気のせい、だと、思いたかったけれど。
「……、オイ」
縋りつかれた指先の冷たさに気づかない訳にはいかなくなる。
「ンだよ、オマエ、なに怖がってんだぁー?」
それだけの言葉を口にする為には相当の努力が必要だった。オトコも既に息が荒い。恥かしがって嫌がるのを押さえつけ唇で散々に弄りながら指で慣らして馴染ませて、快楽に弱いオンナが耐え切れずに膝を立てるのを待ってようやく、いざ、というタイミングで。
「もしかしてアレか?オレとヤって沖田クンに怒られンのが怖いとか、か?」
からかい口調で言ったつもりだった。けれどせりふの語尾は男自身が聞いても不安に揺れていた。押し隠したつもりの本心がこぼれてしまう。それはオトコが怖くてたまらなかったこと。若い可愛いのが悲しむからオマエとはもう嫌だと、拒まれるのを、ずっと怖がっていた。
「あきらめ、ろよオマエもー、ヌレちまってんだ、から」
組み敷いてカラダを重ねた相手の頭を抱きこんで、耳たぶを舐めながら男は囁く。顔を見る度胸がない自分を笑いながら。悲しそうな表情なんてされていたら窮地に陥ってしまう。もう止まらないのに嫌がっているのに気づいたらレイプするしか、なくなってしまう。
「坊やと決闘して、やっからチカラ、ヌケ……」
精一杯に気張って傲慢に言い放ったつもり。けれど馴染んだオンナには、オトコの虚勢は通じる筈もなくて。
「じゃ……、ねぇ、よ……」
わざと乱暴に膝を掬うオトコの肩に額を押し当てて顔を隠したまま、かすれ声で、答える。
「オレがこぇーのはテメェだ」
肌と狭間の粘膜が重なる。オンナの目蓋と唇がキュッと閉じられる。それにつれてカラダにもチカラが入る。引き裂けば怪我をさせる。
「なにが、だよ……。ドコが……」
苦しんでいるのはオトコの方だったかもしれない。
「売られるン、だろオレは」
オンナの声は嘆く口調だった。けれど覚悟を決めたような落ち着きに近いモも、その底にないではなかった。
「いつか」
「なにイってんのオマエ」
「こんなふうにされると思ってたぜ」
「ンだよ……。騙したコトなら、悪かったってイってるだろ、コンチクショー……」
逆切れしたフリで罵ってみたものの、ぶるりと胴ぶるいしながらでは凄みもなにも、あったものではなかった。
「テメェやっぱり、最後はアイツらの側だったな」
「なぁにイってんだ、トシ」
軽く笑い飛ばそうとしてまたしても失敗したオトコはそこで、悪あがきをやめた。肘で掬ったオンナの膝をいったん手放し、ぎゅーっと、全身で抱きしめる。
「バカな寝言も、いってんじゃねーよ……」
とろりと漏れそうなくらい追い詰められているけれど、そんな誤解をされたままではセックスどころではない。
「売るとかってならこんな、オマエの味方ばっかのトコに呼び出すかヨ。売ったってーなら、オレぁオレを売ったぜ。オマエに会いたくて。責任とりやがれ。……なに笑ってンだ?」
カラウチの恥を例えかいてもそこは今すぐはっきりしておかなければならない。裸を重ねた寝間には似合わない、意地になった強い口調で身の潔白を主張する。
オンナはオトコの必死さを笑っている。はっきりとした疑惑を抱いた表情で。ムキになるなよ図星さされたからってとでも思っているのが目の色で分かる。オトコは悔しさに腕にチカラを篭める。こめるが、心の底で、本当はほっとしていた。
