蓬莱・一

 

 元旦。

 高橋家には、改まった衣装を身に纏い、難しい顔の男たちが集っていた。

 新年を迎えるための飾り物も接待に呼ばれた白拍子も、今年は一段と華々しく賑やか。それは事件の多かった、この家の旧年を洗い流すように。

 長年、海賊どもと張り合って瀬戸内の海を治めてきた先代の死。

 その息子の行方不明。

 乱世の中、当主の地位は一時も空席には出来ない。死んだ先代の弟が家臣たちに推されて当主となった。先代や甥を補佐して過たず、地味な実務家としての力量を認められて。しかしその『地味』な男が。

「くずは殿。あなたも一献」

 家督を同時にしたことは。

「いいえ、わたくしは」

「いいではないですか。お若い頃は飲まれていた。よく覚えていますよ」

「いやです、そんな昔の、ことはお忘れください」

「じきに、競弓が始まります。呑んで度胸をつけていた方がいい」

「では、お薦めに従います」

 赤い杯を、受け取る指は白くてひどく、華奢だった。

 薄紅色の衣をまとって、年増とか女ざかりとか、そんな表現が不似合いなほど艶めいて、潤んだ風情で新当主の、横に侍っているのは。

「……おいしい」

 くっと飲み干し、微笑む目元。肩にかかる髪も多く艶やかだが、毛先を布に包んでゆわえてある。長さが、半端だった。

 大人しい、男だとばかり思われていた、先代の弟。

 しかし、その『大人しい男』は、相続の当日、領地の尼寺の一つに馬で乗りつけた。

「くずは殿、くずは殿」

 既に出家して別の名を名乗っていた女を。

「長く苦労をかけました。あなただけにではない。涼介にも」

 迎えに、来た。

「ここを出て、わたしと一緒に来て下さい。必ず、お幸せにします」

 兄の、妾だった女を。

 

 競弓。

 家中の若者たちによって行われる、競技のことである。

 最初に出てきた、姿の良い若武者。群青色の直垂姿が凛々しい。侍烏帽子の下の、額は透き通りそうに、白い。

 当主は盃を膳に置いた。隣で女も祈るように手を組む。大きく湾曲した長弓の、下三分の一ばかりの場所に若武者は矢をつがえ、

 

 ひゅうっ。

 

 狙った、とも思えない無造作さで、放つ。

 放たれた矢は風を切りながら、臨時にしつらえられた的場の、銘々的の中心、ひときわ大きな丸のド真ん中に、ンシリと音立てて鏃を埋める。

「お見事ッ」

「いや、本当に大した技量で」

「さすがは……、ご血統……」

 新年の宴席が沸く。それはあながち、世辞ばかりではなかった。涼しい顔で当主に会釈して、若武者は場を退く。彼は競弓には参加しない。引き始めの役を務めただけ。主と臣下が争うことは、たとえ祝賀の遊びでも許されない。

 そう。

 彼は、次期当主たるべき人物。尼寺に入っていた女の息子。

「一時はどうなることかと思いましたが、これでなんとか、この家も落ち着きましたな」

「まことに。……予想外の、ことばかりでしたが」

「普陀落渡海とは偽り、家督相続の混乱の中、危害を加えられぬよう、須藤党に庇護されておられた、とは」

 客席のあちこちで、顔を寄せ合って小声で交わされる噂話。

「しかし須藤といえば、昨年の襲撃は……。もしや最初から、この高橋に勢力を伸ばすつもりで……」

「し。滅多なことは言いますまい。だとしても、今のこちらに、反抗するだけの勢力は……」

「左様。長年、抗争を繰り返してきた須藤党との間に若いが成立すれば、この瀬戸内もぐっと平和になります」

「お家安泰が一番」

 そう、それが一番。そのためならば。

「しかし巣動画、こちらにつくとは、夢にも思いませんでしたな」

「やはり、あの美貌に目がくらんで……」

「京からの姫も、新しい若の北の方となることをご承知とか」

「いい男は、得ですな」

 最終的に客たちの視線は、宴席の上座で。

 美しい白拍子や侍女にとりまかれ、鷹揚に大杯を傾ける男の、精悍な横顔に、向かう。

 

 新年の宴がおわり、回廊を歩いていく烏帽子姿の若武者を。

「……待てよ」

 通りがかりの座敷から声がかかる。

「来い」

 覚悟して、かたりと若武者は蔀をおしあげた。途端、甘い香りが室内から咽るほど漂ってくる。女の使う香料と体臭。部屋には三人の女が素裸同然の姿で息も絶え絶えに打ち伏している。……奇妙なのは、女たちが来るシケに喘ぎながら、それでも夢見るように瞳はとろんと、とろけて潤んでいた。

「来い」

 言われるまま、彼は女の裸を越えて近づく。奥の褥の、男の前へ。

 須藤京一の、前へ。

「脱げ」

 彼は逆らわない。烏帽子を取る。はらりと押さえられていた前髪が白い額に散る。肩紐の房を掴んですーっと引くと、素襖の前がはなりとほどれる。袴の紐もほどく。けれど下着の小袖は脱がないまま、褥に膝をつく。

