庇護本能・4

 

 

 戦場に、明日は出発、という夜。

 明日から離れる相手の長風呂を、若い男は咎めなかった。前線に行けば風呂などなく、補給が途切れれば飲み水にも不自由する。今夜、やっくりと、湯船で手足を伸ばしている姿を想像しながら、かなり辛抱強く待った。

 今夜一緒に寝る人はここ暫く、従軍の準備で忙しかった。四日前には狙撃手としてホークアイ中尉が先発して行った。その前夜、行方不明になった上官が何処に居たのかは、ちゃんと分かっている。

 居なくなった途端に声を掛けるのも戦場へ行った人に不遜な気がして翌日は遠慮した。それから二日、上官は執務室に泊まりこみになり、もしかしてこのまま別れかと若い男は蒼白になりかけた。今夜、家に帰るから送れと言い出されるまで。

 自分から誘ってくれたことに感動しながら運転手を務め、ついたところは上官の官舎。外観は煉瓦作りで屋根に風見鶏の乗った、洒落た一戸建て。

東部の田舎の、家というより館という感じだった住まいよりは狭い。治安のいい場所にあるせいで専属の警護も今はない。東部では書庫に積みあがっていた研究書はここでも地下に納められ、休日にはパジャマ姿のまま、上司はそこに篭って過ごすのだろう。

男は東部では、警護の宿直のための部屋に住み込んでいた。警護もしていたがそれ以外の時も。それをどうこう言う者も居たが、地方で大佐といえばとぶとり落す勢いの偉いサンで、表立っての非難にはならなかった。中央ではそういうわけにはいかない。大佐以上の将官が中央司令部にもうろうろしている。人の口もうるさい。

だからここに転がりこむことは出来ないが、代わりにいいこともある。この家にも従僕の部屋はあったが、男はそこに泊まったことがなかった。いつも二階の奥の、上官の寝室で眠る。かすかに気配の残る枕を抱いていると、前よりかえって近づいた気がして嬉しい。

若い男は枕を抱えていい子に待っていた。待ったが、やがて我慢できなくて立ち上がる。だって久しぶりなんだぜと自分に言い訳をしながら。それでも一応、浴室のドアの前でコホンと咳払い。しんし中の人には聞こえなかったようだ。

「……、大佐ぁ、のぼせてないですか?」

 返事はない。シャワーの音がする。もうあがりかけているのか。ここは大人しく待つべきか。待つべきなのは分かっているが、しかし。

 頭で分かっていても勝手に手が動く。

「大佐、背中ながし……、あんた、なにやってんのッ」

 中折れの扉が開いて、そこでようやく侵入者に気付いた背中がびくっと振り返る。濡れた黒髪が額に張り付いて白い肌との対比が艶っぽい。しかし男は魅力を観賞するどころではなかった。その、手に持っていた、刃物の輝きに目がいって。

「渡し……、なにしてんだよッ」

「危ない、少尉、離れろ」

「カミソリ、こっちに渡してください」

「馬鹿近づくな、落とした、踏むッ」

「なんで今更……、なんで……ッ」

「痛い、離せッ」

 捉えられた腕の中から逃げようとしたのは、単に手首を捻り揚げられて痛かったからだが。

「……、ジョーダンじゃねぇよ……」

 興奮し、盛り上がった男には、そんな言葉は届かなかった。

「冗談じゃねぇ、今更渡すかよッ」

「少尉、ハボック……、おま……、ヤメ……ッ」

「なんでいまさら?ヤです、そんなの」

 男の口調は可愛らしいが、両手に篭められた力には緩みがない。声の頼りなさ、愛玩の響きとは裏腹に、カラダはかなり強引に浴室の床、毎日通いの家政婦が磨き上げている薄茶と白の組み合わせのタイルに這わされて。

「ハボ……」

 白い肢体は抵抗しかけて、途中で諦めた。ヘタに逆らえば余計に興奮させるだけだと経験で知っていた。自分が服を着たままなのも、シャワーが高い位置のフックから降っているのにもこいつは気付いていない。こういう時はもう、大人しくしておく以外にはない。

