蓬莱・11

 

 

 考えない。……何も。

 いやな事は、何一つ。

 二人の当主に混乱する家中、そしてその最中、母親は孕んでやがて出産する。男の子、だったら俺の立場はさらに微妙になる。子種の曖昧な俺と違って今度は、はっきりとした『若様』の誕生。

 三つ巴の家督相続。そんなことは、考えない。

 抱いた体の感触と、暖かさから来る統帥だけを貪る。将来も未来も要らない。必要ない。俺には今、だけが全て。

 愛した男の怪我はゆつくり癒えていく。それは、嬉しいこと。完治が別離と、分かってはいるけれど。

 ……なぁ、啓介。

 治ったら、俺をシマツ、していいから。……今は。

 抱かせて。抱き締めさせて。お前に触れてるとそれだけで幸福。

 右足の脛を貫いた矢傷。

 左肩を掠めた刀傷。

 そのせいで身動きできない、お前の世話を、するのが愉しいんだ、とても。

 身体を拭って食事を運んで、包帯を替えて着替えさせる。

 枕もとに花を飾って天気がいい日は縁側の蔀を上げて中庭を眺める。

 お前ともう一度、ここでこうしていられるなんて思わなかった。

 ……楽しい。

 寄り添って過ごす時間が嬉しい。お前と昔、みたいに一緒に居れる。

 それがとっても、嬉しくてシアワセ。

 最初から、これで満足、していればよかった。

 

 ……囲われて。

 別宅で、お前を待って。

 年に何回かでよかった。顔を見れる、だけでも良かったのに。

 俺は我がままで強情で欲深だった。だからお前の不実を責めて、許せなくって憎んだ。憎しみが横滑りして、自殺しかけて、お前の人生まで歪めた。

 ……いいよ。

 お前をもう、今度こそ本当に愛した。愛して、許せた。だから、いい。

 嵐の海で俺を庇ってくれたお前を、俺は、心から愛したから。

 

 

 

 優しかった。

 彼が、とても。

 昔、彼の事を閉じ込めて飼った離れに、俺は寝かされている。

 怪我して身動きのとれない俺を彼は、甲斐甲斐しく世話してくれた。殆ど、俺のそばから離れなかった。

 そっと寄り添ってくる官職が心地いい。

 俺を眺めては嬉しそうに仄かに、微笑む。

 とても……、イヤな感じが、した。

 どっか不安定な、儚い感じがしたから。

 ナンかまた、とんでもねぇこと考えてやがる。

 そんな、カンジが、したのだ。

 

「……いいのかよ?」

 そっと尋ねる。脅かさないように、そっと。

 彼は長い睫毛を揺らして首を、そっと傾げる。なにがと、尋ね返してる表情。

「こんなべったり、俺についてて、いーの?」

 須藤京一。彼の同盟相手で、庇護者。あいつを放っておいていいのかと。

 尋ねると、彼の表情がみるみる沈んでいく。奴とは寝ていないって、そういえば言い張っていたっけ。

 俺には、どうしても信じられないけど。

 だってあいつ、あんたを助けに来たじゃねぇ?

 乱戦の中、日暮れて藤原党の先鋒が崩れ掛けたとき、あの男はそれに漬け込もうとはしなかった。その隙を利用して、やったのは追撃じゃなくあんたの救出。あんたが怪我した俺を離さなかったから俺ごと。

 物凄く、あんた愛されて大事にされてるじゃん。

 そんな男を放っておいて、いいの?

「……お前が好き」

 彼は俺の質問には答えなかった。

「お前のことだけ、ダイスキ」

 言って優しく、抱き締めてくれる。柔らかでしなやかな腕の中が、キモチイイ。

「……もうちょっと、だから」

 だから、ナニ?

「もうちょっと、こうさせて、くれ。……お前が動けるように、なったら」

 なったら、どーすんのさ。俺をシマツする?

「始末してやるよ。あの男」

 あの男、って、誰?

「須藤京一。あれを殺してあげるから、お前は高橋をもう一度、率いて須藤の領地を、襲え」

「……」

「そうして、君臨すればいい瀬戸内に。それがそもそもの、お前の望み、だったろう?」

 いいのかよ、そんなの。

 あんた、それで……?

「あいつがバカなのさ。敵地に、長々と滞在しているからだ」

 俺の質問を、彼は違う意味に取り違えた。

「……相打ちなら、多分殺せると思う。……ごめん」

 俺を抱き締めて、腕の中に、囲って優しく癒しながら彼が囁く。

「ごめんな。俺のせいでお前、辛い目に、あったな」

 そ、れは。

 俺の台詞だ、よ……?

