幸福な時間を邪魔する内線の音が響く。

 らしくない、緩慢な動きで起き上がりかけたオンナの肩を、オトコが引き戻す。

 オンナは一旦、大人しくオトコの腕の中へ戻った。体中がまだ感電して、痺れたようになっている。関節にうまく力が入らない。でも内線の呼び出しは鳴り続ける。オンナがもう一度、起き上がろうとする。

 オトコは今度は止めなかった。でも自分も起きて、身動きのぎこちないオンナより先に内線の受話器を手に取る。防諜の必要上、当然のように有線の、電話の向こうは予想していた相手だった。

『おはよう、ザンザス』

 向こうもこっちが誰なのか分かっている。超直感というものは便利過ぎて時々、こんな皮肉なことになる。

『スクアーロさんは起きてる?』

「寝てる」

 オトコは即答した。え、と、オンナは切れ長の瞳を見開く。が、言葉にしては、抗議しなかった。

 代わりに自分も起き上がる。バスローブを羽織ってベッドから出る。床の上に脱ぎ散らかした二人分の衣服を拾う。オトコのシャツをばさばさと埃を払い、壁掛け式の内線電話で喋るオトコの肩にそっと掛けた。

 そのオトコの子供まで産んだのに、初めて見たかもしれないオールヌードは体中に這う火傷の痕までセクシーで、オンナは正直なところ見惚れた。けれど眺めていたい欲よりも寒そうな肩が気になった。ボンゴレ本邸は広すぎて古い建物が多く、この館はセントラルヒーティングではない。この部屋には床暖房が入って快適であるのだが、昨夜はそれを点ける間もなく、ベッドの中へ縺れ込んだ。

『いらっしゃい、って言いたいけど、夜が明ける前に帰って欲しいんだ』

 時刻は夜明けの、少し前。無断の来訪に気づきつつ制限時間一杯まで待ってやった沢田綱吉は優しい。

『その前にオレの部屋に来て。話がある』

「分かった」

 オトコはあっさりと答える。受話器を壁の本体に戻し、自分の前に回りこんでシャツのボタンを留めようとするオンナの手を握り、引き寄せ、重心を崩してよろめく肩を抱いた。

 愛していることを改めて気づきながら。こんなに愛おしい女はほかに居ない。心から愛している。けれどそれ以上に、こんなに自分を愛してくれる女には二度と巡り会えないだろう。

「……ん」

 キスをしようとした。肩を捩り目を閉じて嫌がられる。その肩をぐっと抱きしめ、顔を覗き込むように屈んでもう一度。今度はキュッと唇を噛み締められてしまう。

「おい」

 男は眉を寄せる。拒まれたことが不愉快なのではなくて。

「怪我するぞ」

 形のいい唇が切れるのが気になってそう言った。この男に、そんな言葉をかけられることに、可哀想なほど馴れていないオンナは反射的に口元から力を抜いてしまう。その隙を見逃さずに。

「ん……」

 柔らかなそれを啄ばむ。逃れられないよう女の背中へ腕を廻す。かなり露骨に尻を撫で回す。そんな仕草は、したことがなかった。

「な、に……?」

 するんだ、という表情で銀色のオンナは顔に火傷の痕のある男を見上げて。

「刀のガキは、いつ帰って来る」

 沢田綱吉もそうだが、まずはそっちと話をつけるべきだと、分かっている頭のいい男は上での中のオンナの庇護者のことを尋ねた。

「暫く戻らねぇよ。ジャポネに出張中だぁ」

「そうか」

 いますぐそいつと話をつけて、このままコレを連れて帰りたい男はがっかり。落胆の表情をどう解釈したものか、オンナが顔色を蒼白にして、そして。

「なぁ、なぁザンザス。山本はよォ、全然、ナンにも悪く、ねぇぞぉ?」

 着せかけたシャツに縋り付くようにして、必死に掻き口説く。

「アイツはよくしてくれたんだ。全部、オレが、頼んだことなんだ。なぁ、アイツにひでぇことしねぇでくれよ、なぁ」

「……」

 必死に庇おうとする様子が気に入らない。ぶち殺してやるとうそぶけば泣き出すだろうか。泣かしてしまいたいと思わないでもなかった。けれど。

「そうか」

 憎らしい、と思う心と裏腹に、口が勝手に動いてしまう。

「許して、くれんのかぁ?」

「仕方ねぇだろう」

 てめぇが頼むのなら、と、そこまでは勢いがもたずに続けられなかった。何かを言い足りない気がして、でもそれかせ何なのか分からず、むずむずする唇をもう一度のくちづけで宥める。今度はオンナは逃げようとしない。そのことに男はひどく安心した。

