風がなければ陽が暖かい、とさえ感じる小春日和の中。

「これはAクラス、こっちはSクラス」

 晩秋から冬にかけて捕獲され加工され、蔵に積み上げられていた鹿や熊、狼に狐といった野生動物たちの毛皮を、庭に運ばせて選定しているのは山崎。

「銀狐が多いのは凄い。よく選別したな」

 山のような毛皮を、種類と品質に応じて荷造りの指示をしながら山崎は冬ごもりした仲間を褒める。基本的には罠で捕らえて食用にした動物たちの余禄だが、高価に売れる狐は丁寧な処理をされて艶々、ふかふかの状態で庭に広げられたビニールシートの上に重なっている。

「家業でしたからねぇー」

 褒められて嬉しそうなのは毛皮処理をメインで担当していた隊士。そうか、と、山崎が静かに告げる口調には、言葉ではない共感があった。かつての日本には様々な差別があった。人気役者でさえ河原者と呼ばれ吉原で高級な娼妓を買うことができなかった時代、妓楼の経営者も同じく、士農工商という身分制度における埒外の者として扱われていた。

「刀を振り回させておくには惜しいな。いい腕だ」

「どうも。ああ、その熊は局長が退治されたやつです。狼も」

「うん。きれいにしてある」

 腹を裂かれた毛皮にはキズが見当たらない。どうやって仕留めたのかと山崎が探すと、心臓のあたりに幅3センチほどの裂け目があった。

「懐に入って、か」

 ヒグマは巨大かつ強力。立ち上がって振り下ろす前肢の一撃は馬をも打ち倒す。その一撃を掻い潜って懐に入り刃をつきたてるとは、さすがの度胸、かつ腕前。

「沖田さんも熊退治はたびたびしてられるそうじゃないですか」

「でもあの人はダメだ。頭を真横に切り落とす癖がついてしまって、毛皮としては、ほとんど価値がない」

「熊の頭を横に、ですか?」

 人畜に気概を与える成獣の、一抱えもある頑丈な、毛皮と筋肉の包まれた頭蓋骨を?

「うん。まぁ沖田さんがやる事を、なんでとかどうしてとかイチイチ、考えるのは時間のムダだけどな」

「そういえばそうですね」

 分類された毛皮は中表でくるくると巻き取られ、棒状にして結わえられて再び蔵の中へ収められる。海の氷が溶け、函館から襟裳岬を通過して釧路経由で花咲港に大型船が入れるようになったら積み出される予定。

「ここから直接、八戸に送れればてっとり早いんですがね」

「それをやったら密貿易だ。道内の物資は函館を通らないと」

 真撰組が牛耳る函館港の入湊量の多寡はそのまま、組の実入りに直結する。

「それもそうですね」

 せっせと仕事を進める彼らの手元に、不意に影がさして。

「茶にするぞ。休憩しろ」

 見上げれば盆を持ったもと副長。今日も朝湯に漬かってきた頬は艶々、瞳の光彩は澄んで逆光の中でなお、目尻には眩しいほどの艶が宿っている。

「……あ」

座り込んだ姿勢から、見上げた隊士は正直だった。一瞬で頬を染めた。初心い少女のように。

「近藤さんとこで配ってる」

「はい……、ありがとうございます。いただきます」

 ぱっと立ち上がり、膝につくほど頭を下げて、隊士は庭を横切って近藤勲の住む棟へ走っていく。そこには既に人だかりが出来て、茶碗片手に、菓子にかぶりついていた。

「はいはーい、たくさんあるからねー。順番だよー」

 戸の開け放たれた土間には炉が据えられて、そこで白髪頭の万屋がなにやら配っている。かすかな風が吹いて、山崎の鼻腔に甘い小麦粉と油の煮える匂いが届いた。

「ドーナツですか、サーターアンダギーかな?」

 小麦粉と砂糖と卵を混ぜて揚げる菓子はカロリーが高く、運動量の多い男たちに好まれる。揚げているうちに膨らんで満腹感も満たされるから、なおさら。

「知らん」

 二枚目は座り込み、煙草に火を点けながらそう答える。油の匂いに辟易して、自分と山崎の分の茶だけを盆に載せて棟を出てきたらしい。贅沢な二枚目は甘いものを全く食べない訳ではないがベタベタした揚げ菓子は好きではない。

