ヴァリアーからボンゴレ十代目の館へ、しばしばやって来る『増援』に山本武はとても愛想がいい。
「夜食は?酒は?大浴場に柚子湯沸いてっけど」
オカマのルッスーリアには勿論、ティアラの王子様に対しても。
「この前の、あんころもち、っていうの、食べたい」
何故ならば、その腕の中には赤ん坊が居る。すやすやと機嫌よく眠っている。山本武がどんなに一生懸命な子守をしても夜中に二・三度は泣かせてしまうのに、ルッスーリアや王子様が抱いていると深夜の授乳を除いて一晩、ぐっすりと眠っている。
「分かった。すぐ焼いてくる」
「ちょっと焦げてるぐらいがいい」
「分かった」
王子様やオカマが『子守』に来てくれだした当初、山本武は戸惑わなかった訳ではなかった。が、普段は他人に警戒心の強い人見知りの獄寺が、何故か心配の欠片も見せず、助かるぜコレおむつコレミルク、と、赤ん坊のことをヴァリアー幹部の手に易々とゆだねた。
珍しいなと言ったら逆に不信な顔をされて、だってあいつらはタケルの叔父さんと伯母さんじゃねーかよと言われた。どーせ自分たちだけじゃ育てきれねーんだ、助けてくれるってんならそーしてもらおーぜと、いつもの頑なさを忘れたように、あっさりと。
ザンザスのことは警戒していたくせに、部下の二人にはホイホイと委ねるのがどうにも分からない。赤ん坊に対する愛情を本能で嗅ぎつけているのだろうか?
ともあれ『母親』の意思に沿って、山本武も二人の来訪時には精一杯の歓迎の意を表そうとしている。ビアンキやシャマルに対してもそうだが、『妻』の実家の親戚付き合いに気を使って頑張る様子は、『妻』には愉快に見える。
「けどさ、アンコってシャンパンとはあわねんじゃねーかな?」
山本武は心配そうに言った。賓客の嗜好調査はバッチリである。日本から父親が送ってくれる、粒あん入りの杵つき餅は雲雀恭弥の好物でもあるので冬の間は欠かしたことがない。山本自身はよく分からないクリュグとかいうシャンパンも、この王子様とオカマの格闘家が好きというのでダースで買い込んでいる。
「酒はいーよ。仕事で来てるし」
腕の中の子供を揺らしつつ王子様は言った。
「仕事?」
「センパイには言うなよ、嫌がっから」
「……ふーん」
山本武は馬鹿ではない。それだけで事情の察しをつけた。ヴァリアーの幹部に仕事として子守を指示できる人間は一人しか居ない。そしてその一人には動機がある。自分の情婦が産んだ子供の養育を、そんな形で援助する理由が、ある。
「まだ未練あんのな?結婚するくせにさぁ」
非難がましい口調に王子様はムッとして。
「させられるんだぜ、そっちのの身代わりに」
感謝しろよと言わんばかりの台詞を投げつける。え、っと、山本武は素直に驚いた。
「あんころもち」
そのへんの鈍さは素人臭くって、王子様はこの若い男のそこらへんを好きではない。会話を中断するために要求を突きつける。「あ、うん」
山本は素直に台所へ立った。抱いた赤ん坊をぽんぽん、背中を叩いて安眠させながら王子様は。
「センパイさぁ、あーんなボケオの、いったい何処がいーの?」
赤ん坊に向かって尋ねる。返事は当たり前だけれど、ない。
「ボスのほーが男前だし、跳ね馬のほーが気が利くじゃん。王子のほーが子守上手いしさぁ、あんなんのドコがいーんだろ?ケッコンしかけたボスが嫌で逃げ出した、先が女房居るも同然のヤツって、分かんないなー」
自分より年下のガキに、あのセンパイが庇護を求めたことに、傷ついているのは王子様もだった。
「なぁ、オマエほんとは、ウチの子だったんだよ?」
ヴァリアーという強い狼の群れの、頭を継ぐべき子供だった筈だ。今はまだ眠って食べるだけの赤ん坊だけど、アレとアレのミックスならさぞいいタマに育つだろう。それをむざむざ、他所に渡してしまったことが王子様は悔しくてならない。
「オマエさぁ、ウチのコなんだぜ、ホントは。なぁ、なーんでセンパイ、王子に助けてって言わなかったのかなぁ」
妊娠していることに薄々気づいていたけれど、本人が隠していたがっていたから指摘をしないでおいた。それが失敗だったのだろうか。ボスが恐いなら王子と駆け落ちしようよ、と、声を掛けてやれば良かったのか。
「どっから見てもボスのほーがいー男だし、オマエもボスがチチオヤのほーが嬉しいよなー?」
台詞の最後は小声になった。赤ん坊と一緒に泊まるつもりの客間へ、人の気配が近づいてきたから。
「オマエ、ヒマだなぁー」
