函館の貿易が盛んになるにつれて日本人租界と港を仕切る『組』は羽振りがいい。その本拠地である『会館』の応接室はロシア製の応接セットを揃えたかなり豪華な部屋。高級旗本の当主であった佐々木異三郎を通しても恥ずかしくはなかった。

「ご無沙汰いたしております。またお会い出来て嬉しいですよ」

 まんざら世辞にも聞こえない挨拶を沖田総悟は聞き流す。そして佐々木の言葉が終わったすぐ後に。

「なまくら女はどーしたィ?」

 佐々木自身には全く興味のない様子で総悟は、かつて剣を合わせたことのある今井の行方を尋ねた。隊長であった佐々木の負傷で見廻組が崩壊した後も上野から東北にまで転戦する幕府軍の中にその剣士の姿はあった。が、真撰組の残党とは途中で戦場が分かれてそれきり見なかった。

「江戸で禁固中です。あれは会津で、少しやりすぎまして」

「ボスのアンタが外うろついてンのに部下はまだ檻の中かよ。たいしたお殿様だぜぃ」

 沖田の口調ははっきり非難だった。正面から見据える視線はきっぱり喧嘩を売っている。売られた大人は殊勝に俯いて、

「わが身を恥じております」

 坂の上の薬局で二枚目に言ったのと同じ台詞を口にする。韜晦し慣れた大人はしらっとした表情で、反省が本心なのか言葉だけかよく分からない。

「アレだけでなくほかの部下もまだ何人も獄に繋がれております。鳥羽伏見で戦線離脱したわたしと違って奥羽まで転戦した甲斐性のせいで罪が重くなった。緒戦で手負って死に掛けて、傷病を酌量されて先に放免された我が身を心から恥じています」

「全くだぜぃ。役に立たなかった奴はいいよなぁ、敵方の追求がゆるくって」

 沖田総悟は頭脳明晰という訳ではない。けれど口喧嘩なら弁は立つ。近藤勲より達者だ。二枚目のもと副長が幼児期から罵り合いを繰り返して結果的に鍛え上げた成果。

「その通りです。どうせならあなた方のように、転戦もここまで極められれば、和議という取引の手段もあるのですが」

 国際自由貿易港である函館は日本にとって『外地』。日本の一部であることは間違いないのだが外国勢力の思惑が入り組んだその街を武力制圧することは国際法上の問題があって難しい。そうして蝦夷は戊辰戦争で罪を問われた幕臣たちの逃げ込む場所となっている。

 佐々木を会館へ連れてきた二枚目は口を開かない。隊士が運んできた盆を受け取って茶を煎れテーブルの上に三つ並べる。緑茶ではなく紅茶。それも英吉利租界の専門店から仕入れる極上のフォートナムメイスン。馥郁とした香りが室内に漂う。

「……、座れば」

 出来れば立ったままで対面を済ませ追い返したかった沖田だが、二枚目が茶を煎れたことで話を聞いてやれという意図を察して仕方なく椅子をすすめる。遠慮なく佐々木が腰掛けた三人がけの革張りのソファは尻が沈むほど柔らかくて、その座面にはこれまたヒグマの毛皮が敷いてある。

「贅沢なものですな」

坂の上の薬局にあったものよりは二まわりほど小さい。けれど縦横ともにな三メートル近い大物。柔らかな冬毛がふんわりこんもりと生えた毛艶のいい毛皮は冬篭り中の弱った穴熊ではなく秋の充実期に狩られたことを悟らせる。江戸で売ればいい値段になるだろう。剥製では最も肝心な頭部がついていないのが難だが。

「三人殺して一人食ってる」

 冬眠に備えて栄養を蓄え、価値手の一撃で馬を倒すほど体力の充実した晩秋の人食い熊を楽々と退治した沖田はつまらなそうに言った。去年の秋に函館山の麓で退治したものだ。一抱え以上ある頭蓋骨を横にすぱりと斬りおとすやり方で。

「ほう。薬局にあったものもそうですかな?」

「あれは……、何人でしたかねィ?」

 三以上の数をかぞえる気のない沖田は勝手に座ってカップに手を伸ばしている二枚目に尋ねた。

「十人と二十人の間だろ」

 まじめに答える気のない二枚目はいい加減な返事を寄越す。

「相変わらずのご活躍にお喜び申し上げます」

「おうよ、ご活躍だぜィ。てめぇなんざお呼びじゃねーんだよ。いったいナニしに来た?」

「新政府からの使いです。非公式ですが」

「……」

 沖田が佐々木から視線を外して二枚目のもと副長を見る。政治の話ならオレには手におえません代わってくだせぇ、と、実に素直に問題を丸投げした。

「……」

 二枚目はタバコを取り出して火を点ける。紫煙を吸い込みながら目の前の男をじっと眺めた。

 ヒモ付きなのは最初から分かっている。この切れ者が何の理由もなくこんなに遠くへ来るはずがない。意外だったのは自分がヒモつきであるという率直な自己申告。助力を仰ぎたいというのは本気だったらしい。

「西と東の狭間で、北海が戦場になりそうな様子でして、その斥候がわたしの役目です。果てに隠棲された方々をお誘いして、この外地の向こう側を覗きたいのです」

「新政府っても一枚板じゃねぇだろ。どこのヒモだ?」

「もと鬼兵隊の方々ですよ」

「やけにあっさりゲロるじゃねぇか」

「高杉との密約を嗅ぎつけたあなたにいまさら、隠したところで仕方がないでしょう。より正確に言うならば、首領である高杉に姿を消されて困り果てている鬼兵隊の幹部たちに、彼を連れ戻す条件で取引をもちかけられました」