「明日はオレが、お汁粉作りますよ」

 小豆や砂糖、といった嗜好品を、彼らは山のように担いできた。数ヶ月の山篭りで嗜好品の切れかけていた山中で、それらは大喜びされている。今も油の煮える鍋を囲んで、大の男がたちが女子供のように、色よく揚げられた小麦粉と砂糖の塊に大騒ぎしてかぶりついている。

「みんな元気で良かったです。ちょっとビタミン不足で脚気ぎみになってんのも居ますが、色々食わせてりゃそのうち回復するでしょう。生肉食えない奴は次から、外したほうがいいかもしれませんね」

「次はねぇ」

 近藤勲の江戸復帰はまだ見合わせるにしても、こんな山の中に立て篭もる必要はなくなるだろうと、煙を吐きながら二枚は言った。真撰組を仇と付け狙う人間は未だに少なくないが、近藤勲は一対一の勝負で劣る男ではない。鬼兵隊や桂の率いる新政府勢力といった組織単位での襲撃でなければ、恐れるほどのことはないのだから。

「近藤さんを函館にお迎えできますか。それで、あなたはどうなさるんですか?」

 自らが運んできた極上の葉で煎れた緑茶を味わいながら、山崎はすらりと、そんなことを尋ねる。

「近藤さんが許してくださったとしても、あの人の前で沖田さんと仲良く出来るタイプじゃありませんからね、土方さんは」

「うるせぇ」

「色悪気取ってるくせに常識人なんだから」

「オレがいつナニを気取ったってんだ」

「旦那はやっぱりおご馳走ですか。艶々しちゃって、憎らしいんだから」

「……」

「そこで黙らないでくださいよ」

 二枚目はなにやら真顔で考えて、山崎が嫌そうな顔をする。

「美味い、ってぇより、楽だ、色々」

「はいはい、どーせ沖田さんは若くてオレは変質者です」

「お前らと違って罪悪感がなくて済む」

「あなたがオレになんの罪悪感です?」

「色々だ」

 濃い目の緑茶を味わいながら、そんな会話を交わしているうちに、視線を感じて顔を上げると銀髪の男がこっちを見て笑っていた。菜箸で真ん丸く膨らんだサーターアンダギーを器用に掬い、熊笹で挟んで隊士たちに手渡しながら、なんだか楽しそうに。

「旦那と逃げるんですか?」

 実際、白髪頭の男は楽しいのだろう。雪解けと同時に会いに来た二枚目と、同じ部屋で何日も一緒に眠っている。昼間は狩りを手伝ったり炊き出しを手伝ったり、生き生きとして見える。

「まさか」

 目尻が艶な二枚目は笑い返さなかった。ほんの少しだけ煙草を持った右手を上げて、それだけ。

「行くんだったら、一緒に行きますよ」

 それだけの合図に山崎は顔色を変えた。

「違うって言ってるだろ」

「置いていったら一生恨みますからね。恨んで呪って祟ります。毎晩あなたの夢枕に立ちますよ」

「オマエが居なくってやってけるオレじゃねぇのは分かってるだろうが」

「またそんなこと言って、オレを喜ばせて誤魔化せると思ったら大間違いですよ。オレは絶対、あなたが死ぬまで、あなたのそばから離れませんからね」

「なんだってそう機嫌悪ィんだ、テメェ」

 二枚目が呼び方を変えた。

「アンタがご機嫌すぎるからです」

 応じて山崎も本音の声音になる。

「旦那と仲良くするのがそんなに楽しいんですか。優しくされてニコニコしちゃって、そんな惰弱なの土方さんじゃない」

「おい、あのな」

「沖田さんに優しくされると苦しそうなくせに、なんで旦那だと楽なんです?罪悪感ってどういう意味ですか、ナンか嫌ならはっきり言ってくださいよ」

「落ち着け」

「俺たちのこと、棄てないでください」

「なんでそうなる。テメェと総悟と、テンパは別の話だ」

「オレと沖田さんは同じ話なんですか?」

「落ち着けって言ってっだろ」

 山崎の興奮を二枚目は持て余した。茶碗を持ったまま立ち上がり、踵をすっと浮かしてそのまま、下腹を蹴る。

「……、ぐ……、ッ」

 予備動作なし、ごく軽く蹴ったように見えたが山崎は悶絶。腹を抱えて体を二つ折りにして呻く。その手から転がった空の茶碗を拾ってやりながら、

「オトコの態度が下手なのはろくな時じゃねぇ」

 二枚目は落ち着いた口調で話を続けた。

「お……、れ、は……」

「ん?」

「オレ、は、いつ、でも、アンタに下、手、です……」

「テメェのことじゃねぇよ」

 ふー、っと、二枚目は吐いた煙で、白髪頭の男を指し示す。悶絶していた山崎が深呼吸とともにようやく顔を上げる。表情は落ち着いていて、目元に嫉妬は漂っているが激昂の様子はない。

