初恋・4

 

 

 

 喧嘩をしているらしいことには気づいていた。銀色の鮫は思慮が浅く、尋ねられれば大抵のことは答える。質問者がヴァリアーの仲間、中でも子供の頃から可愛がっていた王子様であれば尚更。

「センパイ、跳ね馬と喧嘩してんの?」

 幹部が集う食卓で部下たちは好き放題に喋る。銀色の美形はおぉと、ターキーの手羽元を齧りながら答えた。意識の殆どを食べ物に向けながら。塩コショウしてバターでソテー、白ワインで仕上げた白いターキーは獣肉というより白身魚に近い食感で、シーフード好きの銀色の好物。

「あー、やっぱそーなんだー。昨日、ちょっと出先で会った、っていうか待ち伏せされてさー」

 ティアラの王子様の曖昧な発言に。

「ヤベェとこ見られたんじゃねぇだろぉなぁ?」

 銀色の鮫が敏感に反応する。この王子様は仕事で遠出した先の殺し屋を始末して『遊ぶ』癖がある。それはトラがチーターの仔を見つけ次第に噛み殺すことにも似ている。生存競争が競合する相手を排除しようとする本能に忠実な振る舞い。

「門外顧問あたりに密告されたら、庇いきれねーぞぉ」

 しかし、社会生活が発達しすぎた人間の本能は壊れた。それに忠実に生きることは許されていない。ボンゴレと同盟関係にあり、かつ、家庭教師との関連でボンゴレ門外顧問と親しいドン・キャバッローネの口から『犯罪』をリークされることは、マズイ。

「見られてないよ。ひやっとしたけどさ。でさ、跳ね馬は王子にゴハン奢ってくれたんだけど、そん時に、ずーっとセンパイんこと聞かれて探りいれられたよ。なんで喧嘩したのさ?」

「つまんねーことでだぁ」

「どんなつまんないこと?」

「つまんねーったらつまんねーんだよ」

 銀色の美形が珍しく口を噤む。ふぅん、という表情で王子様は自分の鴨を食べる。男はサーロインを口に運びながら、その会話が奇妙に気になって、記憶に残っていた。

 

 

 数日後。

 沢田綱吉からの、電話。

『遊びに行っていい?』

 そんなことを言いだされ、呆れて溜め息をつく間に。

『ディーノさんが一緒なんだけど』

 酔爺の意が酒でないことを自己申告されてしまう。

『キミにプレゼントがあるんだ。天空のライオンシリーズが手に入って』

 欲しくて捜していた匣兵器の名前を出されて。

「……どれだ」

 オトコは思わず口を開いてしまう。それは来訪を略式に承諾したことになる。

『ライオン。真っ白。キミによく似合うと思うよ』

「ドカスは売らねぇぞ」

 ヴアリアーのボスとして一応、それだけは言っておいた。有力な匣生物は欲しいけれど、そのために長年仕えてきた部下を差し出すつもりはなかった。

『分かってる。ただ、ディーノさんがスクアーロさんに会いたがってて、半狂乱なんだ。見ていて凄く面白いから、キミと一緒に見物しようと思って』

「……」

 おどおどしていた日本人のガキが、喰えないオトコに育ってきたものだと、感慨深く思っているうちに。

『夜にまた電話かけるよ。スクアーロさんの意向も聞いておいて。じゃあね』

 相手のペースでさっさと話を進められてしまう。電話を切って、男は少し考えた。どうするかではなく、自分の気分がなぜ、もやもやと不愉快なのか、その理由を。

 考えてみたが答えは出ず、とりあえず銀髪の部下を呼びつけて、ざっと事情を話した。

「おー、見つかったのかぁ、よかったなぁー!」

 銀色の鮫はまず主人を祝福して、そして。

「俺はいいぜぇ、会ってやっても。お前に貢ぎに来るなんざ、アイツもけっこう考えるもんだ。狙いどころは悪くねぇ」

 あっさり言われて、男は眉を寄せる。ドン・キャバッローネはボンゴレ本邸を通じてヴアリアーにも一度、直接、電話をかけてきた。その時、この部下は顔色を変えて、てめぇ二度とこんなフザケタ真似すんじゃねぇと、凄みをきかせたのに。

