初恋・5
キツく抱きしめられすぎて、呼吸もろくに出来ない。
「……、っ……、て、ぇ……」
訴える声にさえいつもの威勢の良さはなく、か細いと呼べる頼りなさ。
「……」
抱いているオトコも聞こえてはいるらしい。力は緩まなかったけれど、鼻で笑った気配があった。横暴な振る舞いを止めるつもりはないらしい。諦めて銀色の美形は目を閉じる。自分でも馬鹿馬鹿しいくらいの悲しさが腹から胸にこみ上げてきて、困った。
そんなオンナの気持ちにお構いなく、オトコは。
「ッ、……、っあ……、ぁ……」
ぐっとしたたかに腰を入れる。オンナの唇からこぼれた嬌声を自分の唇で塞ぐ。甘いのは舌の震えか、耳ではなく聞こえた悲鳴の悲痛さか、苦しそうにくねった細腰のたまらない感触か。
支配している実感の自惚れ、か。
長い喧嘩をしていた。二ヶ月近く、音信不通でだんまりを決め込まれ、自然消滅も辞さない態度をとられてオトコは深刻な危機感を持った。最後はなりふり構わずに、年下の弟分に笑われながら、ヴァリアーに連れて行ってくれと頼んだ。
「イ……、っ、てぇ……、イテ……」
オンナの言葉は男の耳に届いている。抱き合う姿勢で揺らすオンナの蕊はオトコの腹に固く当たって、とろりと蜜を垂らす。痛いのが嘘ではないだろうがヨくもあるのだと、オトコは解釈して強引に犯すことを止めない。
「は……、ァ……、ッ!」
ぶるり、オンナが胴奮い。あぁ、とオトコは諦めの混じった感嘆の気持ちでオンナをぎゅっと、いっそうきつく掻き抱いた。心の中で負けを認める。細いがしなやかなオンナのカラダの蠢きに引き摺られる。
「……ふぅ」
好きなオンナのカラダの中に、吐き出す気持ちよさに思わず声が漏れる。熱を感じてイき果てたオンナがビク、ビクンと腕の中で痙攣する。くたりというカラダの手応えと、含ませた楔から伝わる感触にオトコは本気で泣きたくなってしまう。
感極まって、幸福で。
飢えて渇いてミイラ状になりかけた自分がオンナの潤みを吸って、膨らんでいく実感があった。コレがないと苦しい。欠乏が生活に支障をきたすほど中毒。子供の頃からずっと馴染んで、愛し続けてきた、相手。
「……、い、てぇ……」
余韻をゆったりと味わうオトコの耳に、届いた声は細くて可哀想だった。オトコは腰を引き、繋がっていた楔を引き抜いてやる。熱を吐き出して尚、興奮は完全に醒めてはおらず芯を持ったままのソレは、居心地のいい棲家から離れたがらず粘膜を擦って、オンナに悲鳴を上げさせる。
「誘うなよ。……元気なっちまう」
オトコの台詞はいい気なものだったが嘘ではない。オンナが声を上げた途端、オトコの大蛇はびくりと反応した。獲物が居ると頭を膨らませた感触がオンナの腿に当たって貪られる立場のオンナを怯ませびくつかせる。
「いとしい……」
心からの告白を、囁きながら抱きしめる。本当に愛しい。ものすごく愛しい。そうして多分、それと同じくらい憎い。全身を、脚の爪まで舐めたいくらい愛おしいけれど、骨を噛み砕いて髄をすすりたいくらい憎い。
「や、メロ……、ぉ……」
オトコの手でカラダを返そうとされたオンナが、シーツにしがみ付いてかぶりを振る。何のためにうつ伏せにされようとしているのかは分かりきっていた。
「すくあーろ」
イヤイヤと、オンナに腕の中でカラダをくねらされて、オトコはもう、息が上がりかけている。
「困らせないで、くれ」
まだ腹が空いている。昼過ぎにチェックインしたホテルの、窓の外はまだ明るい。日が暮れるまで抱き尽すつもりだった。
「力を抜けよ。そっとするから。……な?」
オンナが目を開ける。目の前で金髪のオトコが笑うのが見える。王子様然とした優しい顔立ち。でも。
「……アクマめ……」
「オレにとっては、オマエがそうだぜ」
「離せ。帰る」
「帰さない」
「オレに命令、出来る気かぁ、てめぇ」
「その気だぜ。今だけは」
証拠をオンナに突きつける。固く膨らんだ牙を擦り付けられてオンナは明らかに怯んだ。痛みや怪我を恐れる気質ではなく、思い切りよく片腕を捨てたことさえあるオンナだが、カラダを内側から貪られる恐怖は外傷とは次元の違う恐怖。
「……、カンベン……」
負けを認めて白旗が揚がる。
「困らせるなよ、スクアーロ。まだ欲しい。足りない。オマエに長いお預け喰らわされて、腹が減っているんだ」
脅し混じりの台詞は半分が虚偽。足りないのは本当だが、足りないのは牙を打ち込んで粘膜の感触を貪る行為自体ではなくて。
「欲しい……」
のは、この相手の狭間の粘膜ではなく存在そのもの。
「帰さない。朝まで抱くぜ」
「……まだ夜にもなってねぇぞオイ」
「朝まで抱きつくして、それから心中だ」
「寝言はせめて、夜になってから言えぇ」