暴力だったが触れられて、額を叩かれた犬のように山崎は一瞬で落ち着いた。扱い方をよく分かっている主人だ。

「ああ、旦那。でも旦那もけっこう、アンタには甘いじゃありませんか」

「閨の外ではな」

「中でも、甘いの?」

「気持ち悪ぃぐらいだ」

「うそつき。キモチイイんでしょ?」

 と、尋ねる山崎の顔は爽やかに笑っている。秘密を漏らされるのは嫌なことではなかった。

「せっかくだから堪能してるが、後が怖くもある」

「しらっと憎いこと言いますね」

「らしくなく、なぁにたくらんでやがんだか」

「もしかして、それが楽しみでご機嫌なんですか、アンタ」

「……わりとな」

「悪党」

「んなこたぁ、とっくに承知だろ」

「ええ、よくよく存じ上げてます」

 よいしょ、と、ようやく痛みのひいてきた体を山崎は伸ばす。二枚目が新しく咥えた煙草に、ポケットから出したライターで火を点けてやる。炎に向かって伏せられた睫の長さに見惚れてため息をつくと、その内心を見通したように口元だけで笑われる。

「オレ、悪い人を、大好きです」

「知ってる」

「キスしたいんですが、旦那に怒られますかね?」

「アイツが見てないときにゆっくりしようぜ」

「わかりました」

 聞き分けよく山崎は答えて毛皮の選別に戻る。二枚目は茶碗を盆に載せて近藤勲が住む棟に戻る。

「ジミー君となぁに話してたのー?」

 サーターアンダギーを山のように揚げた油を漉して容器に戻しながら、目が笑っていない笑顔で万屋が問う。

「てめぇの笑い顔が嘘くさくって気持ち悪ぃ、ってな」

 建物の中に近藤は居ない。桂と二人で山の中の罠を見に行った。鹿がかかっていれば今夜はバーベキューだ。高杉は一人で沼に鴨を捕らえに行って、屋内には佐々木異三郎だけが、窓際の机に座って帳面をもとに、毛皮の束につける荷札を書き綴っている。種類と品質別に使う荷札は種類が多く煩雑で、かつ、小さなスペースにかなりの文字数を綴らなければならない。能筆で知られたこの男には似合いの役目だった。

「朝っぱらから風呂の見張りさた相手に言う台詞かぁー?ちょっとはこの優しさに応えやがれ」

 群がっていた隊士たちはそれぞれの仕事に戻っている。油の始末を済ませた万屋は、流しで茶碗を洗う二枚目に近づき、背中から腕をまわして、全身で抱きしめる。

「おい、邪魔すんな」

 水道のある流しではない。汲み置きの桶の水での洗い物。蛇口をひねるだけではないせいで動きが多く、抱きしめられたままでは柄杓も使えない。

「そんなのはそこのお殿様にさせてさ、お昼寝しない?」

「バカか。てめぇ幾つだ」

「アンタと同じ歳」

「昼間っからサカってんじゃねぇ」

「ダッコだけでいいからさ。イチャイチャしよーぜ?」

 ぎゅうっ、と抱きしめられる。懐かれる仕草の正直さに二枚目は笑った。笑いながら指先を伸ばして柄杓を手にとって、そして。

「離れねぇとケツに水ぶっかけるぞ」

「お布団から出るとつめたいの相変わらずだねぇ。銀さんのカラダが目当てですかコンチクショウ」

「タワケたこと言ってねぇで手伝え」

「へいへいー」

 そんな会話を聞きながら、佐々木は背筋を伸ばして筆を動かす。手元には荷札がかなりの数、書き溜められている。

「なぁ、もー、トシちゃんの事が可愛くって憎らしくって、どーしてやろーかって時々、マジで考えんだぜ?」

 二枚目の手元に水を流してやりながら男が言う。

「奇遇だな」

「んー?ナニがぁー?」

「オレもだ」

 だませているつもりのオスの、愚かさが可愛い。