座れ、という仕草と視線を受けて、男の対面に腰を下ろした銀色のオンナも。

「オマエのガキじゃねぇ」

 度胸ということに関しては、何処に置いても見劣りしたことがない。

「オマエの人生とはナンの関係もねぇ。気にしねぇでくれ」

 向き合って目を見ながらの先制攻撃に。

「……」

 オトコは返事をしない。さらさら艶々の髪を眺めている。半年ぶりに会った銀色のオンナがやけに美しく見える。

「オレが言いたいことはそれだけだ。そっちは?」

 促されて、そして。

「帰るぞ」

 男は静かにそう言った。静か過ぎて意味が分からなかったらしい銀色のオンナは小首を傾げる。小さな形のいい頭が動くのにつられて髪が、さらっと、傾いた方向へ流れる。

「お待たせしましたボス。あら、スクちゃん、お久しぶりね」

 そこへ明るいオカマが登場する。両手に市場で買ってきたホットワインを手にして。まずザンザスの前に置き、スクアーロにもはいと手渡した。もともとそっちと会いたくて市場に来たオンナは、よぉ、と短い挨拶をして頬を寄せる。

「久しぶりだなぁ。元気かぁ?ベルは?」

「みんな元気よ。アンタも元気そうで嬉しいわ」

「オレぁいつでも元気だぜぇ」

「そうね。良かった。本当に嬉しいわ……」

 オカマは感極まって涙声になる。サングラスの下では涙ぐんでいるかもしれない。頬を寄せ合って唇の端に軽いキスを交わし、離れていくオカマに、ベルによろしくなぁと銀色のオンナは言葉を添えた。

 オレはどうなんだ、と。

 男は言いたい。オレによろしくはねぇのか。オレには元気たったかと何故尋ねない。キスは?

 不満を抱きつつ紙コップに手を伸ばす。暖かなワインに氷砂糖が溶かされたそれは甘く、いつもの男なら飲まなかったかもしれない。が、寒さと目の前のオンナの存在が男の気持ちをおかしくしていた。湯気の出るワインの温かさが腹の中に沁みる。

 オンナもカップを手にして口をつけた。湯気に睫がゆれているように見える。

「飲んだら、帰るぞ」

 瞳を伏せた美貌を眺めながら、男はもう一度、告げる。この男にしては奇跡的なほど優しい声で。

「……」

 今度はオンナが言葉を失ってしまう。意味を理解して、びっくり呆然、そんな風に見える。

「……ザンザス」

 普段切れ長の目を見開いた表情が幼く見えて、あんまり可愛らしかったから。

「無断……、外出はなかったことにしてやる」

 男は優しい言葉を継ぐ。無断『脱走』と言わなかったのは本当に優しいことだった。

「帰るぞ」

「……戻れねぇよ」

「どうして」

「オマエが知ってない筈はねぇと思うけどよぉ、オレもう、ガキの情婦だぜ?」

 それは男が一番聞きたくないことだった。わざわざハキハキ、聞きたくないことを聞かせるオンナの無神経さに腹が立ち、不愉快になっていくのを止められなかった。が。

「なかったことにしてやる」

 眉間に皺を深々と刻みつつ男らしいことを言った。出産までの庇護と『事後処理』協力と引き換えにあんなガキの寝室に侍ったことを、忘れてやると、言っている。仕方がない事だ。事情があったのだから。

「どうしてオレに相談しなかった?」

 でも我慢できずに尋ねてしまう。外へ飛び出し他の男の懐に入る前に何故、自分に一言、告げなかったのか、と。

「オマエに言うのが一番ヤベェよ」

「どうして」

「オマエのガキじゃねぇから」

 オンナの言い訳をオトコは笑い飛ばす。そんな筈はないことを知っている。オレにベタ惚れだったくせにナニ寝言いってやがる思っている。もちろん、何故そんな寝言を言うかは承知で、それは言わなかった理由にはなっていた。

「始末しろって、言うと思ったのか?」

「おぅよ。邪魔だろ?」

「別に」

「ウソつきやがれ」

「ウソじゃねぇ。婚約は破棄した」

「……」

 それはオンナも知っていたらしい。養父が勧める相手と結婚するのを、オトコはやめた。色々、それで証明したつもり。さすがのこのバカも分かるだろう、納得して帰ってくるだろうと思っていた。

「ほかに不満があるなら言え」

「それでジジイが諦めたワケじゃねぇだろぉ?」

「オレがしねぇと言っているんだ」

「あのジジイがオマエの意思を尊重してんのなんか、オレぁ見たことねー気がするんだけどなぁ?」

「今度は、通す」

 オトコが断言する。それを嘘とはオンナも思わなかった。でも浮かない顔をしている。

「ほかに不満があるなら言え」

 オンナが嬉しそうではないのを見てオトコが喉をなでてやる。

「でもよぉ、オマエはオレと結婚してくれるって、ワケじゃねーんだよな?」

「してぇのか?」

「今よぉ、オレぁ、すげぇ好きだったヤツのガキ、産んで育ててんだぁー」

「だから、なんだ」

「中断したくねぇ」

「手元で育ててんのか?」

「養子に出した。でも時々会ってるし、すげぇ可愛がってもらってんだ。生まれた時よりずいぶんでっかくなって、すっげぇ、カワイイ」

 うっとり語られてもオトコには共感が出来ない。見たこともないモノ。要するに、と、オトコはオンナの話を整理する。

「オレと結婚してガキを育ててぇのか、テメェは」

「あー、そー、出来たらなぁ、オレぁもー、死んでもいいぐらいシアワセだなぁー」

「……」

 やっと笑ったオンナを眺めながら男は考え込む。結婚も子育ても考えた事がなかったから、どうだろう、と想像も出来ない。

「オマエは想像もつかねぇだろ」

「……いま考えてる」

「ムリすんなぁ。オマエにゃ子供も、オレも邪魔なんだぁ」

「そんなこたぁ、ねぇ」

 それだけははっきりと否定した。邪魔どころではない。このオンナが出て行ってから半年、仕事以外では殆ど誰とも喋らず孤独にすごしている。これがそばに居ないと酒の味さえおかしい。寂しさに耐えかねて、市場に来るという話をルッスーリアから聞いてたまらすせ迎えに来てしまったのだ。

