銀色のきれいなオンナは泣き疲れて眠っていた。その耳元に、ごちゃごちゃと、囁き声が届く。

「……、って……。よせ……」

「ムリ。我慢できねーのな。ごめん」

「ダメなんだよ、離せ」

「ごめん」

 獄寺も眠いらしい。ふにゃふにゃした喋り方が可愛い。対照的に若い男の声はひどく焦って、切羽詰っている。

「ごめん、獄寺、我慢すんの、もー、ムリ。ごめん」

「こすりつけんなぁー。なぁんで、オマエ……、んだよぉ……」

 若い男は息を切らせながら獄寺を抱きしめている。久しぶりにこっちの匂いを嗅いでたまらなく興奮している。

「てめーどっか壊れてんじゃねー、かぁー?」

 さっきまで銀色を相手に頑張っていやがったくせに、ナンでこんなに硬くして興奮してンのかと、獄寺は心から呆れた声を出す。呆れすぎて、嫌悪する隙もなかった。

「オマエは、別腹だから」

「てめぇ、ヒトをデザートかナンかみてぇに……」

「ん?」

「女がよく言うじゃねーか、入るトコロが違う、とかナンとか」

「あー、それ分かる。オレもそんなカンジ」

「バカ言うな……。んな、バカなハナシが、あっかよ……」

「満腹でもさ、好物見ると、食べたいから消化すんだってさ、カラダが。オレもいまそんなカンジ。スクアーロはすげぇ美味くって腹いっぱいだけど、オマエはオマエで、別だから。オマエのこと抱きたくて今、一生懸命、精子つくってるぜ、カラダが」

「……ドアホゥ……」

「すっげぇ、欲しい」

「触ンなぁ、手ぇ、抜けぇ」

「ごめんな。舐めるからさ、痛くないよーに。だから許して、な。ごめん」

 獄寺が抱きしめられるのを嫌がって身動くが若い男は退かない。愛したくてたまらなくって、もう限界だと訴える。背中から獄寺を、抱くというよりも拘束して。衣服の中に手を突っ込んで素肌をまさぐっていく。

「痴漢ー、変態ぃ、やーめーろー」

「ごめん」

 謝りながらも山本が手を止めないのは獄寺の抵抗が真剣ではないから。ヤメロと言いつつ深刻な嫌悪はない。イケル、と、見切った男は強気で攻めて行く。女を抱こうと、服を脱がせる。もともと下着姿に夜着代わりに男のシャツを羽織っただけの姿で、大して手間がかかる訳ではない。

 わけでは、ないが。

「……え?」

 若い男の、手がビタリと止まる。

「おぅよ。まぁ、そーゆー訳だから、よ」

「血……?」

「あんまり弄るなぁ、ズレっからー」

「オマ……、マジかよっ!」

「おぅ。ナンか文句あんのかぁー?」

「……ねぇよ……」

 文句などありはしない。それはこの若い男がずっと待っていたこと。傷ついて傷んでしまった獄寺が普通の健康を取り戻すのを、ずっと願っていた。

「でも、このタイミングは、ねぇよ……」

 呆然と本心を吐露する。我慢にがまんを重ねて、もうどうしてねダメだと思い定めて、無理やりにでも奪おうとした時にこれは、ない。

「けけけけっ」

「笑うなよぉ、獄寺ぁ」

「自業自得だ、ケダモノめ」

「んー、ケダモノの意見としてはさぁー」

 罵られてもくじけず、山本はもう一度、獄寺の背後から腕を伸ばしてぎゅっと抱きしめた。

「デキねーことも、ねーのな?」

 待っていた月が出ている。それは目出度い。でも、それを理由に拒まれるのはつらい。生理中でもセックスが不可能というワケではないよなと、そんなとんでもないことを言い出す。

「ヤだぜオレは。シーツ汚すし、多分痛ぇし、キモチよくなる気が全然しねぇし、不衛生だしよ」

「避妊するからさ」

「ヤリやがったら姉貴とシャマルにいいつける」

 この美女の腹違いの姉と、幼少時からの師匠の名を出されて山本は濁音で呻く。獄寺が死に掛けた時に二人から責められたことは心の傷になっている。確かに自分に思慮が足りなかったかもしれないと、思うから余計に。

「こすりつけて自慰っていいからヤんなよ」

「……んー」

 獄寺から情けを掛けられた若い男は好意に甘える。カラダを撫でながら、息を吐きながら熱を放つ。

「は……」

 じっとしていてくれた獄寺のうなじに、鼻先を突っ込んで肌の匂いを嗅いだ。半年ぶりの接触。

「なぁ」

「……んだぁ……。眠ィ……」

「愛してる」

 ひどく真面目な口調での告白。

「ぷっ」

 された獄寺は即座に笑い飛ばす。

「笑うなよ。信じてくれるまで言うぜ。すっげーオマエのこと愛してる。ガキの頃から、ずっと。多分死ぬまで、ずーっとな」

 年上の、優しい別の女のことを好きなのとはまったく別の場所で、この幼馴染を愛し続けている。

「シンジ、ねーからじゃ、ねーよ……」

 獄寺は本当に眠いらしい。言葉の語尾がふにゃっとしている。いつでビンビンの切れ味を見せる口上が柔らかいと、それだけで可愛い。

「とっくに知ってることだから、よぉ……」

 それをわざわざ口にした若い男のしつこさ、或いは気弱さを笑ったのだ。

「知ってくれてンなら、いいけどさ」

 

 

 

 

