佐々木と山崎を含む全員に酒が満たされて、なんとなくのタイミングで全員が、ぐっとそれぞれの手元を干す。

「とにかく、まずは食べましょう。桂大臣、お皿を」

 頭にバンダナを巻いて三角巾の代わりにし、手におたまを持った山崎は無敵だ。

「かたじけない」

「はい、土方さん、はい、高杉さん、はい、旦那、はい、近藤さん、はい、佐々木殿」

 つぎわけられた皿を、飯台がわりの炉のふちに据えて。

「いただきます」

 桂が箸を持ち手をあわせて言うのを待って、全員が箸をつける。

「……いい鴨だな」

 薄茶色に煮られた肉を口に入れるなり二枚目が呟いた。柔らかいのに弾力があって歯に当たるとぷちんと噛み切れ、そこからじゅわっと肉汁が溢れて舌の上に広がる。山崎が背負ってきた自家製の味噌のまろやかな塩気と肉の旨みが口の中で混ざって、思わず感動しそうになった。

「昔から、はるは鴨を獲るのがうまい。デコイを使っておびき寄せて、スリングショットで仕留めてくる」

パチンコ弾では致命傷にはならず、まだ息がある鴨の喉を掻き切って放血するから肉に臭みが残らない。鴨肉で最も美味いのはダキと呼ばれる胸肉だが、足肉も軟骨と共に叩いて団子にすると実にいい出汁が出る。

「脂ののったのを何日も熟成させて、貴殿らの来訪を待っていた。かわいいところがあるのだ、これで」

 桂がやや自慢そうに呟く。高杉はフンと鼻先で笑っただけ。触れればすぱりと肉まで断ちそうな切れ味の男だが、妙に可愛い、人懐っこいところがないでもない。船での旅に同行した時からそれは思っていた。その奇妙な愛嬌に周囲はつられて、自分から死地へ飛び込むのだろう。

「だったよなぁー。殿様のお猟場に忍び込んで番人につるしあげられてんのを、何回、オマエと取り戻しに行ったっけ」

 万事屋が珍しく昔のことを話す。チッと高杉は行儀悪く舌打ち。酒を冷の茶碗酒に替えて呑みながら末席に畏まりつつ、箸は遠慮なく動かす佐々木に視線を向ける。

「はなしを、変えろ」

「承知しました。その前に一筆を頂きたい」

 上着のポケットから用意していたらしい扇子とマジックを取り出して差し出す。高杉は茶碗を置いてさらさらと書いた。二枚目が横からその手元を覗き込む。

 見極めるべきことを見終わったら江戸へ戻るからそれまで留守を守っておけ、という自分勝手な文言。けれどもそれで部下たちは喜ぶだろう。意固地になって桂との対立を貫いたことで首領に見捨てられたのではないかというのが連中の一番の恐怖だ。これから佐々木をこれからこき使う予定なので見廻組の連中を放免してやれという指示をその横に書き添えて。

「オマエ、そのツラでこの字はねぇだろ……」

 内容よりもそれが気になって二枚目が呟く。

「ほっとけ。ツラは関係ねぇ」

「いや、どっから見てもお坊ちゃんってツラでこの悪筆はねぇだろ。びっくりだぜ」

「だから稽古をしろと、昔からあれほど言ったではないか。お前は指揮官になるのは分かっていた。なば書状を書く機会が多いというのに」

 桂もやや酔ってきたらしい。言うことが愚痴めいてくる。家主である近藤勲は座が賑わうのを嬉しそうに、にこにこしながら眺めている。昔から自分が中心になるよりも、皆が楽しそうにしているのを見るのが好きな性質だった。