「ごめんなさい。代わりにお前の望みを叶えてやるから、許してくれ」

 だから。

 それは俺の、台詞。

「お前を、王様に戻して、やるから」

 言われて気づく。

 そんな欲がもう、自分自身にないことに。

 高橋の若当主。都の姫を娶っていずれは、この瀬戸内の航路と富を独占して君臨する王者。

 なりたかった、ことは確かにあった。けど。

 もう……、棄てたよ。そんな望みは。

 あんたを追って海に飛び込んだ瞬間に棄てた。

 何もかも要らなかった。

 藤原の、トコに亡命して生きてたのは、やっぱり、あんたが気になって、近くに居たかったから。

 せめて動静の聞こえる位置に。

「愛して、いるよ」

 あんたから、そんな言葉を聞けたなら、俺にはもう、望みは何一つ、ないんだと。

 改めて気づく、自分自身の真実。

「……なぁ」

 一緒に、逃げよう。

 手に手をとって、今度は二人きり。

 普陀落渡海、なんて物騒なのじゃなくってさ。

 俺たちが、一緒に生きて、ける場所を見つけに、行こう。

「俺も、好きだよ」

 何も要らない。あんたが居てくれれば。

 だから、一緒に、逃げて、そして。

 一緒に生きて、いこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初夏の瀬戸内の海は碧で、美しい。

 その緑色を映したような、見事な翡翠の勾玉が少女の胸元で揺れていた。

 大の男が梃子摺るような荒駒を、手綱だけでらくらくと乗りこなして切れ長の、美しい瞳の少女は侍たちが集まる、溜間に足を踏み入れる。

 桜貝のような爪の生えた、白い素足を、何の怖れもなく。

 キムスメの大胆さに当惑するのはいつでも男たち。宿直あけで鼾をかいていた者、下帯一つでサイコロを転がしていた者、縁側で胸元まではだけて瓜を貪っていた者たちが慌てて身繕いをしたが。

「京一、ドコ?」

 少女はそんな男たちに一瞥もくれぬまま、真っ直ぐに問い掛ける。

「あいつドコ、行ったの?」

 隠したってムダよ。そんな風な、キツイ視線と口調。けれどもドコか清々しいのは、瞳の奥に一途さがあるから。

 ぐるりと見回され男たちは目をそらす。最後に視線を当てられた清二が諦めて、

「南の岩場に言ったぜ」

 答えた。

「ありがと」

 言い捨ててひらりと駆け出す少女の足音が遠ざかり、

「い、いいんですか、清二さん」

 男たちは恐る恐る、尋ねた。

「しょーがねーだろ。高橋の姫さんがわざわざ、来たんだから」

「でも京一さんがあそこに居る時は、誰も近づくなって言われて……」

「追い返すのは京一の役目だぜ」

 もう一度、縁にごろりと横になりながら。

「……できるわきゃねぇけどな」

 小声で清二は呟いた。

「オンナに乗るのは強くっても、乗られっとメタメタになりやがるのは京一の悪ぃクセだ」

「男は、みんなそーっすよ」

 オンナに愛されることには弱い。愛してくれる女には、とても弱い。

「カワイイコなら、尚更」

 それが昔、愛して執着したただヒトリの『オンナ』に生き写しなら、尚更。

「秋あたり、祝言ですかね」

「あー、俺、式服用意、しとかなきゃ」

「京一サンもとうとう、年貢の納め時かぁ」

 若者たちの勝手な噂話。

 

 岩場の向こうには、海が広がっている。

 頑丈な男は一人、そこに立って海を見渡している。

 ひょいひょいっと身軽に、男のそばに近づく少女。

 振り向かない、背中にそっと身体を押し当てる。

 ……膨らんだ胸を、わざと。

「一年、                                                        たったよ」

 武者溜りでのお転婆っぷりに、ほんの少しだけ羞恥を含みながら、それでも。

「娘になって、一年経った。……約束、だよ」

 はっきりとした口をきく。

「あたしと結婚、してよ」

「馬鹿言うな」

「京一がスキ」

「幾つ違うと思ってる」

30歳。それでも、スキ」

「他に似合いの若いのを捜せ」

「京一が、いいの」

 15の少女に口説かれて、困り果てた風情で息を吐く。

「いいよ、あたし京一が、逃げたオンナのこと忘れられなくっても」

 別の男と駆け落ちした、別の女を愛していたとしても。

 十五年間、消息は一度だけ。奇跡のように届いた、形見の勾玉。あて先は母親ではなく須藤京一だった。遠い何処かで幸せに暮していると、そう思うことにした。

 勾玉は母親に譲られて、娘のお守りにされて、今、京一の背中に当たっている。年月を越えて人手を経て、京一のもとへ自ら戻ろうとしている。

「その人の分まで、あたしが京一のこと、スキだからダイジョウブ」

 細い肢体で、頭二つ分も小柄なくせに。

 男とくちづけも、したことがないのに。

 オンナは男を、庇護する事を知っている。

「ダイスキ」

 囁かれる声が重複する。古い、懐かしい記憶と。

「シアワセにして、あげる」

 

 吹き過ぎる風は頬に心地よく。 

海はどこまでも、蒼い初夏。