何度か見た夢だった。だから筋書きは分かっていた。

 オンナが憂鬱そうにしている。少し身動きも鈍く、自分にあまり構わなくなった。話しかけても上の空、早くきりあげて離れたいと思っているのが見え見え。

いつも顔に大好きと書いてこっちを見ていたオンナが、そばに来る頻度が減ったのは拗ねているのだと思っていた。婚約をすろと強要されている時期だった。ボンゴレの将来の為と言われると無碍に出来ない自分の未練に気づいたオトコも憂鬱を抱えていて、オンナがおかしい原因に気づかなかった。

自分との子供が腹の中に居て、それを自分に気づかれたくなくて必死だった、なんて、想像も出来なかった。

おいドカス、と声を掛ける。俯いていたオンナが顔を上げ、なんだぁと返事をする。声は大きいが語尾は弱く、目元は揺れていて怯えているのがかすかに分かる。

ああ、そうだ。

 出て行く前、こんな顔をしていた。よく見れば拗ねているのでないことは明白。もっと切実な表情をしている。妊娠を気づかれたくなかったと、告げるワリには隠し切れない寸前までここに居たのは、自分と少しでも長く一緒に居たかったからだ、と。

 気づけば愛おしい。コレの動機はいつも自分に対する愛情だった。そっと遠くから様子を伺われるのが不愉快で、言いたいことがあるならきっぱり言いやがれと腹が立った。けれど、この時点なら、口を開かせれば愛を奏でただろう。

 手を伸ばす。オンナの右手を掴む。びっくりしても逃げられないように。オンナは一瞬だけ動揺したがすぐに覚悟を決めた。深呼吸して唇を噛み締め、勇気を振り絞った様子で男の視線を正面から受け止める。

 悲しさを隠せないのは、殺されるとでも思っているからか。

 オマエ、腹の中に、居るな?

 男は尋ねる。質問ではなくて確認。Si、イエス、と、オンナは正直に答えた。オトコをじっと見つめていたブルーグレイの瞳

が伏せられる。睫の長さに感嘆しながら男は屈んで、目蓋に唇を押し当てる。

 びく、っと、掴んでいた手首ごと全身が震えた。

 婚約はやめる。ジジイのことは何とかしてやるから安心して産め、と。

 男は囁く。それはウソではない。オンナが更に驚き伏せていた目を開く。男が顔をあわせずにぎゅっと、抱きしめたのは、らしくもなく照れたから。

 逃げ出すことはない。ここで産めばいい。狼の群れの中で繁殖を許されるのは最高位のペアだけ。確かにそうだが、おれ『たち』はそのペアだろうがと、わからせる為に抱きしめる。

ヴァリアーは堅固な要塞で、自分は強壮なオスで、仲間たちは子供の誕生を歓迎するだろう。産前産後の弱った時期と生まれてくる子供のことを、あんなガキに庇護して貰わなくってもいいんだぞ、と。

 分からせたかった。自分にも庇護者の資格があることをこのオンナに認められたかった。オマエじゃダメだぁと切り落とされるのは痛い。愛している相手にそうされるのは初めてではない。自分を棄てるなと、そう、思いながらオンナの髪をなでる。てめぇを愛しているのだ、という告白を兼ねて。

 オンナが身動く。男は腕を緩めてやる。抱いたオンナを覗き込む。オンナは俯いて目を伏せたまま。

 おかしい。

 おい、ここはてめぇが笑うところだぞ、と。

 男はそう思った。何度も見た夢だから筋書きは分かっている。オンナが顔をくしゃくしゃにしながら笑って、てめぇは泣くとブスになるなぁと呆れながら、男はそのブスさを我慢してキスをしてやるのだ。

そうして、オンナが抱き推してくれようと腕をまわしてきたところで目が覚めてしまう。いつもそうだった。今回もそのつもりで居たのにオンナはおかしかった。泣くにはないたが、しくしく、手で顔を隠しながら。

 オレだって帰りてぇよ。でも出来ねぇんだ。掴まってるんだぁ、逃げられねぇよと、訴えられる。男は髪をなでていた手を止める。違和感を覚えた。

 こんな泣き方をするオンナではなかった。俯くことはあったけれど顔を手で隠したことはなかった。

 オマエのところに、ここに帰りたい、と。

 泣きじゃくられて手を離す。そうしてその手を懐に入れながら尋ねる。てめぇは何者だ、と。

 コレはアレではない。確信があった。あの銀色はこんなオンナではない。豪快だが優しいところがあってほだされやすくはあるけれど、メソメソという要素は一ナノグラムもない。本当に帰りたいならさっさと戻ってきて、部屋の扉を開けてただいまと言うだろう。そんなところを、こよなく愛しているのだ。

