庇護本能・1

 

 

 

 人間にそんなもの残っていない、という学者も居るが、私はそうは思わない。証拠に咄嗟に、身体が動いていた。

「……、大佐……ッ」

 せめて目を護ろうとしたのか、機械鎧と生身の腕を顔の前で交差させて顔をそむけていた子供が声をあげる。いや、もう子供じゃない。運の悪いことに。

 誕生日の翌日の開戦、同時にもたらされた命令書。わざとじゃねぇのかと、さすがに青い顔でだが、いつもの悪態をつく相手には言えなかった。未来の日付を記されたその紙切れが十日以上前から、私のデスクの中で出番を待っていた事は。

 査定の時期、国家錬金術師たちは各地の司令部に集まる。中には定住せず、研究のためにあちこち旅してまわっている、この子のような者も多い。東部内乱の悲惨は錬金術師たちの間には知れ渡っていて、事前に知らせれば逃亡、出頭拒否、確実に身柄を確保して戦場へ引きずり出すために、事前に何も知らせない方針を軍中央はとっていた。

 私もそれに賛成した。軍属の身でありながらの従軍拒否は大罪だ。罪人を出したくなかった。私の推挙で国家資格をとった連中はニ十人を越える。その数は国家錬金術師の三割に近い。

 明日の午前六時、軍中央司令部第三会議室、集合。それだけを言い渡した。子供は頷いて私の執務室を出て行った。査定の為に提出されたレポートに、私は目を通して印を押し、研究所へ回した。成果はじきに、実戦で試される。

 子供は逃げなかった。ちゃんと一人でやって来た。弟の方も大した腕前だが国家資格はとっていない。従軍の義務はない。

 その日は他に、七人ばかりの錬金術師が集まった。軍用車輌に乗って南部の戦場へ向かう。その中には、私自身も居た。錬金術師の統率は錬金術師にしか出来ない。狼には、狼の言葉しか通じないのだ。

 第二陣の出発は三日後。その指揮官はアームストロング少佐だ。この一行より腕は劣るが人数は多くなる。そこで一旦、錬金術師の投入は打ち切られる。我々でカタがつけば、続く者たちは出ない。

 私には専用の車輌が与えられていた。指揮官には当然の優遇だが、それなりの必然でもある。私は揺られながら、大きな地図を広げて戦況報告を読んでいた。地図を支えていたのは今回の出陣にあたって新しく与えられた側近たち。まだ気心は知れない。

 だから。

「……、いーご身分だね、大佐」

 通りすがりの子供の軽口を聞き逃せなかった。これが馴染みの連中なら、俺が何を言わなくてもみんなで、戦時なのだから上官には敬語を使いなさいとか、馴れ馴れしい態度とってっと腰巾着って思われるからやめとけよとか、コーヒー飲んでいかないかとか南方に行ったことはあるかとか、犬が大きくなったんですよとか、そんなコメントが集まるところだが。

「戦時中だ。上官には敬語を使いたまえ」

 誰も居ない今は、私自身で告げなければならない。新しい側近たちはまだ緊張気味で、佐官待遇の国家錬金術師の集団に戸惑っている。

「しっつれいしましたあぁ」

 ふざけて寄越された敬礼に、立ち上がってビシッと応えてやると、さすがにこっちの意志を悟ったらしい。子供の表情が改まる。私は席に座り報告書の続きを読む。

 私の車輌は列車のほぼ中央にあって、シャワーのある衛生車や食堂車への行き来のたびに、人が通り抜ける。平時なら司令部は先頭車両に設けられるのだが、今は戦時で、これは敵の襲撃に備えた処置。いちいち横を通られる私も不自由だが、食事に行くたびに上官のわきを通らなければならない連中も気詰まりだろう。だが戦争だ。お互いに、我慢するしかない。

 子供の手にはカップがあって、給湯室に茶を貰いに行くのだろうと知れた。が、子供そのままは立ち去ろうとせず、きょろきょろ、車輌の中を見回す。前後の扉にライフルを携えた護衛兵、そして通路に直立する数名の側近。総数は八名。

 戦場に着けば国家錬金術師の統率と前線指揮を任されるのだろう。その時に伝令役を兼ねさせるべく与えられた人数。人使いの荒さにはうんざりだが、無能な将校の指揮下につかなくていいのには安心した。

