庇護本能・9

 

 

 翌朝は、早くに目がさめた。カーテンの向こうが明るくなっていくのを、男の腕の中から眺めていた。じっと動かずに。俺を抱き締めて男の寝息はまだ深く、俺よりはるかに若いこれが、ぐっすり眠っていることが分かったから。

「……、ん……」

 瞬きもそっとしていたのに、男の寝息が乱れて声が漏れる。起きたかと思ったら、単に、みじろぎをしただけだった。俺を抱き込む腕がもぞもぞと、動いて顔が左右に振られる。……なにしてる?

 男は背中を丸めるようにして、自分が抱いた俺の肩に顔を近づける。腕枕じゃない。あれはどうやってたって夜中、お互い身動きして離れてしまうから、この男はしない。俺の背中を抱くような姿勢で背後から、横向きの肩胸を抱き締めてるのがお気に入りだ。男の腕と、肩と、胸の中に抱きこまれる。楽な姿勢で、でも閉じ込められて。

こうしているのが一番幸福だと、そういえば夕べも言っていた。

お前がよく、分からなくなることがあるよハボック。そんなことを本当に本気で思っているのか。

 この番犬は俺を本当に好きらしい。さすがに最近、そのことは分かってきた。俺が撫でると喜んで、冷たくすると見ていられないくらいにしょげる。そうして、俺が裏切ると。

 この男は牙を鳴らして不満を主張する。撫でても、怒りは宥められない。辛うじてまだ、本当に噛み付かれたことはないが、そのうちに、骨まで届く傷を負いそうな予感もある。……別に怖くはないが。

 セックスしてる男に、痛めつけられるのには馴れてる。

 その馴れが、これを怯ませてることも分かってきた。俺を殴ろうとして握り締められる拳を、じっと見ていると戸惑って指を解く。暴力の原動力は一瞬の高揚で、それがそれてしまうともう、続かないことを俺はこの男で知った。

オスの暴力に、俺ほど馴れてる奴も珍しいだろう。俺にそれを、時々ふるってたあいつほど、怖い男は滅多に居ないから。だからってお前を舐めてるわけじゃないんだ。あぁでも、安心感はある。

 お前を信じて、いるんだよ。

軍の宿舎ではないこの部屋には、これの分際には過ぎたベッドが置いてあった。ふかふかのスプリングは俺の好みだが、これには柔らかすぎるんじゃないだろうか。筋肉質の人間は固いベッドが好きだ。そのことも、俺はよく知っている。あいつもそうだったし、リザでさえ、高級ホテルに時々ある、ブラマンジェのように頼りないベッドを嫌がって、床にシーツを敷く。

裏切りを咎められて、殴られるのは馴れてる。なのにお前だと妙な気がするのは、お前が悲しそうな顔をするからだ。俺の喉を押さえながら、泣き出しそうなのは俺でなくお前の方で、いつも煙草を口の端に咥えてへらっと笑ってるお前が、思いつめて切なそうに、喘ぐのが可哀想で。

時々、俺はお前に逆らえなくなるんだ。

悪いことをしたという罪悪感。

そして、それを上回る……。

 視線を窓から剥がして天井を見る。そのときに、気をつけていたのだが、頭が動いてしまったらしい。音がしそうな唐突さで男が目覚める。若い筋肉が全身、瞬時に緊張と力を取り戻す瞬間を、素肌のまま全身で感じる。……、なんて、味だ……。

 こんな味を、俺は知らなかった。あいつに抱き締められて眠ったことが、あったかどうかも、うまく思い出せない。俺はあいつとの時はいつも、ぼろぼろに痛めつけられていたから、目覚めは重くて、こんな風に、自分を抱いた男の力強さを、味わう余裕なんてなかった。

 腕は咄嗟に俺を抱きこんだ。逃がさない、という意志が指先に宿ってる。俺は動かなかった。男の腕の中で目を閉じて眠ったフリ。男の腕は暫く、俺を抱き締めていたが、やがて力を抜いた。

