一生懸命、頑張った。

 でも間に合わなかった。そんなこともある。

「ごめんね」

 努力に報いてやれないことを沢田綱吉は詫びた。いいえ、と、長年、その右腕を務めてきた頭のいい側近は答える。

「十代目のご判断は正しいと思います。今のオレは、まだ足手まといです」

 事実を認めて、敵の本拠地を急襲するメンバーから外されたことを是とする凛々しさは立派だった。作戦会議の最中、一人だけソファに座り梅こぶ茶を飲んでいた雲雀恭弥が、立ち上がり歩み寄り抱きしめてくれたほど。

「心配すんなぁ、大丈夫だから」

ボンゴレ十代目の最強守護者にして正妻、組織のマダーマである雲雀に慰められて獄寺は笑う。頬まで寄せられてくすぐったそうに肩を竦めたけれど嫌がりはしなかった

「キミが一番、過酷だよ」

 かわいそうにと頭を撫でられて。

「望むところだぜ」

 獄寺は素直に答える。ボンゴレ十代目である沢田綱吉の役に立つことが存在意義。その為ならば、共同作戦の人質としてその遂行中、ヴァリアーに身柄を拘束されることなど何でもない。

「タケルは跳ね馬が預かってくれるしよ」

 既に赤子はロマーリオが来て引き取って行ってくれた。くずりもせずに抱かれていった。だから安心して人質になれる。

「ヴァリアーの連中もメインの奴らは行くんだから、残った有象無象がオレに、ナンか出来るわきゃねーしよぉ」

 危害どころか意地悪をされるつもりもなく獄寺は笑う。まぁなと、同意したのは、同席していた銀色のオンナ。

「テメェの敵なんざ一人も残らないぜぇ。女王様みたいに暮らしてろぉ。好きなモノ好きなだけ喰って、ジムのプールで泳いでなぁ。サウナもあるぜぇ」

 ヴァリアーから出向中という立場で、滞在中の優遇を約束する。ティアラの王子様やオカマの格闘家といった馴染み深い幹部たちは皆、戦場に出て行ってしまい不在だけれど。

「ウチにはなぁ、行儀の悪いのは居ないぜぇ。ゲストにちょっとでも失礼なことしやがったらすぐ縛り首だぁ。ボスさんがそこらへん、すっげぇ格好つけだかんなぁ」

 マフィアの美学に忠実に生きている男のことを銀色のオンナはそんな風に表現した。共同作戦の協力の保障としてヴァリアーに滞在する獄寺が危害を加えられることはないぞと保障している。獄寺の実質的な配偶者である山本武が顔色を真っ青にして、黙り込んでいるから。

「悪いこたぁさせねぇよ。念を押させとく」

 一生懸命、大丈夫だと、山本を安心させようとしている。

「お願いします。そもそも、ウチにはあなたが人質で居るんだし、獄寺君に何かされるとは、オレも思っていないけど念のため」

 ザンザスの名前で人質を丁重に扱うよう、通達をしておいて欲しいと沢田綱吉が希望する。イエスと銀色は答えた。ヴァリアーのサブとして、ボスの代行として。

「勝って帰ってくるよ。心配しないで待っていて」

 獄寺を抱きしめたまま励ましの言葉をかけたのは雲雀恭弥だった。『夫』である沢田綱吉より遥かに、群れのトップを張ってきた経歴の長い実力者。

「おーよ。全然、心配してねーよ。でも十代目のこと頼むぜぇ、ヒバリ様ぁ」

「分かった」

 頼まれたよと、はっきり明言する雲雀をぎゅっと、獄寺は抱き返して、そして。

「オレさぁ、すっげぇ、腹が立ってた、ことがあったんだ」

 その腕の中に抱かれたままで口を開く。

「なに?」

 雲雀恭弥は優しく尋ねてやる。普段の態度からは信じられないほど。つまりそれだけ、一人で残らなければならない獄寺の立場に同情しているということ。獄寺君は連れて行かないよと告げられて、物分り良くイエスと承服した覚悟に感心している。

「聞いてくれっかぁ、ヒバリ様ぁ」

「聞いてあげる。言ってごらん」

「なぁんで、喋ったんだよって、ずーっと、恨んでた」

「なにを?」

「孕んだこと」

 男と女が愛し合えば子供が出来る。それは当たり前の事。だが現代人は当たり前の本能を壊して『社会』に適応することで生きている。その社会は様々であって、愛情のセックスと結婚という手続きの順番が前後することは日本人にとっては今も昔も、大したことではない。