「……、あの、大佐」

「なんだ」

「みん……、みなさんは?」

「出向中だ」

 俺が東部から中央へ連れてきた連中は、それぞれ自分の中隊や小隊を率いて任務についている。リザは狙撃部隊の隊長として極秘任務につき、私より四日も先に出発した。ハボックは編成しつつある私の部隊を放り出せずに中央に居残り、プレダは参謀部へ。ファルマンはなんとハクロの側近に抜かれた。フェリーは自分で改良したモールス機を抱えて通信部へ。全員、戦時体制が終わったら俺の手もとへ戻すという約束で各部署に貸し出した。軍中央に、俺は戻り新参な訳だから、恩は売れるときに売っておかなければならない。

 そりゃ淋しいだろう、という表情を子供はしたが言葉には出さなかった。敬語でされをどういえばいいか分からなかったのだろう。慣れない様子が少し不憫だった。

「食事は済んだか?」

「あぁ、うん」

「はい、だ」

「はい」

「ゆっくり眠っておけ。じきに、眠りたくても眠れなくなる。席は寝台になる。やり方は分かるな?」

 私の専用車輌は例外だが、国家錬金術師たちは全員が佐官待遇で、座席も一列三人掛けのシートが一人に一つ、専用に与えられている。一般兵卒らの輸送時には固い木の椅子しかなく、昼も夜も座っているしかないのに比べると大した優遇。

「はい」

 それから暫くの、沈黙。

「……、鋼の?」

 それでもなお、カップを持ったまま、去らない様子が不審で顔を向けると。

「逆向きに座った方がいい……、です」

 どんな顔をしていいかわからない、そんな感じで子供は私に言った。

「進行方向に向かってないと、疲れる……、ます」

 思わず笑った。笑ってしまった。そんなこというためにさっきから立っていたのか。

「そうか」

 素直に俺は進言に従う。逆向きの座席に座ると、地図を持った直属の側近たちも移動した。体を動かして楽な位置を探る。足を組むと、気のせいだろうか、少し楽になった。

「列車の旅はお前、ずっとしているんだったな」

 言うと、子供はほっとしたように、ニッと笑う。あぁ。

 かわいそうに。まだ十六だ。俺の初陣だってこんな歳じゃなかった。俺はもともとが職業軍人で、軍隊には家庭より馴染んでいて、東部内乱で戦場に立った時も右にも左にも、後ろにも知り合いや友人が居た。前には敵しか居なかったが。

「おやすみ。いびきをかいて、他の人間の安眠を邪魔するなよ」

 いつもの子供なら、痛烈な反論が帰って来るところだが。

「はい」

 素直に言って、今度はきちんと敬礼して離れた。あぁ、かわいそうに。弟が居なくて一人で淋しいのか。嫌っていた私のそばに自分から寄ってくるくらい。リザでも居れば、あれであいつは優しいから、なにか気のきく慰めの言葉で安らがせてくれるだろうが、生憎と今、彼女は何処かで誰かを狙ってる。

 代わりにせめて声をかけた。食事やシャワーのために横を通るたびに。単独行動に馴れた錬金術師たちは一人で通りがかる事が多く、特定の個人に言葉をかけたところで目立ちはしなかった。新しい側近らも、鋼のが四年前、十二歳で私の推挙によって、国家資格をとったことは知っていた。そして中年以上が多い錬金術師の中で、とび抜けて歳若い鋼のに、私が気をつかっても奇異には思わなかった。

 五度、食事をすると、我々は戦地に着いた。そこから軍用車輌に乗って南方の山岳地帯へ赴く。途中で南方司令部から、線路が爆破されたという速報が入って来る。復旧にかかる時間は一週間。一週間、先発部隊だけで前線を支えなければならない。

 きつい戦いだった。唯一の救いは相手が制服を着た軍人だったことだ。民間人相手の掃討戦の辛さが骨身に染みてる私には、相手が軍服を着ているだけで気分は楽になる。職業軍人が戦場で戦うのはある意味、当然の出来事。傷つけて傷つけられて、戦死をしたくないならば、武器を持たなければ良かったのだ。

 山岳地帯はもともとが無人で、避難した少数民族は戦争の終結まで南方司令部の庇護下にある。侵略してきた他国の軍人を、排除するのは罪悪感がなくていい。錬金術師たちと私は戦時中、少し離れていた。私は前線指揮に手をとられることが多く、敵陣であるとの情報の入った峰や谷に、焔をおとすのは日に一度か二度。地形の複雑なこの戦場では大して効果はない。過ぎれば森林火災によって自陣さえ危なくなるのだから、威力はごく絞って打ち込むポイントはタイトに。