怖がられて嫌がられるよりは馬鹿にされて笑われる方が百万倍もマシだ。
「だいたいなぁ、怒っていいのはオレのほーじゃねぇか?冬には江戸に帰ってくるって言ったのはオマエだろ。楽しみにさせといて空振りさせやがって、冬中、あの坊やとヨロシクやってたクセに、オレにうるせーこと言える立場かオマエが?」
「ずいぶん、桂と、仲良さげだったじゃねーか」
「そりゃはるが居るからだ。あのガキが居やがるとナンか……、戻っちまうンだよ」
むかし、昔。暴れん坊の名家のご子息を、二人で手を焼きながら面倒みていた時期がある。その坊ちゃんは成長して牙を研ぎ上げて世界を震撼させる策謀家になった。そして最後の羽化の時、お約束どおり自分たちを裏切った。
それでも憎めない。笑っていると可愛い。あの日の裏切りをさらりと忘れてしまえる。何もかも許せるのは育てた雛だという意識が消えないから。自分を食わせてもいいような気持ちで居る、消しようのない愛情は否定できないけれど。
「ヅラとも、はるとも、そーゆーんじゃねぇよ。坊や挟んだオマエとゴリが夫婦漫才になるのと、似たよーなモンだ」
言いながら額に冷や汗が浮かんで流れて、いくのを男は、抱いたオンナの髪で拭う。
「……抱かせろ」
それしか考えられなくなる。全身が脈打つ。
「足ひらいて腰うかして自分からヤらせろ。じゃねーと、ナニすっか、マジで分かんねーぞ、オレぁ」
限界を超えてクラクラ、めまいがしそうな熱に喘ぐ。脳貧血を起こしかけている。思わず本気ですごんでしまった脅し文句の、返事は。
「最初からそう言えよ、バカ」
ごくあっさりとした言葉と、もう一度、オトコの肩に廻される腕。肘の内側、すべすべとした肌が背中に当たる。今度はちゃんと、暖かい。
「ンだよ、拗ねてたの、か、ぁ……?」
吐息と一緒に力の抜けていくカラダを押し伏せながらオトコは心からほっとしていた。
「テメェがあんまり、シラッとしてやがったからな」
「どこが……。ここまでで、ジューブン……」
こんなに遠くまで会いに来てしまったというので十分、何もかもの証になるんじゃないかとオトコは訴える。訴えながらオンナの腰を掴んで、そして。
「……、ッ……、ぁ」
牙を、たてる。
「あ……、ぁ、ッ……、ぅ」
生意気なクチをきいていた憎らしいオンナは途端に声の音階を変えた。
「ヒ……、ッ!」
熱を畏れて無意識に逃げようとする肩に、本能のまま歯をたてる。はりのある健康そうな皮膚がたまらなくて本気の力を篭めてしまう。
「や……、っ、てぇ……ッ」
だったら逃げンなよ、とは、もうクチでは言えない。繋がったカラダを死に物狂いで貪る。ハメられてかもしれないという考えがチラリと脳裏をかすめたが、ハメたきゃ好きなだけハメやがれとも思った。
カラダ全部で押さえつけながらオンナのイイトコを、オンナがイイように、つき上げてやると声を濡らした。快楽に弱いところは本当に可愛い。内腿を震わせながら今度は愛想でなく本気で腰を浮かすオンナを、喰いたいと心の底から思った。
「う……、ぁ、……、っ」
むせび泣くオンナの声がオトコの鼓膜を貫く。殺したいほど熱が凝る。繋がった場所から溶けてしまいそう。焼付く熱は、江戸に何人か、なんとなく居るセフレの女の子たちとは望みようもないほどで。
「……、る?」
オマエ、オレにホンキで惚れられちまってっかもよ、どうする?
