海峡の東・4

 

 宗主の地位を巡っての、父と息子との内戦は地方にも波及した。

地方は地方で、もともと紛争の種を孕んでいる。対立する勢力が二つに割れての代理戦争。中央で息子が勝利を収め大勢が決した後も、しつこく粘る勢力はあって、その始末から若い宗主の従兄弟が帰ったとき。

「なんでお前、仕事してんだ」

 宗主は執務室に居た。中空には下弦三日月が浮かぶ時刻。

 その三日月よりも鋭い眼光を放つ年上の幼馴染。

「俺が仕事してると、おかしいかよ」

「おかしかないが仕事よりイイ事あるだろうに。別嬪にふられたか」

「……仕置き中なんだ、今」

 ヒュウ、と須藤京一は冷やかす口笛。宗主に近づき見ていた書類を横から覗く。

「お前がンな洒落た真似できるとはな。てっきり尻に敷かれてると思ってたぜ。……なに、見てんだ。義兄弟たちのリストか。殺したのか?」

「まだ。なんか、気が乗らなくって」

「お前らしくない」

「殺すのも後々、何かと面倒だと思っただけだ」

「まぁ、決めるのはお前だが」

 宗主の血統に関することなので母方の須藤は言及を避けたが。

「命とるほど警戒しなきゃならないのが、居るとは思えねぇな。居るならとっくに親父さんの側について、内乱で手柄をたてようとしてた筈だ」

 男が乱世に巡り会って、一人も起ちはしなかった。二十七人居て一人もだ。

「警戒するとしたら……」

 京一は言いよどむ。それは一人だけ。

「別嬪さんはなんて言ってんだ。あっちは宮廷政治の専門家だろ。聞いたか?」

「殺すなってさ」

「実は聞きてぇことがあんだが、合わせねぇだろうな、お前」

 ハレムの『女』は財産でもある。他の男には見せない。

「伝言でいいから聞いといてくれ。ウリュスラの領主が」

「話があるとか会いたいとか、一度も言ってこないんだ。もう三日も閉じ込めてんのに」

 誰にも言えない愚痴を、啓介はこぼした。

「強情もあそこまでいきゃ病気だぜ」

「俺は強情な女は嫌いじゃないが。何処に閉じ込めてる」

「壬宮」

 聞いた途端、

「もったいねぇー」

 須藤京一は大きな声で叫んだ。冷静沈着なこの男にしては珍しい、速攻の反応。

「始末すんのかよ、もったいねぇ。殺すくらいなら俺に寄越せ」

「……あ?」

「ちゃんと黙らせる。お前を裏で助けてたことなんざ喋らせねぇから」

「京一、お前、なに言って」

「殺しちまうんだろう?壬宮ったら、干し殺す為の地下牢じゃねぇか。三日前って言ったな。華奢だったがけっこうしぶとそうだったし。もしかしたら、まだ息があるかも」

「……なんだよ、それ」

「生きてたら俺に譲れよ」

言い捨てて京一は部屋を出て行く。厚い肩や胸板の、重量感のある体躯からは想像できないくらいの身軽さで、音をさせずに静かに走っていく。

「ちょっ、待て、京一ッ」

 その後を、宗主も慌てて追いかけた。

「俺、そんなの聞いてねぇよッ」

 

 呼吸するたびに肺に染み込むようだった黴と腐臭に違和感がなくなった頃、渇きも頂点をこして楽になった。

 いつも、そうだ。

 苦しみが極まれば麻痺が来る。そして知覚の上限を超えてしまえば、やがて終わりが来る。失神、もしくは永遠の、安らぎ。

 考え直して、くれると思ったけど。

 どうやらココで骨になるらしい運命。

 真っ暗な地下牢。何日たったかは分からない。身体を丸めて水分の蒸発を押さえるために極力、呼吸は静かに浅くして。

 それでもそろそろ、限界。

 あんなに愛し合ったのに。

 命がけの逢瀬を何度も繰り返したのに。

 愛されているつもりだったけど、あれは他人のものだったから燃えただけだったのか。手に入れてみたら大した代物でもなくて、飽きた?

 俺はでも、愛していたんだけど。

 こんな賭けをするくらい。

 権力者の愛情を肉体だけで繋ごうなんて愚かなこと。

 美しい顔も身体も、何処にでも幾らでもある。

 心を、気持ちを、心臓を、掴まなければ生きていけない事を、よく知っていたから。

 抱かれた胸の、内部に滑り込みたくて。

 危ない賭けを、した。

 

「なんだよ、ここ」

「だから、塗り込めの地下牢さ」

 三日前、漆喰で閉じられたそこを須藤と宗主、それに須藤の部下たちは砕いていく。

「行方不明にしたいのが居たらここに放り込んで、あとは封印。次に放り込みたいのを入れるまで」

漆喰は割合簡単に剥がれた。扉というより板を立てかけただけの蓋を持ち上げて、階段というより梯子といった方が近い、急なステップを踏んで地下に降りる。部下たちが後を追い、彼らの手にしたランプで照らし出される内部を見るなり、

「グロ……」

 思わず漏らされる宗主の呟き。細い通路の両面は鉄格子。牢の奥行きは浅い。手前から並ぶ牢には白骨。少しでも光を、出口を求めたのか腕の骨を通路に伸ばしたのがあって、須藤は気にも止めずにずんずん踏んでいく。

