初恋・21

 

 

 

ベッドは、広い。

 娼婦を左右に同時に侍らせることが出来るくらい広い。

 が、長身の、しかも手足の長いモデル体型の男がド真ん中で大の字になっている、横に同じく長身の男が横たわるスペースはさすがにない。

「……」

 最近みなれた天井の木組みを眺めながら、まずは何から尋ねるべきか、銀色は考えた。

「……どっから、オマエだったんだぁ?」

 声を出す。視線だけそっちを向く。リビングから運んできたらしいカウチソファに転がって、長い脚だけが見えている男は。

「妙な具合に酔ったバカがおかしな声を上げないように帰りの車の中で口を抑えてやっていたところからがオレだ」

 男は起きていた。はきはきと喋る。はきはき過ぎてこの男らしくない。目が覚めるのを待たれていたのだと銀色にも分かった。

「げろげろ吐いた口を濯いでやったのも、汚れたツラを洗ってやったのもオレだ」

「あー……」

「腿に乗ってきやがるから脱がせてやったらその後で一人で寝かせろって喚いた恩知らずはてめぇだ」

「……ごめん」

 そのへんはなんとなく記憶がある。裸にされて優しく抱き寄せられようとしたが、その優しさが妙に癪に触って触れるなと喚いてしまった。素肌にかけられた毛布の感触をかすかに覚えている。

「ヨッパライって、こえーなぁ」

「こっちの台詞だ」

「なぁ、もう蹴らねぇぜ?」

「信じられるか」

 男は拗ねているのかもしれない。銀色が呼んでも起き上がろうとしない。部屋の主人がソファで寝ているのに自分がベッドに大の字で転がっているのもどうかという気がして銀色は起き上がった。いや、起き上がろうとした。が。

「……、おぇ……」

 頭を動かした途端、嫌な痙攣が腹から喉へせりあがってくる。思わず呻いてシーツに突っ伏す。

「深呼吸しろ」

 口元を押さえてえずいている背中を、ソファから音もなく立ち上がった男が抑えてくれる。

「腹のナカに、吐くモノはもう何も入ってねぇ。落ち着いて深呼吸しろ」

 そう言われると不思議なもので、吐きがおさまっていく。ベッドの上で丸くなった細いカラダに毛布が掛けられる。痙攣がおさまった銀色は、そっとカラダをベッドの端に寄せた。

「……」

 男は少し考える様子だったが、銀色に寄り添うようにベッドに横になる。足元から別の毛布を引き寄せて被る。その肩に、そっと銀色が頭を当てる。

「ヤんねーの、かぁ……?」

 男は眠っていない。けれど動こうとしないのが気になって、そう声を掛ける。

「げぇげぇ言ってんのにヤったって気持ちよくねぇだろ」

「……殴んねぇのかぁ?」

「今日がノエルじゃなきゃな」

 男が答える。マフィアにとってノエルの夜は一年で一番、神聖な夜。そしてもう一つ、別の理由もあった。酔いつぶれた銀色を連れて帰った時はさすがに腹が立っていたが、出迎えたオカマが感心したように、スクちゃんやるわねぇ、と、呟いた。

 ただの呟きにしては大きな声で、エッチなことされようとして逃げられない時はベロンベロンに酔っ払うに限るのよねぇ、と。

 わざと聞こえるように呟かれた男には素直なところがあった。そうか、と思った。事実、無事でいたのは性質悪く酔っていたせいでないこともない。

「ナンだぁそれ。オマエらしくねぇぞぉ」

「てめぇはオレをナンだと思ってんだ?」

 男からのそんな質問は珍しい。他人の意見を気にしないこの男は自分が他人からどう見られているかを気にしたことがなかった。

「……すーぱーすたーぁ?」

 銀色にも同じく、妙に素直なところがある。おかしな発音で更に疑問符までついている返答は、観念的なことを考える習慣がないから自信がないのだろう。ノエルと連想された返答に男が表情を曇らせる。

「バカも休み休み言え」

 ジーザス・クライスト・ザ・スーパースター。アメリカの古い映画。迫害されたカトリックが拓いたあの国には、同胞以外を迫害する習慣が長く根付いていた。人も国家も、自分がされたようにしか生きられないらしい。

「けっこう、マジ、だぜ……」

 男は聡明で勘がいい。

「だからセックスするのが苦しいのか」

 銀色が言いたいことを的確に掬い取った。

「……かも、なぁ」

「あれもマグダラのマリアとはヤってただろ」

 そうでなければ復活後、最初に彼女の横へ行く訳がないというのは、恋愛至上主義のイタリア人にはごく当然の発想。

「だろうけど、よぉ……」

「オレが昔からテメェを欲しかったことは知っていたか?」

「知るわきゃ、ねぇだろォ」

 

 