 二の腕と肩を掴み、白い敷布に押し伏せる。そしながら男は、喉奥で笑った。

「失敗、したぜ」

 言葉の内容とは裏腹の、たのしそうな声。

「あんたがこんなに強情だったとはな。一年は喪に服したいからヤルなって、ンなのあんたが我慢、出来るわきゃないと思ったのに。……なぁ、別嬪さん?」

 耳元でささやかれ、ついでに耳朶を舐められて。きゅっと、彼は目を閉じた。

「辛くねぇかい、弄られるだけ、なんてのはかえって。意地、張らなくったっていいぜ。欲しくなったらいつでも言えよ。……笑やしねぇ。当たり前の、ことだ」

「お前に言って、どうなるって言うんだ」

「抱いてやる。そこの女たちみたいにな。極楽浄土に、連れてってやるぜ」

「どうやって」

「ンなの、決まってっじゃねぇか」

「眠れないときがある。夜中に目が覚めるときも。むずむずして、じっとしていられなく、なる」

「……当たり前だ」

 そっと男は、小袖のあわせに手を入れようとした。

「恥かしかない。イキモノだからな、当たり前の、ことだ」

「疼くんだ」

 その手に、彼は指をかけ。

「……あいつに会いたくて」

 思い切り爪を、たてる。

「ッ、てぇ……」

 男は手を引いた。皮膚が裂け、血が滴っている。

「の、ヤロ……」

 男の一瞬の激昂は、

「約束を破ろうとするからだ」

 彼のまっすぐな瞳の前に熱をなくし。

 意趣返し、のように抱き締められた。強く、強く。

 

 重い身体を起こして、彼が身支度を、していく。

 寝床の上から腹這いで眺めながら、

「一年たつ寸前に自殺、なんざ、してみろ」

 男が言い出したのは彼の横顔に、拭いきれない憂いがあったから。

「ンな真似しやがったら、当主と母親、重ねて四つに斬るぜ」

「しないよ。母が、どうなったって知ったことじゃないけど」

 新当主のことは、耳にも入らないらしい。

「あいつが助けてくれた命だから、絶対に棄てない」

 よろり、立ち上がって部屋を出て行く。自分も立って介添えしてやりたい欲求を、京一は押さえ込む。

「……薄情な奴」

 彼の、母親は。

 尼寺から出るのに抵抗した。のに。

 新・当主と組んだ京一が、『保護』していた彼を差し向けるなり、いきなり折れて、出てきた。

『あなたは弟君のお子ではないわ。無理強いを、されたことは幾度かございました。先代はそれをご存知で、うなたを認知、して下さらなかった。けれどわたくしは、あなたは先代の御子と、信じて』

『母上が何をどう、信じておられようがご勝手です。けれど、せっかくあの男が我々を妻子として城に迎えようとしているのです。そのおつもりで、願います』

『あなたは……、方はしけの跡取りになりたいの』

『はい』

『そう。分かりました』

 女は、覚悟のいい、女だった。

『それであなたが生きてくださるなら』

 墨衣を、脱いで色物を纏い。

 それは全て、息子のためだったろうに。

 

 回廊を、歩く。

 中断されかけた、目的地までの。

 本邸の奥、特別の御殿を作って迎え入れた都の姫様。

 摂関家の息女で、この高橋と都の有力者を繋ぐもっとも太い糸。

「よい春になりました。姫様、いかがお過ごしですか?」

御簾ごしに声をかける。姫の前には人が少なかった。皆、本邸の宴席で酒に酔い浮かれ、今ごろは気に入った男とどこぞかで、初寝の夢を結んでいるだろう。そういえば須藤京一に差し出されて女たちの、中にもこの御殿付きのが、居たような気がする。

 そんなことを考えている間に、御簾が動いて、隙間から手が伸びる。小さな手だった。子供の手か?それにしても、おかしいほど小さい。

 その手につままれていたのは、これまた小さな、桜貝。

「下さるのですか?ありがとうございます」

 近寄って受け取り、微笑み、会釈して御前から、彼は下がった。彼は行方不明中の先代の、息子の代わりに姫と結婚、したはずだが姫の、顔をまだ見ていなかった。

 見たいとも思わない。

 ただ、憐れさだけが、胸に満ちる。

 摂関家の姫といえば、内裏に入内して天皇の子を産む事が役目。

 摂関家にとって、姫というのは、貴重な手札なのだ。

 なのに、こんな田舎の勢力家のもとへ嫁いできた、わけは。

 子供の産めない身体だったから。

 はっきりは見て居ない。けれど身の丈は、襖の引き手にも届かないだろう。性格はいたっておとなしく、優しい。身の回りのことをこまやかにきづかう彼に、感謝の気持ちを、きちんと伝えてくる。

 桜貝をそっと掌に握り締める。都の姫がこんなのを持っているはずがないから、これはあいつが姫に与えたものだ。そう思うと、とても嬉しかった。

「少し、人が少ないようだな」

 控えの間に下がり、びくつく侍女たちを見回す。交互に『御簾の中の姫』を務め、愛したあいつを散々に、貪ってきた女たちへ。

「何をしてもいいが、姫様には忠実にお仕えするように。でなければ、都に戻しますよ」

 効くオドシ文句だった。こんな田舎の嫁入りの供として差し出される侍女たちには、それぞれ事情がある。実家の台所事情だったり性質の悪い情夫から逃れるためだったり。ほかに、行くところがない、女たち。

 深々と頭を下げて床に這う、侍女たちの真ん中を通って彼は、自室に戻るべく御殿を出る。外には既に、夕闇が迫っていた。庭のかがり火も屋敷も、闇さえ新春の華やぎに満ちて、浮ついて感じられる中。

 離れの自室に逃げるように駆け込み、そこでほっと息をつく。

 ……大丈夫。

「大丈夫だよ、俺は」

 誰に向けた、言葉だったのか。

「大丈夫。絶対死んだり、しないから」

 生きてさえ、いれば。

「お前と会えるまで、絶対」

 それが、ほんのかすかな、希望でも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます。

 

蛇足ながら。

京一が涼介を、いたぶってるのが平気な方は、

作者にメールでご申告いただきますと、

ひぃひぃ・にぃにぃのお届けが後日、あるかもしれません。

(↑これから書くのです)