庇護本能・12

 

 

 失敗の。

 予感は実は、早々にしていた。

 少年があんまり浮かれていたからだ。

 待ち合わせたホールに入るなり花束を渡されて、はてこれはネタなのか正気か嫌がらせか、俺としては笑えばいいのか照れるべきか笑顔を期待されているのか、分からなくって、戸惑った。

 こっちの反応にお構いなく、少年は食事中もにこにこ嬉しそうだった。クランベリー・リキュールのソーダ割でそんなにいい気持ちになれていいなぁと、皮肉ではなく本心で思ったほど。

 食事は活きオマール海老のフルコース。前菜はオマール海老を輪切りにして茹でて冷やし、トマトピューレをかけアボガドソースを添えてある。スープはオマール海老のビスク。メインはオマール海老の澄ましバターソテーに、赤ワイン風味のソースをたっぷりかけて。

女性とのデートならそこまでにしておくが、相手が食べ盛りの若人だったから、口直しのシャーベットに牛ヒレの網焼きも追加しておいた。それにデザート盛り合わせとコーヒーでおしまいだが、私は白ワインのハーフボトルを頼み、子供にはフレッシュグレープフルーツのジュースを。酒がいい、と言い出さなかったところは正直で、案外上手なフォーク使いで美味そうに食べていくのは見ていて気持ちが、とても良かった。

「こちら、本日、調理させていただくオマールでございます」

 俺たちのテーブルには黒服の給仕が二人、殆どベタつきで寄り添って、俺のグラスにワインを注いだり、パンがなくなれば追加したりの気配りを絶やさない。ビスクが終わってメインに移る前に、給仕が銀の盆に入れたオマール海老を持って来る。四百グラムは超えていそうな立派なのが、盆の上ではさみを縛られてワタワタと蠢いている。活きがいい。

「へぇ。活きてるの初めて見た」

 率直さは美徳だ。面白そうに、子供はそう言って、

「ロブスターと違うの?」

 俺に尋ねるな。俺も分からない。視線をそのまま、ワインをグラスに注ぐ給仕頭に質問ごと流すと、

「海老の種類としては同じでございます。獲れた場所の言葉でそれぞれ、オマールもしくはロブスターと呼んでいるだけです」

「ふぅーん。何処が一番美味しい?」

「この海老の」

 給仕はよく手入れされた手指で、海老を無造作にひっくり返す。仰向けになった海老の、一番大きな爪の生え際、あたりを指差して。

「このあたりが、肉が甘く、上等の部位ということになっています。肴でいえば、カマに相当します」

「カマって?」

「魚の鰓ちかく、頭と胴の間ですよ」

 給仕はにこやかに話をする。食事に興味のある客は楽しいらしい。聞きながら私も楽しかった。せっかく食べさせるのだから、相手にもそれを喜んでほしいのは人情だ。

「うま……。甘いね、ナンか、身が」

 グルメという訳ではなく、単に食いしん坊な様子で、子供は皿にディスプレイされ運ばれて来たオマール海老に食いつく。フィンガーボールは用意されていたが、真っ赤な殻にぎゅうぎゅうに詰まった新鮮な身はフォークで簡単に剥がれ、その必要はなかった。

 私はするするとワインを半分あけ、子供はパンをばくばく食べる。シャーベットが出て、フィレ肉の一センチほどの輪切りが二つ、網焼きされてあらく挽いた粒胡椒で調味され出て来る。子供はぺろりと片付け、私もワインの最後の一口を飲んだ。

「ケーキは、どちらをおとりいたしましょう」

 ワゴンで運ばれて来たホールのうち、ナッツのタルトとバナナムースを子供は食べ、紅茶を飲み、私はケーキの代わりに先ほどのシャーベットをもう一度、出してもらう。マスカットのシャーベットで口の中のワインがいい感じの余韻になって、そして。

 車を廻してもらって別のホテルへ、行く途中、細かな雨が降ってきた。降りるとき、私はつい、癖というか反射というかとにかく、自然に体が動いて、風上に立ちコートの肩を広げて、子供が降りて来るのを庇う。もちろん、私の背後にはさらに、大きな傘をさしかけたボーイが雨から庇ってくれていたのだが。

「……ありがと」

 子供は素直だった。チェックインして鍵を受け取り、ドアボーイの案内を断って階段を登る。何度か使ったホテルの部屋だった。子供は数歩後れてついてきていたが、階段の途中で早足になって追いつき、俺の手を握った。