「沢田綱吉のところに行く」

「ついてって、やろーかぁ?」

「誰に言ってんだてめぇ」

 男は思わず噴出してしまう。けれどその気遣いが不快ではなかった。心配するというのは愛情の証明だから。

「……またな」

 男がそう告げたのは未練を断ち切るため。昨夜抱きつくしたオンナが可愛くて愛おしくて、ずっと抱いて触れていたい未練を諦めるため。刀のガキが居ないというのなら出直すしかあるまい。アレが居ないからコレを抱くこともないのだと、思えば手ぶらで戻るのも、そう口惜しくはない。

「なぁ」

「なんだ」

「銃、もってっかぁ?」

 服を着ていく男に、スラックスやネクタイを差し出しながら銀色はそっと尋ねる。

「持っている」

 射撃に関して素晴らしい腕を持つこの男はいつも懐に銃を忍ばせている。だから脱がないしオンナを抱きしめないのでもある。メスより武器を有線させてきたと言えばいえる。

「くれよ」

「……」

 唐突なおねだりに男は戸惑った。けれど昨夜、オンナに願われるまま脱ぎながら、寝台の下に隠した銃を取り出す。弾丸数が多く、弾倉交換式で弾詰めの容易なオートマチック。抜き差ししやすいよう標星を削り落としたソレは、何年も男の掌の中に納められてきた愛用品。

「ダメかぁ?やっぱオマエは、オレよりそっちを好きかぁ?」

「……まだ考えてる」

 こくれよと、言い出したオンナの意図が分からない。オンナに今、これを渡せば男は丸腰になる。それで沢田綱吉の前に行くのは少し嫌だった。加害されるという危惧ではなく、武装解除に応じたという解釈をされてしまうのが不本意。

「ムリすんなぁ。オレが悪かったごめんなぁ。ソレ、オマエのダイジな恋人だもんなぁー」

 という銀色のオンナの、言い方が男の癪に触る。

「嫌味を言うな」

「だってそーじゃねーか。いつもいつも、オレにはまともに触ってくれたこともねーくせにソレばっか撫で回して、分解したり組み立てたり、フェチだよなぁ、オマエ」

 確かに愛用の銃の手入れは趣味。暇があれぱソファにふんぞり返り、膝の上に布を広げてその上に部品を置いて、油を塗ったり磨いたり、していることは事実。

「拗ねるな」

 男は銃を持ち直した。銃身を掴んでオンナに差し出す。男に悲しみを訴えていたオンナは一転、ぱあっと周囲が明るくなるほど嬉しそうに笑った。

「マジかぁっ!」

「マジだ」

 受け取ったオンナは嬉しそう。それで自分までたまらなく嬉しくなる男は、ようやく、自覚した。

「ありがとよぉ。ダイジにするぜぇ。なぁ、ザンザス」

 これが自身の愛しい半分であるということ。

「なんだ」

 ずっと前からそうだった。気づいていなかっただけ。寂しがらせて悲しませ苦しめてしまったけれど、愛してくれるのは本当はコレだけ。

「オマエが今度、ここに来たら、オレぁコレで自殺するぜぇ」

 受け取った銃をオトコの半身であるかのように撫でる。

「オマエに殺してもらえるよーなモンだぁ。本望だぁ」

「……なんて言った?」

 嬉しそうなニコニコ顔を崩さないままで。

「最後にお願い、きいてくれて、ありがとなぁー」

 とんでもないことを口走るオンナを、オトコはまじまじと眺める。