 主は、マグダラのマリアをすべての弟子たちよりも愛していた。そして、主は彼女の口にしばしば接吻した。他の弟子達は、主がマリアを愛しているのを見た。彼らは主に言った。「あなたはなぜ、私たちすべてよりも彼女を愛されるのですか?」救い主は答えた。「なぜ、私は君たちを彼女のように愛せないのだろうか」

 

 

「まぁいい。眠れ」

 男は優しい。身体の向きを変えて銀色を引き寄せ、体温を移すように毛布ごと抱きしめてやった。銀色は、動かされて少し気持ちが悪くなったけれど、それが落ち着いた後は暖かくて、なんとなく安らぐ。

「……慣らされてんなぁ……」

 飼い猫が撫でられることを悦ぶように少しずつ変貌させられていることを、かすかな声でそう嘆く、と。

「新年まで監禁する」

 男はそんなことを、言う。

「……あ?」

「新婚旅行だ。ベッドの中に」

「なぁに、寝言いってんだぁ?」

「……」

 ガツン、と、よこざまに小さな頭を殴りたい衝動に男は耐える。

「眠れ」

 今夜は、と、繰り返し告げた。目が覚め体調が戻ればその後は、何もかも思い通りに従わせるつもりで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寝室は広く、天井は高い。

「……、ぃ……、や、ァ……」

 ベッドは娼婦を左右に侍らせることが出来るほど広い。けれど、隠れる場所はなく、逞しい胸板の下から這い出て逃れようとするオンナが逃げ込める場所もない。

「ヤ、も……、ヤ……。さわ……、イヤ……」

 逃げようとした罰だという風に、前を捉えた指にぎゅっと、男に力を篭められて。

「イヤァ……、イヤ、や……」

 銀色のオンナが声をあげる。透明な嬌声。涙の気配さえ混じる悲鳴だったが、カラダを捩って腰を揺らしながらだったからオトコは乱暴な愛撫を止めなかった。

「い、てぇ、よォ……、もぉ……。うぇ……」

 長い蹂躙を受けている。時間の感覚は麻痺して、今が昼なのか夜なのかも分からない。分厚いカーテンは寒気と陽光を遮り、内部に篭る二人を二人きりにする。

 薄暗い部屋にしばらく、時々罵りの混じる哀願と喘ぎの声が満ちる。

「な、ぁ……。なぁ、も……、ぁ……」

 それさえ途切れがちになり、細い腰がふるふる小刻みに震えだしてようやく、オトコは指の蠢きを止めた。けれども力は抜かないまま、目の前の白い背中に唇を落とす。

「ぁ……ッ!」

 肩甲骨の狭間を舐めてやる。汗の塩辛い味がした。濡れた舌の感触にたまらなくなったオンナが腰を左右に揺らす。オトコはその発情の合図を全身で実に心地よく味わう。

「ザ、ン……、ね、が……、ん」

 オトコは唇で髪を掻き分け、現れた美しいうなじに噛み付いた。あぁとオンナが身悶えるのは開放の期待。オトコがこんな振る舞いをするのは許される前兆。

「ん……、ちゅ……」

 オンナは振り向いた。うなじから耳を舐め、思わせぶりに近づいてくるオトコの唇に自分のを重ねる。重ねて、押し開くようにして、濡れた舌を自分から絡める。男が目を細めるのが分かった。嬉しそうに笑っている。のが、感じられて、胸の奥がなんだかキュンと、締め付けられるような気がした。

「ん、ン……、ぁ」

 肩に手を掛けられる。カラダを返される。抱き合う姿勢で自分から腕を廻す。腰を浮かしてオトコの前に、やっと拘束から自由になった自身の蕊を擦り付ける。オトコが笑いながら応じて揺らしあってくれる。熱い。でも、それだけでは足りない。

「……、いてぇ……」

 無茶なくらいもう絞られて、なのに無理やりに勃たされた蕊は自力では蜜を吐き出しきれなくてズキズキする。痛いような痒いような、掻き毟りたくなる感覚がオンナを支配する。カラダだけではなく。

「な、ぁ……、ザン、ざ、……、ぅ」

 抱きつき、頬を摺り寄せながらの哀願をオトコは本当に喜んだ。ライオンが喉を鳴らすような声でオンナに尋ねてやる。優しいけれど意地悪に、分かっているけれど、なんだ、と。

「……」

 オンナは恥ずかしさに肩を竦めながら、それでも男の耳元にはっきり、聞こえる声で願った。具体的な行為の要求でない言い方はオトコの趣味。アイシテクレ、とかすれ声で囁かれ、オトコは願いを叶えてやる。

「ぁ、あ……、ぁ……」

 頼りなく震えていた蕊がオトコの温かな口内に包まれる。濡れた優しい感触にようやく安堵して、オンナはぽろぽろ、暖かな涙を零した。