がちゃり、ノックもろくにせずドアを開けて、王子さまと馴染みの『センパイ』が、開口一番に言ったのはそんなこと。
「王子はヒマじゃないよ。でもセンパイが大変だろーと思って、わざわざ、ヒマを見つけて様子見に来てやってんのー」
「言ってやがれ」
銀色のオンナは台詞と裏腹の上機嫌。昔の仲間が『遊びに』来てくれたのが嬉しいらしい。王子様の腕の中ですやすや眠っている赤ん坊を覗いて額にキス。眠っているのに、子供は分かるのか、ふにゃんと笑ったように見えた。
「かーわいー」
思わず王子様が呟く。当たり前だろーがと銀色のオンナがまたキスをする。そして。
「そっち最近、どーだ?」
真面目な声で尋ねる。
「んー。ちょっと忙しいよ」
世相が不穏だ。当然、暗殺部隊の出番は増える。
「今はまださぁ、ボンゴレの中に入り込んだアッチの触手を、摘んでまわってるダケだけどー」
すらすら、王子様はヴァリアーの仕事内容を銀色に喋った。機密の保持は至上使命だが、この相手を『外部』とは、とても思えなくて。
「そのうち根っこ、探しに行くんじゃね?」
専守防衛などという寝言からはもっとも遠い気性のヴァリアーのボスだ。裏切り者の粛清だけで済むはずがない。ジェッソという得体の知れない新興組織には謎が多く本拠地の場所もはっきりしていないが、頭を刈りに行くことを考えていないはずがない。
「あー、だよなぁー」
「うん。多分、そんなに先のコトじゃないよ」
ジェッソの攻め方は素早い。が、ボンゴレ最強と称されるヴァリアーもスピード勝負で劣るつもりはない。腰の重いお偉い年寄りたちの意向とは別に、事態はさっさと進行していくだろう。
「だからさぁ、多分、ジッリョネロファミリーのボスとウチのボスがケッコンとかは、実現しないんじゃね?色々無理やりだしさぁ。ウチのボスはそりゃいー男だけど、やっぱ二十歳の年齢差って、ムチャじゃん?」
「そっかぁー?それぐらい若い女、抱えてる男なんざゴロゴロ居るじゃねーかぁ?」
「愛人ならイケるかもしんねーけど」
ファミリーのボスの妻は非常時にはボス代行を務める。それは構成員たちの生死与奪の権限を握るということ。ボスと愛し合いファミリーを愛してくれる女でなければ、部下たちはその妻に権威を認めようとはしないだろう。
「なぁ、したらさセンパイ、この子連れて帰っておいでよ」
王子様はそれが言いたかったらしい。
「ばぁか」
銀色のおんなはまともに聞かず笑っている。
「なんでぇ。いーじゃんボスだってホントはそーしたいんだしさ。意外と子供のこと、可愛がってくれると、王子思うよ?」
この王子様がボンゴレに引き取られた当初はまだ子供だった。主に世話をして育ててくれたのはルッスーリアと銀色だった。ザンザスとの関わりは短かった。けれど邪険にされた記憶は一度もない。
赤ん坊の事をルッスーリアと話しているとじっと聞いているし、センパイんとこ行って来ると外泊を申請したら勤務扱いにしていいと言われた。興味も、たぶん愛情も、あるのだ。
「これぁなぁ、もー、オレんじゃねーんだよ」
「なぁに言ってんのさ。そっくりじゃん」
「ばぁか。せっかくいートコに貰ってもらえたんだ。邪魔すんじゃねーよ」
ボンゴレの守護者同士の子供というのは、マフィアの世界に限っていえば大層なハク、尊重されるべき貴種。
「ウチだって名門なんじゃね?」
けれどヴァリアーも見劣りはしない。強いということが正義でもあり美しさでもあるこの『世界』では、平和ボケしたボンゴレの本家以上の価値だと、王子様は心から思っている。
「ガキが育つよーな環境じゃねーだろ」
「オレそこで育ったよ?」
「おーよ、見事に育てそこなったぜ」
「なに言ってんのさ。オレんこと可愛くてしょーがないくせに」
「……」
可愛くない、とは、銀色は言わなかった。うまくつけない嘘なら事実を認めてしまった方がマシだ。
「まぁ、じゃあ、子供はいーや。どーせ大人になったらウチに来るだろーからさ。センパイだけでも帰っておいでよ」
「ばぁか。そんな気軽に、出たり入ったり出来っか」
「いーんじゃねーの?センパイは特別で」
ただの幹部でも隊員でもない。夫婦もしくはカップルだと思えば、痴話喧嘩をいちいち、脱走とか足抜けとか、騒ぐことも馬鹿馬鹿しい。
「ジェッソのことさっさと片付けてボスんこと自由にしてやって、センパイにお帰りって言うのが王子のモクヒョー♪」
軽く言われた、そんな言葉に。
「バカ言うんじゃねぇぞぉー」
銀色は、嬉しいけれど悲しそうに、笑った。