初恋・19

 

 

 

 

 

 着飾る、ということが珍しい暮らしをしている。

「……でやがった……」

 仕事とプライベートの区別がない生活で、普段はヴァリアーの制服を着ていることが多い。例外はごく私的な外出、具体的に言えば跳ね馬や刀のガキとの『デート』の時だけ。

「どこのデルモだよアンタ」

どちらも最近はなかった。だから久しぶりに袖を通したシャツが、少し大きくて違和感があった。

ここ暫くのごくプライベートな激変のせいで自分が痩せたのだと、思いたくない銀色はたいへん不機嫌。むっとした様子で黙り込んでいると本来の美貌が際立つ。髪の毛と同じ色の燐粉を纏っているかのように、全身が薄く発光して見える。

「飲めよ。今夜は客だろ。けっこう賓客だし」

 そう言って赤い酒の入ったグラスを差し出す獄寺隼人はホスト側の人間であることを示す黒のスーツ姿。

「すっげぇ目立ってるぜ」

 感嘆まじりに言われても、フン、と銀色の剣豪は鼻先で流す。自分の容姿にはあまり興味がない。一部の好事家に超アピールするらしいことは知っているが、中身とのギャップが凄いせいで一対一で向き合った瞬間に相手の視線から『アコガレ』の要素は消滅する。時間の無駄で何の得もなく、実に馬鹿馬鹿しい。

「代理でもまぁ、ツラが売れてるアンタだから、それなりにアレだ。代理だけどなぁ」

この銀色が好きなヴェネト州産の薫り高い赤ワイン、アマローネを手渡しつつ獄寺は嫌味を言った。

招待されていたのはヴァリアーのボスとその幹部たちだったのに、やって来たのは銀色一人であることを皮肉られている。が、ニヤニヤと歪めた口元と細められた目尻に艶がのっていて美しく、かつ、口調には親しみを篭めた愛嬌があって、言われても銀色は不思議と腹が立たない。

「跳ね馬がさっきからこっち見てるぜ」

 ノエルの夜、ボンゴレ主催の大パーティーは夕方から始まる。系列ファミリーのボスたちはボンゴレのそれに出席した後、地元で今度は自身がパーティーを主催することになる。ボンゴレへの忠誠と服従を示す儀式。地元が遠いボスたちの中には空港に自家用ジェットを待機させている者も居るし、自分のパーティーの開催を日付が変わる寸前に設定している者もある。

ドン・キャバッローネはその点、気楽なものだった。新興の経済マフィアでしがらみが少なく、かつ、本拠地はここから車で一時間もかからない。自分の主催するパーティーは自由参加・自由退席ので、ただ、酒と料理だけは豪勢に揃えてある。

去年まではその中から、銀色の為のものが大切にとりわけられていた。ノエルの翌日、二十五日に会って食事としてセックスしてキスをして新年の挨拶までついでに済ませて別れるのが、十何年も続いた習慣、だった。

「……」

「でも近づいて来ねぇってことは、アンタらが別れたって噂はマジネタなんだなぁ。意外だぜ」

「……カンケーねぇだろ、てめぇには」

「関係は知んねーけど興味はすっげぇある。もしかしてバカモトが理由なら、オレあいつんこと見直さなきゃな」

「よくわかんねぇぞぉ、てめぇらぁ」

 銀色がぼやいた。山本武との関わりの中で、このアッシュグレイとも会う事が多かった。二人の特殊な関係は承知している。何処から見ても恋人同士なのにセックスを保留している二人が、いびつで奇形的な愛情の形を成立させていることは、知っている。

 それでも銀色にとって、マフィア幹部の息子として生まれ育った獄寺隼人の、業界の礼儀を心得た立ち居振る舞いは不快ではなかった。かつ、これだけの美形に積極的に親しみを示されるのは全く悪い気がしない。

いつでも誰にでも、少なくとも表面上はフレンドリーな跳ね馬や山本と違って、他人に対してかなり警戒心の強い獄寺に『懐かれる』のはいい気持ちだった。周囲の視線が集まってくることを背中に感じつつ、銀色は勧められた酒に口をつける。

「まあナンてーか、アイツのはオレのだから。チーズかナンか喰うか?マグロあったぜ。とってきてやるよ」

「俺ぁどいつんでもねぇぞぉ」

「沢山飲め。酔いつぶれたら、オレの部屋に泊めてやっからよ」

「ヒトの話を聞けぇ」

「十代目が、ちょっと怒っておられる」

「……」

「まぁ仕方ないよな」

「……」

 イタリアの『ファミリー』にとってノエルのパーティーは最重要な催し。それに来なかった構成員に腹を立てるのは『家長』として当然のこと。けれどこの場合、邪気が、もしくは妙な下心が混ざっている気がして獄寺は素直に同意することが出来ない。

「……ジジィの頃にも、アイツは来てなかったぜ」

 せめて反逆の決意表明ではないことを、そんな言い方で主張してみる。

「あんな甘い父親と一緒にすんなって。ま、代わりにアンタ、今夜は泊まりな。帰さねぇから、そのつもりで居ろよ?」

「はぁ?なに言ってんだ。ワケ分かんねぇぞぉ?」

「ほらマグロ」

 美形がたちグラスと皿の遣り取りをしながら小さな声で囁きあう様子を、確かに奥からドン・キャバッローネが見ていた。沢田綱吉の隣で、まだ若い弟分を庇いつつ来客たちの中を泳ぐ様子は、自身の売名行為かもしれないが愛情でもあった。

