宝来・4

 

 

 

 その春はじめて本土からの大型客船が入港した日の、昼下がり。

 ゆらり、ゆらりと港から、坂道を上がってくる長身の男が居た。

「船酔いの薬をいただきたい」

 古い薬局の内部は薄暗い。朝日が当たる南東向きなので午後には陽が入らない。ただし店主が腰掛けて新聞を読んでいるカウンターの向こうには、背面のすりガラスの窓から柔らかな明かりが差し込んでいる。

「もう酔ってンだろ」

 店はそう広くないけれど掃除が行き届き中央ではストーブが燃えている。壁際には古いソファ。ソファにはその座面と背もたれを覆いつくして尚あまるヒグマの毛皮が無造作に置かれている。頭が半分切り落とされたそれは勿論、沖田総悟が狩った人食い熊のもの。

「そうです」

「ならつける薬はねぇよ」

 ばさばさ新聞が畳まれる。その向こう側から現れたもと真撰組の鬼副長に長身の客は青白い顔で笑いかけた。

「なんだぁ?」

 愛情と親しみの篭った笑みを向けられる理由のない二枚目は露骨に胡散臭い表情で眉を寄せる。

「お変わりなくて何よりです」

「そーかぁー?」

 戊辰戦争に破れ転戦の挙句に函館へ流れ着いて数年。自分ではけっこう変わったつもりの二枚目は不愉快そうな声を出す。来客は勝手に店へ踏み込み、どうぞと勧められもしない椅子に座りカウンターに突っ伏した。

「おい」

「……気持ちが悪いのです」

「ホントに船酔いかよ。二日酔いじゃねぇか?」

「残念ながら船酔いです。酒は汐留を出てから一滴も飲んでおりません。うえっ」

「吐くなよ」

 二枚目の店主は嫌そうに言った。そうして手元の急須から茶を注いで、本当に嫌そうに客の頭の横に置く。上等の茶葉の香りに客はゆっくりと頭をもたげた。

「江戸の気配がいたします」

「大袈裟だな」

「いや本当に。船の茶はひどい物でした」

「なんだぁ?佐々木家のご当主なら特等室だろぉ?」

「当主は義弟が継ぎまして、今のわたしは部屋住みの厄介です」

「……へぇ」

 意外な言葉を聞いた二枚目は広げかけていた新聞をとじる。

「そりゃまた、どうした?」

「わたしは先の戦争でいささか活躍をしすぎまして」

「そーいやそーだったなぁ、聞いたぜ。伏見のへんで腹に穴開けられて、長持の中でうんうん唸ってたそうじゃねぇか」

 愉快そうに意地悪く二枚目は言った。

「さよう、あなたが足の甲を砕かれていた頃の話ですな」

 きちんと反撃をされたけれど。

「オレぁそれでも、指揮はし通した」

 フン、と二枚目は形のいい鼻の先で笑う。

「部下に離反もされなかった。軍資金持ち逃げされた上に手負いで放り出された誰かさんと一緒にされんのは不本意だ」

 ほきほきと、この二枚目にしては珍しくよく喋る。小馬鹿にしたややムキになった表情には若さというか少年じみた幼さが混ざって目尻は妙に綺羅めいている。

「それに関してはわが身を恥じておりますよ。面目なさの余り義弟に家督を譲ってしまったほどです。申し遅れましたが愚弟を後送いただきまして有難うございました」

 戊辰戦争の途中、宇都宮での先頭の後で佐々木家の次男坊は江戸へ帰された。増援を頼む使者とは本人と世間に対する嘘で、すでに幕府に援軍を出す力も気持ちもないことを聡明な二枚目は承知していた。

「邪魔になっただけだ」

 戦乱の中、一時行方知れずとなった佐々木異三郎を探させる為に江戸へ戻した。一指揮官の消息を気にする余裕は幕府軍にはなかった。

「あいかわらずですな」

「なんだよ」

「優しい方だと既に存じています。いまさら照れることはない」

「叩き出されてぇか?」

「その長椅子で少し休ませていただれませんかな」

 顔を上げ茶を飲み干してまだ青白い顔のまま、客は厚かましいことを言い出す。

「お仲間がおいでの会館とやらに挨拶をしに行きたいのですが、この体調では、お尋ねするのも失礼というもの」

「オレんとこ来られるのもたいがい迷惑だがな」

「そう仰らず、忘れていましたが、届け物です」

 客は懐から紙袋を取り出してカウンターに乗せた。なんだよ、とソレを覗き込んだ二枚目が微妙な表情になる。袋の中に無造作に重なっているのはとあるゴム製品。こんな外地では貴重なものだ。とくに日本製の需要は高い。

「あなたの恋人から預かったものです」

「……」

「どの恋人か申し上げた方がよろしいですかな」

「いらねぇよ」

 江戸に訳ありの相手は何人か居る。居るが、女たちにこんなモノの仕入れを頼むほど二枚目は無神経ではなかった。定期的に買って送れと言いつけていたのは白髪頭の万事屋にだけ。アレが一枚噛んでいるとすると、これは粗略に出来ない客だ。

