キャバッローネの若いボスはイタリアマフィア界きっての二枚目。優しい顔立ちにきらきらの金髪、長身で逞しいがムキムキ過ぎない流行の細マッチョ。まだ二十代の若さだが金融マフィアであるキャバッローネを指折りの大手にのし上げ、その上に独身という、女たちが夢見る王子様の要素を兼ね備えている。
その王子様が入院した先へ、ドコから聞きつけたのか見舞いに来た女は多かった。業界関係者がもちろん多かったけれど、中にはハリウッド進出経験もある女優やグラビア誌の表紙を飾るピンナップガールも混じっていた。
美女たちは全員が明快謝絶を伝えられ本人に会えなかった。ただ一人を除いては。
「よーぉ、オッサン、久しぶりだなぁ」
銀色の髪の女は珍しい私服姿。黒に近いグレイのパンツスーツは踵の高いパンプスとよく似合い、小脇に抱えた小さめの薔薇の花束が映える。こちらも業界内では金髪のドン・キャバッローネに勝るとも劣らない有名人。たった十四で剣帝と称されたテュールを打ち倒し、以来、最強の誉れ高い暗殺部隊・ヴァリアーで最前線を突っ走っている傑物。
「代わってくれ。その人のボディーチェックはオレがする」
その銀色に対して、ボスの病室に招きいれられるに当たっての身体検査を、びくびくしながらしようとしていた側近の一人はロマーリオの申し出にほっとした表情。両手を組んで頭の後ろに廻し、オラ検査しろやという態度の女はどうでもいいらしく、ロマーリオに向かって身体の位置を変える。
「元気だったかよ、オッサン」
病室の金髪と幼馴染みの銀色は、その側近であるロマーリオとも顔なじみ。透明で高雅な容姿と裏腹にさばさばした気性の美女は、ドン・キャバッローネの眼鏡の側近にも親しい口を利く、
「お陰さまで。あんたもいつも、素敵に美しいな」
服の上からカーブの窪みをロマーリオはささっとチェックした。武器を隠せる場所は見逃さず指先で、中身の肌には達しない細心さで触れる。
「荷物は預からせてもら……」
「ないぜ」
「相変わらずだな、あんたは」
この銀色はいつも手ぶら。財布は上着の内ポケットに入れているけれどそれ以上のモノは持ち歩かない。筋金入りの戦闘者。眼鏡の側近は軽く会釈して業界人の一員として感嘆の意を表明し、そして。
「こっちだ」
ボスの居る病室へと見舞い客を先導する。キャバッローネの資本で設立され、外来も入院病棟も殆ど業界の人間で占められた特殊なそこには国立病院並みに緑が多く、中庭では季節の花々が咲き誇っている。
「相変わらずの、贅沢してやがる」
入院病棟の手前には四階建ての病室もある。が、奥へ進めば殆どが小さな庭のついた平屋のヴィラ風で、その一つ一つが『個室』になっている。マフィア界の大物たちが入院するときに使う場所だ。
「需要に応じてるとどうしてもこうなるんだ」
「寿命が尽きて自棄になった年寄りどもから吸い上げる最後の甘い蜜、かぁー。たちわりぃなぁー」
「なぁ別嬪さん。あんたはどうして、ウチを嫌いなんだい?」
眼鏡の側近の口調は穏やか。けれど語尾には隠し切れない嘆きが沈んでいる。
「別に嫌っちゃいねぇよ」
「オレたちは、あんたがウチに来てくれるもんだと思っていたんだぜ。待ってたのに」
「嫌っちゃいねぇがオレの住む場所じゃねぇ。キャバッローネはインテリばっかじゃねぇか。オレに出来るこたねぇだろ」
「構成員としてじゃない」
この銀色を迎えたかったのは。
「あんたは酷い人だ。ウチのボスがあんたのことをどれだけ愛してるか知っているくせに、そうしてそれがまんざらでもないくせに、ボスに少しも優しくしてくれない」
「優しくされて喜ぶタマかよ、アレが」
「喜ぶぜ。ボスはあんたに優しくして貰えたら空も飛ぶだろう。なのにどうして。あんたは、酷い」
「オレだって悪かったって思ってるぞぉ。一応、今度のことはよぉ」