「タトー彫ってるってよ」

「あ?」

「ドン・キャバッローネの横に居る女」

「へぇ」

 金色の跳ね馬がこういうパーティーにとっかえひっかえの美女を連れてくるのは昔から。恋人だった頃からそっちには興味がなかった銀色は別れた今は尚更どうでもいい。が。

「ビキニになっても見えないトコロに、って、バカモトが言ってた。キャバッローネの太陽の紋章のちっせぇヤツだって」

 生々しい証言に顔をしかめる。

「ヤベェ遊びしてんじゃねぇぞぉ、ガキどもぉ」

 ちらりと視界に入ったドン・キャバッローネがエスコートしている女は赤毛の美女。報道番組を担当することが多いアナウンサー。情熱的な真っ赤な髪とは裏腹に国内随一の大学を主席で卒業した才媛。

「あんたに言われんのはちょっと不本意だな。あんたほどのムチャはやってねぇよ」

「無茶の種類が違うだろぉが。いいかぁ、マフィアってのは基本、オンナを大事にするもんだ。喰い付いて吐き出して遊ぶもんじゃねぇ。ちったぁわきまえろ」

「ゴーカンしたんじゃあるまいし。誘うバカモトだけが悪いみたいに言うなよ。誘われて揺れるぐらい寂しがらせてた跳ね馬のヤローも悪ぃんじゃねぇか」

 それはある意味正論だ。誘惑されて揺れた覚えのある銀色にはなんともコメントのしようがなかった。好きだと言ってくる若い男の率直な可愛らしさを、撫でたくなった衝動を思い出す。寂しいんだ可愛がってと足元にうずくまり見上げてくる時の山本は本当に愛らしい。

「なぁ」

 その山本は今日も会場には居ない。銀色がボンゴレ本邸に来るときは建物から出されてしまう。ドン・キャバッローネに対する沢田綱吉なりの謝罪と誠意だが、やや的外れでないこともない。その報復が隣に侍らせた『飾り』を寝取られることという、山本武のやり方は実に的を射ている。

「アンタ今夜、オレの部屋に泊まりだから」

「……?」

 しつこく繰り返される宣言にようやく銀色は、目の前のアッシュグレイが何かを伝えようとしているのだと、気づく。

「十代目がお怒りだ。アンタのボスに電話をかけておられた。ノエルのプレゼントをありがとお、ってな」

「……おい」

 それは、もしかしなくても。

「絵画のことじゃねぇよ」

 にやりと獄寺隼人が笑う。ヴァリアーのボスからノエルの貢物としてボンゴレ本部に納められたマッキアイオーリーの風景画は光を描いて実に美しかったけれど、若いボンゴレ十代目に絵画観賞の趣味はない。生きている人間にしか興味がないのだ。

「ボンゴレに進呈されっほどのタマじゃねぇぞ、オレはぁ」

 そういうことがノエルにはある。クラシックなマフィアの習慣では『絆』を深めるために、自分の情婦や恋人をファミリー内で『わけあう』ことが確かに。しかし若いボンゴレ十代目はそういう習慣を毛嫌いしている筈。

「アンタがどーしてもイヤなら跳ね馬に連れて帰って貰うって手段もあるぜ?」

 どうやらそれを、そっと耳打ちに来たらしい獄寺隼人は銀色の耳たぶを舐めんばかりの近さでそう、囁く。

「バカモトにゃ廻さねぇ。おれだけで朝までだ。個人的にはすげぇ楽しみだぜ。今までで一番のプレゼントだ」

「おいおいおいおいィ……」

「だいたいなぁ、オレだって随分前から、アイツがアンタとヤんの楽しみにしてたんだぜ。ゾウアザラシのハレムみたいに女侍らしてるドン・キャバッローネがあんだけ入れ揚げてたアンタがどーなのか、興味あんのは、当たり前だろぉ?」

「……腐れ縁だっただけだぁ」

「なのにアイツ、全然、オレに話、聞かせてくんねーんだよ。ひでぇと思わねぇか?裏切りだぜ」

 山本武の『浮気』は恋人の公認。ただし何処で誰と何をしてきたか、帰ってきたら詳しく話すこと。そういう約束なっている関係を銀色は承知している。アレいい、アレがいい、なぁ声かけてみろよなぁ、と、獄寺が山本に強請る場面さえ見た事がある。

「あのなぁ、ガキぃ」

「アンタなんか、色々あったみてぇだけど、そーゆー話も聞かせろよ。すげぇ興味ある」

 キラキラ、輝く瞳で見つめられて銀色はつい、本当につい、笑ってしまった。好奇心を隠さない真っ直ぐな潔さが好ましかった。色々なことが本当にあったのだが、それらはせめてこのくらいの歳に、済ませておくべきことだったかもしれないと思う。

「ガキはいいよなぁ……」

 思わず漏れてしまってた一言。

「ンな台詞、まだ似合わねぇぜ」

 言われながら空のグラスを取り上げられる。器用に、空になって掌の中に部屋のドアのものと思しき鍵を握らされた。

「バカモトの部屋の隣」

「……おぅ」

 受け取ったのは、多分、自棄。