「諦めろぉ、ズラぁ。はるが俺らの言うこときいたことなんざねーだろ」

「なぁに言ってやがる。佐々木にそいつをつれて来いって条件出してやった恩を忘れたか?」

「あー、そだったなー。忘れてた」

「二度とてめぇの頼みはきかねぇ」

「そーゆーなって、ありがとよぉー」

「そもそもナンで、オマエがここに居るんだ?」

 佐々木異三郎に担がれてここまで連れてこられた悔しさがぶり返してきて、二枚目は無意識に万事屋に向かって凄む。

「決まりきってっこと言わせんなよ。トシちゃんが恋しかったんだもーん」

 ぶ、っと、二枚目の隣で近藤勲がむせた。

「答えになってねぇ」

「えー、なんでぇ。すっげぇ正直にコクったのに」

「それは動機だ。オレは手段を尋ねてる」

 恋焦がれられていたことを、ごく当然の事実として二枚目は自然体で受け止めた。

「と、トシ……」

 なんとなく知っていないではなかったが、こうもあからさまに関係を披露されたのは初めてで、近藤勲は戸惑う。

「会いに来たかったのに金がなくってどーしよーなかって思ってたら、ちょーどエリートさんから北に行くから道案内してくれって言われてほいって、話に乗っちまったの」

「てめぇの口から金がないって聞くと妙なリアリティがあるな」

 ぐいっと、茶碗酒を干しながら二枚目が呟く。

「けどそれで、全部誤魔化せると思うなよ」

「なんにも誤魔化してやしねーよ。函館にほんとは最初に寄りたかったぜオレも。けどエリートさんがすんげぇ焦ってるし、オレが顔出したら沖田クンが警戒してオマエんこと出してくれなくなるかなって思って、待ってることにしたんだな、うん」

 げほげほーっ、と、近藤勲が咳き込む。

「……」

 二枚目がさすがに顔色を変えた。頬からすーっと血の気が引いて青白くなる。けれど目の前で万事屋は笑っている。

 わざとだ。

 わざと、近藤勲の前で、この二枚目が一番知られたくなかったことを、白髪頭の万事屋はすっぱ抜いた。

 高杉は面白そうに笑っている。

 桂は礼儀正しく聞こえないフリをしている。

 山崎は鍋に鴨肉と芹を追加した。

「マジで、間男気質だな、てめぇ」

 思わぬ窮地に追い込まれると妙に胆の据わる二枚目は静かに口を開く。

「総悟と決闘ぐらいしてみやがれ」

「本気で言ってっか?オマエのお望みならオレぁしてやってもいーけど、それで困るのオマエじゃねぇの?」

 万事屋も同じくらい、穏やかに喋る。

「オマエいま、おっキー支えてやんのに手一杯じゃん。オレとかみ合わせて遊べる余裕が出てからにしろよ、その台詞」

「てめぇ、いろいろ覚えとけよ」

 二枚目は凄みをきかせた。

「オマエこそちゃんと覚えといてよねー」

 が、長い付き合いの万事屋は少しも怖がらない。怖がるどころか恩に着せるような口調で喋られてしまう。

「……」

 素直なところのある二枚目はそのせいで黙り込んでしまった。自分はそんなに苦しそうだっただろうか?

 苦しそうだったのだろう。実際、何ヶ月も苦しんで鬱々と過ごしていた。近藤勲は沖田にとって剣の師匠筋で、それは親代わりということになる。あんなガキに手を出してしまったことを知られたくなかった。軽蔑と非難を受けると思ったから。

「堕ちたな、銀時。ふたまたをかける専門だったくせに、かけられる側になったか」

「おいヅラ、真顔でなにつまんねー冗談言ってんだッ」

「楽しそうな話じゃねーか。聞かせろ」

「ヨタ話だぜ、信じるな。オイ軍談はどーしたよそろそろ始めやがれ」

「最後のオチまで知られたわたしの話よりそちらの方が聞いて楽しいでしょう」

「ンな口上で逃げられると思ってんじゃねーぞぉー」

「その吠え方はマジネタだな。やるもんだぜ」

「なんでも悪意に解釈すんじゃねーよッ」

「では来客の酒の肴に話そう。あれは俺たちの地元で攘夷戦争が始まる前の……」

「やーめーろーっ」

 酒がまわって座はいっそう賑やかさを増す。万事屋の爆弾発言に最初は衝撃を受けていた近藤勲もつられて笑い出す。そしらぬ顔で酒を呷りながら二枚目は、そんな気配に心からほっとした。