 ぎゅっとされ目を向けると、ニコッと笑いかけ俺を見上げてくる。かわいいなぁと心から思った。生意気で向こうッ気が強くて危険なほど聡い金の瞳をした国家錬金術師。たった十二で禁忌を犯した危ない子供なのに、懐いてくると、抱き締めたいくらい可愛い。

 多分、きっと。

 こんなに可愛いのは牙が生えているからだろう。牙を隠して俺に懐いて笑いかけるから余計にかわいい。愛玩用のペットじゃなく、野生のケダモノのくせに懐いたフリをしてくるのが、とても。

「海老美味かったなぁ」

「そうか。君が気に入ったなら良かった」

「俺ね、いつもはメシの話ししないんだ。何処が美味いとかこれナンだとか、そういう話は。……アルと一緒だから」

 食事や睡眠を必要としない、生き物の生理から外れてしまった、この子の弟。

「……そうか」

「えへへへ」

 笑って子供は俺の手を握ったままでついてくる。指先が温かい。ふりまわされる手ごたえが楽しい。あぁ、本等に、君は可愛いな。

 まぁ、いいさ。

 君が失敗したら、私が君を抱くという手立てもある。

 そんなことを考えながら部屋に入る。夜景がとても美しい、セントラルでは一番のお気に入りの部屋だ。残念ながらメインダイニングの食事が不味くて、ここはいつも、泊まるだけなのだが。

「うわ……、すげぇ、きれぇ」

 運河に沿って街灯の灯が並び、そこを時々、車のライトが遮っていく。窓から外を眺める子供を眺めながらコートを脱いで、

「シャワー、先に使うぞ」

 手間取るのが面倒だったのでそう言った。

「大佐、感動がないよ。一緒に見ようぜ、ほら」

 こいこい、と手招きされて、反論のために開いた口を。

「そんな風に、『私は見飽きているんだよ』って顔されると、この部屋にあんたと来たの俺は何人目なんだろとか思っちまうよ?」

 振り向き様の流し目で塞がれる。ガキのくせに、油断してるとすぐに足もとを掬い上げる、タイミングは見事だ。

 招かれるまま、窓辺に歩み寄る。隣に立って夜景を眺めようとした、途端。

「……」

 出窓の手をついた姿勢で、背伸びした子供に。前触れも予備動作もなく、ちゃんと目を閉じているのに、ズレなく正確に唇は重なった。

「……」

 目を開けた子供は、最初から開けっぱなしだった私に気付いて、苦笑する。そうして不意に、足もとに屈んだ。

「鋼の?」

 ただでさえ俺より小さいこの子に屈まれると、視線があわせにくくなって困るのだが。

「大佐。怒らないで、聞いて欲しーんだ」

 俺と目線を合わせる気はないらしい。俺の膝に懐くように、両手で触れてくる子供にどう反応していいか分からず、俺は一先ず、身体を安定させるために出窓に腰掛けた。窓を少しだけ開けると夜風が吹き込んできて、それには雨の気配があったけど気持ちが良かった。

「俺ね、あんたのこと好きだよ。戦争行って好きになって、帰って来て今も好きだ。あんたが少尉と寝てたのびっくりしたけど、少尉に触られてるあんた見て、少しも嫌な感じにならなかった。俺もしたい、って思ったよ。正直、そう思った」