問いかけとともに熱を放つ。腕の中のオンナが跳ねて、その手応えが、死ぬほど愛おしい。
「……、ふぅ」
たまらずオトコが息を漏らす。オンナはまだ、余韻にビクついて、肩を揺らしている。
「ナンでこんなに、美味いのオマエ……」
世辞ではなかった。褒めたという訳でもなく、いっそ恨めしいような気分。
「若い坊やに可愛がられてっからかぁー?」
口が勝手に嫌味を言う。いいながら繋がったままの腰を突き上げて、まだとんでいる様子のオンナを正気に戻そうとする。楽にしてやる気はなくて、二度目の熱を、さっさと孕ませたいから。
「……、ったら、なん、だよ……」
乱暴にされたことにオンナは怒っているらしい。挑発というには高い声で、それでもオトコに、減らず口をたたく。
「妬ける」
オトコはシンプルに答えた。答えを証明するように、力の抜けたオンナの膝を、また抱えなおす。
「や……、っ、イ……、ッ!」
「オレぁな、オマエと別れた覚えは、一遍もねぇんだ」
「ちょ、まだ……、やす、ま、せ……」
「甘ったれてんじゃねぇッ」
恫喝した筈が悲鳴のようになった。
石油ランプの火さえ絶えた部屋は暗くて、炉で燃える炭火が時々、はぜる音だけが聞こえてくる。
中空を漂っていたような意識が戻ってきて、ゆっくりと開いた目が最初に映したのは背中。寝巻きを雑に引っ掛けただけで、火箸で炉の炭を組みなおしている、らしい。
狭い部屋だったから背中はすぐそこにあった。茶釜が熱でかすかに鳴って、ああここは茶室だったのかと気が付く。連れ込まれた時は暗かったし炉は冷えていたから分からなかった。もちろん正式なそれとは違うが、
布団の中からその背中が隣に戻ってくるのを待った。けれどあんまり動かないから不安になって、だるい腕を伸ばして寝巻きの裾を指先に引っ掛けて引っ張った。
「煙草か?」
男は驚かない。起きたことには気づいていたらしい。
こっちを向かないまんまで男はオレから剥ぎ取った服を探る。シャツのポケットに入れた煙草を一本、自分が咥えてライターで火をつけて、それからオレの口もとに差し出してくれる仕草には慣れがある。花のお江戸で暴れてた頃に、けっこう長く、こいつとは『付き合った』。お互いのクセを覚えてしまう程度には。
仰向けのまま息を吸い込んで、煙を吐き出す。慣れたニコチンがやけに効いて、首の後ろが痺れたようになった。
「白湯、飲む?」
二服くらいで煙草を消すと、相変わらず背中を向けたままの男が小さな声で尋ねてくる。くれと返事をする代わりに姿勢を腹ばいに変えた。炉の茶釜の蓋を外す音がして竹のひしゃくで掬われた湯が口元に差し出される。手を出さずに唇だけ寄せてそれを呑んだのは寒かったからだ。腹がつるほど好きにしたくせに、熱を感じるほど見つめてくる男にうなじを見せ付けてやりたい下心ももちろん、たっぷりとあった。
す、っと、男の手が動く。後ろ髪に指先で遠慮がちに触られて、勝った、と思った。
「……ごめん」
負けた男の降伏の声が耳に心地いい。背中から抱きしめられて、後ろ手に廻した腕で、頭を撫でてやった。
「乱暴して、ごめん」
「わるかぁ、なかったぜ」
温かな白湯で潤った舌でウソをつく。悪くないどころではなかった。死ぬほどヨかった。ヨガり狂って自分から腰を振った。殺せと口走った。固い背中に爪をたてて自分から擦り付けた。
「まぁちょっと、乱暴じゃねぇ、こともなかったけどな」
夢中になったのはお互い様。でも先にそれを認めた方が負け。「ごめん」
「……寝ようぜ」
布団の中に戻って来いと誘う。男は素直に言うとおりにする。体温に安心しながら目を閉じる。疲れてる、けど気持ちがいい。男の腕がそおっと、背中に廻される。笑っちまって、そして。
「いまさら」
「……ごめん」
「他人には、なりたくねぇ、な」
眠ってしまう前にそれだけは言っておこうと思って口を開く。
「ナンのハナシ?」
「テメェとヤる、オレの動機」
隠し通せることじゃねぇ。いずれは総悟に、遠からずバレる。総悟はなんて思うだろう。近藤さんから逃げたがってたのにまんまとハメられた俺をバカだと思うだろうか。ヤられてちょろく泣き出したオレを軽蔑するだろうか。もしかしたらオレがこの男を拒まなかったことを悲しむだろうか。貞操とやらを知らないって怒り出す、だろうか。
「坊やに、オマエ、やっぱ苛められる?」
怒られるのは怖くもナンともない。けど悲しまれるのは考えるとちょっと嫌だった。でも仕方がない。……したかった。
「他に、ナンにも、ないからなぁ、テメェとは」
「……はい?」
「徹底的に仲間じゃねぇし、ダチって柄でもねぇ」
「味方、だぜ。仲間じゃなくっても、オマエの」
「だからってこんな上玉と、いまさら他人にはなりたくねぇ」
肩に顔を埋めながら真顔で、真剣にそう言ったし思った。憎らしいほどいい腕をしている、オレが知らない戦争の立役者。攘夷派の首脳陣とタメグチをきく大物るそいつがへらっと俺を見かけると笑いかけてくることの満足をいまさら、手放すことは、出来そうになかった。
「頼むから、そーゆー台詞は、オレに言わせてくんない?」
「……おやすみ」