「ドカスのくせに、いらねぇ気を廻すんじゃねぇぞ」

と、男は部下に言った。自分の匣兵器のためにムリをしているのなら無用なことだと、この男にしては長い言葉を喋る。

「別にムリしてないぜぇ。ケンカはまぁ、俺が悪かったんだしよぉ。ただ、それでアイツに、嵩にかかって威張られんのが我慢できなかっただけだぁ」

 だから下手に出るのなら会ってやってもいい、はなし次第では復縁してやってもいいとあっさり、答える部下に。

「なにがあった」

 男が尋ねる。それはひどく珍しいこと。これは君臨する王者であって管理職の素養はない。部下のプライバシーに口を挟むことは滅多にない。

「他のと寝た」

「誰だ?」

「ヤマモト」

 王子様の質問には答えなかった銀色だが、主人の下問にはあっさり口を割る。

「刀のガキだな?」

「おぅ」

「どうしてだ」

「んー。まぁ、なんとなく?」

 ティアラの王子様のような口調で、部下が誤魔化そうとするのを男は許さなかった。

「ってぇ、いて、イテテ、痛てぇって、ザンザスッ!」

「事情を話せ。なに日本支部と馴れ合ってやがる」

「馴れ合って、って、まぁそーだけどよぉ。はなす、話すから、髪引っ張るなぁー!」

 この銀色が日本人のガキを可愛がっているのは以前からだ。百番勝負のDVDを送ってやったり、技を教えてやったり、殆ど師弟として、細々と優しく愛していた。

「前からよぉ、ナンか、それっぽいことは言われてて」

「それっぱい?」

「だから、オレとヤリてぇ、って」

「……」

 男が黙り込む。たいへん不機嫌に。そんなことを言われて尚、あのガキを可愛がっていたこの部下のバカさ加減にも呆れたし、そんなことをしらっと告げる日本支部のガキの、面の皮の厚さにもあきれ果てた。

「なんかン時に、ノリでよぉ。オレに心からスゲェって思わせたらさせてやるぜって、約束しちまって」

「ヤらせたのか」

「んー」

「バカも休み休みにしておけ」

「まぁなぁ」

 さすがに自分でも馬鹿なことをしたと、思っていないでもない銀色は男の罵声に逆らわない。

「けどよぉ、一応約束だったし、心からすげぇって、マジ思ったしなぁ」

「てめぇ、それで、跳ね馬と揉めてやがったのか」

「おぅよ。ってーか、アイツもよぉ、オンナの腐ったのみてーにグチグチ言いやがって。オレだって一応は謝ったのに、しつこかったんだぁ」

 それで逆ギレ、大喧嘩。そんなに文句あるんなら別れてやるぜアバヨと啖呵を切ってさっさと席を立った。金髪の色男はすぐに追ってきて、待てよと腕を掴んだが、それも振り払って。

「まーナンだ、オレが悪かった。あいつがオレを睨みつけたことなんざ初めてだったからよぉ」

 逆ギレも腹を立てていたのも驚きの裏返し。ガキの頃から自分に夢中な跳ね馬に、何もかも許されて甘ったれていた自覚の反作用。

「甘ったれてたんだなぁ。メンドーな話をしないってんなら同席するぜ。ってーかよぉ、途中で拾っていいかぁ?」

「……途中?」

 部下がナニを言っているのか分からず、顔に傷のある男は眉を寄せる。

「ウチに来る途中でよぉ、アイツだけひっかけていいかぁ?あんま奥には入れたくねぇし、ウチの応接室に引き出して、恥かかせんのもカワイソーだろ」

「……」

 暗殺部隊であるヴァリアーは普段、本拠地の砦に殆ど人を入れない。ボスであるザンザスの応接室が使われる事は滅多にない。その扉はザンザスの誕生日に、強引に来訪を強行する沢田綱吉の為に年に一度、開かれるだけ。ボンゴレ総帥である若い日本人が、呼びつけるのではなく訪れるというのは相当の気遣い、もしくは寵愛。たとえそれが、ボンゴレ内部の分裂を避ける目的のためだったとしても。

 秘をもって好しとする習慣のもと、ヴァリアーは自己の情報が漏れることを極端に嫌う。ボンゴレ本邸を通してとはいえ、凱旋で電話を掛けてきた跳ね馬にこの部下は顔色を変えた。だから、あれをヴアリアー最奥であるボスの応接室に入れたくないという、その発言はいい。それはいいが、しかし。

 最後の言葉が男の気に触った。恥をかかせたくないというのは愛情ではないのか。愛情なのだろう。

ガキの頃からの情人であることは仲間も承知、ティアラの王子様はドン・キャバッローネを『センパイの恋人』と称することもある。されても銀色は一々否定しない。

「オマエの許可が出なかったって言わせてくれりゃ、麓であいつだけ引っこ抜けんだけどなぁ?」

「……」

 砦の麓で自分が待ち構えて、一行の中から金髪だけ降ろすつもりなのだろう。それからどうするんだテメェは、と、男は喉まで出かかった問いを無理やりに飲み込む。

 喧嘩をしていた情人と、ナカナオリして久しぶりに会うのだ。どうするか、なんて分かりきっている。そんな愚かな質問はない。

「好きなようにしろ」

 投げ出す返事はいつもの口調で興味なさそうに言えた。でも言葉にした後の殻が棘のように、いつまでも喉に引っかかった。