンゴレ本邸の中庭を眺め下す。

 そこには数人が集まっていた。バーベキュー用の炉を中心にして。剪定された後に乾燥された葡萄の枝がくべられ、白い煙がゆっくり立ち上る。火バサミを手に炭と小枝の火加減を見ているのは獄寺隼人。そうしてスーツの上着を脱ぎシャツの袖を捲り上げ、エプロンを着込んで金串に刺したトウモロコシや野菜、肉、魚、などなどを、上手に焼いているのは山本武。

「ヒバリさんって、ここに顔を出してくれたの、四ヶ月ぶりなんだよ」

 バンゴレ十代目の雲の守護者はマイペースで気まぐれ。気が向かなければボンゴレの本邸へやって来ない。ずいぶん久しぶりに会えた愛人に、沢田綱吉はむしゃぶりつく勢いでそばに居たがっている。けれどもその、願いは叶えられない。

 バーベキューは当初、山本と獄寺が二人でやっていた。銀色の鮫が来る時、山本武は建物から退出させられる。ふーんだ、くじけねぇよ、とでもいうように屋外に、『食卓』を用意して銀色を招こうとして、いた。

雲雀恭弥はボンゴレのボスの居間に居た。賓客にカフェを出し一緒にランチをとる予定だった。けれど中庭に炉が持ち出された時点で役目を放棄し、沢田綱吉の制止もきかず、庭へと降りていった。

 賓客のお供として来ていた銀色の鮫も控え室から出てきて、四人で立食のバーベキューランチ。室内には声も匂いも届かないけど、眺めていれば美味しそうなのは分かる。

醤油に漬けられたマグロのカマが直火でパシバシに焼かれ、上等な脂と醤油が焦げてさぞいい香りだろう。串にさされたそれを獄寺が手に取り、レモンをじゅっと絞って銀色に差し出す。礼を言って銀色が受け取って齧り付く。

 美味い、と言っていそうなのは、見ているだけでも分かった。

「ヒバリさん、オレより山本の方を好きなのかもしれない」

 沢田綱吉がそう嘆く。歴代随一とも称される戦闘力を持つボンゴレ十代目が切なく見つめている黒髪の美貌の持ち主は、手羽を串刺しにして塩コショウした分に噛み付いている。焼き串を持っていない方の手に握られているのは日本のビール。山本武が定期的に故郷から取り寄せているもの。

ボンゴレ本邸で守護者が真昼間からの飲酒と言うのは本来、マフィアの礼儀からすると許される真似ではない。しかしファミリーの中でボスの妻には何もかもが許されてもいる。天真爛漫というか野放図というべきか、ともかく、自身の意思のままに生きている雲雀恭弥は、焦げた手羽の皮を噛み千切り弾力のある白い肉を食いちぎり、骨を庭に投げ捨ててはビールを呷って、たいそう幸せそう。上機嫌だ。

 会話は聞こえてこない。が、和気藹々としている様子は分かる。山本の隣ですっかりホステス役になった獄寺が、いったんは厨房に消え、戻って来たときはバスケットを手にしていた。ゲストの二人に本来、出される筈だった食事が急遽、食べやすくパンに挟まれているらしい。

 山本が今度はホイルを持ち出し、中に具を包んではせっせと焼いていく。タマネギの薄切りを敷いた上に、タラや鮭とキノコを置いてバターを落とし塩コショウを振って蒸し焼きにする得意料理。シンプルだが美味い。材料がいいから。

「養殖じゃないキノコと山菜をさ、一昨日から捜して森の中を、山本、泥だらけになって歩き回ってた」

 沢田綱吉が告げる言葉にザンザスは無反応。けれど心の中では、あのガキもそれなりにちゃんとマジなんだろうかと、ぼんやり考えた。ボンゴレ本邸は鬱蒼とした山の中にある。その周辺では様々なキノコが採れることを、そこで育ったザンザスは知っていた。

シチリア海峡を越えた中近東を含むアジアの男たちには正妻と愛人の区別をさほどつけない。本命の本妻と一緒に、浮気相手の銀色を接待するというのはどういう心理だろうと、腹立たしく思いながら眺めていたのだが。

「獄寺君が薬剤師に頼んで毒キノコが混ざってないか確認したりしてさ。もーホントにさ、オレよく分かんないよ」

 雨と嵐の『カップル』はかなり仲睦まじい。少年の頃には獄寺が反発していたこともあるのだが、大人になって気持ちに恋愛感情が混じっていることを、はっきり言えば相手を『欲しい』と思ってしまう自分を自覚してしまった後は、二人とも変わった。

「オレは山本を好きだよ。明るくて優しくていいヤツだ。でも女の人には時々、すごくヒドイことをすると思う」

 二人の守護者は開き直ってしまった。立場上セックスはしないと公言しているが、セックス以外の全てのことをしている。休日は同じ部屋で過ごし、どちらかが仕事で離れた時には山本がマメに電話を掛け続ける。ふかふかと同じ香りの湯気を纏って幹部の食卓に現れるのも珍しいことではない。

そのラブっぷりに、沢田綱吉は時々アテられる。いっそヤっちゃえばいーじゃない、と、言いたくなる時もある。二人がしていないのは主に獄寺の意思。沢田綱吉が禁止している訳ではない。マフィアの美学に無関心なボンゴレ十代目は、そんなのは本人たちのプライバシーだからどうでもいい、と正直なところ思っている。が、マフィア幹部の息子に生まれてその美しさを愛している獄寺には、許可の有無という問題ではない、らしい。