 桂の話を万事屋が必死に遮り、佐々木の語りが始まる。

「時は慶応四年、前日からの戦いも激しさを増した一月四日」

 最初は話したがらなかった佐々木だがいい加減に酒もまわって、軍談というより講談のような節回しの名調子で語り始める。

「伏見では奉行所付近で幕府歩兵隊、会津藩兵、土方氏の率いる真選組の兵が新政府軍の大隊に惜しくも敗れ、奉行所は炎上」

「うるせぇ」

「土方氏の率いる真選組の兵が惜しくも破れ、奉行所は炎上」

「叩き殺されてぇか、キサマ」

「やがて六日、旧幕府軍は石清水八幡宮の鎮座する男山の東西に分かれて布陣。私は東へ、土方氏の率いる真撰組は西へ。やがて来る敵を迎撃せんとしたところ、対岸の大山崎に布陣していた津藩がいきなりの裏切り、こちらへ向かっての砲撃」

「……」

「……」

 その現場に居た二枚目と山崎が苦い顔になる。あの裏切りは酷かった。朝敵になりたくないという大義名分はあったが、だからといってあのやり方は汚い。

「旧幕府軍の戦力は一万五千、対する攘夷軍は五千。装備面ではやや劣るものの敗れる筈の戦ではなかった」

 佐々木の口調に悔しさがにじむ。幕府という組織の老朽化と空洞化を幕閣の誰よりも鋭敏に感じ取っていた秀才は時代の上げ潮に乗る攘夷派に対する敗北を予感していた筈だ。それでも目の当たりにして平静ではいられなかった。

「兵を纏めて退くべきでした。あれが緒戦に過ぎないことを考えれば一時撤退しての巻き返しを図ることが正しい。分断された西の陣地におられた誰かがそうされたように。けれどその時のわたしには何故か当然の判断が出来なかった」

 名門に生まれて秀才の名を欲しいままにしてきたエリートは負ける悔しさというものに慣れていなかった。

「口が勝手に動いて総員突撃を命じておりました。また部下たちが何故かそんな無茶な命に逆らわなかった。全員が私について来た。実におろかなことでした」

「はは、はははは」

 高杉は実に機嫌よく、自分の本陣が急襲された話を聞いている。

「突撃はさくさくと進みました。ラワン材に桐をたてるように容易に」

 小太刀とっては日本一と称されたこの男が先鋒となって斬り込んだのだ。肌身を接しての接近戦になれば刀は銃に勝る。

「途中で退けなくなっているのには気づきましたが、だからといって焦りも悔いもなかった。死ぬ覚悟というのは案外、あっさりとつくものです。目の前の霧を払うように、しているうちに、なんと本陣が見えてしまって」

「オレの首を獲るつもりだったか?」

「欲しいと心から思いました。あなたの美しい未来を食い千切りたくなった。私の中の獣が目を覚ましてあなたを欲しいと吼えました。あなたが手にする栄光に嫉妬した」

「はは、ははは」

「あなたを私の、死出の道連れに望みました。あなたの部下たちがわたしを憎むのは当たり前です」

 そんな話をしているうちに夜は更けて。

「おやすみ、また明日」

「明日は山の温泉に入りに行こうぜぇ、銀時」

 子供の頃に戻ったような口調で酔った高杉が言った。桂に連れられて別棟の自分たちの住まいへ引き上げる。近藤は先に酔いつぶれて大いびき、ほぼ素面の山崎が宴会の後をざっと片付ける。佐々木も酔って近藤の隣に転がっている。その背中に、ざっと毛皮を掛けながら。

「トシちゃん、オレの部屋においで」

 白髪頭の万事屋はなんだか少し照れた口調で言った。

「……おぅ」

 同じく近藤に毛布を掛けていた二枚目は申し出を受ける。そうしてちらりと、山崎を見た。

「おやすみなさい、土方さん」

 もの分かりのいい『女房』が優しく告げるのに頷いて、しんと冷え込んだ屋外へ出る。街頭もなく雑踏は遥かに遠い世界で、冴え冴えとした月がすべてを銀色に染めていた。