信じているのも、理由のないことではない。
けれども、それは事実ではなかった。
「……退いちゃあ、くれねーんだろーなぁ……」
自分の前に、ボンゴレ十代目の館に、無断で忍び込んだオトコに目の前に立たれて。
「オレも、いーかげん甘ぇよなぁ。オマエがオレの頼みなんか聞いてくれる、ワケがなかったのによォ……」
泣き出しそうに可哀想な表情でオトコのことを悲しそうに眺める。
「オマエとやってもオレが負けるし、助太刀読んでオマエのこと囲むのも、なぁ……」
出来やしないと嘆くオンナに、火傷の痕のある男は歩み寄る。そうして屈んで、そっと俯く耳元にキスをした。薄暗い深夜の館の中、中庭の回廊で、オレンジ色の常夜灯に照らされた白い肌が美しく見えた。
「なんで呼ばねぇんだ?」
侵入者発見と騒げばボンゴレの幹部たちが駆けつけて来るだろう。さすがのザンザスも、ココの全員を相手にしての勝ち目はない。沢田綱吉の実力を誰よりも知っている。
「さぁなぁ、ナンデかなぁ。オれにはやっぱ、オマエだけがボスだから、かなぁ」
オンナが嘆く口調で言う。男がゆっくり腕を伸ばす。臆病な猫を抱くように本当にゆっくり。銀色の女は静かにしていた。暴れたり嫌がったりされないのに、男は心からほっとした。
「刀のガキは、何処だ?」
話をつけなければならない相手のことを尋ねる。
「いねぇよ」
「……そうか」
それが残念なことなのか都合のいいことなのか、男にはよく分からない。居たらどうするか決めて来たのではなかった。
『自分のもの』に手を出したという意味では憎い恋敵。けれどもこの女と女の腹の中に居た子供を、その恋敵が九代目や他の障害から守り抜いて『くれた』のは事実。
自分はもしかしたらあのガキに、礼を言うべき立場かもしれないと、冷静かつ頭のいい大人の男は考える。コレが自分からガキの庇護を受けたというのなら、対決して叩き伏せても意味がない。跳ね馬のやり方は愚かだ。
世話になったなとまず礼を言って、それからの交渉だろう。
「テメェの、部屋は?」
そっと抱きしめ、さらさらしっとりの髪を撫でながら尋ねる。
「来るのかぁ?」
抱きしめたカラダは相変わらず細いけれど弾力があった。髪を撫で回すついでに指先で触れた頬はつるんとして健康そのもの。新しい住処で幸福に飼われていることは確か。でも。
「入れろ」
だからといって退くことは出来なかった。これが今、幸福である事は分かる。けれども代わりに自分がひどく不幸。コレが近くに居ないと死にそうな自分に優先権があると男は思っていた。
「ヤったら、大人しく帰ってくれっかぁ?」
「ああ」
てめぇを連れてな、とは、心の中だけで続けた。
「こっちだぁー」
先に立って歩かれる。半歩を詰めて並び、細い腰に腕を廻す。曲線に触れた瞬間、指先が止まった。知っているこのオンナの腰とは違った。
「……よくも」
子供を産んだからかもしれない。けれども別の嫌な連想が男の胸の中を占める。
「なんだぁ?」
「あんなガキに、好きにさせやがったな……」
オレのお気に入りだったのに、という恨みつらみを、篭めたセリフだった。
「ホントになぁー」
オンナがそれを否定しないのが、唇を引き裂いてやりたいほど憎らしい。
「マジ情けなくなるぜ時々。あんなガキのいいよーにされて。若い女なら初心いのも可愛いだろーけどよぉ、子持ちで三十寸前の年増でオトコ居たのに色んなこと知らなかったってのは、すっげぇ情けないなぁー」
「あ?」
「キスの仕方も、ろくに知らなかったのは、オマエがマトモに、しても、させても、くれなかったからだぁー」
小さな声で囁きあいながら並んで歩くオンナが真剣に嘆く。
「……」
そうだったかと男は考える。していない筈はない。何度もした、筈だ。けれど記憶にはろくに残っていない。
「舌、舐めあいながらどーやって息、すんのかも知らねぇで、窒息しそーになって大笑いされたぜ」
実際は可愛いトコあんのなー、と、天真爛漫に嬉しがられた。もっとオトナでいろんなコト知っていると、思ってたけど意外だったのなー、と。
ダイジにされていたんだねアンタ、という、あのガキの解釈は的外れだ。そのズレ方が獄寺には気に触るけれど銀色のオンナにとっては救い。
「知らないことばっかで、あんなガキに弄られてヒィヒィ啼かされて、オマエにすっげぇ、手ぇ抜かれてたんだなぁ、とか、思い知るの死ぬほど寂しいぜぇ」
「……違う」
手を抜いていた訳ではない。
「ベルトも外さねぇで、前だけあけて、服着たマンマでしか抱かれたことねぇとか、情けなくって誰にも言えやしねぇ。ジッパーとバックルの距離分遠くって、クリに当たってアチィのにびっくりしたり、なぁ」
実にハキハキと、オンナはそんなとんでもないことを喋る。
「年甲斐なくって、すっげぇ情けないぜぇ」
「オレは、誰にでもそうだ」
オマエだけではないと男は内心、かなり必死に釈明をした。まさかコレにセックスのやり方が手抜きだったと真正面から、非難されるとは思わなかった。
「ダレにでもそーで、オレにもそーだったんだよな。よーするにオマエはセックスもメスも嫌いで、オレともホントはしたくねーけど溜まるとイラつくから吐きだす必要があって、仕方なく、嫌々ヤってんだぁ」
「勝手に決め付けるな」
男は言ったが、自分にそんな傾向があることは全否定できなかった。男の母親は娼婦で、美人だったが崩れて荒んだ生活をしていた。一間しかない狭いアパートで、母親の『商売』を目撃してしまったこともないではない。セックスもメスも本当は嫌いなんだよと否定されて動揺しているのは、それが事実と、自分で認めたから。
けれど。
「てめぇは、別だ」
わざわざこんな深夜に危険を冒して忍び込んできたことで察しやがれと、男は不満そう。
「テメェだけは別だ」
「オマエが欲しいのはオンナのオレじゃなくって二代目剣帝の付加価値だろぉ。抱くのは、ヤって服従させねーと安心できねーんだろぉ」
「違う」
「オレぁオマエを好きで愛してて、だから、オマエに脚ひらいてたんだけどよぉ」
「オレもだ」
「オマエは違ったんだなぁ、って」
「愛しているから抱いてきた」
「十何年もたってから思い知るのって、死ぬほど情けねぇなぁ」
「違う」
「絶望ってのは、こーゆー気持ちをいんうだな、って」
「バカのくせにモノを考えるな」
「すげぇ悲しかった」
「おい、ドカス」
「マジ、悲しかったぜぇ」
嘆かれるとこっちの胸の奥がズキズキ、痛んで息も苦しくなる、これが。
「てめぇの勘違いだ」
愛情でなくて、なんだ。