「こーゆーこと、されたら困るってことは、オマエの方がオレよりも、よぉく知っているんじゃないの?」
未来のボンゴレ十代目はパジャマ姿で苦情を言う。ワケアリな関係の年上の身内に嫌味を言う。時刻は夜明け前。深夜に目覚めさせられて、朝と夜の間のこんな時間になるまで待っていてやった気遣いと、侵入を責めることは別の話。
「まぁ、武器を持ってないのに免じて今回だけなかったことにするけど、ホントに今度だけだからね?」
若い十代目の私室で、侵入者は大きなソファにどかりと腰を下ろして脚を組んでいる。若い十代目は無礼を咎めもせずバーカウンターの内側に入り紅茶を煎れている。砂糖の代わりにブランデーを注いで差し出す優しさは女うけがいいだろう。
「なに?」
カップから立ち上る湯気にヘネシーの香りを嗅いだザンザスはじっと、それを差し出した若い『身内』の顔を眺める。可愛い童顔をしているくせに中身はバリバリのモンスター、身の下は性悪であの雲の守護者を侍らせた上に、日本には女を複数、『後援』しているというとんでもないガキ。
「……なんでもねぇ」
そのとでもなさが当の女どもに許されているのはみの優しさのおかげかと、そんなことを、男は思ったのだ。ヤワさや柔らかさを軽蔑して生きてきた男だったけれど、自分がそのせいで今、人生の岐路に立っているということは分かっていた。
「ザンザス」
様子がおかしいことに気づいた沢田綱吉が改めて名前を呼ぶ。愛想が悪いのはいつものことだが、今日はまたいっそう、こっちに関心を払わない。それは無視ではなく心ココにあらず、考え込んでいるのではなくぼんやりしているのだと、ようやく思い当たって。
「どう、した?」
尋ねる。男は黙り込む。どうしたもこうしたもない。自分は結局、ここまで出向いてふられてしまったのだ。来ないでくれとそういえば言われていたのに無視して自分の欲望を優先した。
それが悪かったのか。悪かったのだろう。だが命を盾にとられるほど悪いことだろうか?
そこまでやるこたねぇだろうと文句を言いたい。出奔からずっとアレには実力行使をされ続けているのだ。そばに居ないという実力行使に息さえ苦しくて生き難い。一回ぐらいオレがやり返したっていいじゃねぇか、と。
甘ったれたそんな台詞を、どうやれば言えるのか、男は知らなかった。
「スクアーロさんのことなら、心配要らないよ」
自分の紅茶には蜂蜜を溶かして、沢田綱吉はそんなことを、そっと、ザンザスの気持ちに刺さらないよう気を配りながら囁く。
「あのヒトは前からウチとは、わりと馴染みだったし。山本のことでよく日本にも来てたからさ」
「……」
「仲良くしてるよ、みんなと。仕事手伝ってもらってウチも助かってる。元気にしてるから、心配しなくてもいいよ」
「……」
心配を。
してもらいたいのはこっちだと、暖かな紅茶に口をつけながら男は思った。心配されたいのはこのガキにではなかったから、言葉にはしなかったけれど。
「正直、オレはね、オマエがスクアーロさんの……、えっと、あー。まぁいいか、もう分かってるだろうし。オレはオマエがスクアーロさんと子供のことをさ、始末しようとするとかは、思わないんだけど」
この男は長年の情婦に家出をされて婚約を解消した。それくらいなら最初から婚約なんかしないでおけよと、沢田綱吉としては思う。思うが、良家の子息として育ったザンザスには政略結婚に対する義務感があったのかなとうっすら理解もしている。
「でもスクアーロさんは凄くオマエを恐がってた。今も、凄く恐がってる。オマエに関心を持たれて、それが九代目に注目されて、子供が問題にされるのを泣くほど恐がってる」
「……」
それは本人にも言われた。だからもう近づかないでくれと願われた。男は到底、納得できなかったけれど。
「これ以上オマエがつつくと、あの人、子供を抱いて行方を晦ましちゃうよ」
「……」