「それで?」

「でも俺、まだ責任とれないから」

 子供の言葉に、俺はブッと噴出してしまった。何を言い出すかと思えば言うに事欠いて、そんなヘタクソな言い訳を。

「鋼の。気分がのらないなら乗らないと、素直に言っていいんだ」

「触って眠りたいよ。あんた肌、暖かくてすべすべで気持ちいい。セックス、したらどんな気持ちだろ。いい気持ちだろうね」

「気をつけてお帰り。私は今日、ここで眠っていくが」

「俺も隣で眠らせて」

「しないんだろう?」

「しないと隣で眠っちゃダメなの?」

「人類の経験に照らして、同じ寝室で眠って何もしないのは、夫婦だけなのだよ」

「そんなの俺の経験じゃないし。でも俺、もしかして凄く失礼なこと、言ってんのかな、大佐に」

「ある意味では、屈辱的なほどの侮辱だな」

「夕べ、あんたのこと思い出しながら抜いたよ」

「さてなんと答えようか。君は時々、反応に困ることを言う」

「あんたを好きってこと。でもまだ少尉とは張り合えない。あんたよりアルの方が大事だから」

「弟君は宿かね。早く帰ってあげなさい」

「賢者の石みつけて、アルと俺の手足もとに戻して、そしたら仲良くしてくれよ。少尉の代わりに番犬になるから」

「約束は出来ないな」

「なんでぇ。ケチケチすんなよぉ」

「ケチではない。こういうことはタイミングが命なのだ」

「大佐たいさ、屈んで」

「なんだ」

「も一回、キスしよ」

 呼ばれて縋られて、腕をとって見上げてくる目が暗い部屋の中、外からの光りを映して深く、あんまり見事に光るから、つい。

 促されるままに屈んで、目を伏せて唇を重ねる。

 技巧も何もない、押しつけてくるだけのキスだ。でもなんだか美味しい気分になるのはきっと、この子が金色で嬉しそうだから。清潔な味を堪能してから、そっと自分のを上下に開いて誘った。子供は易々とのってくる。さすがに知ってはいたらしい。夕べ散々、あいつとしてるのを見られたし。

 唇が重なる。背の美してくるのが可愛くて、思わずさらに、膝を曲げてしまう。縋るフリした子供の手にだんだんと力が篭って拘束に近くなる。義手の側は添えられてるだけで、生身の指でシャツをつかまれるのが、本当に可愛かった。

「……、ん……」

 舐めあう。子供は俺を引き倒したがったが、大人の意地で、立ったままでいた。代わりに腕を廻して抱き締めてやると、引き寄せるより早く全身を擦り付けてくる。生身の腕が俺のシャツを離し、代わりに髪に触れた。

 舌が柔らかい。唾液の味も、甘い。煙草を吸わない舌の味だ。まだ酒にも薬にもあらされていない、純な。

「……大佐ぁ……」

唇が離れると今度は頬が摺り寄せられて。

「……ロイって呼んでいい?」

「ダメだ」

「あんたホントにケチだなッ」

「セックスもしていないのにファーストネームを呼ばれてたまるものか」

「責任がさぁ」

「ん?」

「あるんだ、俺。もちろん、愛情の方がいっぱいだけど」

「弟くんのことか?」

「俺があんな体にしちまったんだ。あの練成陣を描いたのは俺だった。だから、責任は俺にある」

「全くその通りだ」

「アルをもとに戻してやれるまでは、俺、ダレともしねぇよ、セックス。……って、さっき、海老食べながら決めた」

「妙なタイミングで物事を決めるものだ」

「したくなったの初めてだから。さっきまでぐらぐらしてたんだ」

「そちらはともかく、私に責任を感じる必要はない。感じられては迷惑だ。私は女性ではないからね」

「へぇ。やっぱ女の子には責任が出来るもん?」

「相手が商売女でない限り、寝れば男の責任は生じる。子供でも生まれてみろ。結婚は拒み抜けたとしても、養育費の支払いからは無理だ」

「金でカタつくもんなの、セックスした責任が?」

 そう尋ねてきた子供の眼差しが、あまりにも真剣で。

「子供が生産されたという現実の前で観念は無力だ」

思わず、本気で答えてしまう。

「責任を金だけでは果たせないとしても、金がなければ話が始まるまい。十二で国家錬金術師の資格をとったような規格外は例外中の例外だ。人間の子供は独立に時間が掛かるからな」

「俺ねぇ、養育費払われちゃった子供なんだ」

「……」

「だから大人のこと嫌いだった。大人の男はもっと嫌いだった。でも大佐は好き。まぁ大佐、あんまりマトモな大人じゃないけどさ」

「マトモな大人などこの世に存在したタメシはない」

「自分がそうだからって」

「君もなってみれば分かる。だからみんな、自分の親を許してやれるんだ。寛恕ではなく、諦めの境地でね」

「……ふぅん」

 縋られるまま、床に座り込みそうになったが。

「鋼の。せめてベッドに行かないか」

「えっちしなくていい?侮辱とかって怒らない?」

「背中が痛いよりはマシだ」

「やっぱ俺、大佐に仲良くして欲しいなぁ。戻れたら最初に来るから、そしたら考えてくれよ」

「多分、間に合わないと思うよ」

「なに言ってんの。すぐだって」

「私も一生に一度くらい、チェリーを食べてみたかったけどね」

「美味しく頂いてください」

「鋼の」

「はい」

「君はいい子だ。望みをかなえて、元気で暮したまえ」

「……あんたどっか行くの?」

 俺の態度に不審を抱いたらしい子供がふっと、表情を引き締めて。

「またどっかで戦争でも起こった?」

「目を閉じなさい」

 掌で、真っ直ぐすぎるきつい目を隠して。

「大サービスだ。キスのしかたを教えてやろう」

 俺の誤魔化しを、子供は咎めなかった。

「……うん……」

 あぁ、そういえばもう、君は子供じゃなかった、な。