実力行使しやがった、と。

 思った。出て行かれたと気がついた時、まずそう思った。

 長年サブを務めさせていたオンナで情婦でもあったカスザメが、ぐらぐら揺れてやがることには気づいていた。結婚話が出ていた時期で、それも当然といえば当然。マフィアの法律ではボスが妻を娶ればそいつがナンバーツーになる。長年の立場を脅かされるバカが不安がるのは当たり前のこと。

何を考えているか喋らせようと水を向けたこともあった。ジジイの望む政略結婚を、さっさとしちまってさっさと別れるか、頑として拒むか、どっちが手間がかからないと思うか、と。

尋ねたのは、するなと言いたいならいえよという促し。せっかく喉をなでてやったのにあのバカは、オレが口出すコトじゃねぇなぁ、とかってトボケやがった。本心を見せない強がりが気に入らなくて、勝手にしやがれ、と。

放置していたら出て行かれた。仕事の引継ぎどころか挨拶もなし、書置きも残さずに。あのカスザメめ、実力行使しやがった、と、舌打ちした。そんなに嫌なら止めろって泣いて頼みやがれ格好つけやがってと、思った。

が、出て行った先がキャバッローネではなくボンゴレ日本支部だったから、まぁ。

 拗ねて思い詰めた挙句のことだと、思って許してやることにしたのは相当の譲歩。婚約指輪のことでジジイの使者としてやって来た沢田家光に、結婚はしないと宣告した。

 どうして今更と理由を聞かれて、あんなブスと一緒に寝るのは嫌だと、答えてやったのはカスザメの顔をたてたつもり。あれは馬鹿なオンナだがツラだけは良かった。手足の長い痩せぎすのカラダも、抱けば見目ほどガリでもなく柔らかく撓む。その手ごたえを、正直言って、長年気に入って、いた。

 沢田家光にそう言ったことは息子である沢田綱吉に伝わり、そこに逃げ込んでいるバカにも聞こえるだろうと思った。ボンゴレ十代目である日本支部の組織内に直には手を出せない。ドカスめさっさと戻って来い、と、思いながら、婚約者候補の容姿を散々にけなした。

 困った顔をする沢田家光の背中越し、テメェのことを気に入っている選んでやるぞと、ドカスに伝えたつもり。それが分かればさっさと戻ってくると思っていた。

 それがどうやら甘い考えだったらしいことに気がついたのは、婚約破棄の直後、ボンゴレ十代目になる沢田綱吉から届いた書類を見て。丁寧な文面で直筆の文字で、うち獄寺君が病気休職してて大変なんですスクアーロさんを暫く貸してくださいと、そんなことが書いてあった。

 文言は依頼だったが実際は通達。沢田綱吉は署名の横に協力をしてやってくれという添え書きがされていて、九代目である養父の署名があったから。つまり、あのバカの家出にはジジイの黙認があったのだ。

 そうたとすると事態は深刻。政略結婚の『障害物』として排除される前に逃げたということになる。勝手に一人で、ジジイからのプレッシャーに負けて白旗を掲げたのか。そんなに弱いヤツだとは思わなかった。なによりも、自分に黙ってそんな真似をされた、腹立ちが気持ちを占領していた。

 だから迎えに行かなかった。放っていたら、さらに腹の立つ話が聞こえてきた。キャバッローネの跳ね馬がボンゴレ十代目の雨の守護者に腹を立てているらしい、という内容の。

 それは、つまり。

 ただの『出向』ではなかったという、こと。

 まさかと思った。が、ボンゴレのパーティー会場でやりあったらしいという情報までが届いて、疑惑は確定的になる。あんなガキの庇護を受けているのか。『本妻』が居る若造の情婦としてボンゴレ本邸に居るのか。

 どうして?

 プライドの高いオンナだった。剣士としての才能と腕前に関しては傲慢なほどの自信と貪欲さを持っていた。たった十四でテュールを倒し、ヴァリアーを自分に貢いできた。二代目剣帝になる筈の身の上だった。そんな立場で、どうして滑り落ちるような真似をする。そんなにジジイが怖かったのか。怖がるような脅迫を受けたのか。どんな恫喝を受けても鼻先で笑い飛ばしていたのではなかったのか。

バカなオンナの行動が理解できなかった。そこまでバカじゃねぇだろうと思った。そんなことを、どうして、自分に一言もなく決めたのか、理解できなかった。

出て行った先が跳ね馬のもとならばまだ、色々な条件で自分が劣ったのだと理解できた。わずらわしい舅にいびられることもなく、正妻として正式に披露されファミリーのドン・ナ、女主人の地位を与えられる立場への欲ならば分かる。その時は力ずくで希望を握りつぶしてやるだけ。

キャバッローネに乗り込んで跳ね馬と本人を半殺しの目にあわせてやれば済む。死にたくなければ全部あきらめて戻れと告げて取り戻す対抗心も生まれただろうけれど。

どうしてなのか理解できなくて、そのせいで反応を決められないで居た。あんなガキとマジで張り合うのは不本意だった。跳ね馬ならばともかくあんなシロート臭いガキにいいようにさせたバカを取り戻したと、して。

それを正妻にする『屈辱』に耐えられる自信がなかった。

イタリアン・マフィアの道徳では他人のオンナを奪うこと自体はそう重大な罪悪ではない。カソリックの信仰より更に以前、ギリシア・ローマ時代の遺訓でイタリア男にとって、恋は全てに優先することになっている。ただし奪ったオンナは正式な妻にしなければならない。初代ローマ皇帝であるオクタヴィアヌスが、ティベリウスから奪い取ったリウィアをそうしたように。

 自分自身の狭量を知っていた。バカなオンナの今回の真似を許せるとは思えなかった。だから行動を起こさなかった。馴染んだオンナの不在に馴れるどころか喪失感が日々、深くなっていくばかりだったとしても。

 

 その、理由が、突然、分かるとは思わなかった。

 

「でもさぁ、センパイ、産んだんだよな?シマツしたならこんなに時間かかってんないもん」

 

 晴天の霹靂。

 雷は男の頭上で鳴り響き、脳天から背骨へかけて真っ直ぐに落ちた。