初恋・8

 

 

 

 ボンゴレ十代目の逆鱗に触れた雨の守護者は、自主的に自室で謹慎していた。

「おぉーい。メシ、喰えっかぁー?」

 その部屋のドアをドンドンと叩いたのは嵐の守護者。二十歳を迎えて美貌は益々冴え、ボンゴレ本邸の看板に相応しいと最近はことに評判の獄寺隼人。顔のよさで言うならば張り合う上玉がもう一人居るのだが、そっちは世界中をふらふら、和食が食べたくならないと姿を現さないのでなかなか人目につかない。

「ふて寝してねぇで開けろぁ。手ぇふさがってんだぁ、バカモトぉー!」

 もと悪童の気質も最近は落ち着いて、実に素晴らしい補佐役に育って来たと内外に認められつつある若手幹部。だが人間、モトの気性はそうそう変わるものではない。フリをすることに慣れてきただけで、本性は相変わらずの悪童。

「とりあえずツラ見せやがれ。十代目に二枚目にしてもらったツラをよぉ」

 がなりたてるうちにドアがガチャッと開く。その瞬間、獄寺隼人の形のいい鼻先を菖蒲の香りの湯気が叩いた。風呂に入っていたらしい。

「わりっ」

 待たせたことを短く詫びる山本武の髪からは湯が滴り、裸の胸を流れて腰に乱雑に巻いたタオルに吸い込まれる。足元には水溜りが出来かけている。ああ、なんだという表情で獄寺は軽く頷き相棒の侘びを受け入れた。風呂に入っていたのならドアを開けるのが遅くなっても仕方がない。

「ンだよ、後にすっか?」

 尋ねながら獄寺は相棒の顔をじっと眺める。初代以来の剛腕と評判高いボンゴレ十代目から拳の一撃を受け、無残に赤く腫れ上がっていた頬はだいぶ、もとに戻っている。半日かけて冷やしていたのだろう。

「いや、もうあがるとこだったから。ってーか、一緒に入んね?菖蒲気持ちいいぜ?」

 乾燥させた菖蒲を日本から持ち込んで、山本武は時々それに入っている。菖蒲だけでなく柚子の皮や薄荷(ミント)も陰干ししてイタリアへ持ち込み、変わり風呂を季節と無関係に愉しむ。それはボンゴレ十代目にも進呈される。雲の守護者が戻って来た時には必ず。日本の変わり湯に使って和食を食べて、ご機嫌になって眠る雲雀恭弥は、ボンゴレ本邸を温泉旅館のように思っている傾向があった。

「んじゃ、二番風呂いただくか」

 菖蒲湯の香りに誘われて獄寺がそう言うと、精悍なセミヌード姿の若い男はうきうき、腰のタオルを取ろうとする。

「そーしろよ。背中流してやっから」

「てめーはもう上がるんだろーがよ。ツラ冷やしてろ。風呂上りに放っとくと腫れが戻っちまうぜ」

「あー、うん。だなぁ……」

 山本武は素直だった。しょんぼりした足取りで部屋に戻って、タオルでガシガシと頭を拭い体を拭い、Tシャツにジーンズの部屋着を纏って冷蔵庫から保冷剤を取り出す。ハンカチに包んで右の頬に当てる。その間に獄寺は脱衣所で服を脱ぐ。ヴァリアーを来訪した時のキメたスーツ姿でこそないが、お気に入りのシャツとスラックスをハンガーに掛け、下着は無造作に脱衣籠に放る。

ボンゴレ本邸の中で、幹部たちの私室は2LDK、日本で言えば小家族向き分譲マンションほどの空間を占有している。それぞれが入居する時に好みに合わせてた改装をした。洒落者の獄寺は居間全体をウォークインクローゼットにしてしまった。

結果、非番や休日にごろごろと寛ぐときは、山本の部屋に転がっていることが多い。窓際のカウチは獄寺の専用。その周囲には定期購読している雑誌がラックに整理されて置かれ、下着も着替えもきちんと洗濯されて箪笥の引き出しに納められている。

「ツナさぁ、まだ怒ってっかぁ?」

 赤味は引いたが腫れはまだ残る顔で、ハンカチ片手に山本が浴室へやって来た。この部屋の風呂はヨーロッパ風の浅いものではなく、日本式の肩まで漬かれる、もちろん脚が伸ばせる大きなサイズ。人口大理石の浴槽は菖蒲湯を適温に保ったままで、清冽な香りの湯は獄寺を暖かく包み込んだ。

「あー。キモチいい……」

 目を閉じ浅く息を吐く獄寺は、前髪が湿って額に張り付いているせいもあって幼く見える。思わずへらっと笑いそうになり、いやそんな場合ではないと、山本は意識して表情を引き締めた。

「侘びに行きたいんだけど、受けてくれそうか?」

 真面目な顔をすると頬の筋肉が引き攣って痛いのだが、自分たちのボスへ謝罪に行く相談を、まさかヘラヘラ、笑いながらする訳には行かない。

「……」

 その顔を浴槽から見上げた獄寺が手を伸ばす。戦闘の傷跡が何箇所かあるけれどきれいな腕。Tシャツの胸倉を掴んだ指の力は軽かったが、頑丈でしたたかな若いオオカミをヨロリとさせる魅惑を帯びている。