頑丈な男の踵の下で乾いた人骨は、可憐な音たて砕けていく。

「こ、こんなと所に本当に居るのかよ」

「お前がぶち込んだんだろう」

「知らなかったんだよそんなのッ」

「不勉強にもほどがある」

須藤京一は情け容赦なくこきおろす。左右の牢にランプをかざす視線はかなり真剣。新しそうな衣装に気づいて鉄格子の隙間から刀を差し入れひっくりかえしてみると、ミイラだったり白骨だったりで。

 牢というより墓地。恨みを飲んだしゃれこうべが暗い眼窩を晒して彼らをみつめている。

「す、須藤さん、俺」

 京一は部下の一人が情けない声をあげるのをギッと睨む。

「死体が怖いたぁ言わせねぇぜ」

「戦場で、な、ナマなら平気なんっスけど」

「化けて出てきませんかね」

「アニキぃ」

 不安になった宗主が情けない声を上げる。それに応じるように、奥から。

「……、け」

声、というほどでもない。

気配がした。

 

「アニキ、アニキ、アニキぃ」

都合のいい時だけ、弟面する奴だと、思わないではなかったが。

そう呼ばれると反応してしまう。これは反射というよりも、本能。痺れたように重い身体をあお向ける。足音がした。何人も居る。大勢。

「よかった、生きて」

鉄格子から伸ばされる腕を見るなり。

後ずさったのは、考えてしたことではなかった。

その手に感じたのは嫌悪と憎悪。あんなに待っていた迎えなのに。

来たら、ひどく憎たらしく思えて。

「アニキ……?」

 格子の隙間に肩まで押し入れて、弟が手を伸ばしてくる。

待ち望んでいた腕なのに、避けて、奥の壁に背中をすりつける。

「何で逃げるんだよッ」

大声が、うるさい。

「って、おいて、くれ」

乾いた喉から搾り出すようなしゃがれ声。

「やっと、苦しくなくなった、んだ。もう、このまま」

「なに言ってんだ、ほら、こっちに」

気の利く須藤の部下の一人が水を汲んでくる。涼介には匂いでそれが分かった。乾いた嗅覚に牢内に満ちる水の匂いは残酷な誘惑。身体がそっちに泳ぎそうなのを、意地と見栄とで、押し殺す。

「どうせお前の、気まぐれで、またこんな目にあうんだ」

「しねぇよ。俺、知らなかったんだよ。ここがこんなトコなんて。てっきり謹慎室みたいなもんだと思って。俺がガキの頃、よく閉じ込められてたみたいな」

渇き殺させるための地下牢を、豊かな水性をあらわす壬宮とは皮肉な名前だった。

「母親、が」

「なに、なぁ、アニキッ」

 ガタガタ格子を揺らされる。石の床にしっかり嵌ったそれは外れない。出入り口は無い。はめたが最後、二度と外さない格子だ。区切られ隔てられた者を永久に閉じ込める墓場。

「埋められたのも、井戸だった」

「ちょ、なぁ、こっち向けって」

「そんなものだ。ハレムの愛妾なんて。一度栄華を見たら、必ず次のに殺される」

 でなければ嫉妬に燃える正妻に。

「どうせ殺されるなら、今がいい」

「ウソ、イヤだぜ俺はそんなの」

「今ならお前も泣いてくれるだろ……」

 二人の会話を黙って聞いていた須藤京一は、

「どうも、落し物みたいだな」

 穏やか、といえるほど静かな声。

「落ちてる女は拾った男のだぜ。忘れるなよ、啓介。おい、ついて来い。後ろから掘る」

 部下を引き連れて出て行く。一人だけ残されて、

「なぁ、怒ってんの」

 途端に宗主は情けない声をあげる。

「怒るなよ。俺が馬鹿なのなんかずーっと前からじゃねぇか。勘弁しろよ。大目に見ろ。見てくれよ」

 だんだん声は涙声になる。

「なぁ、お願いこっち向けって。向いて下さい。なぁって」

 最後には、本当に泣いていた。

「あんたに死なれて俺にどうしろってのさ。あんたのお陰で宗主になったんだ。あんたが助けてくれなきゃこれから先、どうしたらいいか右も左も分かんねーよ」

「……」

「俺、親父と殆ど一緒に居なかったから、宗主ってどんなのか全然わかってねーぜ。京一だって元々軍人だから限度があるし。俺のこと心配って、あんた自分で言ってたじゃねーか」

「……」

「こっち向いて。手、伸ばして。水飲んでくれよ。俺を助けて」

地下牢に、満ちる水の香り。

さっきまでとは違う。甘い、涙の。

「助けてくれよ。俺を捨てないで。助け……」

 

 戦勝報告に来ていたせいで、百人近い部下たちをつれていたのが良かった。

指揮督励して、須藤京一が壬宮を地上から、斜めに掘り進み牢壁を崩すのに要した時間は、わずか30分。

 泣き落としには充分な時間だった。

「骨折り損、か」

 鉄格子にもたれるようにして、力なく抱き寄せられている麗人。

 鉄格子ごしにその背中に腕をまわし、奪われるまいと京一を威嚇するように見る、歳若い宗主。

「俺は、他人の持ち物に手ぇつけるほど行儀は悪くないぜ」

 従兄弟の敵意を持て余し、京一は降参のポーズ。

「お前もさっさと上がって来い。いつまでもこんな所に居らせんのは可哀想だろ」

ほら、と促され宗主は腕を離す。愛しい人を従兄弟に一時、預けて脱兎のように駆け出す。地上へ向けて。

軽々と麗人を抱き上げた逞しい男は、その軽さに驚きながら、今まではなと、心の中で呟く。