「アンタがそういう言い方をするのは、られたんじゃなくって自分から必死に交渉した時だ」

「よくご存知で。わたしに惚れておられましたかな」

 ふざけるな、と、二枚目は言わなかった。沖田総悟が刀の鯉口を切った。わざと音をたて鍔を押しはばきを外す「外切」のやり方は、拳銃でいえばリボルバーの撃鉄を起こすような露骨な威嚇のしぐさ。

「冗談でしたが、口が過ぎました」

「なに取引した?」

「部下たちの、放免を」

「棄てられた隊長でも部下は可愛いか」

「お言葉ですがわたしを寺に長持ごと棄てたのは京で募集した臨時隊士たちです。江戸から連れて行った見廻組の隊員は江戸へ戻る将軍の警護を務めていました」

「まぁそうだった。お歴々のお坊ちゃんたちにしちゃ音も上げねぇでよくやった。早々に退場した隊長サンの仕込が良かったのかもなぁ」

「出してやりたいのです外に。もう二年、あれらは江戸城の牢に捕らえられています。新政府はあれらの裁判を始めるつもりもなく、ただ危険だから繋いでいるだけです」

 懲役ではないが拘置期間を無限に繰り返されている。

「高杉が江戸から姿を消したとき、あなたは江戸に来ておられたそうですね」

「……まぁな」

「行方をご存知でしょう。ご助力を願いたいのです」

「あんたな、気持ちは分かるがもちっと考えてろ。高杉のヤロウがどんだけカリスマか知らない訳じゃないんだろ。鬼兵隊はヤツのオモチャ箱だ。アンタとどんな約束してたって、ヤツに手ぇ突っ込まれりゃブリキの兵隊はどうとでも転ぶぜ」

「その時はそのときです」

「アイツをネタに鬼兵隊と取引しようなんざ下策の極みだ。頭をやるから腹を寄越せっていってるよーなモンだぜ」

 二枚目は佐々木の計画を貶す。けれどもそれは見方を変えれば親身になっているのでもある。

「得るのが憎しみだとしても黙殺の今よりはマシです」

 客は本当に正直だった。

「わたしは新政府と、他に交渉のチャンネルがないのです。正面からの哀訴はし尽くしました。影響力のある人物からの鶴の一声を望むしかない」

 淡々と、しかし切々と、語る言葉を、嘘とは思えなかった。

「わたし自身が竜の逆鱗に触れたとしても、少しも構いません」

 頭が良すぎて嫌な男だが、覚悟のいい武士でもあるのは、昔からだった。

 

 

 

 

 覚悟もあるし度胸もある武士だが頭が良すぎて嫌な男だということは知っていた。

「連れてきましたよ」

 沖田とのことを知られるのが辛くて、面目ないから逃げようというくらい思いつめていた近藤勲の隠れたまだ雪深い知床へ函館から、海路二日と陸路を三日も要して辿り着いた黒髪の二枚目は、そこで色々、思いがけないモノを見た。

「トシィ!よく来たなぁ!会いたかったぞぉーっ!」

 近藤勲がたいそう嬉しそうなのは、まぁいい。浜の集落から少し離れた丘の上に幾つか建てられた家はもと真撰組の別働隊が明治政府の刺客から局長を匿うために疎開した集落。その一番大きな棟に近藤が居るのは当たり前。玄関というほどの門構えでもないが、戸をあければ土間があって隅に竈が設けられている。家主の近藤勲はそのかまどの前にしゃがみ、火吹き竹で炎に空気を送り込んでいる。

竈の奥には式台があって、そこからすぐに板張りの炉のある居室だが床には様々な毛皮が敷き詰められ暖かそう。

「早くあがれ。火のそばに座るがいい。まだ雪深いのに山越えは大変だったろう。今夜は鴨鍋だ。はるが獲ってきた」

 何故かその台所にたすき掛けをした桂小太郎が居るのも分からなくはない。戦争前は維新派のテロリストと機動警察で敵同士だったが、その当時から妙にウマがあっていた。

「……」

 客を歓待する為の鴨を獲ってきた『はる』こと高杉晋助は炉の向こう側の壁に、毛皮に半ば埋もれながら寄りかかっていた。が、真撰組もと副長の姿を見るやゆっくり立ち上がり、ゆっくりとした足取りで式台に置かれた土間用の草履に眩しいほど白い素足を突っ込んで近づいてくる。

 そうして二枚目のダウンコートの前を開き、カシミアセーターの懐に裾から手を突っ込んだ。

「尻のポケットだ」

 動かず好きにさせながら二枚目は煙草を納めた場所を教えてやる。愛煙家のあいみたがいで、ヤニ切れの苦しさはよく分かるから。ニッと高杉は声を出さずに笑い、半身に構えるクセのあるせいでたまらない角度になる腰に手を廻した。タバコとライターを手にして珍しく紙巻のまま咥えて火を点ける。

「……ふーっ」

 そのまま二枚目をホールドするように腕を廻したまま、実に美味そうに紫煙を吐き出す。それは抱きとめているのかもしれない。やる気のない態度でよく分からないがもしかしたら、二枚目が短気を起こして殴りかからないよう、タバコの礼に、気遣っているのかもしれない。

「やっほートシちゃん、おひさー」

 身動きも出来ないほどマジな視線で二枚目が、炉の傍わらを見据えるその場所には。

「すっごい会いたかったよーん」

 白髪頭のもと万事屋が目じりをだらしなく下げて笑っていた。