「……ちゅ」

 獄寺の方から唇を重ねた。長い睫が若い男の目元に当たって、甘い疼きを生じさせる。男は保冷剤を包んだハンカチごと両腕を自分の背に廻す。そうしないと理性が持ちそうになかったから。キスに唇だけで答える。けっこう長く、お互いに愉しみながら、暖かな唇の感触を味わう。

「なぁ……」

 アッシュグレイの珍しい色の髪を湿らせて、際立つ美貌の長い睫を伏せて、獄寺隼人は甘い声を出す。

「話せよ。もう、バレちまったんだから、よォ」

 哀願と脅迫を微妙にミックスした声で。

「やっぱヤってたんじゃねぇか。ンな気はしてたんだ。あの頃、オマエ、オレにナンか、ミョーに優しかったぜ」

「心外なのなー。俺はいつだってオマエに優しいぜ、獄寺」

「それがほんとなら喋れ。ギンザメ、どーだった?」

 ほかほかの湯で温まり透明感を増した肌を若い男の見た目より厚い堅い胸板に摺り寄せながら、獄寺隼人は普段の振る舞いからは連想しがたい媚を見せて強請る。

「話せよ、なぁ。オマエも念願叶ったんだろーけど、オレもすっげぇ楽しみだった。あの跳ね馬があんだけのぼせ上がってやがるオンナだ。さぞ美味かったんだろうな?」

「……ごめん」

「シラきってたことなら許してやっから、喋れ。服はどーしたのか、そこからな。オマエが脱がせたか、自分で脱いだのか」

「ごめんな」

「色とか、匂いとか、全部。……話せよ」

「俺、悪ィ男で、ごめん」

「……知ってっか?」

 相手のTシャツが濡れるのを全く構わず、獄寺隼人は遠慮離欠片もなく、若い狼の鬣を掻き毟る。

「オマエのその、わりぃトコロを、俺ぁ物凄く、スキだぜ」

「すっげぇ愛してんのな、獄寺」

 同じファミリーの中に居るから、セックスは出来ないけれど、それでも心から。

「知ってる」

「でもスクアーロのこともマジ好きで」

「知ってる」

「ごめんな」

「さっきからの、そのごめんは、つまり」

「ごめん」

「話してくんねーのか?」

「……ごめん」

「ヤレねぇオレよりギンザメが気に入ったって訳か?」

「オマエを愛してる」

「それは知ってるって」

「わりぃオトコで、マジ、ごめん」

「わりぃトコロをオレも好きだから安心しろ」

 

 

 

 

 謝罪のための面会を部下から申し入れられ、それを許したボンゴレ十代目は。

「二人でほかほか仲良く来ないでよ。マジに怒った、オレがバカだったみたいじゃない」

 既に怒ってはいなかった。しかし菖蒲湯の香りと湯気を纏った側近二人に、思わず当り散らす。同じ風呂に一緒に入ってきた湯上りです、と言わんばかりの様子が嘆かわしい。

「あ、うん。……ごめん」

 仲良しを見せ付けるつもりはなかったのだが、結果的にそういうことになった山本が謝る。

「ごめんな。スクアーロとのことも、ツナに迷惑かけることになるとは思わなかったんだ。ごめん」

 悪いことをしたとは思っていない。合意の上で、お互いに優しくしあっただけ。それで跳ね馬のディーノが嘆いたところまでは想定の範囲内だったが、嘆きの余りボンゴレの総帥となった沢田綱吉に口利きを頼みに来るとは予想していなかった。

「ヤっちゃったこと自体は謝らないんだ?」

「あー、うん」

「そうか。じゃあオレが謝る。勝手な正義感で殴ってしまって、ごめん。オレを殴り返していいよ」

「ンなこたねぇし、しねぇよ。ツナが怒るのも分かるし。あれだろ?オレが獄寺ンこと裏切ったと思ってそんで獄寺のために殴ってくれたんだろ?ありがとな」

 へらっと、いつもの調子で笑われてしまって。

「……裏切ったんじゃないの?」

 不思議そうに、いっそ傷ついた表情で沢田綱吉が尋ねる。

「んー。マァ、ナンてぇか、イワクイイガタイって言うか、すっげぇビミョーなんだけど、裏切ったとかじゃないのなー」

「獄寺君は、いいの、それで?」

 謝罪に付き添っただけで、それまで全く口を開かなかった右腕に沢田綱吉は問う。

「こいつけっこう、アレにマジみたいですよ」

 獄寺隼人は、いいどころではない。ニカッと笑い、スッパ抜く。

「他所で女と遊んで来た後はこいつ、その女がどうだったが、そりゃあ詳しく、いつも話すんですが」

「おい、獄寺」

「……それどういうプレイ?」

「それがあのギンザメのことは一言も漏らさない。寝たことも二ヶ月、黙ってやがったぐらいです。マジですよ」

「なんでそれを嬉しそうに話すの?」

「安心されたでしょう?バカモトがマジなら後は跳ね馬と男同士の勝負になるだけで、十代目のお顔は潰れませんよ」

 遊びでボスの兄貴分の恋人に手を出したのなら道義上の問題があるけれど、本気で惚れているのなら仕方がないと判断されるのがイタリアの習慣である。真面目な恋の情熱は全てを貫く。それが人妻ならまた話は違うけれど。

「心配でたまらないよ」

 カミサマボクはバイですが真っ当です、と、バチカンの門に跪きたいキモチで若い十代目は天井を仰ぐ。