ボンゴレ九代目の養子の婚約は、発表が遅れた。今回の相手は身内の娘ではなく外部の重要人物で、各方面との調整が必要だったから。

「で、オマエはいつ、ウチに移るんだ?」

 尋ねるキャバッローネのボスは退屈している。政治家絡みの脅迫事件があって、関連してこのイタリアン・マフィア界きってのハンサムにも凄腕の暗殺者がとばされたという噂。

「山本のガキ産んでからだなぁー」

 毒には毒、ということでボンゴレ十代目のもとから銀色のオンナが派遣された。山本は少し渋ったが、加勢してやれというリボーンの言葉に仕方なく出向を同意した。見送りをしながら、浮気したら許さないからと脅しを甘く囁くことは忘れなかった。

「いつになるんだよ、それ」

「コウノトリに聞いてくれぇ」

 明るい昼間、向き合って二人で食事をしている。給仕のロマーリオは会話を聞かないフリ。任務遂行中なので酒は飲まないけれど、白身魚を焼いてほぐしたリゾットを美味しく食べている。

「オレと結婚、してくれるんだよな?」

「それは約束した覚えがねぇぞぉー」

「ザンザスが身を固めればオマエは自由だ」

「んだぁ?オレぁもともと、オレの好き勝手だぜぇ」

 銀色のオンナの自己申告は正しい。一人の男に長い時間、健気に尽くしてきたのは本人の意思。

「じゃあなんで、さっさとウチに来てくれないんだよ」

「先に約束してっからだぁ。何度も言わせんじゃねぇ」

「それは……」

 いつ果たされるのか、と、尋ねかけ金の跳ね馬は黙った。同じ返事をもらうことになる。会話は堂々巡り。コウノトリのご機嫌に任せなければならない。

「なんでそんな約束したんだ、バカ」

「てめーにバカって言われると腹が立つぜぇ。ナマ言ってっと護ってやらねーぞぉ」

「その約束、解消できないか。違約金ならオレが払うから」

「モノの取引じゃからねぇなぁー」

 敢えて契約に例えるならばやり取りされたのは愛情。山本武はその契約を遵守している。銀色の子供を実子として引き取り、愛情と庇護を惜しんでいない。素晴らしい『母親』と親類までつけてくれたことに感謝している。

「家庭、ってのは、オレがどーしたって、やれなかったからよ」

 赤ん坊にそれを与えてくれたことはかけがえのない祝福。

「いいとこの坊ちゃんやら既婚者やらと一緒に居るからだ。俺となら簡単に出来るのに」

「……どーだろーなぁ……」

 物心ついた頃からマフィアの流儀にどっぷりと漬かってきた銀色のオンナにとって、家庭というのは家業を含む『ファミリー』になってしまう。具体的にはヴァリアーになってしまう。でも、もう戻れない。

「オマエ、本当は山本の子供を産んでみたいんだろ」

 嫉妬にまみれつつ、ドン・キャバッローネの指摘は鋭い。まあなとあっさり、銀色のオンナは事実を認めた。

「オマエもタネ、オンナに仕込んでみろ。自分とミックスされて生まれてくるんだぞ。すっげぇ面白いぜぇ」

「無責任なことを言うな。好きな相手と自分のミックスなら、そりゃあ可愛いだろうけどな」

 この銀色の場合、命がけで愛した相手との子供だ。似た面差しを見れば愛おしいだろう。

「ヤマモトはなぁ、ちょっと、筋の良さがフツーじゃねぇ。ガキのころから凄かったけど最近は神がかりだぜ」

「そりゃあオマエもだろ」

 この銀色が少女だったころから知っている。規格外、フツーじゃない、おかしいほど凄いというならば、たった十四で剣帝テュールを倒したこの銀色のことだ。

アイドルというのが偶像という意味ならぱ、禁の跳ね馬にとって目の前の女こそがそれ。弱小ファミリーの跡取りでヘナチョコと呼ばれていた少年時代、このオンナの強さと覚悟の良さに強く憧れた。真夏の太陽が地面に映す影のような、そのキモチは十年以上たったけれども、少しも色あせない。

「あの、才能は、ちょっと欲しい、かもなぁ……」

 山本武に対する愛情はないでもない。けれど愛より欲望が強い。あの才能は一途に剣だけを極めれば前人未到の境地を拓けるかもしれない。自分を越えて高みに辿り着くかの有為のある羽根を、はじめて見つけたオンナはその時から才能の輝きに夢中。野球と両天秤かけていまいち煮えきれない態度を忌々しく思っている。