 力を抜いて抱かれることに賛意を示すと、男の力は少しだけ緩んだ。ソープに手を伸ばすのが見える。ソーププレイはゴメンだと思いながら、ふと、狭い視界の中で光りを弾く金属に気付いた。さっきとり落としたカミソリだ。片刃の、かなり切れ味のいい本格的な。

 それに手を、伸ばしたのは危ないと思ったからだった。自分が、そして今、自分を抱こうとしてソープを指で泡立てている男が、夢中になると何も目に入らないこともまた、経験上でよく分かっていたから、高い棚の上にでも置いておかないと危ない、と。

 そう、男に言おうとした。が、その前に。

「……、イ……ッ」

 伸ばした指をつかまれる。握りつぶしそうな強さで。

「イタ、……、ィ……」

 悲鳴さえ、うまくあげられないほど骨が軋む。

「あいつんとこ行きたいの?」

 若い男の声がかすれていた。それが欲情にではなく悲しみにだと気がついて、鈍い上官はようやく、誤解されていることを悟った。

「ハ、ボ……、ちが……」

 う、と、続けることは出来なくて。

「ぁ……、あぁ、ア……、ムリ……、イタ……、ぃ……」

 男はもう、怖いくらいに興奮していた。腿に当たる蛇の固いしなりが最初にもたらすのは息苦しい戦慄。衝撃がそれに続く。歓喜はもっと、遠い。

「……、ゥ……」

 ソープの滑りで、無理矢理の挿入。いつもはもっと長い前戯を経て、飼い主の承知の合図が出てから食いつく柔らかな肉に、忠犬の皮を被った盲犬が強引に齧りつく。噛まれて、白い肢体の持ち主は震えた。

「……、ッ……」

 愛撫もろくに与えられないままでの蹂躙は、陶酔よりも多くの苦痛を衝撃とともに与えていく。肉を軋ませながら侵略される痛みに呼吸もうまく継げずに泣き噎ぶと、男はさすがに気付いて一度、動きを止めた。

 下腹に熱を含まされたまま。それでも何度か息を吸って吐いた。悲鳴のような声が一緒に出た。男が頬をよせて擦りあわせる。愛情を伝えるための仕草だ。軍服のままでここへ来た男は、置きっぱなしにしてある部屋着には着替えていた。シャツの薄い生地が濡れて肌に張り付いている。裸より強調されて見える胸筋から目をそらした。

「……、ッ」

 促された気がして腰を浮かす。ムリに拡げられた足の、膝の位置が悪くて内腿が攣りそう。前だけ広げた男のジーンズのジッパーが入浴で柔らかくなった肌に擦れて。それでも浮かせて、苦しさに耐えながら揺らした。

「……」

 覆い被さった男がまた、突き上げを再開する。技巧も何もない直裁的な、正直な動き。それでいて力任せじゃないのが口惜しかった。ナカのイイところに当るたびに、こっちに悲鳴を漏らさせるカタサも。

 荒い呼吸の音だけが満ちていく。浴室は広く、タイルの反響はかすかだが、それでも奇妙なリフレインが耳に残る。脚が痛い。狭間は言うまでもなく。背中が崩れる。……、もたない。

 浮かせた腰が崩れる。追って男が、カラダを抱きすくめた。タイルに爪をたてながらもう一度、浮かせてあわせて動こうとしたが失敗。もう一度、動く前に膝を掴まれて。

「……、ぁ」

 横向きにされた。頬がタイルに当って痛い。庇うように、男の腕が顔の舌に差し入れられる。そのまま両腕で肩と背中を抱きとられて姿勢は楽になった。繋がった場所はますます痛い。痛いというよりも熱い。……、爛れる……。

