「ボンゴレ九代目が名付け親ってのはよ、タケルにとっても、悪いことじゃねぇだろ?」

 おもいがけない申し出を口にしたの、だった。

「なに考えてんだ、あのジジイは……」

 話を聞いて銀色のオンナは驚く。呻く口調には悦びより不信感が強い。獄寺もなんでと思いつつ、こちらは少し嬉しそうにしている。

「でもさ、悪いことじゃねぇよな。九代目が名付け親になってくれたらたタケル、すっげー世間で幅が利くんじゃねーか?」

「まぁなぁ。けど跳ね馬みたいに、なるぜぇ」

 銀色のオンナの指摘は短かったけれど鋭かった。少し浮かれ気味だった獄寺がハッとして表情を改める。権利には義務が、祝福には奉祀が伴うことを思い出した。

「マフィアになるの嫌がっても許されねぇで、なったら延々、すっげぇこき使われる。マフィアの恩義は三倍返しが標準だけどなぁ、特にボンゴレは取立てが厳しいぜぇ」

 銀色のオンナはかつてボンゴレ御曹司の側近だった。それは恩義のお返しを取り立てる側だったということで、言葉には説得力がある。

「最終的にはオマエとタケシが決めるコトだけどよ、オレぁ跳ね馬のヤローを推すぜ。第一の理由は恩返しを強要しねぇシロート臭さ、第二の理由はヤローの若さだ。先の見えてるジジィと違ってよ、アイツは長々、小遣いくれるだろ」

「あぁ……」

 その辺もあるなぁと、獄寺は部屋の隅で山本武が抱いている赤ん坊を見た。これからの時間が長いのだ。聖人するまでに限っても、既に七十を越えた九代目では時間切れになる公算が高い。

「それによぉ、ボンゴレの庇護ならいまさら要らねーだろ。てめぇが何者なのか考えてみろ。ボンゴレ十代目が叔父貴みてーなモンじゃねーのかぁ?だから沢田綱吉にゃ名付け親を頼まなかったんだろぉ?」

「いや、それは違う。十代目はカソリックじゃないからだ」

 洗礼はカソリックにとって生涯の信仰を誓う宗教行事である。バチカンを抱えたカソリックの牙城とはいえ多神教の伝統を受け継ぐイタリアは比較的、商況に関しては寛容だが、それでも異教徒が名付け親になることは出来ない。

「ブッダの信徒かよ。改宗しねーのか?」

「されないんじゃないかなー」

 ボンゴレ十代目に任じられるに当たって本人の信仰は当然、問題視された。結局は不問に伏されて未来のボスとして認められたが、頑ななところのある沢田綱吉はそれで態度を硬化させてしまった。長老たちに迎合して改宗することはまずない。

「あんたの言うことは全部もっともだぜ。けどよ、名付け親になってもらったら、少なくとも急だ居るからの暗殺は警戒しなくってよくなるんじゃねぇか?」

「ああ……。それは、あるなぁ」

 寵愛する養子に血筋正しい花嫁を迎えたがっている老人は、養子が結婚前に作った私生児の存在を面白くは思わないだろう。だから子供は他所の『夫婦』の実子として育てられているが、庇護義務の生じる名付け親になってもらえば、生存を脅かすことは出来なくなる。

「いっそ名前、二つつけちまえば?」

 山本が口を挟んだが、考え込む二人には無視されてしまう。

「クソボス、が」

 ゆっくり、銀色のオンナが口を開く。

「ナンか、企んでんの、かもなぁ」

 どんなに考えても九代目の動機が分からない。分からないのは、損得ではない要素が入り込んでいるからとすると。

「オレもさ、アイツの影が差してんじゃねーかって、思ってたとこだぜ」

 銀色の推測に獄寺が同意。赤ん坊の『実父』はその母親に未練があることを隠していない。戻って来いと堂々と、態度で表明している様子は男らしく、かえって凛々しい。

「アイツ相当、アンタのことまだ愛してんだな。心配一つ、減らしてやろーってのかぁ?」

「かもしんねーけどよ……」

 長く関係を続けてきて男からの、思いがけない愛情を受けてまだ戸惑い中のオンナはいまいち、納得しかねる表情。

「アイツとジジイの確執はすげぇんだぞ。普通の親子じゃねーんだ。ジジイも伊達に何十年、ボンゴレの看板背負ってんじゃねぇ。アイツが仮に頭を下げて頼んだとしても、簡単にこーゆーことを、言い出すキャラじゃねぇんだ」