 ここではあまり効果はないと、私は思ったが、他の者の評価は違っていた。流石だと賞賛の目で見られるたびに、私は心の中で苦笑する。私は東部内乱の時と比べていた。あそこは砂漠で、遮蔽物も少なく、木々も緑の葉を茂らせていなくて、湿気も少なかった。あそこではひどくよく燃えた可燃物。……人の肉体。

 ここでのような、狙いの自由な重火砲代わりではなくて、あそこで私は、随分な罪を犯した。

 幸い、私は職業軍人だ。それは何処かが壊れているということだ。軍服は個人の意志を抹殺し、その所属する集団の利害に、殆ど有機的なまでに溶かし込んでいく。一種のキメラで、分離した後の罪悪感が、多分、生身の『人間』の次元とは異なっている。生身のままで殺人の罪を強いられて、傷ついてく子供が少し……、かなり気になっていた。

 そして珍しく、私が錬金術師たちのまとめ役として、敵前線基地の収奪指揮をしていた、その日。

 接近戦になった。前線の橋頭堡を死守するべく必死な敵たちは、重火砲だけでは引かなかった。血が流れる。肉が飛び散る。手足や生首が千切れていく。戦争という規模でもなく、戦闘ではよくあることだった。血と硝煙の中で。

 私は子供を気にしていた。子供は見事な働きを見せた。中央に帰れば勲章と賞金の授与は確実だろう。でも辛そうに見えていた。辛さが生存本能を凌駕することは戦場でも起こる。心配しながら待っているだろう弟のもとへ、子供は帰らなければならなかったから必死だった。

 私は子供を気にしていた。だから気がついた。乱戦が一応は収まって、捕虜と被害人数確認のための点呼が行われている時。手元に集まる報告を聞きながらあの子は無事だっただろうかと、ぐるりと周囲を見回した。子供はすぐそばに居た。一人で、殆ど呆然と、立ち尽くしていた。あちこちに血は滲んでいたが大怪我はなさそうだ。

声をかれようとして私は気付いた。わが軍の軍服を着ていたが上下のサイズが異なっていて、戦死した奴から剥いだとおぼしき軍服を着た者が近づくのを。右手が不自然に懐にしまわれて、負傷のフリをして何かを、狙っているのだと分かった。

警告を発する。間に合わない。錬成の間もなくふりかざされて、振り下ろされる刃。子供はいつもの反応を見せなかった。疲れていたのか、それとも無意識に、罰を受けようとしたのか。

それでも多分、途中で正気に戻った。自分を守ろうとしたが間に合わない。焔を打つか?それでは子供まで巻き込む。私が飛び出したのは庇おうとしたのではなかった。私はその時、動くべきではなかった。

部下を庇う上官の美談は世間に膾炙されるが、筋目の立った軍人として言わせて貰えば、それは間違っている。指揮官の命には戦場の戦闘員全員の生死がかかっている。一人を救うために百人を窮地に追い込むのは指揮官のすべき行いではない。一人を犠牲に百人を生かしてこそ、指揮官の職務はまっとうされるというものだ。

「……、」

 だから、右のこめかに衝撃を感じ、ついでそこがジュクっと熱を帯びた瞬間に、私が罵った言葉は私自身の不覚悟に対してだった。罵りながらもちゃんと指を鳴らして加害者を爆風で吹き飛ばした。転がった奴を周囲の部下たちが抑え、舌を噛めないよう口元を蹴りつける。だらだら流れる自分の血の暖かさに、怖気に近い不快を感じながら、私は周囲に警戒を発した。

「大佐、怪我……ッ」

 悲鳴に近い声をあげて、私の怪我を改めようとした子供のことを。

「ぼやぼやするなッ」

 傷口を押さえていた右手を外して殴りつけたのは半分、八つ当たり。平手だったのは一抹の理性。傷口から流れた血の指跡が子供の頬についた。子供は倒れもせずに口元を拭う。口の中を切ったらしい。ますます私は自分の不覚悟を恥じた。殴ったことに対してではない。殴る前に歯を食いしばれと声を掛ける流儀は、士官学校の入学式の直後に叩き込まれた重要事項なのに。

「……、まだここは危ない。ぼやぼや、するな」

 衛生兵が駆けつけて手当しようとするのを拒んで、止血帯だけ受け取って傷口を縛る。新しく獲得した陣地周辺の掃討と今夜の警戒の手配を終えるまで、私は休むわけにはいかない。

「……、ィ……」

 子供は、瞬きながら。

「イエッサー」

 新しい言葉を一つ、覚えた。