季節風が海峡の向こうから暖かな空気を運ぶ。それが寒気とぶつかって、冬の名残の暴風雪を起こした。

「雨の音、混じってるな」

 近藤勲とその部下たちが隠れ住む山襞は風の通り道から外れていて家屋の倒壊や雪崩の心配はない。ただ積雪に備えて急勾配をつけた板屋根なので雨粒の当たる音が妙に響く。雪だけでなく水滴も空から落ちているのは、春が近づいた証拠。

「オマエさ、ここ出る前に、総悟クンと別れなよ」

 風が抜きこまないように、板戸や窓に横木を打ち付けて、数人ずつ屋内に篭った。それが肌身を交わした愛しい相手なら、丸一日を越える嵐の時間も、悪いものではない。

「手紙書いてゴリに持って行かせりゃいーじゃん。なぁ、そしたらさ、マジでケッコン、してやるぜ?」

 寝床の中で、二枚目はよく眠った。函館から根室半島の付け根あたりまでは車だったが、それからここまでは雪山を越えて来たのだ。気を張っているせいか疲れは感じていなかったけれど、休息を与えられた心身は貪欲に睡眠を求める。

「お返事はー?」

 毛皮の下から覗く艶々の黒髪はぴくりともしない。横向きにをくぅくぅ眠られて男は退屈でたまらない。寝床の隣にもぞもぞ潜り込んでも目を覚まさないカラダを寝巻きの上から撫でる。

「おねむまだ、ナンか珍しいな。昔はオマエ、休憩ばっかだったもんな。覚えてっか?」

 戦争が起こる前、まだ江戸にいた頃の情事を口にする。真撰組の副長は多忙だった。あき時間には要領よく遊んでいたけれど外泊は滅多に出来なかった。こんな風に何日も一緒に過ごしたことはなかった。

「そまうちオマエ、また忙しくなんだろ。その前に結婚しちまおうぜ。真撰組は辞めたんだろ?オマエのこったから一回辞めたのに復帰とかしねーだろ。寂しいだろうから一緒に暮してアゲル」

 規則的な呼吸を繰り返す肩を抱く。しなやかな肢体が腕に馴染む。江戸の頃はお休憩ばかり、惚れた腫れたではなくただの情事だった。最初はお互い、そのつもりだった。

 けれど戦争が起こって、その最中に本意ではなく離れて、男の気持ちには科学反応が起きた。死という要素に晒されて心が色を変えるのは初めてではない。最初のそれで絶望して冷えた魂は、二度目でなくした熱を宿したのだ。

「そーいや柳生の九ちゃんから伝言。当たらなかったぞ、ヘタレめ、ってサ」

 くぅくぅ、という寝息がぴたりと止まった。

「当てるつもりだったの?九ちゃんにばっか当ててると阿音ちゃんが寂しがるんじゃない?」

 少し意地悪そうな声。やっぱり起きてやがったな、と、口には出さないが声の響きには出ている。

「ヘタレだってよ。どーする?」

 耳元で悪趣味に囁きながら右手を帯の下へ。何枚か重なった布をはだけると吸い付く素肌が指先に触れた。

「モテ男のコカンに関わるんじゃないの。狙った的はずしちゃったなんて」

 下ネタを口にしながら手は帯を解く。博多織の寝巻きにするには贅沢な男帯。手触りは固くて新品かされに近いことを悟らせる。函館の貿易港を牛耳る今の『彼氏』からのプレゼントだろう。

「ンな簡単に狙って当てられるなら、男も女も苦労しやしねぇ」

 二枚目は観念したらしい。もぞ、っと男の腕の中で身動きする。肘をついて体を浮かそうとしたから、背後から抱いていた男はとっさに逃がすまいと体を落とした。考えのではなくて反射で、本当に素直に、全身を落として拘束しようとした。

「……、」

 男の素直すぎる反応がおかしかったらしい。黒髪の二枚目は肩を震わせて笑う。笑われて、逃げようとしたのではないと気づいた男は腕を解き隙間をあけてやった。見た目よりたくましい胸板の下で二枚目は寝返りを打って、向き合う位置に姿勢を変える。