「ヒドイってオレは思うんだけど、オンナの人たちはみんな、簡単に山本を許すんだ。どうしてなのか、オレには分かんないんだけど」

 アッシュグレイの極上を隣に置いて、別の『美女』たちを接待する様子は楽しそう。獄寺が火バサミを置いて自身も串を手にする。ばくばくと食べ続ける三人を眺めながら、山本は、今度はホイルに皮を剥いたサツマイモを包む。同じようにバターを落とし、ほんの少しの三温糖を振って。甘くて暖かなデザートになるのだろう。秋晴れの空の下、火の近くに集う、楽しそうな集団。

「羨ましくて、時々、絞め殺したく……、なる」

 仲間に対する嫉妬を告白する沢田綱吉の、台詞にザンザスは返事をしなかった。馴れ合うつもりはない。ただぼんやりともの想う。気持ちの色合いは嫉妬よりも悲しみ。ホイル焼きを紙皿に載せてフォークで中身をおいしそうに食べる銀色は楽しそうに笑っている。

「……」

 あんなに笑っているのは久しぶりに見る。付き合いは何十年だが、自分と居てもあまり笑うことがない。なのにずっと居続けているのは何故だろう。分からない。分かっているのは笑わせてやれないことを寂しいと思う自分の惰弱さだけ。

「まぁいいけどね……。ひばりさんが楽しそうだから」

 自分自身に言いきかせるように、若い十代目が言った。

「ごはん食べようよ、ザンザス。おなかすいたでしょう?」

 復活祭のパーティーに、ウァリアーのボスは出席を断った。じゃあ次の日にお昼を食べにおいでと連絡が入った。その条件で欠席を許されたという訳だから、それまで断ることは出来なかった。

「バーベキューほど美味しくないと思うけど」

 おいでよ、と重ねて言われて、ザンザスはグラスを居間のテーブルに置いて応接室へ、移った。用意されていたのはバニーニ。簡単にスープとサラダ、チェリーのドルチェも添えられては居るが、ランチに時間をかけるのがキライな来賓の趣味に合わせたメニュー。

「気のきく男になりたいなぁ、って、思うことがよく、ある」

 沢田綱吉はまだ言っている。ムリだろ、と、ザンザスは心の中でコメント。なりたいと思ってなるものなら人生に苦悩はない。人間は、自分以外にはなれない。

「笑って欲しいよ」

 その望みは理解できないでもなかった。

 

 

 

 ヴァリアーに戻ったのは三時ごろ。それから仕事の続きをして、尋常に夕食。入浴後、各国の新聞や国内の官報を読みながら寝酒を愉しむのもいつものこと。

「……」

 酒を飲んでもなかなか酔えなくなってきたのは最近のことだ。おかげでつい、量を過ごすことが多くなった。部屋に運び込まれるボトルの数が増えていることをルッスーリアに優しく指摘されてたが、自制する気にはなれなかった。

「……」

 ソファに仰向けに転がったオトコの枕元にはコーヒーテーブル。その上には内線の子機が置かれている。持ち上げて1番を押せば銀色の部屋に繋がる。

 もうセックスをしたくない、と。

 真っ直ぐに言われて以来、男はその内線を鳴らしていなかった。許した訳でも納得したからでもない。ただ驚いて、どうしたらいいか分からないで居るうちに時期を逸してしまった。

「……」

 電話の向こうには銀色が居る。確かに居るが、でも呼んでも喜ばない。昼間見たあの楽しそうな顔では来ないだろう。そもそも、来るか、どうかも……、分からない。

 どんよりした気分に落ち込みそうで、男は思考を中断した。この思考の先に何があるかは分かっていたから。恨めしい気持ちを抱き続ければ相手を憎むことになる。大昔、少年の頃、そんなことがあった。

それしはあんまりだろう、と、頭が良くて理性的な男は思っている。あの銀色が悪いわけではない、と。

優しい恋人『たち』に甘やかされて幸福に過ごしていたのに突然、自分と言う災厄に撃たれてぐちゃぐちゃにされた。挙句に、色男たちとは別れるから手を離してくれと願って、やっと叶えられたばかり。何をした訳でもないのにお気に入りを奪われて、それでもいいから自由をくれと願った、可哀想なオンナ。

それを憎みたくはなかった。だから別のことを考えることにする。最後の夜のことを思い出す。口元が思わず綻びるほど、幸福な記憶を。

しなやかで暖かなオンナが初めて、自分から絡み付いてきた。あの長い腕にぎゅっと抱きしめられるのは幸福だった。いい匂いがした。繋がると素直に高い声で鳴いた。オトコに引き摺られてではなく、オンナ自身が欲しがって濡れてくれたのは、あれが初めてだった。

最初で最後になるのか。このままではなってしまう。したくはない。翻意されたい。またそばに置いて、食べさせて飲ませて喋らせて、抱きしめて繋がって気持ち良さそうな顔をさせてみたい。ちょっと焦らすと我慢できずにすぐ浮き上がる腰を、掴みとってやった瞬間、オンナがぶるっと胴震いするあの感触をもう一度、掌にまざまざと感じながらもっと、深く……。

思い出す男の口元が緩む。けれど心の中の悲しみは消え去らない。何が悪いのだろう。不満だったのだろう。ボスのオンナにしてやったのに苦しそうな様子しか見せなかった銀色の心が分からない。自分はそんなに嫌な男だっただろうか。自分なりに誠意を、あれでも示した、つもりだったけれど。

なんでも言うこときいてやるから考え直さないか、と。

伝えたい男はでも、それをどういえばいいのか分からない。加えてあの銀色の強情さ、思い切りの良さ、覚悟の堅さをよく知っているから、ヘタに触れる気にもなれない。

もう一度、自分にチャンスをくれ、と。

失敗してしまったオトコは思っている。心から願っている。けれどどう乞えばいいのか分からないまま、酔えない夜が、長い。