「……大佐……」

 小さな声で呼ばれる。眠っていれば気付かないほど細い声。眠っていることにしている俺は反応、しないでおいた。男の指が俺の髪に触れる。それはそれは優しく、愛しそうに。そうして男は腕を離し、俺から身体を離した。

「……」

 夜明け前の気温は低く、裸の肌に直に空気が触れて、狸寝入りを忘れて竦み上がった俺に。

「すいません」

 慌てて毛布を引き上げて、男は早口に詫びる。

「起こしましたね。ごめんなさい。まだ早いから、寝ててください」

 睡眠はもう、十分なのだよ。昨夜は夕暮れから、セックスと睡眠を繰り返して、今はそれよりも。

「のどが、かわいた」

「はいッ」

 下着もつけない全裸のまま、男が慌てて部屋を出て行く。カーテン越しの夜明けの、薄暗い部屋で、すっぽんぽんの尻が面白かった。俺が知ってるもう一人の男は案外とスタイリストで、長い情交の中でも俺に、あんな風に無防備だったことはなかった。

 ベッドの上で起き上がる。毛布を肩に掛けながら服を探す。台所はすぐ隣らしい。物音がして、ひょいと男が、顔を覗かせて。

「あったかいのと冷たいの、どっちがいいですか?」

「ぬるいのがいい。たくさん」

「イエッサー。あ、ちょっと待って」

 拾った下着を穿こうとした俺を咎めて、男が引っ込んだ。戻って来た時、その手には。

「どーぞ」

 新しい下着と、パジャマ。パジャマはともかく、白いブリーフを、袋から出してみると、俺のサイズだったのに呆れた。

「だって、いつ、こういうコトになるか分かんないじゃないですか」

 ストーンウォッシュのジーンズだけ穿いた男が、上半身は裸のまま近づいてくる。キスされるかと思ったら手を伸ばしたのは煙草だった。ちょっとムッとした俺に気がついて。

「……歯ぁ磨いてないから……」

 言い訳じみて、照れたように呟く。つられて俺まで、不覚にも照れてしまう。夜明けの部屋でバカみたいに男二人で黙り込む。ごそごそ、新しい下着を身につけてパジャマに袖を通した。パジャマはこいつの物らしい。少し大きかった。

「……、あ」

 湯が沸いたらしい。ケトルがピーッと笛に似た音をたてる。時刻は早朝、角部屋とはいえしんとした夜明けには不似合いな音だった。煙を吐き出していた男が立って、台所へ戻っていく。

部屋にかえって来た時には、俺の顔が入りそうに大きな、カフェ・オ・レ・カップにたっぷりの、甘さが控えめの褐色の液体を持って。

「実は、大佐の制服もあるンすよ」

 吸い終えた煙草をベッドわぎの灰皿でもみ消す。……なんだって?

「中尉にお願いして、主計部から一着、まわしてもらったんです。そこに吊ってあります。こっから司令部、車で三分っスから、ゆっくり出来ますよ」

 嬉しそうに、笑う男が、少し憎らしくて。

「……もうしないぞ」

「そういう意味じゃないです」

 ベッドの端に腰掛けて男はまた笑う。俺がカフェ・オ・レを飲み終わるのを待って、カップを受け取り、そっと柔らかなキスを。

「……」

 乾いた唇の感触が心地いい。最初は触れるだけで、やがて男の、指が俺の顎にかかる。舌を少しだけ、男が出して誘いをかけてくる。応じて緩めてやると、凄く嬉しそうに、くちづけが深くなる。

