蝦夷の中でも寒さ厳しい根室の地の、家屋はそれに適した造りになっている。台所には天井板がなく竈の煙は天井裏に導かれ、その熱で屋根の冷たさから屋内を保護する。だから竈には薪がくべられている。が、毛皮を敷き詰めた板張りの間に切られた炉には、真っ赤に燃える炭火が埋けられていた。

 ただし広さはそれほどではない。根室に来ている真撰組隊士は二十人弱だが全員が近藤勲の住む棟に集まることは出来ない。函館からの来客に、何人かそわそわ中を覗きに来たけれど上がりこむことはせず、土間に立ったまま炉の鉄瓶で燗をして暖めた酒を湯飲みになみなみと注がれて一気に飲み干す。

「元気そうだな、いい面構えになったじゃねぇか」

「聞いてるぜ、よくやってるって」

「江戸もじきに落ち着く。暫くの辛抱だ」

 そのたびに二枚目のもと真撰組副長は短く言葉を掛ける。かけられた隊士たちは嬉しそうに笑う。注がれた酒は江戸から春一番の北前船で運ばれた新酒の清酒で、甘い米の味が外地に暮らす舌には切ないほど沁みた。

「えっと、それじゃ、オレはみんなと、旧交を温めて……」

 きます、と、そこから逃げだそうとする山崎のコートの裾を。

「鍋の味つけしてから行け」

 高杉が煙管の雁首で器用に引っ掛けて阻む。

「ヅラにさせると薄味すぎて食えねぇ。毎日毎日、通夜じゃねぇんだからよ」

「ヅラじゃない桂だ。濃い味にするとお前が酒を飲みすぎるからだ。銀時のような糖尿になりたいか」

「おぉーいズラァ、オレぁまだなっちゃいねーぞぉー」

「予備軍だろうが。戦争はまだ続いている。健康維持は戦力維持でもある。武門の男子にとっての義務だ」

 流しの隅で雪の中に埋めて保存していた水菜を切りながら桂が言うことは正論だった。高杉は肩を竦め、山崎は土間に降りて近藤勲が湯を沸かす竈の前へ行く。棚の上には土地で採れる昆布はたくさんあったけれど鰹節は切れていた。昆布が効きすぎると出汁は精進料理のようになるから、通夜みたいで嫌だという高杉の意見にも一理ある。

「局長、火はそれくらいで」

山崎はまず昆布をぬきんで拭ってから鉄鍋に沈め、酒とともに背に重いほど担いで来た荷物から調味料を取り出して、数ヶ月使われていなかった削り器で掻く。ふわりとした削り節が湯気に踊りながら鍋の中へ落ちる。水面に着水し水分を吸い込んで色変わりしてからゆっくり沈んでいく。

 鴨肉と乾燥水菜を出汁に浸すように沈めて、ぐらぐらと沸騰しない程度の火加減で暫く煮る。

「上で煮食いするでしょう?味噌味でいいですかね?近藤局長、火を引いてください。旦那、鍋のつる、そっち持って下さい」

 台所に立たせれば実にてきぱきとした山崎は遠慮なく指示を出し、湯気のたつ鍋をよいしょと鉄瓶をどかした炉にかけた。高杉は鉄瓶から引き上げた銚子を二枚目に向ける。

「……」

 今夜の主賓はなんとなく納得できない様子でいた。それでもさされた酒は湯飲みで行儀よく受けた。食べ物の匂いに満ちた暖かな部屋で喉を降りていく新酒は腹の底にしみてじんわり、何かを麻痺させてしまう。

「美味い」

「そうか?オレはもちっと、淡いのが好みだ。関東の酒だな」

 目の前でそう言って笑う美形に親しみを感じそうになる。

「西国人め。軟弱な淡麗ごのみか」

「西国人だぜ、酒ならこっちが本場だ」

 西の酒どころ・広島に隣接する長州で生まれ育ったことを自慢する口調で高杉が言った。そういやこいつもそうだったなと、思った二枚目は無意識に白髪頭の万事屋に視線を向けてしまう。

「いつお勧めが来るかと思ってたよー」

 視線を誤解したのか、したふりをしたのか、万事屋が嬉しそうににじり寄り茶碗を出した。注いでよという仕草と胡散臭い笑顔に逆らうのも面倒で銚子を傾けてやる。中身は茶碗の半分ほどしか残っていなかったが。

「もーホント、寒いとコレが一番だねぇー」

 ぐいっと飲んで、それからまた、皿や箸を揃えにかかる。近藤が天井裏の保管庫から干餅も持って降りて、みんなで夕餉の用意をしている中、部屋の隅に端座したのの動かない男が一人。