「一緒に死のうぜ。もうオレは嫌になった。ベッドから出たらオマエにナンの権利もないなんて酷すぎる。オマエの機嫌を損ねたらそこで終わりなんて、恐すぎてもう生きていけない」
うぜぇことは喋るなよと、ベッドに入る前に釘をさされた。聞いて欲しいことが沢山あるのに拒まれて、仕方がないからカラダで伝えていた。愛している。離れられない。愛おしい。憎い。殺してしまいたい、と。
「オマエが待っていてくれたのは凄く嬉しかった……」
ヴァリアーのアジトがある砦の山はそれ自体が私有地。バイパスから廃業されたゴルフ場裏を通る麓の私道には検問がある。ボンゴレ以外には入ってもらっちゃ困るぜぇと、そこで待ち構えていた銀色の鮫が言った。ボスである沢田綱吉とそのお供たちの来訪は拒めないが、同盟ファミリーは厳格にいえば『身内』ではない。来訪を拒むには正当な理由だった。
「嬉しかったぜ……」
オトコの言葉をオンナは止めず、黙って聞いている。『うぜぇこと』を喋っていいなら、聞いてくれるなら、セックスは中断してもいいとオトコは思っている。
「でも今だけなんだよな。オマエはオレを簡単に捨てたり拾ったり出来るんだ。オレがその度にどんな気持ちで居るかも知らないで……。オマエは……」
感極まって、オンナの胸の上に突っ伏す。
「どうしてオレが、居なくても平気、なんだ。オレはこんなに……、こん、なに……」
心も体も支配されているのに。
「他の」
「……オマエだけだ」
「白々しい嘘つくなぁ。相手いっぱい居るだろうが、テメェ」
女優やモデル、歌手にダンサー。華々しいショービジネスの世界をひらひら、色とりどりの長いヒレを振りながら泳ぐ美女たちと、この跳ね馬は常時、浮名を流している。
「遊び相手だ。半分、仕事だ」
それは嘘ではない。人気という錬金術が蔓延る世界の中には凄まじい桁のあぶく銭が、渦巻いている。そもそもマフィアにハンサムが多いのは芸能界やファッション業界と密接な繋がりを持つ必要上でもある。
暗殺部隊に特化したヴァリアーのような組織は特殊だが、世間から汚れた金を掬い取る気なら女に惚れられ貢がれる器量が要る。その器量に素晴らしく恵まれたドン・キャバッローネが、錬金術の種になる美女たちを繋いでいるのは、確かに仕事だった。
「羨ましい仕事だなオイ」
「気に入ったのが居たらいつでも味見させてやるぜ。オレが遊んでやってくれって言えば大抵、そうしてくれる筈だ」
「わりぃ男だなぁ、てめぇは」
呆れた口調でオンナが溜め息をつく。
「好きだろ、悪い男」
「そっちだって」
「ん?」
「いつでもオレと、終わりにする権利はあるんだぜ」
不安定な関係だ。幼馴染の同級生。大人になって同じ『業界』の中で生きているけれど立場は微妙に違う。
同盟ファミリーのボスに対してヴァノアーのサブは普段、それなりに気を使っている。顔を殴って痕が残ると困るだろうから腹を殴る、という程度には。けれど。
「そんなものが、オレにあるわけないだろう。オマエにベタ惚れだ。オレの女たちが何番目にされても俺と手を切れないのど同じで、オレはオマエから離れられない。……どうしてオマエは買えないんだ。手に入るなら、なんだってするのに」
ヴァリアーにも、そしてその上部組織であるボンゴレにも、この上玉を他所に売るつもりはない。十四の時に剣帝を倒し、そのまま最前線を突っ走っている極上の戦力。
「世間じゃそれが、普通だぜ跳ね馬ぁ。たいていの男は何にも持ってねぇ。自分自身で勝負張ってっだろ」
そうしてそれは男ばかりでもない。女も同じこと。
「オレの魅力が足りないのか。何処が気に入らない。教えろ」
「そーゆーうぜぇ、とこが」
投げつけられた言葉にオトコが顔色を変える。
「面倒な時はあるなぁ。そこがナンか、かわいー時もあんだけどよぉ、ちょっとズレると、うぜぇ。……最近ちょっと、ズレ過ぎだったかもなぁ」
「スクアーロ」
「基本はオキニなんだけどよぉ、ほんと、時々……」
可愛らしさをうざさが上回る。オトコの憎しみが愛情を上回るのと、多分同じ作用。
「結婚、したい」
跳ね馬が喘ぐように告げる。オンナは薄く笑う。カソリックであるマフィアは基本的に、婚姻すれば離婚は許されない。最近は逆に、敢えて結婚しないまま家庭を作るカップルも増えた。その為に国家がパートナーシップ制度を制定したくらいだ。
「クラシックだなぁ、てめぇ」
「祭壇の前で、オレを死ぬまで愛するって誓ってくれ」
「してやってもいいけどよぉ、同姓婚挙げさせてくれるところは、プロテスタントだぜぇ」
絶対的名矛盾がある。それは信仰上のことではない。
「他に大事な、モンがあんのはお互い様だろーが」
自分以外の情婦の存在を、このオンナがうるさく言った事は一度もない。
「ナカナオリしてやっから、それだけ、分かっとけ」
宣告されて、オトコは一言も言い返せずに。
「Si」
イエスと答える、他に選択肢はなかった。