 二枚目の店主は新聞を置いて奥に引っ込んだ。戻った手には毛布を持っていて船酔いの客の肩に掛ける。

「かたじけない」

 礼を言って佐々木異三郎は毛布とともに壁ぎわのソファへ。長身の足は肘掛からはみ出したが気にする様子もなく、ふぅ、と気持ちよさげな息を吐く。

「なにしに、来た?」

 静かに問う二枚目に。

「色々とカタをつけに」

「いまさら幕府の偉いサンが何のカタだ?」

「あなたがここに築いた地盤を横取りはしませんよ」

「って、言って信用されるとは思ってねぇだろ」

「色々ご相談したいことも助力を仰ぎたいこともあるのですが」

「最初に言っとく。ごめんだぜ」

「真撰組には大阪出身の、大きな妓楼の息子という隊士が居たでしょう」

「……居たかもしれねぇな」

「今でもおられますか」

「居たらなんだってんだ?」

「お礼を申し上げなければなりません。見廻り組の部下たちに置き去りにされた寺で、わたしを見つけてくれました」

 いち、にぃ、さん。

 咥えたタバコに火を点ける間で二枚目は態度を決めた。

「軍資金持ち逃げされて、最後にゃ身ぐるみ剥がされてたってなぁー?」

 しらばっくれるのはやめて意地悪く笑う。

「さようです。わたしが死んだと思ったのでしょう」

「みっともねぇこった」

「全くです。歩けなくなった身を部下が担いでこんな北まで運んでくれた誰かとは雲泥の差ですな」

「途中までだ。担がれたのは、ほんのちょっとだけだ」

 北上する戦線は何度も膠着した。東北での決戦を迎える頃には麻痺は残ったものの歩けるようになって、最前線は沖田に委ねたが後方指揮をとっていた。

「なんとなくわたしも覚えているのですが、確かあなたがたと最初に遊んでいただいた時に、あなたのところの局長と並んで刀を向けてくれた隊士が居ましたね」

「居たとも」

 オレの懐刀だと、二枚目の店主は自慢げに答える。

「地味な様子の若い方でしたが振り向きざまに視線を合わせた上で唾を吐かれた。あれはなかなか、忘れられないことです」

「すげぇはっきり覚えてんじゃねぇか」

「助けて下さったのはあなたの指示でしたか?」

「違うな。こっちも別に、テメェに構っちゃいなかった。偶然見かけたアイツが寺の坊主に金を遣っただけだ」

 手当てをしてやってくれと、短い言葉と共に。戦争は寺の僧侶たちの感覚さえ麻痺させ敗れて賊軍となった側の侍一人、死んだところでなんとも思わなくなっていた。

「弱っているときの優しさというものは沁みますな」

「アンタがそれだけの用でこんなトコまで来るとも思えねぇんだが?」

「大恥をかきまして生き方を変えました」

「最後以外はそう恥でもなかったんじゃねぇか?」

 鳥羽伏見の戦いでこの男は奮戦した。戦争中は配下を掌握し敵前逃亡はさせなかった。最終局面では装備を捨て身軽になっての突撃を繰り返し、大阪夏の陣で徳川家康の本陣を踏みにじった真田信繁にも喩えられる猛攻を見せた。

「わたしとしては、そちらの方が、部下に見捨てられ長持の中で死に掛けたことよりも恥です」

「あぁ?なんでだ?」

「ついムキになってしまいました」

 毛布を被って背中を向けた客が漏らした一言に。

「ああ、分かるぜ、ちょっとだけ」

 二枚目の店主は同調する。ピン、と弦がはじかれるような共感が店内に満ちる。新聞をまた捲りながら二枚目は自分のことを思い出す。戦場での日々を。

 勢いがついてしまう、止めるタイミングを失するということがあった。恐怖や臆病よりも悪ノリのハイテンションが脳を支配していることが多かったのは喧嘩、ひいては戦争の適性があった証拠で、侍としては悪いことではなかった。

「天人たちとの密約も高杉のヤロウとの裏取引も忘れてノっちまったのか?」

 自分自身の強さにうっとり、思わず痺れてその勢いのまま、戦国武者のような戦い方をしてしまったのだろう。内通の約束をしていた敵方から『裏切った』と思われてしまうほどに。

「それで当主の地位も追われて江戸に居られなくなったのか。すげぇ恥さらしだな。大笑いだぜ」

「……放っておいていただきたい」

「自分からツラ出しといてそりゃねぇだろ。にしても、納得できねぇなぁー。それでナンで、わざわざこっちに来るンだ?」

 二枚目の口調は微妙だった。攘夷派に指弾されているのならなぜ、よりにもよってその最も過激な親玉が『隠棲』している北の地に来るのか。親玉が桂を拉致して仲間からさえ姿を消した逃避行に一枚噛んでいることをうっすら、悟らせる。

 ここでは自分がが古株で格上だと悟らせる口調で。

「色々と、面白そうなので」

「ふん」

 確かに、面白くないことはない。

「もうじきに、また戦争になります」

「……」

「あなたはゲリラ戦の名手だ。力を借りることがあるかもしれません」

「真田丸から家康公の本陣に突っ込むような猛攻は、オレぁしきれねぇぜ」

「それはもう言わないでください」