 突き上げ、られる。

 カラダごと抱き取られて力がはいらない。いれられない。衝撃を無防備に全部、受け止めるしかない。タイルの上でカラダがズレていく。男の腕のおかげて肌に痛みはないが、

「……、んっ」

 ずり上がるうちに顔の位置が、出しっぱなしのシャワーの飛沫の、当る位置にまで来た。水滴のせいで息が出来ない。苦しんで声をあげるより先に水滴が途切れた。え、と目を、開けるとそこには、男の影があった。表情は見えない。庇われた事は分かる。

 この男は最中、殆ど喋らない。声さえあげないその癖は嫌いではなかった。初々しい少年のような真剣さは抱かれる立場の弱さを慰めてくれる。時々少し、怖くもあるのだが。

 開いた目を閉じた。待っていたように唇が重なる。軽く吸い返してやった瞬間に、ひときわキツイ刺激を与えられて。

 されている立場で、犯されながら、先に散らしてしまう。瞬間に力が入ったらしい。男は動きを止めて緊張した。もっていかけないように、耐えた。

ぴくぴく、肩を震わせて余韻に揺れる相手の、痙攣がおさまってカラダが柔らかさを取り戻すのを待ってから。

やっと本当に自分のためだけに、動いた。大人しく動きに添って揺れて、声を漏らす人を抱いた腕の力を強くする。強く抱き締めれば中で自分も、きゅ、っと、絞り込まれる。……、気持ちがいい、

このまま吐き出してしまいたかった。この甘い粘膜に、ナマで包んでもらった事は数えるほどしかない。大人の礼儀、同性での必要、衛生と安全。そんなもの、クソクラエだった。が。

先走りの潤みを感じたのか、ひくっと竦んで震えた人が、イヤだとも離せとも言わないで、おとなしくしてんのがかえってたまらなくて。

抱き締めたままで、力加減が上手く出来ないなりにゆっくり、引き抜く。中で出されないことに安心したのか、泣き出しそうだった表情が少し緩む。下腹に押し付けてぶちまけた。沸き立った欲望の結晶。

 暫くは、互いに呼吸を整えあって。

 男が手を伸ばし、張り付いた前髪をもう一度かきあげた。

「……、大佐」

「……」

「痛いトコないですか?」

「……ぜんしん」

「動けますか?」

「……、ぜんぜん」

「冷えますよ。寒くない?」

「寒い」

「風呂ン中、入ります?」

「はいりたい」

「腕、こっちに」

 力の抜けた腕を首にまわさせて、不安定にゆれる上体を崩さないよう気をつけて、男は疲れ果てた肢体を抱き上げた。すぐそこの湯船には薄い緑色の湯がたまっている。屈んで足から先につけると自分から暖かな液体の中に浸る。浮力で楽になったらしい。ほっとかすかな息を吐く。

「……ねぇ、大佐」

 男は寒さを感じなかった。濡れたTシャツのまま、湯船の中の人に腕を伸ばして、白い頬に触れる。

「どうしてあんなもの取り出したの。あいつのトコ行きたいの?無理だよ、あいつの墓、あけてある隣はあんたの為じゃない」

「……、なぁ……」

 黒髪の上官は反論しなかった。代わりに疲れたような、呆れたような、感じで口を開く。

「よく見ろ。……何か気付かないか」

 裸で、腕を頭の上に置いて、胸も腹も晒してる姿勢が扇情的だ。可愛い突起をかわいがっていなかったことに今さら気がついて、男はカラダを乗り出し心臓の上に唇を落としたが、

「……、こっちだ」

 ずらされる。右にではなかった。胸の外側、腕の付け根、腋の下に。ふと、違和感に顔を上げる。そこに鼻面を押し付けて匂いを嗅ぐのはダイスキなことだった。それがいつもと、感じが違う。

