北国の夏の一日は長い。そのせいもあって商店や役所の『昼休み』が長い。カタイ会社組織でも二時間、気楽な経営の個人商店では三時間、中には午前十一時から昼の三時まで休憩という猛者も居る。

もちろん、港を仕切る日本人租界の頭目、二十歳を超えても顔だけは相変らず可愛い沖田総悟という名の天才剣士がそんな習慣の中、昼休みの昼寝で他人に遅れをとる筈がなくて。

「メシ食い終わったら、戻れ」

「なに寝言いってんの?」

 夜も昼も、港にほど近い事務所から坂の上の薬局へ足繁く通う。朝は七時に寝床から起され八時には玄関から突き出され、迎えの車に乗って嫌々会館へ『出勤』するが十一時になったら即座に薬局へ『帰って』来る。

 あまり外食はしない。昼休みの長い街では昼食が一日のメインの食事で、ちょっとした店ではコースが出てきて時間がかかってしまう。薬局の店主、黒髪の二枚目は夏の昼、あまり量を食べない。山崎が毎日用意する蕎麦や素麺をずずっと啜り、済ませることが多い。薬味に茗荷を欲しがるあたりがせいぜい、お坊ちゃん育ちらしいこだわり。

「まだあんた食い終わってねぇし」

 若い沖田は粗食に付き合いきれず別のものを食べる。今日は鳥の立田揚げの甘酢がけ。とろみのある甘酢には野菜の繊切りがこれでもかというほど入っていた。もちろん作ったのは山崎。

「総悟」

「帰んねぇ。行こうぜ、ほら、二階」

 山崎の希望で改装された台所に続く居間が食事をする場所になった減殺、二階は丸々、家主のプライベートスペース。給水の関係で風呂だけは一階にしか作れなかったが。

「……」

 笑顔とともに差し出された男の手を二枚目は胡散臭そうに見る。江戸で暴れていた頃より少し歳をとった。戦場で怪我をして素足と甲に大きな傷跡が残った。少しだけ煙草の量が減った。切れ長の目尻の艶は研ぎ澄まされて昔より更に凶悪。

「一人で、寝てろ」

 夏痩せで険のたった、凄みのきいた眼光は冷たい口調と相まって、流しで食器を洗っている山崎にさえ生唾を飲ませる。サド気のあるオトコなら尚更、気をそそられるだろう。サドが星のもと王子様は今にも胴震いしそう。

「あのさ、土方さん」

この函館で沖田総悟から『さん』づけて呼ばれるただ一人の男は、組織の一員であることも前歴も既に隠していない。けれど色街近い立地の中、歴戦の過去は箔にこそなれ忌まれることはなかった。薬局の経営は順調、本人の評判は絶頂。

もっとも薬局は天人と接触する便宜と地下銀行を兼ねた活動資金を管理する隠れ蓑に過ぎない。売上で食べている訳ではなく、営業は地域への奉仕的でもあった。

「三回断ったら腕ずくで引き摺って行くぜ。真っ昼間からハードブレイしたくなきゃ言うことききな」

「昼間はイヤだってってるだろーが。朝も夜も張り付きやがって、ちったぁ俺の歳も考えろ」

「辛がったらヤってねーじゃん。優しい彼氏だろ俺ぁ。ダッコで勘弁してやるよ、ほら」

「……」

 黒髪の二枚目は三度は逆らわなかった。納得と言うより面倒くさそうに嫌味なため息を漏らし、わさとゆっくりした動作で煙草に火を点ける。機嫌をとるような脅すような、曖昧な笑みを浮かべていた若い男は緩めていた口もとを引き締める。煙草を吸うのを邪魔すると機嫌が悪くなることを知っている。

 食器を洗い上げた山崎は二人の攻防をさりげなく観察。どっちが勝つかな、という興味で。微妙なバランスの攻防は見ていて面白い。これまでの観察では機嫌がより悪い方が有利だ。

「おい」

 が、悪ければ全勝でもない。うまく折れれば、そっちが有利なこともある。ちゃぶ台の前で胡坐を組み、自分の膝に片肘ついて煙草を吸う二枚目の背中に回りこみ、頬を押し付ける、今の若者のように。

「重い」

「あんた最近、俺に冷たいぜ」

「夏バテしてんだ。見りゃ分かるだろ」

「江戸の夏ほど暑くねぇじゃん、ココ」

「お前と違って俺ぁ繊細なんだよ」

「そう。土方さん病気はされませんが、体調は波がありますね」

 ぎゅ、っと蛇口を捻りながら山崎が言った。冬季の凍結に備えてレバー式ではない。

「沖田さんだけじゃない。俺にもちょっと冷たいですよ、最近」

 山崎は手を拭きながら静かに喋る。この男が静かな声を出すときは何かを決意した時。

「……」

 ヤバイ、と。

 判断は的確で正確だった。でも遅かった。立ち上がろうとするより早く咥え煙草のまま畳に仰向けに引き倒される。煙草が気になって腕をその為に動かそうとしたのが更に悪かった。

「お、い。てめぇら、ナニ考え……」

 洗い物をするために袖を縛っていた紐を解いた山崎が、起用に素早く煙草を掴んだ手をちゃぶ台の脚に縛る。

「分かってるくせに」

「俺ぁ分かんねーぜ、ザキ。これからどーすんだ?」

「表の戸に、鍵を、掛けてきて下さいますか、沖田さん」

「ザキの分際でこき使いやがる」

 くすくす笑いながら沖田が立ち上がり、女装した山崎の言うとおりにとした。

「で?」

「吐かせましょう。なに考えておられるか」

 山崎が頭に手をやった。揚巻に結っていた付け髪、ウィッグをはずして口紅を落とす。

「腹に一物、背に荷物、ってね。この人を思いつめさせるとろくな事がない」

「オマエが俺の側につくの珍しいじゃねーか」

「ザキ、おい……、裏切る気か?」

 女装の山崎はそっと屈んで、凄む二枚目の頬に指先で触れた。

「俺はいつでも土方さんが第一です。でも例外はあります。あなたは時々自虐的だ。マゾ趣味に浸ってピクンピクンの自慰を通り越して、自分で傷をつくっちまうくらい」

 食欲をなくして、指が吸い付くような頬が艶をなくすくらい。

「何がそんなにお気持ちに引っかかってるんですか。どうして俺に話してくれないんですか」

「ザキ。オマエもしかしてちょっと怒ってんのか?」

 山崎の目の前で照れもせず、ばさばさ服を脱いで真っ裸になる沖田が尋ねる。ええ、と、女装のもと監察は頷く。

「腹が立っています。土方さんのお身の上で、俺が知らないことなんかあっちゃいけないんです。ここの中も、外も」

 山崎の手が二枚目の胸を押さえる。悲しそう、な、目が二枚目目の、あまり豊かとはいえない良心を呼び起こす。確かに最近こいつに対しても距離をとっていた。それは。

「……待て」

 隊長が悪い身の上に空調は辛くて、夏ばての初期に若者が心配して取り付けさせたエアコンも切ってある。じっとしていてもうっすら汗をかく部屋の中、畳の上で圧し掛かられた二枚目が嫌そうに体を捩りながら声を出した。

「喋る。から、退け」

「ヤなこった。どーせウソつくだろ。あんたのご機嫌わりぃのは俺も気になってンだ。ハラのソコの泥まで吐き出せよ。掻き回してやるから」

「……離せ」

「あんたがヨガり泣いて、俺に縋りつくまでやめない」