「夢は、ゆめだぁ。出来ねぇのは分かってる」

「……まだ考えてる」

「オマエがうんって言ってくれたってジジイが許さねぇよ。オレは排除されても、自分からオマエに惚れたンだから自業自得だぁ。でもよぉ、子供は、そんなの可哀想だろ。最近なぁ、沢田綱吉にホントの事を色々喋ってなかった、家光の気持ちがちょっと分かったりもしてなぁー」

「……」

嫌いな男の名前を出されて男は黙り込む。

「だから、出来ねぇ、のは分かってっから。勝手なことして悪かったと思ってるし、オマエがそのこと、許してくれンのはすっげぇ嬉しいぜ」

「そうか」

「オレぁ戻れねぇよ」

 男の目を見てはっきりと、銀色のオンナは告げた。

「すげぇ好きなヤツの子供、産めたんだ。ガキの頃から避妊薬のまされてて、生理もあったりなかったりなのに、孕めたのは奇跡みたいなモンだぁ。生まれたの抱きしめた時は嬉しかったなぁ。やっとオマ……、そいつのこと、抱けた気がしたぜぇ」

「……」

「離れられねぇよ。でかくなんのを、近くで眺めときてぇ。いーとこに貰ってもらえて、オレより全然しっかりした両親ついてっけどなぁ。でもまぁ、困った時に助けてやれる大人は、少ないよか多い方がいーだろ?」

「要するに、ジジイが恐いのかテメェは」

「まぁそうだなぁ。でもそれだけじゃねぇ」

「オレが信用できないのか」

「らしくねぇからなぁ。オマエに家庭とか似合わねぇし」

「結婚してやるぞ」

 心を決めた男がそう言い出す。これが帰ってこないと言い張るのなら、その程度の譲歩をしてもいいと思った。近くに居ないと不自由で、何も面白くない。

「……そっかぁー」

 オンナが嬉しそうに笑う。にこにこ、でも、どこか寂しい気配は目尻から消えない。

「嬉しいぜぇ、ザンザス。すっげぇ嬉しい」

「そうは見えねぇぞ」

「出来ねぇだろ。身分違いだ。許されねぇよ、そんなの」

「オレはもうボンゴレのボス候補じゃねぇ」

「でもあのジジイの寵愛を受けてるだろぉ」

「気色の悪い言い方をするな」

「あり得ねぇんだよ、オマエが手に入るなんてことは」

「逃げ口上じゃねぇのか?」

「絶望だなぁ、どっちかってぇと」

 空になってしまったホットワインの紙コップを、大切そうになでながら銀色のオンナは言う。

「ヤマモトにも、実は沢田家光からも、何遍か、オマエに連絡しろって言われたんだぁ。戻んなくっていーからよ、せめて元気で居るって伝えろ、ってさぁ」

「……全くだ」

 完全に音信不通であった半年間を、男は暗に責める。肝心なことを知らなかったから色々と考え込んでしまって、苦しい時間を過ごしていた。

「オレだってオマエが恋しかったけど、でも、もー会えないって思ってたから、アキラメはついたなぁ」

「どうしてだ」

 別れ話をした覚えのない男にはオンナの言葉が不本意。

「オレはオモチャで、愛人じゃなかったし」

「結婚してやると言っているだろうが」

「オレが避妊薬、飲まされてることオマエは知ってたよな。承知してたんだよな?」

「こっちのせいだけみたいに言うな。てめぇも承知の上だったはずだ。色々面倒だったからだろう」

「おぅ、まぁ、そーんなだけどなぁ。奇跡が起こってみるとよぉ、こーゆー祝福を最初っから、くれる気がなかったオマエはオレを好きじゃなかったんだなあって、思い知ったりしてなぁ」

「つれて帰って、きてもいい」

 男は最大限の譲歩をした。

「その言い方が、オマエの本心だろ」

 オンナに寂しそうに言われて、嫌々の承諾に聞こえただろうかと男は後悔する。

「つれて帰って来い」

「オレに、もう、かまわねぇでくれよ」

 はっきり、落ち着いた声で静かに、オンナは男に、真っ直ぐそう言った。

「情けをかけてくれんのは嬉しいけどよぉ、困る。オマエにこんなことされっと、オレに未練があるんだってジジイに誤解されちまう」

「……誤解じゃねぇ」

 未練はある。盛大にあるとも。だからこそ、自分から出て行ったオンナのことを迎えに来ているのだ。何もかも許して、忘れてやる覚悟で。

「嬉しいけど、困る。オレのついでに子供まで標的になっちまう。オレぁオマエに捨てられて忘れ去られてぇ。じゃねぇと、子供が、なにされっか分かんねぇ」

 銀色のオンナの危惧を勘違いだとは、男も言えなかった。

「オマエにずっと片思いしてるぜ、ザンザス。一生多分、愛してるオトコはオマエだけだぁ」

「……てめぇは」

「けどよ、オマエは、オレにもう構わねぇでくれ」

「オレを捨てんのか」

「自分の恋より、アイツを護りてぇんだ」