「パックまだ苦手なんだ、トシちゃん」

「知ってるくせにやりたがるよなぁ、テメェは」

 油断もすきもない、という風に言いながら二枚目は腰を浮かして帯が引き抜かれるのを助ける。セックスはする気がないでもないらしい。

「オタクが嫌がるからだよ」

「ドサドめ」

 罵り文句を男は否定しない。自覚はしている。治そうとしたことはない。

「だからメンクイなんだよね」

 そんな会話も前戯の愛撫のうち。頬をスリスリとしながらこの顔をお気に入りですと、笑い顔から本気が透けて見える声で告げられ不機嫌になるオンナは居ない。

「笑った顔はみんな可愛いけど、泣き顔がイイのはキレイなコだけなんですよー。オスってカナシーよなぁー。結局ソコが一番、正直ってのが泣ける」

「……ここか?」

 機嫌のいいオンナはじゃれかかるオトコの戯言にノってきた。

「そーです。ああもー、マジひでぇよオタク。手ぇアテただけでヒトを性少年にかえすんじゃねーよ」

「絶好調で何よりじゃねーか」

「おヨロコビいただけて光栄だねぇ。祝福したからには残さず食いやがれ」

 面白そうに性質悪く笑う唇に、重ねた今度は息を奪うほど深い。背中に回した腕にも力が篭められて、だんだん本気になっていく。

「……ダメ?」

 うわずった声で、汗ばむ指で腰骨を捕らえて、オトコが真剣に乞うのはカラダの姿勢。

「だめだ」

 同じく熱い息を吐きながら、目尻を艶めかすオンナの濡れた唇からは全面的なノーが遠慮なく発せられる」

「ンだよこのぉ、オタネなぁ、こんだけサドっ気そそっといて本人マゾじゃないなんざ詐欺だぜオイ」

「マゾだぜ」

「どこだ」

「テメェが怒って無理やりするかなって、いま思ってる」

「わかってンだよコッチもそれぐらいのこたぁ!」

 男は思わず本気で怒鳴りつける。大きな声を出されて面白そうに笑うオンナはマゾでなく性悪。昂ぶるオスが格好つける余裕をなくしていく過程を愉しんでいる。

「試されてるって分かってるかにやんねーでやってんだ。ちったぁ感謝しやがれッ」

「してるぜ。ありがとよ」

 あまりあっさり、しかも真顔で、言われて男の怒りが収まっていく。単純さを呪う隙もなく、今度はオンナから唇を寄せてくる。はだけあった狭間が重なって、熱が宥められて、男は息を吐いた。

「試されてやってもイマイチだし」

そうして思わず、言わなくていい本音を口にしてしまう。

「こんども少しマジん時、無理やりしてやるよ」

「ヤんなよ。イヤってってるだろ」

「苦手だから嫌だって抵抗したのに負けてカンじちゃって、悔しそうにオタクが泣くのすっげーコーフンするぜ」

 誘いに応じてカラダを緩ませる相手につい、甘い顔になりながら白髪頭の男は寝巻きを脱がせる。ここ数日の情交で肌は潤んで、指が吸い付きそう。思わずいやらしく笑った。

「ナンだ?」

 唇を重ねていたから、オンナにもバレてしまう。

「うん」

 男は短く答える。意味のない言葉、けれど内心は声音にノってオンナの耳に届く。オタクが素敵でゾクっとしたんだよと、隠したところで、もういまさらだ。

 欲しい。

「元気か、あいつら」

「んー。こっち来る前に会ったけど、みんなお元気でしたよぉー。オタクによく似た坊やおっきくなってたぜ。甥っ子、医学部に入ったってさ。……ん?」

 今度はオンナがキスの合間に声を出さず笑う。実家の様子まで見に行ったことと、それを今までしゃべらなかったことの両方に笑ったのだ。

「我ながら、どーゆー趣味かよって思ったりするんだけどね」

 これから抱こうとする相手の、親戚はともかくワケアリの女や認知していないが子供やらの、話を平気で出来る自分の嗜好にも呆れるけれど。

「ナンか、さぁ。やっぱオレってオタクのこと、相当スキなんだと思うぜ」

 男は寝巻きではなくて部屋着。素肌を全身で貪りたくて、それをさっさと脱ごうとする指が、焦りのあまりぎこちなくなってしまう自分に呆れながら。

「オタクの可愛いののことまで気になるンだ。すげぇ愛だろ?褒めやがれ、コンチクショウ」

 開き直って抱きしめる。腕を伸ばして、オンナも抱き返す。男の告白を聞いて上機嫌に自分から膝を緩めた。

「もぉさ……、混じっちまってンだ」

 その膝を肘で掬って遠慮なくひらかせ、毒液を滴らせる大蛇を宛がう。粘膜が熱を感じてびくり、と、オンナの全身が竦んだのにも構わず。

「オマエもちょっとは、オレにマジに……」

 なれよと声で耳元を噛みながら、熱に苦しむオンナを犯す。

「……、は……」

 心地よさに思わず、もらした小さな息がとどめのくどき文句。