 ヴァリアーのザンザスが、未来のボンゴレ十代目の館に『しのびこんだ』ことはなかった事にされた。本人の立場と山本武の名誉を慮って。

 ヴァリアーの本拠地の砦の奥、自身の部屋に戻った男は暫く静かに過ごしていた。銀色のオンナが処罰に耐えかねて逃げて帰ってくるかもしれないと期待していた。けれど山本武がイタリアへ戻ってきて、数日たっても、そんな様子はなかった。

 期待を裏切られた男はがっくりと落ち込み、そのまま寝込んでしまう。もともと風邪をひきやすい体質で、季節の変わり目に数日、寝室に引きこもることは珍しくない。看病してくれる銀色のオンナが居ない冬は男にとって、寒く、暗く、辛いものになりそうだった。

 ろくに食事もとらず寝込んだ男の枕元に消化のいいリゾットを、まめに運んでくれたのは格闘家のオカマ。日に三度、短いおしゃべり、というか独り言を、男に告げていく。男は殆どを黙殺したが、しきれないものもあった。ボンゴレ晴れの守護者がイタリアに来て、その案内で。

「ヤマモト君の赤ちゃんを見てきました」

 そう言われた時は最初、なんの嫌味だ、と、思った。

「男の子で、とっても元気で、凄く可愛かったわ」

 たたみかけられ、嫌味にしてはしつこすぎることに気がつく。

「パパによく似ていたの。大きくなったらすごいハンサムになるわ」

「……」

「髪は黒くて、目も……、黒でした」

 わざわざ言うのがおかしい。山本の子なら優性遺伝の法則に従って、黒髪に黒い光彩を持って生まれてくるのは、当たり前の話だ。

「本当に可愛かった」

 それは、つまり。

里子に出したと言っていた。ちゃんとした家庭に、しっかりした両親に。でも近くに居る、見守っていられる、と。

「……」

 なるほど、近い。里親たちと一緒に朝市に買い物に来るほどだ。そうして確かに『ちゃんとした』家庭。マフィアの特殊な価値観に限って評せば新設だが名家といっていい。ボンゴレ十代目の守護者同士の『子』なら、この業界で何処に出しても丁重に扱われるだろう。

 子供。

 という存在に男は実感がなかった。自分の子をあのオンナが産んだのだと知ったのも最近。妊娠も出産も知らされず、産んだオンナからはオマエの子供じゃないから関心を持たないでくれとまで言われてしまったモノだ。

「……」

 関心、を。

 持たないでやるのが正しいことなのだろうか。少なくともオンナはそれを望んでいる。このまま実感をもてないまま、アレがそうだと将来どこかで対面することになってもそ知らぬフリで、見なかったことにして。

「スクちゃんに、凄い可愛い子ねって言ったら、スクちゃんても嬉しそうに笑いました。子供のこと愛しているんだって、見ていて思いました」

「……」

 愛しているのだろう。子の父親である自分を捨てて抱いているモノだ。それが全ての災厄の始まり。居なければあのオンナが出て行くこともなく、自分がこんな荒涼とした気分を味合わされることもなかった筈。

 でも、何故だろう。

 排除しようとは思わなかった。

「ねぇボス。あの子を標的には、しないわよ、ね?」

 オカマが優しい声を出す。心配でたまらないという口調。それが言いたくて子供のことを強引に話題にしたらしい。

「ボスとは関係のない子ですもの。ボスの邪魔にはならないと思うわ。モッチャンとゴックンの子供だもの。ねぇ?」

 それはどうかと、男は冷静に思った。赤子の今はともかく、将来、人目で父親が誰なのかわかってしまうほどに、似ていないとは、限らない。

 と、男が思う気持ちの中には、似ていて欲しいという願望が混じっていた。聡明な男は自身の心の動きにも気がついた。子供が可愛いというのではない。その周囲から排除されようとしている立場が不満で、いっそそっくりに育てというのは、自分を拒んだオンナへの復讐。

「ねぇ、標的には、しないわよね?」

 オカマがしつこい。何かがあると男は気がつく。標的にする、という言葉はヴァリアーの中では暗殺の対象にするという意味の暗号。

「ドカスに頼まれたのか」

 疑問をつい、口にしてしまった。

「頼まれた、というのとは、少し違うけれど。スクちゃんがそのことを凄く心配していたから、ボスはそんなことしないわよって、言ってあげたくて」

 オカマは正直に喋る。自分に対する不信が相当に根深いことを改めて、男は思い知り、気分がまた落ち込んでくる。確かに悪いことを散々してきた。その片棒を担がせたオンナは、男がどれだけひどい人間かを知っている。ヴァリアーの仲間、ファミリーに対してさえ、確かに嘘を、ついたことがあった。オンナのことをずっと騙していた。

「しねぇ」

「ありがとうございます」

 オカマが嬉しそうに礼を言い、いそいそと男の寝室を出て行く。ボスはその子を暗殺しないわよとでも告げに行くのか。あのカスザメがそれを信じるだろうか?

 昼食を摂る気にもなれなくて目を閉じる。シルクの毛布を被りなおした途端、ふっと、肌に、あのオンナの感触か蘇る。ボンゴレ本邸で抱いた裸の感触はさらさらで、そのくせ触れればすいつくようで、忘れられないでいる。

 何もかもが悪い夢ならいい。目が覚めたら半年前に戻っているバズーカはないだろうか。そうしたらさっさと結婚を止めて、あの銀色を雑に抱くのもやめて。

 標的にはしないから安心して産めといってやったら、きっとべぇべぇ、泣くだろう。

 そんなことを思っている、男の表情がひどく優しいことを、誰も知らなかった。