「あと二時間あります。どうしたいですか?」

  空気の冴えた薄暗い部屋に、濡れた音を繰り返したてて、離れた時には息があがっていた。寝起きで、しかも昨夜から散々、男に弄られた身体はえらく、敏感になっていて。

「……、っ、と」

 男の肩にかけていた手を、思い切り引いて引き寄せる。そうしながら自分もシーツに、背中から倒れた。憎らしい男は両手をシーツについて、俺の上には倒れてこなかった。

「……するの?どこまで、していいの?」

 出勤前に風呂に入りたい。その後でゆっくり、腹いっぱいの朝食も。昨夜から結局、あのスープ一杯だけできつい運動をして、目がまわりそうだ。それ前提で、思い切り。

「……って、イイ?」

 即物的な確認をされる。頷くのを待たずに男の手は、枕もとに置かれた小箱からゴム製品を取り出す。避妊ではなく俺を傷つけない用途で、使われるその膜一枚分がきっと、お前に安心して寄り添える信頼。自分でも驚くくらい、お前とのセックスは楽で傷つかない。最中は熱くて苦しくて、痛みも時々、ない訳じゃないが。

「……、ぁ、あ……」

 昂ぶっている俺を承知の男は、殆ど前戯なしで挿れてきた。男自身も、自分で擦った気配もなかったから、夜明けのキスで盛り上がってたのは俺だけじゃなかったらしい。

「……、ん……ッ」

 馴染んだ相手でも、数時間ぶりでも、やっぱりいきなりは苦しい。無意識に腰を浮かすと、逃げると思ったのか男の手に捉えられる。指が熱い。火傷しそうなくらい。男の楔は、もっと熱かった。

「ん……、っ、う……」

 先端を含まされただけで苦しくて、シーツの上で跳ねる。腰骨にかかった男の指が滑りそうになって、男が慌てて力をいれてきた。火傷の傷跡の場所は避けられているけど、そこに触れられると俺は、弱い。びくびく、自分の、蕊が、勃ってくるのが分かった。

 まだ納めきっていないのに俺に動かれて男は困ってた。挿入が終わって一旦、馴染むまでは、じっとしてた方がいいことは俺だって知ってた。知っていたけれど。

「……、ん……ッ」

 寝起き、だった。昨夜は苛まれ過ぎて俺の、吐精はあんまり、うまくいってなかった。心の中にそんな言い訳が浮かぶほど、簡単に昇りつめていく。はぁ、っと、息を吐いて、自分の中の蜜を意識した、瞬間。

「ひ……ッ」

 男に乱暴に、握りこまれて阻まれる。

「いた、イ……ッ、い……、タィ……ッ」

 悲鳴を上げる。男が倒れこんでくる。男の息が荒い。腰骨から片手が外れて、代わりに膝を掬われる。狭間が上向くほど無茶に身体を押し上げられて、そこに。

 楔が穿たれる。一気に、だった。じゅくじゅくと、熱い粘膜を突然、自覚する。自分の内部にそんなモノがあることを、普段はまったく意識しないのに、抱かれていると、そこだけがリアルで。

 抱えられた脚を担がれる。少し抵抗した。そうされると男に動きに、こっちの身体まで完全に連動させられて苦しいから。でも男は俺の抵抗を許さなかった。手で押さえつけられはしなかったが、身体で押さえ込まれてしまえば俺には、拒む手立てがない。

「イヤだ……、ヤ……ッ」

 ブッてる訳じゃない。本当に怖かった。この男が時々、本気で感嘆するほど俺はオトコに犯されることに馴れていて、口惜しがるほど、うまくオスを包み込み搾り取る、らしい、が。

 それでも、犯されるのは、やっぱり、怖い。合意の上で、信じてる相手でも。

「ヒュ……ッ」

 呑んだ息に、のった音は、悲鳴だったのだが。

「……、あんた……」

 セックスの最中、殆ど、声を出さない男が顔を上げて。

「いま、ナンて言いました……?」

 問いかけの意味が分からなかった。

「誰の名前、呼ぼうとしたの……?」

 脚を抱えてた腕が外れて、力なくそれはシーツに落ちる。内股がひきつれて痛い。けど、すぐにそれどころじゃなくなる。

顎を掴まれて目を開けると、目の前で男は静かに目を据えて。

「……もー一度、言ってみて……?」

 怖い。