そんなことはしない。ボンゴレの強さも恐さも知っているあのバカは、逃亡しきれないことを分かっている。だから死ぬぞと脅しをかけて来たのだ。すると言ったらやるヤツだ。男はそのことをよぉく知っていた。
「もうちょっとさぁ、そっとしといてあげようよ。トラだってクマだって子連れには近づくなって鉄則じゃない。気が立ってるんだよ。落ち着いたらきっと、話を、聞いてくれると思うよ」
「……」
こんな、ガキに。
説教というほどでもないが懇々と諭される自分の立場が男は馬鹿馬鹿しかった。そのガキの言葉にかすかに、救われたようになっている自分の気分はいっそ可笑しかった。
「たださ、スクアーロさん今、山本の恋人だから」
「アレにゃ別のが居るだろう」
「獄寺クンのこと?居るけど、それがナニ?」
開き直って尋ねるガキは実に可愛くない。
「オレはね、二股や愛人を悪いこととは、少しも思わないんだ」
このあいだまで女の子のようだった、目の大きな可愛らしい顔で、未来のボンゴレ十代目は堂々と、自身の性悪を認めた。
「そりゃ勿論、黙って騙したら犯罪だ。でも女の人が承知で、もとからのヒトにも認めてもらって、ちゃんとできるなら、何処が悪いのかオレには分からないな」
「連れて帰りてぇ」
「それはオレに言うことじゃないんじゃない?」
全くそのとおり。言って通るとは思っていない。つい、口から出てしまっただけ。そうして意味は、オレもアレを愛しているから欲しいのだという、意思表示。
「色恋沙汰に関して、オレは口を挟まない。スクアーロさんが帰るって言ったら出向を解除して帰す。でも今は山本の恋人だからオレのファミリーの一員だ。ここには勝手に、二度と来ないでくれ」
「分かった」
「あんなに君たち、仲が良かったのにね」
「……」
「あのヒトがオマエのそばから離れるなんてのは、一大決心だったと思うよ」
「……」
「実は山本も獄寺君のこと、なんか怒らせたらしくって今、ビミョーに冷戦中なんだ。妊娠出産した女の人がヒステリーっていうか、ギーギー言うのは分かるけど、あの山本が宥めきれないってどんなんだろう。オレも正直、うまくやる自信はないよ」
かなり露骨に沢田綱吉はオトコを慰める。
「……」
紅茶を飲み終えた男が立ち上がる。沢田綱吉は見送りをしなかった。それは別の人間に譲ってやった。かちゃ、かちゃとカップを片付ける。
「ボクにも頂戴。砂糖たっぷりで」
奥の寝室から声が聞こえる。うん、と答えて茶葉を替え、二杯を煎れて、沢田綱吉は寝室に持って行く。
「はい」
「ありがとう」
まだベッドの中に居るヒバリは行儀悪くシーツの上でそれを飲んだ。飲み終わるのを我慢強く待ってから、沢田綱吉はその毛布の上に、全身で覆いかぶさる。
「なに?」
「居なくならないでね」
「バカ言ってるんじゃないよ」
「だってザンザス、可愛そうなんだもん」
自分があんな立場だったらと思うとたまらないらしい。若い男は美しい恋人を毛布ごしに抱いて、ぐいぐい頭を擦りつける。
「居なくならないよ。キミは優しいからボクには消える理由がない。ボクが弱った時、キミに近づいたらとどめを刺されてしまうなんて思っていないよ」
落ち着いてヒバリは答えた。熱い紅茶を吹いてから口をつける。暖房のぬるい熱を嫌うヒバリの好みに合わせて寝室の空気は冷たい。喉に染み込む紅茶の温かさに思わず、頬を緩めてしまうほど。
「ザンザスだって優しいじゃない」
「そうだね。当社比では信じられないくらいだ」
二度も迎えに来たのは、あの頑固で強情で面倒くさがりなオトコにしては破格の優しさ。
「でもダメだよ。ボクは銀色が彼を信じない気持ちも少し分かる。産んでしまって落ち着いてから帰って来いって言われても遅いんだよ。迎えに来るなら、おなかの中にに入ってるうちに、子供ごと迎えに来てくれなきゃ」
「ちょっとタイミング間違っただけじゃない」
「タイミングこそが命なんだよ」