起きてよく見れば左側、だけ。

「分かったか。……、馬鹿者め……」

 乾いた喉を潤すように言って、シャワーを止めろと命令される。従いながら、離れた床で輝くカミソリと、左腋だけ剥けた人を見た。

「毛ぇ剃って……、たんスか……」

「他にどうしていたように見えた」

「手首でも、切るつもりなのかって」

「風呂場で全裸で自殺する趣味はない」

第一、こんな刃物で自殺できるほど深く切れるものか。

「自分以外の喉なら掻き切れるがな」

 冗談だと思う。が、思わずカラダが浮いた。

「なんで、そんなことしてたんスか」

「明日戦場に行くからだ。風呂に入れなくなるだろうが」

「……、はぁ……」

「衛生状態が悪くなる前に、除毛は基本だ。お前、東部内乱の時にしなかったか」

「……、しませんでしたねぇ……」

「後で困らなかったか」

「……、ちょっと、イロイロ」

「今度はちゃんと、処理して行けよ」

 ぎろりと横目で男を睨みながら。

「・・や、・・・・の、・・なんか、ゴメンだ」

「……」

 生粋の軍隊育ちの上官の、あんまりな言葉に男は絶句する。悶絶、に近かった。軍人同士でも上司と部下でもなく、たった今まで抱いていた人に、そんな露骨な言葉を口にされると、どうしていいか、分からない。

「……、すんません……」

 とりあえず謝った。湯船で温まって少し機嫌のよくなった上司は鼻で笑う。鼻先で笑われても、答えてくれないのに比べれば上機嫌だ。

「疲れた」

「すんません」

「背中が痛い」

「ごめんなささい」

「指をお前、握りつぶしかけたぞ」

「申し訳ございません」

「変質者」

「いや、それは……」

「悪かったと思ってるか」

「思ってます」

「レザーを拾って、こっちを剃れ」

 右肘を上げて上官は、柔らかな腋を晒す。ソープを塗りつけ丹念に泡立ててから、男はそっと刃物をそこに当てた。じょり、と細い音とともに、指先にかすかな抵抗を伝えながら、剃り落ちる感触は、自分の髭をそる時と大して違わない筈だが。

 指先が、震えそうなほど興奮した。意地の悪い目で上司が、自分を眺めていることには気付いたが。

「……、下は?」

 見栄も忘れて、強請るように尋ねた。

「お前」

「はい」

「本当に……」

「立ってくださいよ。それとも出て寝る?」

「ナンにも見えていないんだな」

「……、ね……」

 手の中のカミソリを一旦、高い棚に置いて湯船に手を伸ばす。いきなりそこに触れるのもナンだから、まずは足先に触った。そのまま、ふくらはぎから膝うら、内腿の皮膚を味わいながら、指先を辿らせて目指す場所へ。

「……」

 触れた途端に、上司は笑い出した。男があんまり、驚いたからだった。別に笑われた意趣返しでもなく、驚きに指を前後させると、上司は笑いを消して目を細める。顎が、上がる。

「……、うそ……」

 うそではない。何故気付かなかったのだろう。

「……、ちょ……、掴むな……」

 湯船の中に腕を突っ込まれ、狭間を無遠慮に探られてさすがに上司が声をあげる。男は混乱と驚愕に襲われつつ、追い込む指の動きは止めなかった。

「……、ナンで、気付かなかったんだろ……、俺……」

 そこは既に、処理を終えられて裸だった。

「馬鹿、だからだ」

 息をあげて、いやいやするように艶っぽく、男の肩に縋りながらもしたたかな上司の悪罵は止まらない。むっとしてぎゅ、っと。

「……、ぅ、ア……」

 掴んだのは蕊でなく腰骨の窪みだったが。

「……、大佐」

「ぁ、うぁ……、ン……ッ」

「一つ、聞いていいですか?」

「ふ……、はふ……、ん」

「自分でした?それともしてもらった?」

「……、ばぁ、か……」

「教えてくれないと続き、しない」

「しないなら、もう帰れ」

「……、それもイヤ……」

 濡れたTシャツが邪魔になったのか、男はざっとそれを脱ぎ捨て、ついでにジーンズも下着とともに脱いだ。濡れたスリムのジーンズは脱ぎにくく、苦労しているのを上司は、また意地悪い目で眺め。

「……、ん……」

 狭い湯船に入って来るのは咎めず、重なった唇には自分から応えた。