初恋・6

 

 

 以前から気にはなっていた。

「おい」

 それをとうとう口にしてしまった。

「上着を着せて貰う時は袖を親指で挟め」

 そんなことも知らないで大マフィアのボスをやっている日本人に、周囲から仕えられることに慣れたボンゴレ九代目の養子が苦言を呈する。

「え?」

 なにそれ、という顔で振り向いた沢田綱吉にザンザスは歩み寄る。片袖だけを通させたコートを手に、沢田綱吉のすぐ横に居た獄寺隼人がほんの一瞬、戸惑う表情を見せたが、すぐに退き、場所をザンザスに譲った。手にしていたコートごと。

「こうだ」

 ザンザスはコートの襟を持ちながら沢田綱吉の左手をとり、スーツの袖を親指で挟ませる。それからコートを差し出して袖を通させる。なかなか通らなかった右腕と違って、魔法のように、左手はするりとコートの袖を通った。

「わー。ありがとう」

 冬になるたびに主従ともに梃子摺っていた難問を解決してもらい沢田綱吉は素直に喜ぶ。礼の言葉にザンザスは返事をしない。もたもたしているのを見ていられずについ手を出したことを後悔しているのかもしれない。

「気づいたことがあったらこれからも教えてね。オレ、色んなこと、ホントに分かってないから」

 御曹司としての教育を受けていない。日本の一般家庭で普通の少年として育った。それはボンゴレ十代目の地位を狙う九代目の甥や養子たちのような相克を避ける為の措置。沢田家光の選択に間違いはなく、その息子はただ一人だけ生き延びて権力の椅子に、座したが戸惑うことばかり。

「頼りにしているよ、ザンザス」

 笑う目尻の輝きは増した。そんな相手にザンザスはいつも溜め息をつきたくなる。

自分が座る筈だった椅子に座っているこの日本人が憎い。座りなれずにモゾモゾしているのを見るのは少し気分がいい。けれど同時に、腹が立つ。ナニをやっていやがると怒鳴りつけたい気持ちになるのだ。外から見えているぞ、と。

しっかりシャンとしやがれ、と。

言えば味方についた事になってしまうから口には出さないけれど、気持ちが揺れることは止められない。ボンゴレの血を受けておらずリングに拒まれて後継者から外れた現在も尚、その重厚な美しさを愛している自覚がほろ苦い。

 超レア、希少な匣兵器を譲られたからだ。その礼心だと、顔に傷のある男は自分の内心の緩みを訂正した。出来の悪いガキに口うるさくするのは、あの銀色のバカだけで十分の筈。

「スクアーロさんってさ」

 見送りの為に出てきたホールで上着を着せて貰い、玄関に通じる廊下を歩きながらボンゴレの若いボスが口にした人名に、まるで心を読まれたようで、男はひやりとした。

「感じがちょっと似てるよね」

「……あ?」

「獄寺君に」

 その名の持ち主は二人より先を歩いている。自分が話題になっていることが聞こえていない筈はないのにそ知らぬふりで歩調を乱さない、したたかさはなかなか、このボンゴレ十代目のツレにしては腹が据わっている。

「今日は並べてみたかったんだけど、残念」

「……」

 ツラが小奇麗という意味では似ていないでもない。自分が美形であることを意識していない気性の乱雑さも少し似ているかもしれない。

「ザンザスは獄寺クンのことちょっと好きでしょ」

 隣を歩いている自分よりかなり背の低いガキに、そんなことを言われて流し目で見上げられ、どう答えていいか分からない。

 若いボンゴレ首脳陣の中、これだけが生粋のマフィア世界育ち。中堅組織の幹部の息子だったそうで、業界の『若様』らしい躾を受けている。立ち居振る舞いの以前、立ち方や歩き方、声の出し方、こっちに向かって話すときに小腰を屈める仕草、そういうものがキチンと身についていて、そばに寄られても不愉快にならないという意味でいえぱ、他のよりは『好き』なのかもしれない。

「獄寺クンをお使いに出す時だけは直接会ってくれるそうだし、オレが一緒に連れてきても控え室で待たされないし」

 別にそれは男の指示ではない。指示ではないが、ヴァリアーの全ての事象は男の意を汲んだ側近の指示で動く。スモーキン・ボムならボスんこと怒らせねーからイイんじゃぇかぁと幹部たちが、男の態度を見て判断したということ。

「……」

「オレのやり方が悪くて獄寺クンが苦労してたから、さっきもコートの『着せられ方』、教えてくれたんでしょ」

「……」

「責めてるんじゃないよ?」

 当たり前だ。責められるいわれもない。なのにどうしてか、誰かに対して悪いことをしているような気分になってしまう。

「獄寺クンは昔からもてていたし」

 無言のまま前を歩いていく背中に視線を投げた。すらりとした格好よさの中、主人を庇って露払いを務める緊張感が見える。似たような背中は知っている。身近を囲む側近の中でも、自分の前いつも歩く背中はいつも同じ。それは側近中の側近、右腕、懐刀、サブの立場に居る人間の役目。

