ヴァリアーの食卓の雰囲気は暗くて重苦しい。
「ルッス、砂糖取って」
食卓でボスであるザンザスは殆ど口をきかず、幹部たちの会話も殆どなく、王子様とおかまが必要最小限のやり取りをする程度。
「はい」
「サンキュ」
以前はこうではなかった。ボスの愛想が悪く無口なのは変わらなかったけれど、快活でお喋りなオンナがそこに居た。王子様やムッツリとの軽い諍いもないではなかったが、雰囲気はもっと柔らかくて暖かかった。
「オレさぁ、今日、ボンゴレでセンパイ見かけたよ」
食後のカフェを飲みながらその日、昼間にボンゴレ本邸へお使いに出されたティアラの王子様が突然、そんなことを言い出す。場の全員が、ぎくりと肩を揺らす。さよならも言わずに出て行った彼女のことはヴァリアーの中で禁句、触れてはいけない、ことになっていた。
「ナンかあそこで警備の監督みたいなことやってるみたい。王子、ボディーチェックされたし」
「そう」
というオカマの返事は相当に遅れた。
「元気そうだった?」
「ピンピンしてた」
「ならよかったわ」
「どっちだったか聞いたけど、教えてくんなかった」
さすがに。
その台詞には、オカマも相槌をうてない。
「見せてって言ったけど返事してくんなかったし」
淡々と語る王子様の声だけが妙に室内に響く。
「でもさぁ、センパイ、産んだんだよな?シマツしたならこんなに時間かかってんないもん。何処でどーやって育ててんだろ。里子に出したとか?」
「ベルちゃん……」
喋るのをやめろといまさら止めても、もう意味がない。
「ここから出てった時、センパイ、何ヶ月ぐらいなんだ……」
ったっけ、と、王子様は、言葉を続けられなかった。、
「……」
代わりに両手を頭のうえに上げる。降伏を示すその姿勢の、理由は、彼らの怖いボスが食卓の上座で銃を構えているから。
抜く手どころか気配も見せず、38口径オートマチックの、この男にしてはスマートな携帯用だが殺人には十分の威力を持つ拳銃の、小さな暗い銃口が向けられた王子様にはひどく大きく見える。
「……えっと……」
降伏をしているのに銃口は下ろされない。じっと自分を眺めるボスの真意を測りがたくて王子様は口を開く。瞬間、引き金が引かれた。
「キャ……っ!」
拳銃の銃声というのはそう大きなものではない。オカマの悲鳴の方が甲高くてずっと響く。弾道は肉を削がなかったけれど風圧で王子様の髪が幾筋か持って行かれる。頬がチリチリ、するのは摩擦で火傷をしたからだ。高速回転する銃弾は高温で、直に触れなくとも肌を焼く。
「膝をつきなさい、ベルちゃん」
強張った王子様にオカマが年の功で進言する。緊張感の満ちた口調に促されるまま、ティアラの王子様は両手を頭の後ろで組み、組んだままそーっと椅子から立って、そーっと床に、膝をつく。服従の意思表示。
「……」
彼らのボスは、それでも銃を下ろさなかった。標準を王子様の後頭部にあわせたまま、食卓の数人を見回す。
「……ボス……」
オカマとムッツリが手を上げる。事情がよく分かっていない新入り幹部の幻術師も軽口さえ叩かずに大人しく手を上げた。その一人ひとりと視線を合わせ、目の色を確認してからようやく彼らのボスは銃を下ろす。
そのまま何も言わずに食堂を出て行った。
「……びびった……」
ゆっくり、そっと、王子様は立ち上がって。
「ちょー怖ぃ。ナニアレ、こえぇええぇぇーッ」
腕を回して関節と筋肉をほぐす。短い時間だったけれどガチガチに緊張していたせいでグキグキ音がするほど強張っていた。
「ベルちゃん、アンタ……」
オカマはあきれ果てた声。
「自分が怒らせといて怖いもナニもないと思いマース」
若い幻術師はいつでも事実を鋭く指摘する。