 けれどカトリックにとっては大罪。妊娠を悟った獄寺は福音というより罪悪、未婚の性交渉をしたバチが当たった、という気持ちになってしまった。

「そうなの?キミ、ホントは産みたくなかったの?喋られてしまったからタイミングを逸したの?」

 好評されて堕胎できなかったことを恨んでいるのかと雲雀恭弥が尋ねた時、山本武の顔から更に血の気が引く。青を通り越して白い。

「ンなんじゃ、ねぇよ。始末するつもりとかはなかったけどよ、まだ混乱してんのにべらべら、十代目だのオマエたせのはともかくツヨシにまで喋られて、すっげぇ恨んだ」

 山本武の父親を獄寺は中学生の頃から知っている。知っているどころか大変なお気に入りで、よく寿司を食べさせてもらっていた。

「バカモトに喋っちまた、オレが悪かったんだけどなぁ」

「共同責任の相手に話すのは当たり前だろう。その時に口止めを忘れてしまったのは失敗だったけど、混乱してれば、忘れることもあるさ」

「勝手に喋られて、ツヨシがすっげー喜んでたって聞いたときもえーっとなったけど、ダメになっちまった後は恨み骨髄だったなぁ。黙っててくれりゃよかったのにって」

「まぁね。安定期に入るまではあんまり吹聴、しないでおくものだけどね。昔から腹帯が終わるまでは子供のモノは準備するなって言ってあるし、特に初子は流れやすいから」

 そんな習慣を、今時の若い男が知らないでいたのも仕方がなかったけれど。

「山本武の父親に怒られると思ったの?」

「おい、そんなの……ッ」

「ちょっと、てめぇは黙ってろ」

 蒼白な顔色で、それでもさすがに抗議しようとした若い男を銀色のオンナが制する。

「ツヨシはやさしーからさ、怒られる、とかっては、思わなかったけどよ。でもやっぱ、知られたくなかった」

 悲しい自分の失敗を。

「知られたく、なか……ッ」

 語尾が掠れてしまう、まだ若い女を。

「泣くとキスするよ」

 雲雀恭弥は抱きしめながらそう言う。ぐっと奥歯を噛み締めて嗚咽を押し殺す。せっかく意地を、一度は張ったのに、泣かなかったのに頬に、優しくキスをされて。

「ふぇ……」

 結局、泣き出してしまう。

「キミは強くてしっかりしてる、とてもいいオンナさ」

「……、う、ぇ……」

「バカな男をバカって罵っても仕方ないだろう。男の無知を分かっていないかった、自分の予想の、甘さを悔やむんだね」

「う……、ふぇ……」

「まぁでもいいじゃない。結局子供はちゃんと居るんだから」

「うぇ……、うぇぇ……」

「イマサラ泣くんじゃない。恨んでるのも忘れなよ」

じゃないと子供がウソになってしまう。

「戦争前にちゃんとそう言って、許してやろうとしてる、キミはいい女だと思うよ」

 色んなことが一度に起こって、一時弱っていたけれど。

「ねぇ。ボクはキミのことダイスキだよ?」

 よしよしと、泣いている若いオンナを抱きしめ慰める役目は結局、山本武にはまわってこなかった。

 

 

 

 丁寧に扱ってくれよ、と、銀色の鮫は何度も繰り返した。

「ほほほ、当たり前じゃない大丈夫よ。ゴッコクンに失礼なことをしたらタマ握りつぶしてサオ引っこ抜くぞって、ちゃあんと通達済みよぉん♪」

 オカマの格闘家、ヴァリアーのサブ代行はそう請合った。言ったとおりにするオカマなので、通達をされた隊員たちの恐怖は察して余りある。

「ならいーけどよぉ、マジ頼むぜぇー」

「分かっているってば。跳ね馬からも昨日、電話がかかって来ていたわよぉ、ボスに」

「ザンザスに?」

 銀色のオンナが驚く。キャバッローネの跳ね馬はヴァリアーのザンザスを嫌っている。

「なんて言ってた?」

 それが電話を掛けてくるなんていうことは激レアな出来事。銀色のオンナが内容を気にするのは当たり前。しかし。

「ボスに直接だったのよ。内容までは分からないわ」

 ルッスーリアが答える。それも当然で、あぁそうだなと銀色は納得。ボンゴレ十代目からの『人質』を引き渡すべく、連れてやって来た中世の要塞を改装したヴァリアーの本拠地で。

「客間もあるけど奥まって出入りが不自由だから、お部屋はスクちゃんの居間を借りればいいと思うの。バスも広いし外との連絡も取りやすいし、三階に上がる階段もあるからポスの書庫にも出入りしやすいでしょ」

 滞在中にザンザスの蔵書を読ませて欲しいという獄寺からの希望は前もって伝えてあった。

「いいわよね、スクちゃん?」

 オカマに承諾を求められて。

「……おぅ」

 銀色の返事が遅れたのは部屋を使わせるのがイヤだったのではない。自分の部屋がこの砦の中にまだあるというのが、辛いような嬉しいような、妙な気分だったから。

「へぇー」

 黙って大人しく、二人の会話を聞いていた獄寺がにやにや、面白そうに笑う。