「だって身内だろ。孫が可愛いんじゃねーの?」

 フタタビ山本が赤ん坊を抱きながら口を挟む。また二人には無視されて返事をしてもらえない。

「なータケル。オマエ可愛いもんなぁー」

腕の中の子供をゆらゆら、揺らしながら眠っている子供に話しかけた。

「すっげー可愛いからさ、おじーちゃんが構いたがるのも当たり前だよなー」

 生後三ヶ月ほどたって、出生時より倍ほどに体重の増えた子供は本当に可愛い。小さな手もつまんだような唇も、ミルクの匂いがするところも可愛くて、山本は夢中だ。

「オマエのかーちゃんたち、疑い深いのなー。頭いいからなのかなー。でも、ま、オマエのタメを思って一生懸命なんだから、許してやんねーとなぁー」

 あの老人が『孫』に会いたくて言い出したことではないのかと、山本は言いたい。が、二人に頭から無視されて少し不満。それを独り言のフリをして呟く。

「この世は愛で動いてるよなぁ?」

「まーじゃ、ちょっと、ソッチがはっきりするまで、保留しとくかぁー」

 獄寺が言った。そうだなと銀色のオンナは頷く。そうして立って、山本のそばへ行き、腕の中の子供を覗き込む。

「ダッコ、する?」

「いや、いい」

 銀色は子供をあまり抱かない。片手が義手なので抱きにくく、子供にとっても冷たくて硬いだろう。万一、落としでもしたら大変だと思っている。

「先のコトなんか、どんだけ考えたって、なるよーにしか、ならねーかもしれねーけど、なぁ」

 額を寄せ合い、どうすればこの子の将来に有利なのかと悩む自分たちは愚かなことをしているのかもしれない。子供は育てば普通人になりたがり、マフィアの世界を嫌うかもしれない。そうなった時にはしがらみが少ない方がいい。九代目やドン・キャバッローネの後ろ盾はかえって、邪魔になってしまう。

「そりゃそーだけど、でもやっぱ、考えちまうのが親ってもんじゃねーの?」

 天真爛漫に答える山本だったが、実は気づいている。銀色のオンナが何を思い悩んでいるのか。母親の狂気の思い込みにふりまわされて人生を狂わされた男を思い出している。

「あのヒトもさぁ、けっこーそれなりに、実は考えてくれてんじゃねーの?」

「……まさか」

「決め付けんの、かわいそうなのなー」

 山本にとって『あの人』は恋敵。けれども今は仲間意識が強い。妊娠と出産に絡んで『妻』に信頼してもらえなかった悲しい立場は同じ、他人とは思えない。

その男が愛しているオンナを毎晩のように、そばせに寝かせている現実と男同士の共感は別の次元の話。そういうずるくて恐いところが山本という若い男にはあった。

「オトコがイロイロ分かってないのなんか当たり前じゃん。女の人よりだいぶ遅れて、あーそーなのかって、なるのなー。だって実感ねーんだもん、ってーか、実感がわくのに時間かかんだもん。それはさぁ、許して欲しいのなー」

 厳しい女たちにお願いかたがた、自分の侘びも入れる。妊娠を体感する女たちとよりも、それを聞いた男の意識が遅れてしまうのは仕方ないじゃないかと思うのだ。

「アンタが思い悩んでるときにしらっとしてたとしたら、そりゃ腹は立つだろーけどさ、でもきっと悪意はなかったんだと思うのな。許して欲しい、のなー」

「……悪意のカタマリだぜ、あいつは」

 子供が出来たかもしれない、どうしよう、どうしたらいいだろう、と。

子供は産みたいけれどヴァリアーに居る限りそんなことは許されはず、かといって愛している男とは離れたくなくて、悩みという恐怖を感じていた時期、自分ではない女との婚約の話を何度も振られて、受けた傷は深い。最終的にオトコのことを諦めようと、決断したのは、アレが婚約し結婚をすると思ったから。

「えー、そんなことねーよ。あの人けっこう、アンタに健気じゃん。勘違いなんじゃねーの?」

「ばぁか。アイツがどーゆー奴かは、オレが一番、よーく知ってんだよ。イヤんなるくらい、な」

 厳しくて冷たくて酷い男だった。それでも自分は愛していたけれど、だからといって子供まで、その『道楽』に付き合わせることは出来ない。

「アイツもジジイも信じるな」

 ろくなことにはならない。そんな奇妙な自信だけはあった。

 

 

 

 

 数日後。

「ザンザスが、あなたに会いたいんだって」

 真意を糺すべくコンタクトを摂らなければならないと、考えつつも億劫でずるずる、それを引き伸ばしていたオンナは先制を許してしまう。

「ここに訪ねて来たいって言ってるけど、どうする?」

 銀色が現在所属する群れのボス・沢田綱吉を通しての正式な面会要請。どうするかと沢田綱吉が全員集合した食卓で尋ねたのは、オンナの恋人である山本の意見も聞くよ、という意思表示。

「会うぜ」

 わりとあっさり、銀色は面会を承知した。

「ちょーど、オレも話が、あるんだぁ。ここじゃなくって外で会っていいかぁ?」

 後半は山本武へも向けられた質問。

「ダメに決まってるだろ。ここに来てもらえよ。オレも立ち会うし」

 山本武はいつもハキハキと嫉妬深い。

「カンベンしろぁ。てめぇが居たらアイツがホントのこと喋んねーじゃねーか」

「他人が居たら聞かせられない本心なら聞かなくてもていーんじゃね?」

「ムチャ言うなぁ」

「あ、じゃあ、オレが立ち会う、っていうか、オレがお茶に招くことにするよ」

 ザンザスを、と、そう言う沢田綱吉には。

「スクアーロさん、お茶出してくれますか?」

 やってくる男の用件がなんとなく分かっていた。