「今度のことはいいんだ」
部下でなく側近でもなく、お守り役という教育者の顔で眼鏡のロマーリオははっきりと言う。
「今度のことは、ウチのボスが悪い」
「あー、ナンてーか……」
「事情があったのは分かってるが、どんな事情があったにせよ、出産後の女性に手を上げたウチのボスが全面的に悪い」
「いろいろ、タイミングが悪かったんだぁー。頭に血ぃ昇ったオレも悪かったしよぉ」
「あんたじゃなくて、ウチのボスが悪い。だからダイジな顔を傷物にされてもボンゴレに抗議をしていないんだ」
「そんなばっさり、切り落としてやるなって。オッサン時々、アイツに世界一厳しいぜぇ」
「お守り役だったからな」
先代に指名され跡取りの傅育を任された。マフィアのみならずイタリア国籍の男が、産後の療養からふらふら立ち上がったばかりの女に危害を加えるなんてことは、自らの存在価値に対する冒涜だとロマーリオは本気で思っている。
「あいつのツラの、傷って残るのかぁ?」
銀色はそれが気になるらしい。瞬きをしながらちらり、自分を先導するロマーリオの横顔に視線を当てて尋ねる。
「顔に傷がある男を、あんたは嫌いだったか?」
「おぉーいオッサン、喧嘩売ってんのかよォ」
「あんたのお望み次第だろうさ」
目尻の傷はそう大きなものではない。痕が残ったとしても整形でなんとかなる程度。別の男の全身の火傷の痕跡とは違う、ちょろいママゴトのようなモノ。
「怪我なんか大したことはないんだ。ボスが寝込んでるのは、あんたのことで色々ショックだったのが、一度に来たからさ」
「……」
「あんまり苛めないでやってくれ」
「……わざとじゃ、ねぇよ」
苛めてしまった自覚のある銀色の鮫がぽつりと呟く。
「ただ、いろいろ、タイミングがなぁー。オレとあいつ、逆縁ってヤツかもしんねーなぁー」
一番奥のヴィラ、東南アジア風の高床式の建物の前でロマーリオは立ち止まる。
「飲み物は何がいい?」
「アマローネ。銘柄はオッサンのオススメで」
銀色の答えに眼鏡の側近は驚いた表情。
「仕事中じゃないのか?」
ヴァリアーはマフィアの中でもと主な暗殺部隊だが、プロ中のプロであるこの銀色は任務遂行中のみならず、待機がかかっている時は酒を飲まない。
「今日は休みだ。明日もな。見舞いに来たのはオレの意思だぁ。ボンゴレのガキに言われてじゃねぇ」
「……ツマミは?」
「腹は減ってねぇ」
「いいキャビアがある」
「んじゃ、ちょっとだけなぁー」
持ってきてくれと言って、銀色はヴィラの扉に、手を掛けた。
めまい、冷汗、頻脈に高血圧。
立ち眩み、耳鳴り、吐き気、頭痛、微熱。
過呼吸気味で情緒不安定。
本人はそんな病状を訴えているが肉体的にも精神的には顕著な病変や精神障害はみられない、典型的な自律神経失調症。
「どこの更年期患者だぁー」
というのが見舞い客の正直な感想で。
「ロマーリオにも同じこと言われた」
ブルーグレイのサテンのパジャマ姿で、側近が持ってきてくれたおやつのケーキを食べながら入院患者は答える。ベッドにぼんやり横になっていた姿勢からは起き上がったが、わきの椅子に座った女に自分から近づこうとはしない。
銀色の方を見ようともしない。銀色の位置からは怪我をさせてしまった側の顔が見れない。
「甘ったれて迷惑かけてんじゃねーよ。さっさと起きて、あぶく銭の金儲けに励みやがれ」
「そんな気力は、もうなくなった」
あっさりと金の跳ね馬は答える。あんまりあっさりだったから銀色の鮫は不安になる。アマローネの真っ赤なワインに口をつけながら。
「オレがキスして治るならしてやるぜぇ?」
冗談ではなく、本気で言ったのだが。
「……」
跳ね馬はケーキを食べる手を止めて俯く。
「おぉーい。いートシしてマジ泣きすんじゃねぇぞぉー」