「アレを産んで、ガキのころから仕込んだら、どんなのが出来るかなぁってのは、思わないでもないぜ」

「俺にどーしてそーゆーこと言うんだ?」

「本音を話せるダチだからじゃねーかぁ?」

 オンナはずるい。そんな風に言われてしまったら、跳ね馬は二の句が告げない。友人じゃなくて恋人になりたいのだけれど、友人扱いされると凄く嬉しいという本音を隠せない。

「……俺は?」

「んー?」

「俺のことは、欲しいと思わないのか?」

 尋ねる男は年齢よりも若々しく、きらきらの金髪が眩しい。

「手間かかりそうだなぁー」

「おい」

「まぁでも、途中で、化ける可能性は大だなぁー」

「オレと結婚して、一緒に家庭を作って、俺たちの子供を一緒に育てようぜ、スクアーロ」

 子供のころにも抱いた夢。

「それは、ないなぁ」

「どうして。子供には家庭が必要だろう?」

「テメェやヤマモトのことを欲しいのはオレの欲でなぁ、愛情じゃあねーんだ」

「愛情は誰かさんにやったってか?」

「まー、なんかそんな、カンジだなぁ」

 子供を産むという体験にびっくりして、生まれた子供の面白さと可愛さに感動して、次の、別のも、欲しくなったけれど。

「オレなぁ、やっぱ、ダメかもしんねーぞぉ」

「何がダメなんだ?」

「オレがずーっとクスリ飲んでたこと、オマエ知ってるだろ?」

 オンナには周期が有る。月のうち数日を不調で過ごす面倒くささより、薬品を飲み続けるリスクをオンナは選んでいた。跳ね馬はそれを知っている。だから安心しろよと、最初の時に、笑いながら言われた。あの時に孕ませておけば、子供は今頃、スコーラ・メディア、中学を卒業しようという年齢だ。

「健康な男と女が、その気で頑張ってりゃ、一年以内に八割が妊娠するンだよ」

 それは銀色のオンナが出産に備えて何冊も読んだ専門書で得た知識。自分とは関係の無い世界の出来事だと思い込んでいたのに、今では生々しいリアル。

「あんまり頑張るな。妬けるから」

「オレやっぱ、アレ奇跡だったかもなぁー」

 愛情が形を成して生命を芽吹いたと気づいた時、これは貴重な出来事だという直感があった。天啓のようにはっきりと、一生一度の神様の祝福、逃せば二度目はないという確信を抱いた。

 愛した男とは、結局そうなった。相手は入れ替わったけれど政略結婚をして、血筋正しい妻と跡取りを作るだろう。祝福するために自分の青春は終わらせるつもり。指折り数えればずいぶん長くそばに置いてもらって、最後は子供までくれた。感謝している。

「クスリやめりゃあ、また孕むと思ったんだけどよ。やっぱもう、腹の中、壊れてっかもしれねぇ」

「……スクアーロ」

 金の跳ね馬がオンナの名前を呼ぶ。あまり喋るなと牽制している。給仕をしてくれている側近は信頼する部下だが組織の束ね役で、ファミリーの利害にはうるさい。妻にするつもりのオンナの、悪い条件は知られたくなかった。反対されたくない。

「いー医者知らねーかって、実は聞きたかったんだ」

 食後の飲み物はコーヒーではなく真っ赤なハーブティー。ハイビスカスの花弁から抽出された鮮やかな色素が銀色の唇に吸い込まれる。染まりそうだと、跳ね馬は惚れ惚れと眺めた。

「てめぇ女の知り合い多いだろ。いいの知んねーか?」

 そう言われて跳ね馬はふと気づく。目の前の銀色には友人が居ないということに。ただでさえマフィアは排他的な業界、さらにその中でも機密性の高い暗殺部隊にずっと所属していたのだ。特殊な業界の中では利け者だが、普通人としては世間知らずかもしれない。

「今すぐの心当たりはないけどツテを辿ってみてもいい。でもいいのか。オレに紹介させたらオレに結果が知れるぜ?」

「隠したってしょーがねーじゃねーか」

 あっさり口にする銀色はいつもさばさばと覚悟がいい。

「テメエにも知る権利はあるだろー。調査もせずに入札は出来ねーだろーからなぁー」

「オマエがアイスブルーのフローレスだってことは知ってる」

 目の前の女をダイヤモンドに喩えて褒め称えた返事は。

「はぁー?」

 形のいい鼻の根元に横皺を寄せて思いっきりバカにした一声。

「それ以上のことは知らなくていいし知りたくもない」

「寝言は夜になってから言えよォ」

「みんなそうだと思うぜ、男は」

 好きな女のことはよく思っていたい。傷があるのは知っていても見ないふりで、なかったことにしてしまいたいのだ。

「なぁ、ボスの婚約者ってよぉ」

「詳しいことは喋れないぜ」

 跳ね馬は尋ねられる前に釘をさす。同盟ファミリーのボスとしてある程度のことは知っている。けれど、偉い立場には守秘義務があって、愛しているからといって何でもはしてやれない。

「優しい女かぁ?ボスによくしてくれそーかぁ?」

「オレに尋ねるなよ」

「女のことをテメェに聞かないで誰に聞くんだぁ?」

「スクアーロ、それは誤解だ」

「てめーの主観でいいから教えろぉ」

「……もう少し育ってみないと分からない」

 跳ね馬が答える。そんなに幼いのか、と、銀色のオンナは思った。そういえばケッコンする本人もそんなことを言っていた。

「そんなに歳、違うのか。女房ちゃんと、アイツのイイとこ、分かってくれっかなぁー」

 心配そうに呟くオンナに、跳ね馬は。

「そんなもの分かるのはオマエだけだと思うぜ」

 もう十年以上、言い続けている台詞を告げた。