「思し召しならお手伝い致しますが、料理と皿が減ります」

 こちらの答えは誤解ではなかった。二枚目は確かに非難めいた気持ちを込めて佐々木を見た。

「能力がないのにやる気の人間というのが一番、集団の戦闘力を削ぐ」

「なら、飲め」

 大きな鉄鍋に沈めていた徳利を引き抜き底を拭いながら口を挟んだのは、佐々木と同じく手伝う気が皆無の高杉。

「言ってることには同意だが、しらふでそーやって座ってられンのは鬱陶しいぜ」

「盃を頂けるということは、戦争中のことを許してくださるということでよろしいのですね?」

 極地の小屋で江戸城中の作法そのまま、膝行して高杉の前へいざり寄る佐々木が高杉に念を押した。

「お怒りを解いてくださるのですね?」

「別にオレぁ、怒ってやしねぇ、最初から」

 少し酔ってきたらしい高杉は喉の奥で笑う。口調は皮肉だが顔は笑っていて、上機嫌そうだと、眺めている二枚目にもよく分かった。

「ヤってるうちにノっちまって敵中突破して、退けなくなって前に前に出てたらオレの目の前にまで出ちまって、ヤケクソで本陣まで急襲してくれたってぇのは、なかなかのバカらしさだ」

「それはもう、言わないでいただきたいのです」

「あんたの突撃のせいでオレらは見事に混乱した。一瞬マジで恐慌状態だった。おかげで将軍を逃がして大阪から江戸に戻られちまった。コッチにとっちゃ、緒戦で一番の黒星だったな」

「ですから、それはもう」

「うむ。あれは見事な突撃だった。大阪夏の陣での真田勢が家康公の本陣に突き入り、旗を倒した故事を彷彿とさせる」

 桂からまで、まったく悪気のない口調で武勇を褒め称えられた佐々木は俯く。何をそう恥ずかしがっているのか二枚目にはよく分からない。戦場でマジになってしまったまのがそんなに不本意なのか。喧嘩してたら夢中になって必要以上にノっちまったってのは、男ならよくあることじゃないかと思うのだが。

「まー、喧嘩してノりすぎちゃうのはよくあることだよねー」

 イカの塩辛を壷から深皿に出してきた白髪頭の万事屋は、二枚目が考えていたのとまったく同じことを言った。

「エリートさんは自分で思ってるほどクールじゃなかったのがそんなに恥ずかしいんだぁー?」

 からかわれて佐々木は苦い表情。くく、っと高杉はウケて笑い出す。本当に機嫌がいい。

「熱いバカは嫌いじゃねぇ」

 酔狂を極めた過激派のカリスマが本音を漏らす。確かにそうで、このひねくれた美形は予定通りに寝返った幕臣たちにはたいへん冷たかった。幕府が幸福したと同時に利用価値を無くした旧幕臣たちは庇護を受けられなくなり新政府に職を得ることも出来ず、幕臣たちからは白い目で見られて居場所をなくし、江戸から流れていった幕閣の偉いさんが何人も居る。

かえって最後まで将軍に近侍し支え続けた松平片栗虎のような男たちはその気象と実力を認められ、新政府にも幕府時代とほぼ同じ待遇で迎えられて失業した幕臣たちの就職に奔走している。

「んじゃ今夜のオハナシは、いま真田クンの武勇伝にしよーか」

 万事屋もニンマリと笑う。実に意地悪く。

「あなたの依頼を果たしたというのに、そんな恥をかけと仰るのですか」

「いいな、俺も佐々木殿の話を聞きたいぞ」

 襷を肩から外しながら、近藤と桂もからげていた裾をはらって炉のそばへ来る。ランプに明かりが灯されて、暖かな光のなか、ふつふつと煮える鴨鍋が美味そう。

「トシと総悟の活躍は篭城戦だったから新聞に載ってよく知っているが、佐々木殿の京都の時は敵味方入り混じっての市街戦だから皆、自分の戦場のことしか知らないんだ。ぜひとも話を聞きたいと思う」

 言いながらごく当然の権利として、近藤勲は二枚目の隣に座った。熊の毛皮に腰を下ろし、膝の上を鹿革のひざ掛けで覆うと本当に暖かい。

「近藤さん」

 炉は大きくて、一辺に男ふたりが胡座で座ることが出来る。高杉の手から取り上げた銚子から近藤に酒を注ぎながら二枚目は、いまさらだが一応は言っておくことにした。

「あんた、なに馴れ合ってるんだよ」

 攘夷派の大物二人とも、幕臣同士とはいえ反目しあっていた佐々木とも、仲良くしすぎだぞと苦言を呈する。その手元に今度は自分が桂から銚子をさされて、思わず湯飲みに手を添えてごく丁寧に受けてしまいながら。

「そういうなトシ。冬になったら雪に埋もれて何ヶ月も身動きがとれなくなるんだ。みんな一緒に春を待つしかない。長い時間の中では話がご馳走でな、いろんなことを聞かせてくれた。他国の話は面白いな」

 江戸郊外の武州出身である近藤にとって西国の話は珍しかった。そうしてその土地は前期攘夷戦争ともいえるたたかいの戦場となっていた。少し前までは藩が違えば異国のようなもので情報は少ない。楽しい話ばかりではなかったが、学ぶことは多かった。

「さよう、軍談を聞くのも武士の心得のうち。敵味方が混雑した戦場のことは双方の話を聞くに限る。双方の指揮官がずらりと雁首を並べているのだ。話を聞かないでおくわけには行くまい」

 佐々木と山崎を含む全員に酒が満たされて、なんとなくのタイミングで全員が、ぐっとそれぞれの手元を干す。