 助けに来てくれよザンザス、と。

 銀色のオンナに似た何かは繰り返す。それがそもそもおかしい。男の夢の中で銀色のオンナは言葉を発したことがなかった。言いたいことがない訳ではなく、必要なことはハキハキと喋るオンナだが基本的には服従、いつでも隷属させてきた。

 だからこそ、セックスのやり方がテヌキだったなっていなかったと、指摘されて衝撃を受けたのだ。言われるまで気がつかなかった自分の鈍さに。

 何者だ。なんの目的で来た、と。

 男が追求する。銀色のオンナが泣き止む。肩が震えだす。泣きじゃくっているのでは、ない。

 笑っている。

 ホラー映画なら、バッと上げた顔がバケモノなんだよな、と、男は冷静に考えていた。そんな怪談が日本にあったような気がする。けれども夢は映画のようではなく、世界が濁ってマーブルに混ざって、やがて塗りつぶされた。

 透明度が限りなくゼロに近い中で、何かが、若しくは誰かか、去っていく気配をうっすらと感じた。

 

 

 

 ベッドの中で目を覚ます。

 一呼吸置いて起き上がる。

 枕もとの電話機は防諜の為に有線。

 一応は登録してある番号を鳴らす。コールしながら時計を見れば、時刻は午前四時。なかなか非常識だ。

『はい。……誰?』

 そんな時間の、直通電話だから。

「お前に猿あつかいされた者だ」

 少しぼんやりした声で受話器を取ったのが同衾していたらしい別人でも、文句を言う筋合いではない。

「話がある。今から行く」

 許可ではなく通告。否と言っても押しかけるつもり。

『今から?』

「今からだ」

『ふぅん』

 電話の向こうでボンゴレ十代目の守護者では最強といわれる雲の美形は、起き上がった気配。こんな場面でなければ毛布が肌を滑る音はなかなか艶だ。

「玄関先での立ち話でも構わねぇ。今から行く。話がある」

『分かったよ。起こしておく』

 ボンゴレ十代目の正妻として代理人のような口をきく相手に、よろしく頼むと男は言った。愛人に真夜中の電話の応対をさせる沢田綱吉をやるものだと思った。眠っているにしろ起きているにしろ。

 幹部の全員の電話を一度に鳴らす。最初に出たレヴィに車の準備をいいつける。寝巻きをスーツに着替えて静まり返った居館の玄関に向かう。古い石造りの砦は外気を遮断して夏は涼しく冬は暖かいけれど、さすがに空気が冷えて澄んでいた。

「沢田綱吉の所へ」

 ホールで待機して扉を開けたのはレヴィだったが、車を廻してきたのは隊員ではなくルッスーリア。乗り込む頃になって王子様が寝ぼけて足を縺れさせながら追いついてきた。この王子様にしては頑張ったといえる。ネクタイが棒状に首からぶら下がっているのを見て、男は少し笑ってしまう。そんな場合ではなかったけれど。

片手が義手とは思えない器用さで、さっと形良く締めてくれる銀色のオンナが居ないくなって王子様は色々と不自由をしている。お前もか、という、奇妙な仲間意識があった。愛して優しくして甘やかされて過ごしていたのに居なくなられてしまった。

「留守をしていろ」

 と、男は王子にいいつけて車へ乗り込む。

「はーい。行ってらっしゃーい」

 ひらひら手を振って王子様は一行を見送った。

 

 

 

 ヴァリアーのボスと側近たちの電撃訪問を出迎えたのは警備責任者である銀色のオンナ。面通しを兼ねて門を開けたオンナは、珍しくマジな男の様子に軽口も叩かず頭を下げる。

 軽く頷き男は中へ通る。非公式な訪問をした時に内部構造は調べていて案内は必要なかった。愛人に真夜中の電話の応対をさせる沢田綱吉をやるものだと思った。その感心が的外れであったことは。

「……いらっしゃい」

 と、言うのが精一杯というくらいに、頬を腫らした沢田綱吉の様子ですぐに分かった。一応、スーツは着ているけれど全く似合わない上に、タオルで包んだ氷嚢を頬に当てた格好は、とてものこと、大マフィアの次期ボスには見えない。

「親知らずが腫れちゃって……」

 ぷっくり、右の頬が膨らんで顔が歪んで見える。声を出すだけでも痛いらしい。うーっと呻いて辛そうな顔をする。

「攻撃を受けた」

 浴衣とかいう日本の寝巻き姿の雲雀恭弥に椅子を勧められ腰を下ろしながら男は簡潔に答える。ゲストが腰掛けた後で沢田綱吉も対面の椅子に座ったが、歯に響かないようそーっと、そーっと、身動きする様子は哀れでもあり、情けなくもあった