困り果てた口調で銀鮫が叱咤するが、俯きはかえって深くなり、そうしてやがて、掌で顔を覆い隠して。
「……、ぐすっ……」
肩を揺らして本格的に泣き出す。
「難しいヤローだなオマエはよぉ。どこの思春期のご令嬢様だぁ、その情緒不安定はぁ」
「ひ、……、っく……。ぐすっ……」
「泣くな。うぜぇ」
銀色の女はグラスをテーブルに置いて立ち上がった。跳ね馬の頭に手を伸ばす。金髪をむんずと容赦なく掴んで、顔を無理やり、上向かせ視線を合わせる。
「景気の悪ィつらいるんじゃねぇよ。二枚目が台無しだぁー」
その目尻には外傷を保護するためのテープが張られている。が、裂傷は思っていたよりも小さくて女は内心、ほっとした。
「ンなかすり傷で泣くんじゃねぇ」
髪を掴んだ手を保持したまま女は屈み、目尻に唇を押し付ける。間近な男がビクンと肩を揺らす。構わずにシーツに腰を下ろし、本格的な、キスを。
「スク……ッ」
「逃げンな」
後ずさりしようとするのを許さずに唇を重ねる。押し開こうとすると抵抗にあったが、構わず力を入れると硫酸紙が破れるような感触とともに、噛み締められていた唇は開いた。
「ッ……!」
狭間に銀色の舌が差し入れられる。濡れた内側が触れ合う。その瞬間、金髪のキャバッローネは自分自身を取り戻した。
「ッ、って、お?」
「スクアーロ、スク……」
「……おぅ」
掴み寄せていたのが逆に引き寄せられ、ベッドのシーツに、斜めに押し倒される。重なってくる男を女は拒まない。強さを取り戻した腕に大人しく抱きしめられ、改めての情熱的なキスをされるがままに、受け入れる。
「は……」
セックスじみた、深いくちづけが繰り返されて、ようやく解かれた、その後で、バン、っと。
「おぁ?」
跳ね馬が右手の拳を握り、銀色の顔の横を叩く。
「なんだぁ?」
不思議そうな女の問いに答えずに、バン、バン、っと。
銀色は、繰り返されるうちにその意図を察した。
「いいぜぇ、直に、殴って」
我慢することはないぞと促す。自分を殴って気が晴れるのならそうしろ、と。
「違う」
金髪の男は短く、でもはっきりと答える。
「そうじゃ、ない。……そうじゃ……」
この女に向かって、ふるいたいのは、暴力ではなくて。
「スクアーロ」
間近で見上げられるとたまらなくなって、自制するのに、発散が必要だった。
「オマエに聞いて欲しいことが、ある」
喘ぎ混じりの声。口の中が乾いて言葉を喋りづらい。
「そーかぁ。奇遇だなぁー」
「でも多分、オマエは全部、分かってるだろう」
「実はオレも、テメェに話しときてぇことがあったんだぁー」
「おれに、はなし?」
「聞くかぁ?」
「聞かせてくれよ。なんだ?」
「テメェがなぁ、ヨかったんだオレだって、ホントは」
「……え?」
「ちょっと大物過ぎンのが難だけどなぁ、ホントはオマエが良かった。ヤマモトは若すぎる」
「おい……」
「助けてくれって駆け込む先で、一番に思いついたのはてめぇだった」
「……すくあーろ……」
すーっと、男の、心と身体の、呪縛が解けていく。呼吸も苦しいほどの嫉妬と嘆きが、どこかに散っていく。
「匿えって、ここに来たかったぜ」
ここ、というのは具体的な場所を指しているのではない。キャバッローネの支配下、もしくはこの腕の中。
「……」
ぎゅ、っと、金の跳ね馬は銀色のオンナを改めて抱きしめる。腰の奥に生じた熱さえ一瞬は忘れた。悲しみではなく胸を喘がせる。それほど衝撃的な台詞だった。
「なんで?」
そう言うのなら、どうして来なかったのか、と。
「てめぇの髪が、こんなキラキラブロンドじゃなけりゃな」
銀色の鮫は言いながら、でもそのキラキラのブロンドを嫌いというわけでもなさそうに、自分を抱く男の背中越し、後ろ髪に触れる。
「オレが金髪でテメェが銀髪じゃ、どーやったって、世間にバレちまう」
「……ッ!」