「でも手を出しちゃダメだよ。山本が大事にしてるンだから」

「……あ?」

 思わず声が漏れる。にんまり笑ったガキの口角の深さにしまったと思っても遅い。遅い以上は開き直って続けた。

「刀のガキの相手はドカスだろう?」

「あ、良かった。そのこと怒ってないんだ」

 ぼんやりしたガキのくせして自分の声音から、言葉とは別のことを汲み取ったボンゴレ十代目は笑う。

「うん。山本はスクアーロさんのことも好きみたい。今日ね、本当は山本がオレのお供の当番日だったんだけど、ディーノさんと一緒にここに、キミに会いに行くって行ったらさ」

 言葉を切ってクスクスとボンゴレ十代目は面白そうに笑う。少しも面白くない男は黙って歩き続ける。この回廊は長い。ボンゴレ最強と称されるヴァリアーの懐深い場所。

「話してくれたんだ。スクアーロさんと仲良くしたって。それでいいなら付いて行くけどって言われて、さすがにそれはね」

「噛みあわせてみりゃ良かったじゃねぇか」

 自分を見上げるガキのニヤニヤが気に入らなかったから男はそう言ってみた。見ものの勝負になったんじゃないかという含みを篭めて。え、と、大きな目を見開いて沢田綱吉は口を閉じる。そんな表情をしているとこっちもかなり、可愛い顔をしている。顔だけは可愛い。

「……びっくり」

 思わせぶりに呟かれ、なにがだと尋ねるほどに親切な男ではなかった。

「ホントに平気なんだ。ふぅん。心が広いんだね」

「……」

「オレは山本を殴っちゃったよ」

 ぽつりと、どうやらそれを言いたくてさっきから絡んでいたらしいガキが呟く。

「咄嗟に殴っちゃった。色々腹が立って」

「……」

「ディーノさんが凄く落ち込んでて、オレなりに心配していたのに二人とも、オレには原因を話してくれなかったとか。そもそもなんで、スクアーロさんとそんなことしたのさ、とか。獄寺クンのこと好きなくせに。スクアーロさんにディーノさんが居る事も知ってるのに」

「……」

「分からなくって咄嗟に殴っちゃった」

 言葉を繰り返し、なんだか落ち着いている様子を男は無視した。しようとした。乳臭いガキ同士の喧嘩など興味はなかった。その『ガキ』の中には跳ね馬も入っている。

「どう思う?」

 重ねて問われて、知るか、と思っていたら。

「……」

 前を歩いていた細身のハンサムに振り向かれる。

 一瞬だけだった。ハシバミ色の瞳がまなじりでちらりと男を見た。それまでの会話を全て承知の怜悧な色合いで。長い睫に彩られた瞳の迫力もなかなかだったが、媚と哀願を含んだ微妙な角度の唇の色艶が、男にはよりアピールした。

 なんか言ってくれよと告げている。願っている。さっきまでの会話を踏まえた立場で。親友のオンナと寝てしまった部下を殴ってしまったと悔やむ沢田綱吉に、浮気なオンナの主人として何か、と、促されている。

 形のいい後ろ髪や白いうなじ、姿勢のいい背中に腰の揺れない歩き方、そんなものをじろじろ、かなり露骨に眺めていた男は立場が弱い。見られていたことを承知の目尻で促されれば尚更。

「てめぇの立場じゃ、仕方ねぇんじゃねぇか」

 ドン・キャバッローネ、跳ね馬のディーノはこのガキとは仲良し。師匠の筋では兄弟弟子に当たる。このガキが今よりもっとガキだった頃、リング戦当時から随分な庇護と後援を受けていた。ボスの友人のオンナを寝盗るのは仁義から外れた真似で、殴られたとしても文句は言えないだろう。

「一発で済ませてやったんなら恩情のうちだろ」

「オレ、これからどうすればいいと思う?」

「放っておけ」

 自分も関知しない、という含みを篭めて男はそう言った。

異性同性関わらず、ファミリー内部での私通は閥を作ることになる。それは許されていない。だから『外』に出て遊んでくる必要がどうしても起こる。健康な男なら仕方がないこと。それを見ない、気づかないフリをするのも施しのうちだと男は思っている。

「オオカミの群れの、中でオンナをみつけていいのはトップのオスだけだ」

 だから知らないフリをしていろと言ったつもりだった。

「つまり、オレとオマエは好きなのを選んでいってワケだ」

 けれどもズレた解釈をされてしまう。間違いではないから訂正はしなかった。

「いっそオレと仲良くしようか、獄寺クン」

 戯れ半分、嘆きの余りがもう半分の声で、そんな言葉をかけられて。

「二人揃って、ヒバリに殺られちまいますよ」

 前を歩いていた美形は楽しそうに答えた。