「いい度胸、してるわアンタは、本当に」
呆れつつ感嘆した声でオカマはそう言い、王子様のカップにカフェのお代わりを注いでやった。
「んー。王子もまさかって思ったけどさぁ、ボスってやっぱ、気づいてなかったんだー」
「そうね……」
王子様の解釈にオカマが同意する。あの動揺はそういうことだろう。
「時々ミョーに抜けてるヒトですねぇ、あのボス」
と、まだ馴染みの薄い新入りがビスケットを齧りながら言った。この新入りでさえ気づくほど、姿を消す前のオンナは体調をおかしくしていたのに。
「そう、だったのか……」
鈍いムッツリもボスに負けず劣らずの衝撃を受けている様子は、面倒なのでその場の全員が無視した。
そこへ鳴る、内線の呼び出し音。
「はい」
受話器を取ったオカマは、すぐに、ビミョウな表情になって。
「すぐにお伺いします」
何処へかは尋ねなくても分かった。
食堂で自分のことを待っていた王子様に。
「ボスと話したことは喋れないわよ」
オカマは先制の牽制。ケーチ、と、王子様は呟く。
「でもさぁルッス、王子偉かったよなー?」
「ええ、そうね」
それにはオカマも同意した。あの怖いボスに向かって出て行った女のことを喋ったこの王子様には勇気があった。
「とても偉かったわよ」
「うん。でも王子ってショージキ、よく分かってなくってテキトーに言ったんだけどさ、あれ当たってた?」
「だいたいアンタの言ったとおりよ。済ませて療養して復帰したとすると時期はあうわ」
というようなことを、オカマはボスの部屋でも喋ってきた。ボスは黙って聞いていたけれど、だんだん表情がマジになっていた。
「センパイ、ボスに話して行ってなかったんだー」
「話していなかったみたいね」
殊勲の王子様にオカマはそっと、ボスとの話をさりげなく漏らす。
「ナンでそんな意地悪したのかな?」
「怖かったんでしょうよ」
「ナニが?」
「シマツしろって、言われることが、よ」
「ナニソレ」
王子様は不思議そうに小首を傾げる。
「スクちゃんの気持ちは分かるわ。アタシだって今、少しヒヤヒヤしているのだもの」
衝撃を受けていたボスが落ち着いて熟慮の挙句に、生まれただろう子供をは始末して来いという命令を出すことを怖れている。そんな罪作りな真似はしたくなかった。何も言わず、欲しがらず、認知さえ求めず独りで産んで育てるつもりらしい、つての仲間に、酷い真似はしたくなかった。
「ナニソレ、ありえねー」
けらけらと笑う王子様の能天気さがオカマには羨ましかった。
「言うわけないじゃん、ボスがそんなこと。センパイごと誘拐して来いとかは、アリかもしんないけど」
「ウチのボスは立場上、色々とあるから」
ボンゴレ十代目の地位は沢田綱吉に奪われたものの、九代目の容姿であることに変わりはない。このイタリアで名門マフィアは貴族のようなもので、結婚や閨閥は『家業』との関わりが深い。
「愛情だけで人生を選べないのよ」
「つまり、ルッスも、ボスのこと信じてやんないの?」
「信じたいわよ。でもね……」
ため息をつくオカマの口元に、王子様は立ち上がって背伸びをして、ちゅっとキスをした。
「そんな心配すんなって、ルッス。絶対ダイジョーブだから。だってボス、すっげー寂しそうだったじゃん」
天真爛漫に見えて案外、深いところを分かっていないでもない王子様だった。
「ボスがセンパイにひでーことする訳ねーじゃん?」
だからこそ何ヶ月も様子を見て、それから喋ったのだ。
「ボスが王子のことあんなに脅したのは、九代目とかに知られたらセンパイが危ないから喋るなってことじゃね?つまりボスはセンパイを好きってことで、すっげーめでたいじゃん」
「……そうかもしれないわね……」